精霊王ノ瞳~Ⅸ
文字数 6,737文字
柱には法が込められているよう。
その表には印を綴る蒼い光が、現れては消え。
そこそこ体格の良い大人の男一人を、易々と縛り付けていたのだ。
やや見上げるかたちで冷たい視線を送る少年が、
彼に欺かれたと知ったのは、つい先頃のこと。
王党派が地下施設に囲い込んでいた魔薬の運び手は、現在、行方不明。
少年は、ウルクアが連れ出し逃がしたと思っている。
それが事実なら、詐欺も同然。
ウルクアは遠退く意識を繋ぎ留め、こう釈明した。
「騒動の最中 ... 私が到着した時 ... ... 既に ... 〈彼女〉の姿は、なかった ... 」
ところが少年は拒絶する。
「聞きたくありませんね。見え透いた嘘には、もう飽き 々 しました。
そもそも、フェレンスを欺く必要はないと言ったはずです。
あえて不合理を犯したのには何か理由があるのでしょう?
お互い信用する気が無いのに、初めから無理がありましたね」
交渉は決裂だ。
「それでも ... 貴方は、私を ... ... 始末するわけにはいかない ... ... 」
「ええ。否定しません」
分かり切っていた。
「魔力を宿す血には瘴気が伴い、あらゆる態系を毒しますから。
この杜も例外ではなく、事が起きては、制御に差し障りが生じてしまう。
何もかも、お察しの通りです」
だからこそ、一度は譲歩したという理由だ。
「しかし貴方が望んだ交渉が、目的ではなく手段である以上。
貴方の生体、魂、記憶に至るまで警戒せざるを得ない」
王党派が魔導兵を狙う機会と、
施設や運び手の排除をより確実に行う策は、
やはり囮の手引きだったよう。
「フェレンスも気付いていたはずです。
この状況下、重要な場面に居合わせた者の中には必ず、
精霊王から瞳を奪った魔女ノ末裔が居ましたから。
魔導兵を待ち構えての捕縛作戦ばかりか。
魔薬の運び手を追跡するに至るまで。
見切り応対が過ぎる気はしますが、何か事情があるのでしょうね。
... 幸い、魔薬の方は魔導兵に投与されたようなので、問題ありませんが。
やれやれ。変わってしまった彼の機嫌を損ねないよう控えめにするのにも、骨が折れます。
誘導のため操作した擬態に、招待状を仕込んでおいて良かった」
少年が背を向け、その場を後にしたのは、ウルクアの息が浅くなりはじめた頃。
吊られ下を向く彼の上半身は、鬱血で染まり切っている。
浮腫みも酷い。
血が偏り、このまま気を失ってしまったなら、二度と目覚めることは無い。
それが普通だ。
しかし彼は、生かさず殺さず、弄られるだろう。
本人も、分かっている。
だが、彼は笑った。
祭壇の向こうへと消え入る少年の姿を、辛うじて見送りながら。
意識が途絶える間際に。
「異端ノ ... 魔導師 ... 。噂に違わぬ ... 賢才 ... ...
実に ... 協力的で、助かる ... ... 」
そう、囁いて。
彼が最後に思い返したのは、少年が連ねた話脈の一部。
〈 幸い、魔薬の方は魔導兵に投与されたようなので、問題ありませんし ... ... 〉
やがて気を失った彼の身体を静かに横たえるは、水か光か。
蒼き清流の如く飛来する心魂。
少年は気付かなかった。
この策謀に乗じて、人知れずウルクアを手助けした者がいることに。
興味の衰退が原因だろう。
何せ、どうでもいい。
そんな気がしていた。
〈 知るを幸いとし、慧み齎しめよ ... 〉
誰かが、そんなことを言っていたような気もするが。
〈 此れにおける格言、覚真を智慧と言わしめ 諭し、導け ... 〉
導くべき民など、もう ... ... この〈世界〉には存在しない。
奪われたのだ。
かつて豪族を率いた ... 地上ノ王に。
今は亡き祖国を想えば、
纏わる郷愁が心性を濁す。
少年について。
告知を受けたのは、作戦決行の数日前だった。
静かに語るフェレンスの表情は、いつにも増して硬いように思う。
一方のクロイツは顔の前で手指を組み、清聴した。
『私が初めて杜の息吹を感じ取ったのは、三世紀ほど前。
帝国の専門機関に配属された当初は、残存する叡智を開示するため、
祖粒子に纏わる魔導理化学や境界幾何学をはじめとする、
高次元学問の信託と運用を監修する立場に置かれた。
そのために。
遺物の探査に参加、協力することもあって。
帝国が主に、硝子ノ宮の残滓を対象とし、
採掘、調査を進めてきたことを知っている。
補足すると。
崩壊したシャンテの都市は宙に散乱し、
そのほとんどが大陸に落ちるか、海洋に沈んだはずなので。
浮遊島となり、この世界の空を彷徨い続けているのは、ほんの一部に過ぎず。
崩落した後、埋もれてしまった遺跡の方が、圧倒的に多いのが実情。
... にも関わらず、何故か。
悪条件と言える海洋での引き上げに立ち会うことも、少なくなかった』
元の状態を知るが故に生かされたのだから、当然 ... 気付きはするのだ。
いくら長い年月を経ているとは言え、見込みに対して得られる物量が少なすぎると。
『先取りされていたと言うことか』
するとクロイツが重ねて問う。
『貴様という奴は ... この期に及んで、
尚も知らぬ素振りを続けてきたと言うわけだな。 ... 何故だ?』
フェレンスに限って、調べる手段が無かったはずは無し。
確信が持てないなんて、生温い考えに留まるような魂でもないのだから。
明らかに〈触れることを避けてきた〉 ... そう断言せざるを得ないのだ。
ところがクロイツは直ぐに、尋ねた事を後悔する。
両者は膝の上に開いて置いた古書に向かい、対話していた。
右の頁には、相手の言葉が。
左の頁には、相手の動作が。
それぞれ絵と文章で表れる。
フェレンスの魔法が込められた古書だ。
待っている間に、嫌な予感はしたけれど。
クロイツにしては珍しく、顔に出さぬよう努めていたらしい。
それなのに。
左側の墨汁が滲んで靄々と漂ったかと思えば。
頁、一面を掌で塞いだ絵図が浮かぶ。
手相でも診て欲しいのか ... ... ?
そんなわけあるか ... ... ?
真顔で古書を見詰めるクロイツの様子を伺っていたのは、ノシュウェル一人だけだが。
真顔なのに、そう言いたそうに見えたのだとか。
フェレンスは、どんな顔をして答えたのだろう。
想像も付かないけれど。
クロイツが見る古書の右側には、小さく、小さく ... こう綴られた。
『 カーツェルの傍に ... ... 居たかった 』
見てはいけないものを見てしまった気がして。
クロイツの後ろで背伸びをしていた|覗き見男は早々と去る。
終始、真顔を崩さなかったクロイツも、流石に黙ってしまった。
指先で眉間を摘み、絶句していると言った方が良い。
片やフェレンスの見る古書には、文字化した大きな、大きな ... 溜息が。
クロイツの立場からすると。
存外、素直に答えられたものだから、むしろ困るのだ。
これ以上に馬鹿らしいと思うことがあろうかと。
呆れ返ってものも言えない。
唖然とするを通り越し、幻滅した。
シャンテの中枢を司った番人か何か知らないが。
これまで散々、無感情で利己主義的、冷血漢を装ってきた男がだ。
こんな、どうしようもなく単純、且つ質素な願いのために。
陰謀渦巻く階級ならぬ血統社会という泥沼で、
必要とされるままに身を染め、生き永らえてきたと言う。
成すべきを成す為とは、あの化物が槍玉になるのを防ぐためか。
なるほど。なるほど。
クロイツは至極、納得した。
やはり亡国は、滅ぶべくして滅んだのだと。
どんなに優秀な管理者であろうとも。
我欲が芽生えてしまっては終わり。
何もかも、操作できてしまうからだ。
だがそれでは、この世界を裏で牛耳る奴等と変わらないのに。
どのように見方を変え、解釈したら良いのやら。
ただでさえイカレタ野郎共が ... 惚れた腫れたなどと、
手段を問わずに天命を懸けるのか。
落胆せずにはいられない。
「 ククク ... ... ククク ク ... ... 」
終いには笑いと怒りが込み上げた。
なのに血の気が引いていく。
その時。
クロイツの引き攣り顔が青褪めて見えたので。
ノシュウェルは慄き、更に引き下がった。
罵詈雑言、浴びせるつもりと思ったのだ。
ところが。
何やら肩の力が抜けていく。
古書を見る目が冷めていく。
クロイツは思った。
女々しく下を向いている場合か呆け那須め ... ... 。
不意に絵柄を変えた頁の左側に見る男が。
膝の上の古書と向き合う異端ノ魔導師が。
余分に顎を引いているように見えたのだ。
僅かに視線を逸して。
恥ずかしがる子供のように。
少しだけ気不味そうに。
よもや ... 元:帝国魔導師の上級者と比較し、
那須に失礼だったなどと思い返す日が来るとは思わなんだが。
気を取り直すより他無くて。
情け無くて。
言葉にならなかった。
抑々、数世紀もの間
一貫し黙秘するには、時間と理由が釣り合わない。
未来を予知する能力でもあるのだろうか。
いや、それは流石に無い気がする。
行くべき道、避けるべき災難を知る者が、
そこまで徹底し周囲に情報を漏らさぬよう振る舞う必要があるのかという話だ。
逆に都合の良いよう発信し、誘導するに傾倒する
帝国の奴等と違って読み辛い。
けれども。
予測するうち、留意すべき可能性としては二つまで絞れた。
一、そういった能力者が他に存在し ... 啓示を受けたか。
二、断定的に、そうなると予測される何らかの出来事が ... 過去にあったか。
するとクロイツは、ある事に気が付いて息を飲む。
そうか ... アレセルが奴等の側についたのは、一ノ可能性に近い実情を嗅ぎつけたから ... ...
関わる者がフェレンスに害を成さぬか否か、場合によっては廃除するつもりなのだ ... ...
もし、そうなら。
我々がすべきは ... 二ノ可能性に触れ、実態を知ること ... ...
要するに今、本人から聞き出せば良い。
簡単。簡単。
いや、嘘だ。
本当は ... ... 超・激烈・面倒くちゃい ... ...
何が悲しくて、
〈 訳有な番の関係が拗れた経緯を聞き出す 〉
みたいな事をせねばならぬのかと。
クロイツが脱力し項垂れた時。
瀬戸際を察し、ノシュウェルは覚悟する。
何しろ、あの策士が。
あのクロイツが、眉間を抑えながら白目を剥いていたのだ。
要するに壊れかけている。
こればっかりは見過ごすわけにはいかない。
こうなりゃ俺が一発、蹴飛ばされて丸く収めるしか ... ...
しかし、どうしよう。
いざ考えると気が急いた。
異端ノ魔導師と決別してしまっては、追われる立場を脱却するための道が閉ざされてしまう。
どうにかしてクロイツを正気に戻さねばならない。
すると思い立つ。
彼の手元には、差し入れ損なった葉ノ湯。
それも、すっかり冷めてしまっている ... が、構ってなどいられない。
意気込むノシュウェルは颯爽と踏み出した。
けれども、いざとなると手が震える。
〈 カタカタカタカタ ... ... 〉
差し出した茶陶と受皿が小刻みに鳴る。
ですよね。
だって怖いもん ... ...
然れど後には引けぬ。
やるしかない。
クロイツがフェレンスに対しブチキレてしまわないよう。
怒りの矛先を変えるために。
そう思った。
名付けて ... ... いつか行った女中喫茶の女の子を、全力で真似してみる作戦。
何のこっちゃ ... ...
ノシュウェルが、自問自答しはじめたのは、
きっと、恐怖で我を忘れているせい。
すっかりと役に入った彼は言う。
「ご注文のお茶を、お持ちしましたぁ!
そしてそしてぇ! 何だか元気のな~い、ご主人様のために~!
わたし、ノシュウェルが! 萌々の魔法をかけちゃいまぁ~す!」
いや、これ、大丈夫か ... ...
ノシュウェルの横で、フラリ ... 立ち上がるクロイツは無言だ。
「いっくよぉ~!」
やめとけ ... ...
我ながら良い度胸をしていると思うが。
中途半端に止めたところで、どうせ責められるので。
「せぇのぉ!」
やりきろう ... そう思った ... が。
甘かった ... ...
鬼の形相で振り向いたクロイツと目が合ったのは、
魔法の呪文を唱える二秒前。
「ノシュノシュ♥ ウェルウェル♥
ミラクル ラブラ~ブ パワ~! ちゅ~~~にゅ゛う゛ふぉ゛!!」
そうして始まったのが、左鉤打と、蹴りの応酬だ。
〈ドスッ〉
「 ウ ザ イ !!」
〈ガシッ〉
「 長 い !!」
〈ドシッ〉
「 気 色 悪 い !!」
〈バキッ〉
続く。
軽快に罵られながら何度、踏み潰されたことか。
気を失う寸前のところで床に伸びているノシュウェルには、知る由も無い。
ただ、どうせなら最後まで言わせて欲しかったなぁ ... ...
なんて、薄っすらと考えていたような。
クロイツも、そこそこ気遣い手加減してやったらしい。
それはそれで、とんでも作戦が功を奏したか。
まったく ... どいつもこいつも ... ...
発散し調子を取り戻したクロイツは、
先程の茶を一飲みにして、席に戻った。
すると、投げ出していた古書の右頁が
ペラペラと音を立て振動しているように見える。
まさかと思い手に取ると。
案の定、フェレンスが息を殺し笑っていた。
低く、唸るような声でクロイツは言う。
『 貴様 』
その一方で困惑したのは、それまでのやり取りを聞かされている側だ。
申しわけ程度に詫びるフェレンスは、それでもまだ笑い声を漏らしている。
『 フ ... ああ、すまない ... ... フフ ... 』
対して。
フフ じゃねーよ ... ...
と、思ったのは、さて誰だろう。
「て言うか、あの人 ... 今ので笑えるってどうなの」
「うん。まぁ。良く言えば、器が大きいってこと ... なのかな」
このところで言えば、わりと馴染みの二人。
ノシュウェルの元部下、ルースとアルウィ、両名である。
彼等のもとに届くのは、解析が必要な信号のみ。
だが、フェレンスから事前に受け取っていた魔導具に込められた法則により、
音声へと変換し聞くことが出来た。
とは言え、本来の目的は盗聴などではない。
密偵の炙り出しだ。
どこに仕掛けられているかも分からない盗撮機の発信を傍受し、分析中。
確認された特有の波導は、
高度な錬金術を用い生産される、魔導素子のそれと一致している。
そう。
アイゼリア王党派と帝国の繋がり、そして、
フェレンスに付きまとっていた ... あの老人が、
対立派閥の諜報員であることを明確にしたのは彼等だった。
フェレンスとクロイツの動向は常に監視されているうえ。
目を光らせているのは、ウルクアの息が掛かった男、二人であるからして。
それらの情報を極内密に精査するためには、
目引き役の他、裏方を立てなければならず。
適任と見做されたらしい。
ただし、フェレンスやクロイツから直接の指示があったわけではない。
行動すべきと自身で判断し、傍受を試みていたところ。
思いも寄らぬ後押しがあったので。
まぁ、そう言うことだろうなと。
魔法の込められた古書に挟まれていた栞を見たクロイツは当初、
何も言わず彼等に手渡した。
まず初めに受け取ったのはアルウィ。
彼は危うく、それを捨てかけたが。
咄嗟に拾い上げたルースに、試されているのだと諭される。
遣り取りを目で追っていたクロイツは満足気。
意図を察して、調べてみると。
箔押しされた蒼金の飾り模様は電磁を帯びており。
機器と導通させるなり解析コードとして展開されたのだ。
念のため確認した事と言えば、ウルクア直属の部下であるエルジオとヴォルトについてのみ。
ところが、両者に疑惑など無い。
クロイツは断言する。
あの二人は、何かしらと気を利かせ奔放に働いているだけなのだと。
裏を返せば、体裁を装うのに丁度良く。
暗幕のような役割をしているようにも取れるので。
いっそのこと併用するつもりなのだろうと解釈した。
つまりは、あの二人がウルクアを信じて行動することに意味がある ... ...
フェレンスが静かに、そう告げたのに対し、クロイツはどう受け取ったか。
適格に指揮をとり、王党派の密偵を捕らえ。
薬と運び手の存在を知るに至る。
ウルクアの独断専行を牽制するため、
紳士を尋問するまでの流れを確定したのも、この時だ。
異端ノ魔導師と元帝国軍人など、
信用しきれるはずも無いのだから、致し方無いとは思うが。
アイゼリアの二大勢力が、揃いも揃って、
対立派閥よりも支援者への警戒の方が強いなどとは、理解し難く。
長らく拮抗してきたらしい党争にも違和感しかないため。
王党派とウルクアは、あえて互いを野放しにしていると睨んだよう。
そうして迎えた ... この日。
素知らぬ様子で演じてきた覡の装衣を脱ぎ捨て、降り来る。
彼ノ魔導師が、動き出した。
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