魔ノ香~Ⅳ

文字数 8,915文字

 
 
 
風雪(ふうせつ)()き進む、馬の背に揺られるうち。
肌を()す寒さに支配された五感も、いつしか(ほど)けゆく。
そんな移り変わりを、漠然(ばくぜん)とした意識のどこかで感じていたような ... ...

どれだけの時間を、そうして過ごしたか。

自失する少女の心を引き戻したのは、(たわむ)れる兄妹(きょうだい)の声だった。


 ――― こら! 急に走りだすなよ。危ないだろ ?
 ――― お兄ちゃんも、はやく ! はやく !


ザワザワと耳打つ周囲の音が、(うね)りを(ともな)い押し寄せる。

気付けば、雑踏(ざっとう)を行く馬の背に(またが)り、
見知らぬ街と往来(おうらい)する人々を、ただ見つめていたのだから(おどろ)くばかり。

その時、少女は(つぶや)いた。

「 ... ... ここは ... ... ?」

手綱(たずな)を引いて歩く男は、ようやく気を取り戻した彼女を振り向いて答えた。

「よう(じょう)ちゃん。気分はどうだ。 馬酔いはしてないか ? 」
「 え? いいえ ... 」

逆に(たず)ねられ、咄嗟(とっさ)に答えたけれど。
誰だろう ... ...
疑問(ぎもん)は増すばかり。

「夜通し馬を走らせたから、俺も早く休みたいんだが。
 時間も守れねぇようじゃな。()ぐ様、同業者に取って喰われちまうようなご時世だ。
 と言うのも、相手方の都合でね。さっさと事を済ませたいって言うんだよな。
 そんなワケだから ... もう少しの(あいだ)辛抱(しんぼう)してくれよ?」

「はい ... 。 ... あの、でも ... あなたは魔導師様のお(つか)いの方ですか ... ?
 わたし、確か、魔導師様にお兄ちゃんの病気を()て頂いていたはずなんですが ... ... 」
「何だ? 嬢ちゃん、(おぼ)えてねーのか」

むしろ男の方が意表(いひょう)()かれたのでは。

「はい ... あの ... ... ごめんなさい ... ... 」

だが、肩先を前に(すぼ)める少女を見て考えを巡らせる男は次に、こう返した。

「いいや。気にするな」

好都合だぜ ... ...

「え?」

フードの(はし)を引き下げ(あや)しく笑う口元。
少女の(がわ)から様子を(うかが)い知ることは出来ない。

「ああ、いや ... それがな。その〈魔導師様〉のお気遣いってやつでさ。
 あんたの兄さんな、この街の療養所に預けられることになったんだよ。
 看病が大変だろうって言ってたぜ。兄さん、良くなってるといいなぁ」

(うたが)われぬよう、男は()かさず適当な話を(でっ)ち上げる。
ところが、そうとも知らずに キラキラ と輝きはじめる少女の瞳には、(こと)(ほか)戸惑(とまど)った。

「 ... ... はい!」

希望に胸膨らませ、歯切れ良く返事する声には尚更(なおさら)
すっかりと信じてしまった彼女の微笑(ほほえ)みが、男には(まぶ)しすぎたのだ。

少女は思う。

魔導師様は無事に治療を終えて、そう、わたしがくたびれて寝てしまっているうち、
お兄ちゃんを大きな街の療養所まで移して下さったのね ... ...
なんて親切な魔導師様。思い切ってお願いしてみて本当に良かった ... ...

空を(あお)げば、谷間を(むす)び入り組む架道橋(かどうきょう)
(のぞ)き込んでも建屋の(のき)や看板に(さえぎ)られ、
ほんの(わず)かな青色を垣間(かいま)見ることしか出来ない。

地下に(つく)られた街なんだわ ... ...

先々を隈無(くまな)く見て観察する少女は、
夕映えに()らされる上層と、目の前の繁華街を交互(こうご)(なが)めながら思った。

男は、あれから口を開こうとしない。

水路上の橋を渡りきったところで一旦(いったん)、立ち止まって。
横の小道へ向かい手綱(たずな)を引く合間も。
何やら少し緊張しているかのよう。

馬は、なだらかな下りを行く。
途中。船の汽笛(きてき)を聴いて振り向いた少女の瞳が、まるまると見開かれていった。

なんて大きな船寄せ場なの ... ... とても地下とは思えないわ ... ...

岩盤層(がんばんそう)()り抜いた水溜めの中央には、恐ろしく巨大な配水塔。
点在する荷降ろし場と倉庫を(めぐ)柱廊(ちゅうろう)、そして水路。
湿(しめ)り気や(カビ)臭さは一切ない。
水車扇(すいしゃせん)により送り込まれる地上の風は、(さわ)やかだった。

そうして、いつしか飲み屋街へと辿(たど)り着く。
大衆酒場が向かい合う道の奥には、静かなバーラウンジも複数、階を重ねている。

少女は、少し可怪(おか)しいなと感じた。

そんな空気を読んでか、黙り通しだった男が口を開く。

「俺は、この(あと)すぐ帰らなきゃいけないから。(むか)えを呼んでおいたんだ。
 その馬車に乗れば、あんたの兄さんがいる療養所まで送ってもらえるって寸法(すんぽう)さ」

全て作り話だ。ところが少女は素直に聞き入れてしまう。


神意(カミノミココロ)(ちか)しき賢者(ヘルメス)()いて、(まこと)()す者。 ... 究竟(くっきょう)たる魔力、純潔の血に宿せし 〉


「さすが、亡国の史書(ししょ)(しる)されるだけのことはありますね」

(のち)に引受人と合流した男は、酒場裏の岩畳(いわだたみ)を歩きながら問う。

「何て意味なんだよ」

すると、黒のインバネスコートの胸元から(カード)を取り出す引受人が、それを男に手渡しつつ答えた。

「前文は(さて)置き。血に強い魔力が宿るのは、
 純真な心の持ち主であるからこそ ... という意味だそうです」

「へぇ、そういうもんなのか」
「さあ。実のところ、如何(いか)なるかまでは ... 」

馭者(ぎょしゃ)(うなが)され馬車に乗り込む少女を横目に、二人のやり取りは続いた。

「そういう奴に限って俺たちみたいな人間の餌食(えじき)になっちまうんだから、不憫(ふびん)だな」
「おや。意趣替(いしゅが)えでも?」
「んなワケあるか。皮肉だよ」

(カード)の記載を確認したうえ、手元の読取装置(リーダー)で代金の受け渡し手順を手下に知らせる(あいだ)
済むまで男を見張っていた引受人は、最後に(たず)ねる。

「〈(クアトロ)〉にお伝えすることなどは?」
「ねーよ。さっさと行ってくれ」
「 ホホホ ... あの少女の()に当てられましたかな?」

「あんまり胸糞(むなくそ)悪ぃこと言ってると、しばくぞ。 ったく ... ...
 うちの元締めと、あんたんトコの(かしら)とで喧嘩(ガチ)になんねーのが不思議だぜ」
「これはこれは ... ... わたくしも同じことを考えておりました」

嫌味な下っ端(したっぱ)、よこしやがって ... ...
口の()き方も知らぬ下郎(げろう)が ... ...

両者共に。言うまでもなく顔に出ている。

そうしているうち、箱馬車(はこばしゃ)の降り口が引き上げられた。
質素(しっそ)な板作り。隙間(すきま)だらけの荷台。
顔を()せて(のぞ)き見れば、男が立ち去る場面。

「もう行ってしまうのね ... 一言、お礼が言いたかったわ」

少女が(つぶや)く。

するとだ。(かたわ)らに()まれた荷箱の手前が モソモソ と動いたような。

え? なにかしら ... ?

一瞬は気のせいと思ったが。
モコ モコ モコ ... ... やはり動いた。

「 ... ヒ ゥ ... ... !」

気味(きみ)の悪さに意図(いと)せず奇声(きせい)()れる。

(へび)でも出てきたどうしよう ... !?

(ひかえ)えめに退(しりぞ)くも、目を放すわけにはいかず。
手汗を握っていたところ、少女は見た。

ポムッ ... ! と、()(わら)の山から飛び出た赤い毛玉を。

恐ろしいものではなかった。
安心するなり息切れがして胸を(おさ)える。
けれども ... その時になって、はたと気が付いた。

... 毛玉が、勝手に飛び出るかしら ...

恐る 々 (おそるおそる)(あらた)め見てみる。と、藁から姿を(あらわ)したそれは、大きく大きく ... 背 伸 ――― び 。

そして言った。

「 ン ム ァ ァ ― ... !」

と言うか、あくびだったよう。

振り向いた毛玉は、クリクリ とした真ん丸お目々(めめ)を パッ と開く。
銀色の(ひとみ)。目尻は少しだけ上向き。まるで子猫のようだった。
見入る少女は、ふと(われ)に返る。

だから ... ! 毛玉じゃないの! 毛玉じゃないのだけど ... ... なんてふわふわな髪の毛 ... ...

栗毛のストレートボブな少女の髪とは、まるで質が(こと)なるようなので。
触れてみたいと思う。だが(ことわ)る前に少年の方から(たず)ねてきた。

「 イッ ... ショ?」
「え? ... なぁに ... ?」

言葉がすぐには出てこないようなので、ゆっくりと語り掛けてみる。

「 ン ... ンン ... ... 」
「いいのよ? 急がなくて。... ね?」

上手く会話することが出来ず恥ずかしいのか、ほんのり赤く染まる(ほほ)(わら)の中に隠す。
そんな少年の様子を(うかが)っていると。
幼い身体(からだ)は、太めの(あさ)糸で織られた一枚布を着ているだけのように見えた。

まだ、寒い日だってあるのに ... ...

胸を痛め、男から着せられていた羽織りを掛けてやる少女。
すると、こちらを見上げ美しく輝きだす... お月様。
薄明かりの中、少年の瞳が光を吸い込んで キラキラ と輝いた。

()り取りが済むのを待つ(あいだ)
馭者(ぎょしゃ)が馬に(あた)えた干し草も、無くなる頃合(ころあ)い。

「あなたも、どこかへ、お出掛けかしら?」
「 ゥ ゥ ン ! オ ... ル ス 、 バン ... !」

「お留守番?」
「 ン ! ト 、ト 、 マ ァ ... ツ !」

「トト ... ? お父さんのことかしら ... あ、待って? その前に、あなたのお名前を知りたいわ」

今度は、こちらから(たず)ね掛けてみた。

「 オ ... ナマ、エ ? 」
「そう。わたしの名前は、ルーリィよ。あなたは?」

「 オ、ナマ、エ ... 」
「トトに、なんて、呼ばれていたの?」

「 ア ! ... ン ... ン ... ... 、 オ、イ !」
「え?」

「 オ、イ ! ヨ ... バ、レ ... ル !」

けれども、よく理解出来ない。

トトって、お父さんのことではなかったのかしら ... ...

考え込んでも仕方がないので、更に(たず)ね返そうとした。
ところが、乗っていた馬車が ギシギシ と音を立て大きく揺れ動く。
馬が草を()み終え、目上との連絡を済ませた引受人が馭者台(ぎょしゃだい)に乗り込んだのである。

するとだ。

何処(いずこ)からか(ただよ)い始める(きり)
地上の天候によるものだろうか。
平然としている男達の様子を見れば、(めずら)しい事ではなさそうだが。

少年は何かを感じたらしい。

スンスン と(きり)を吸い込む素振りを見せたかと思えば、
荷台の後ろ側へと身を乗り出し、声高(こわだか)に言う。

「 ト、ト ! ... ... キ、タ !!」

それを聞いた馭者台の二人は目を見開き、息詰まる。

「まさか!!」

声を上げコートを(ひるがえ)し、素早く降車したのは引受人の方。

遠巻きに馬車の後方を見ると。
不審人物を確認するなり右腕を胸の前、そして下方へ強く振り。
(そで)に忍ばせた拳銃を取り出して構える。

ところが狙いが定まらない。

目標が(かす)み、消えていくのを見て立ち(つく)くすこと(しば)し。

シン ... と静まる宵闇(よいやみ)の中。
それは再び(あらわ)れた。

引受人は見る。
ぼろぼろのフードマントを着込んだ男の姿を。
だが、ほんの一瞬だった。

確かに(とら)えたと思ったが。
そいつは消えたのだ。

そうでもなければ説明がつかない。
(わず)か数秒で背後に回り込むなど。

... ... ()()ない!!

凄まじい殺気を放つ視線が、引受人の喉元(のどもと)(つらぬ)いた。
()かさず(かかと)の仕込み刃で蹴り込みに掛かるが、
足を振り上げた時には(すで)に、青白く放光(ほうこう)する(かすみ)が残るだけ。

「 ト、ト ... !! イ、キ ... テ タ ... !!」

少年は言う。

ところが、その後ろで目を見張り、
咄嗟(とっさ)に小さな身体(からだ)を引き寄せたルーリィの思うところによれば。

いいえ、違うわ ... あれは人じゃない!!

「馬車を出せ! 今すぐに!!」

指示を受け、震えながら手綱(たずな)を持つ馭者(ぎょしゃ)

何度も何度も(むち)を入れられ、荒馬と化す。箱馬車は(きし)みを上げ走り出した。
(はず)みで転がる少年を(かば)うルーリィは、壁に背を打ち付けながらも、その腕を(ゆる)めない。

(しかばね)が!! 貴様、少年(アレ)の血を(すす)ったな ... !?」

引受人の叫びを耳にすると同時。
ルーリィは目の前の少年が手に巻き付けていた包帯に気付いて、思いを(めぐ)らせる。

アレというのは ... もしかして、あなたのことなの ... ... !?

彼女は、待って待ってと繰り返す少年の言葉をじっとして聞いた。

「 ト、ト ... ニ、 アゲル 、ノ、 ... ... 〈血〉... ... アゲ、ル 、ノ... !」

そして(さと)る。

「ダメよ ... ... !!」

彼女は強く言い放ち、少年を抱きしめた。

その(かん)にも、人の身体能力を(はる)かに()えるそれは、
再び引受人の前から消え。踏み込み。高く 々 ()ぶ。

目標は走り去った箱馬車後方。

身を(ひるがえ)し急速降下する男の影は、
すぐそこまで(せま)って、ようやく実態を(あらわ)した。

荷台の屋根を破壊するため。
一直線に(こぶし)を叩き込む ... 姿形(すがたかたち)は人。

生々しく肉片を散らす手は、(なお)(おく)せず。
バキバキと音を立てながら天板を()ぎ取っていく。

正気の沙汰(さた)とは思えなかった。

木の目に沿()って割れた(ふち)(つか)み。
力を入れようものなら(てのひら)を切り裂かれる。
けれど痛みなど感じぬといった素振り。
声すら上げないなんて。

それもそのはず。

木片を浴びる少女の呼吸が引き()り上がる。
その瞳に写り込んだのは、血の気の無い男の顔。


馬車は疾走し続けた。


夜間は往来(おうらい)を制限される郊外(こうがい)
船寄せ場に面する回道を、ひたすらに。

力任せに(こぶし)を振るい、裂傷(れっしょう)()(うで)
骨が(あら)わになっても、こじ開け身体(からだ)(ひね)り込む男。

道が(しな)りを(えが)都度(たび)、振り落とされそうになりながらも。
少年に対し手を差し出しながら、彼は言った。

生きた人とは思えぬ形相(ぎょうそう)で。

〈 オ イ ... ... 迎えに ... キタ ... ゾ ... 〉

その声は、男の破れた喉元から()れ出しているように聴こえる。
奥歯に(ひび)くような低音だった。

「 ト、ト ォー !!」

(トト)じゃねぇ ... 何度言や分かるんだ。この寝坊助(ねぼすけ)が〉

ルーリィは少年を抱いたまま、放さなかった。
恐怖で身動きが出来ずにいるよう。
男には、そう見える。

〈悪いが、お嬢さんよ。そいつを放してやってくれないか ... 〉

風で(めく)れ上がったフードの下には銃創(じゅうそう)
無残(むざん)にも、背後から撃ち込まれた銃弾によって(ひたい)が弾け飛んだ痕跡(こんせき)

意識が飛びかける。


動くはずのない(しかばね)が、何故(なぜ)だ ... ... !?


一方、単独で馬を走らせる引受人は考えた。

道端に散る木片を流し見ながらの追跡中。
肩口に騎兵銃(カービン)を当て、蒼火をちらつかせる男の後頭部を狙いながら。

あの少年を確保した日。
確かに(ひたい)を撃ち抜いたはずだが。

奴の(そば)を離れる前に、あの少年が自身の血を飲ませていたとして。
動く(しかばね)が魂を(どど)めるなんて事など()()るのかと。

不可解、(きわ)まる。

()れど、(まと)の動きを読むうち()()まされ、淘汰(とうた)される思考。
冷酷な眼差(まなざ)しが、照準を定め見開かれた瞬間。
引受人の口の(はし)が不気味に吊り上がった。

結論。

「馬鹿 々 しいな ... ... 」

知れたところで何になろう。

如何(いか)なる経緯であろうと、たかが(しかばね)が一滴の〈紅玉(ルベウス)〉を(むさぼ)ったにすぎぬ」

絶命する間際(まぎわ)辛々得(からがらえ)た魔力なら、(すで)()きかけているはずなのだ。
確信して引き金に指をかける。引受人は言った。

「今度こそ、()け ... ... 」

火を吹く騎兵銃(カービン)
硝煙(しょうえん)を浴びる狂気的相貌(そうぼう)

ボロボロになった手を差し伸べ、少年の髪を()で下ろす。
そんな男の声を ... ()き消す銃声。

彼は少女に、こう言い残したという。

〈悪いが、そいつを逃してやってくれないか ...
 俺を見れば分かるはずだ。 あんたやそいつを手に入れようとしている奴等は ... ... 〉

だが(さえぎ)られたのだ。

疾走する馬車が街灯の真下に差し掛かった、ほんの一瞬のうちに。

強い逆光を背に受けた男の影が、ぱっと散る薔薇のように形を変え ... 二人の前から消え()く。
力を失い馬車から転落した身体(からだ)には、下顎(したあご)と空っぽになった頭蓋(とうがい)の一部が(かろ)うじて。

(むくろ)を馬で飛び越えた引受人は、冷ややかに見て笑う。

対して、少年の顔を胸に隠し抱き締めるルーリィの呼吸は途切れ 々 。
目に焼き付いた残影に、すっかりと言葉を失っていた。

けれども、思い詰めてなどいられない。
血の気が引いて足元がふらつこうとも、立たねばならぬのだ。

恐怖も泣きたい気持ちも振り払って、彼女は言う。

「待ってて ... 待ってて ... 」

呆然(ぼうぜん)して見ていると。
降り口からぶら下がった戸板を蹴飛ばす彼女は、
幼な子のか細い手首を掴み上げて意を決したよう。

()いでは、荷台から身を乗り出して。
道先に ... ジッ と目を()らすのだ。

そうして急な曲がりを見つける。

「下を向いて! 口を閉じるの! (しゃべ)ってはダメ ... (した)()んでしまうわ ... 」

小さな身体(からだ)(かが)ませながら手短に言い聞かせた。
状況を飲み込めずにいる少年の瞳は不安で一杯だが。見て見ぬ()り。

最後に聴いた ... (うら)らかで優しい声が、いつまでも耳に残っている。

「トトの言うことをしっかり聞いて、逃げるのよ?」

その後の記憶は曖昧(あいまい)で、はっきりとは思い出せない。

逃げるのよ ... ... !!

言われて()ぐ道に投げ出されたので。もう、何が何やら。

下り坂を転げ落ちた少年は只 々(ただただ) ... ...
痛みと喪失(そうしつ)感に(さいな)まれ、動揺し、大声を上げ泣いていたのだ。


声を聞き付け、やがて近づく(ひずめ)の音。
少年は恐怖し、打ち震えた。


物陰に隠れ(ひそ)むも。
素足で触れる岩畳(いわだたみ)の冷たさに不安を(あお)られる。

弱々しく、不規則(ふきそく)になる呼吸。

少年を探し歩いているのだろう。
引受人は、なかなか去ろうとせず。


それ以外の事と言えば、ひたすら街の郊外(こうがい)を走り続けた ... そんな気がするだけ。


上へ上へ。


更に ... 上へ上へと ... ...
 
 
 
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登場人物紹介

◆フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ


故国・シャンテの生き残り。

《千ノ影》を宿す男。


錬金術、魔術、魂魄召喚、禁呪とされる魔導兵召喚術を扱う。


戦犯として裁かれるも、失われし禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)のありかを突き止める事を条件に恩赦を受けた帝国魔導師。

アルシオン帝国軍管轄下、高等錬金術師団所属。特務士官。


訳あって薄情者と言われがち。感情に乏しい。自覚はしている。

交友関係にある者への誹謗中傷だけは論外。そうと知れば制裁を躊躇わない。


◆カーツェル・D・アード・ランゼルク


アルシオン帝国、公爵家子息(次男)。


幼きに母失踪。父、ハインリッツェ・A・ヴァート・ランゼルクは帝国軍大佐で婿養子。宗家、家長は存命していた祖父。そのために身内の権力闘争を見聞きし育ち、一族を嫌悪するようになった。


父を尊敬し、文武とも好成績。だが言行は粗暴で捻くれ者。しばしば父と作戦を共にしていた異端ノ魔導師に漢惚れし、『いつかは部下にしてやる』などと言って付きまとう。散々無視されるも諦めなかった。フェレンスの悪口等耳にすると黙ってはいられない。喧嘩の売り買い過剰で問題児リスト入り。


士官学校卒。


彼には救いたい人がいる。フェレンスが蔑まされながら孤独に生きる姿を見るのも嫌。しかし傍にいれば陰謀に巻き込まれ命が危うい。フェレンスに避けられ続けた彼が思い至った解決法は... 彼と禁断ノ契約を交わし、絶対服従の《魔導兵》となる事。


◆チェシャ


フェレンスとカーツェルの前に突如として現れた謎の少年。


訳あって上手く会話する事が出来ない。舌っ足らずの片言。


血に驚異的魔力を宿す。その等級は二等:紅玉(ルベウス)、もしくはそれ以上。

フェレンスの魔ノ香(マノカ)に惹かれ懐いた。


魔ノ香とは。特異血種とみなされた者の血に宿る魔力と、それに伴う瘴気の醸す香り。

魔物(キメラ)や、等しい存在にしか認識できないはずのもの。


◆クロイツ


軍警を主体とする治安維持機構所属の監視官。


要監視対象として挙がる人物を見張る。

担当は異端ノ魔導師、フェレンス 。


高圧的で気難しい性格をしているが、子供好き。策略家。


◆アレセル


クロイツの実弟。だが腹違い。

実母は娼婦で霧ノ病を発症し討伐された。

義母を尊敬し、子として愛し愛されたが、またしても霧ノ病で失う。


人の心を失いかけた当時、闇魔術に手を染めるもフェレンスと出会い更生。

以来、彼の愛はフェレンスに向く。人脈の形成、諜報力に秀でる。

◆翠玉碑 (エメラルド・タブレット)

故国・シャンテの中枢に収められていた叡智ノ結晶。

彼ノ戦により砕かれ、その多くが行方不明。

◆千ノ影

彼ノ戦の犠牲者。シャンテの民の霊。

一部はフェレンスの扱う魂魄召喚にて戦闘可能。

筆頭は亡国ノ英雄。黒ノ竜騎士・グウィン。

◆霧ノ病

心身が麻痺していく病。
発症し悪化すると身動きもせず、飲食すらしなくなり衰弱。


あらゆる想いの境地に至る人の心に穴を開け、冥府ノ霧を呼び込む。

冥府ノ霧とは、悲しみ、怒り、妬み等、人を惑わす負ノ思念。


霧は欲を喰らい、無我ノ境地へ誘われた者は無垢なる狂気を発症。

やがて魔物(キメラ)化する。

◆複合錬金

特殊錬金、キメラ錬金とも呼ばれる。

由来が異なる複数のエリクシールを掛け合わせる法。
それによって生じた存在は安定化させる事が難しく、禁じられている。

◆魔導兵

神々ノ器とも呼ばれる。

亡国ノ魔導師と禁断ノ契約を結んだ下僕。


複合錬金により身体を強化。

覚醒→魔人化→神化。

三段階の変身が可能。

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