晩夏の幻影

文字数 898文字

その人を見かけたのは、残暑きびしい日の午後だった。
近頃では珍しい、和装姿が目を引いたのだろう。
水色の唐花紋の薄物姿が、とても涼し気に映って、私は思わずその後姿を目で追っていた。

次にその人を見かけたのは、そろそろ日も沈もうとする時刻だった。
その人は何故か立ち止まり、わずかに顔を傾けながら、私に振り向いた。

その横顔の凄艶さに、私は一瞬で魅せられてしまう。
私は歩き出したその人の後を、フラフラと追っていった。

やがてその人は、古い社の鳥居の向こうに消えた。
文字通り消えてしまった。
私は慌てて鳥居を潜ったが、やはりそこには、その人の姿はなかった。

どうしても諦めることができず、次の日私は社の近くで、その人を待つことにした。
流れ落ちる汗を拭うこともなく、少し離れた場所からじっと鳥居を見ていると、いつの間にか道の向こう側から、静々と歩いて来る姿が見えた。

駆け寄ろうとする私に、その人は悲し気な目を向け、鳥居の中に消えて行く。
私が鳥居の前にたどり着いた時には、やはりその姿は掻き消えていた。

――もしやあの人は、人外なのだろうか。
そう思いつつも、どうしても諦めきれず、翌日私は、社の境内の中でその人を待つことにした。

大きな常緑樹の木陰で、じっと鳥居を見続けていると、やがて向こう側から、涼し気な薄物姿が歩いて来る。
私は必死で駆け寄るが、鳥居を潜った途端に、その人は掻き消えてしまった。
あまりの切なさに、私はその場に呆然と立ち尽くす。

「三度わたくしを追って、鳥居を潜られたのですね」
その時背後から声がした。
喜んで振り向くと、その人が愁いを含んだ眼差しで私を見ていた。

私は思わず、その細身を抱きしめる。
ひんやりとした感覚が伝わってきた。

その人は私の耳元で囁いた。
化生(けしょう)にも、思いはありますのよ。でも、わたくしは、もう去らなければなりません」
その時腕にかすかな痛みが走り、私は意識を失った。

気がつくと私は、鳥居にもたれて座っていた。
二の腕を見ると、浅く、しかしくっきりと5本の爪痕が残っている。

――あの人は二度と私の目の前に現れないのだろうな。
その傷を見て私は思った。
――三度鳥居を潜らなければよかったのだろうか。
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