精霊王ノ瞳~Ⅰ
文字数 7,259文字
異端ノ魔導師の行方を探る者は数しれず存在するだろう。
帝国の軍事介入を避けたいアイゼリア、
当国がフェレンスとの接触に慎重なのは、内通者の動きを探るためでもあった。
一方。回復を待って再び他方の出方を伺いはじめた彼ノ魔導師の動向は、
暗躍者たちの懐疑心を煽る。
動きの特徴、癖、手の内を読むには、
往なしを混じえて誘い出せば良い。
臆病を装い鳴りを潜めることは簡単。
だがそれでは各勢力の狙いの先読みが難しいうえ先手を許してしまう。
被害を想定した後手の回避、交渉は、足元を掬われやすいのだ。
いかなる場合においても反撃体勢を維持するなど、抗戦意欲を示し抑止とすること。
交渉に持ち込むより前に、譲歩が必要になる可能性を強く認識させること。
そのようにして身構えた相手から妥協案を引き出すこと。
それらフェレンスの戦略的、身の振り方の徹底ぶりについて。
解説するでもなく、それとなく触れたのはクロイツだった。
「帝国の勢力闘争に深く関わり、
良くも悪くも政治的情勢を左右する男。
異端ノ魔導師という異名からも分かるとおり。
ただでさえ警戒しない者などいないと言うのに、剰え挑発しにかかるとはな。
この期に及んでも相変わらずか ... ... 」
「一般には嫌煙される処世法ですね。
取り込もうとする相手を前にした初動としては、確かに奇抜です。
まるで、国家を背負う者の所作だ ... ...」
「あの男は元より異質。
長らく亡国の安寧秩序を担ってきたのだ。
統治者たちの駆け引きは無情。信用など判断材料でしかない。
理想論は逆手に取られるだけなのだと理解している。
癪に障るやり方には違いないが。
このような状況下で前のめりな姿勢をとる人物は余計、目に付くからな。
隙を見る敵勢力の潜入を期待しているのだろう」
対して、王太子ウルクアは満足そうに言う。
「実に協力的で助かります」
クロイツを始めとする一行が招かれた密会。
その終わり頃のことだった。
差し当たってもなお、話題に挙がる人物について。
感想を含む、この答えを ... ...どう捉えるか。
後になってノシュウェルは一人、考えた。
少し離れて付いて来る元部下二人は、また別の話に疑問符を添える。
「さっきは黙って聞いてたけどさ。
傲慢を装った、喧嘩上等姿勢で得するコトって何?」
フツーありえないでしょ。と、片方が言う。
まあ、確かに。もう片方は頷いた。
「得って言うか ... ... うーん、そうだな ... ...
王太子が言ってただろう? 国家を背負う者の所作だって。
あの人は昔から色んな勢力に付け狙われてるし、
今だって大勢に囲まれてる、たったの三人だからな。
虚勢でも張らなきゃ話にならないからだと思う。
上下を意識したら、どちらかが引き込まれるだけだ。
国家で言えば宗主国と属国みたいに。
対等と思わせないと交渉なんて成り立たないんだよ」
ああ、そうか。と ... 片方も納得したようではある。
けれども、まぁ、あの人に限っては虚勢なんかではなく、
本当に対等でいられるだけの力があって、当然のようにやってのけるのだから。
クロイツの言ったように癪にも障るわけで。
伏せた視線を持ち上げ前をみれば。
割り振られた部屋の手前、客だまり先のバルコニーへと戻っていくクロイツの後ろ姿。
何となく、一人にしてはいけない気がして引き続き後ろに控えていたところ。
先頃の話題を振られた。
「あの太子 ... ... 協力的と言ったな」
おっと。気になっていたのは自分だけではなかった。
ノシュウェルは歩み寄り対話する。
「ええ、確かに仰った。自分も複雑な気分です」
あの異端ノ魔導師を手玉に取ろうとして、重い代償を払い続けた
奴等や他の連中を嘲る口振りと感じたからだ。
「 ククク ... ... 随分と強気ではないか」
「その点、腑に落ちません。
偶然の利害一致で糠喜びするような人には見えなかった。
協力させる自信があると言うことでしょうか。
あのお方や魔導兵に付け入ろうなんて。
こう言っちゃあ何ですが、新参者にゃあ無理でしょう。
あなたでもない限り ... ... は ... ... 」
しかし話している最中に気付かされた。
「あ ... ... 」
そうか。
「だからあなたを ... ... 」
ノシュウェルの顔が、やや青褪めたのを見てクロイツは言う。
「あの男の下僕が、奴等の思惑通りに事を運んだとして。
ただで済むはずがないのだ。それは、我々も同じ事 ... ... 」
王太子が発した先の一言は、クロイツをも含め述べられていたらしい。
そう考えれば合点がいく。
ノシュウェルは言葉を失い、片手で目元を塞いだ。
ウルクアはこう言いたいのだ。
手玉に取り、協力させる。それはお前達の〈仕事〉だと。
「そう、いざとなれば止めるしかないのだ。 この私が ... ... 」
――― この〈瞳〉で ... ...
異端ノ魔導師の下僕カーツェル。
その実兄は現在、帝国の軍警副総監、兼、緊急時軍事顧問として
高位貴族、及び上院議員の勢〈No.Ⅳ〉を担う支柱格である。
輩の誘いに乗じ狙いを探るアレセルが、
この場にクロイツを差し向けたのはフェレンスへの警告、支援のためだけではなかったのだ。
絶対服従の下僕が主人を裏切るとは考えにくいものの。
何事も成り行き次第。
いつ気狂いを起こさないとも限らないのだから。
そんな時であればこそ。
クロイツの〈瞳〉の力があればフェレンスとの交渉も可能と踏んだに違いない。
〈最悪の事態に備えよ〉そう申し出て迫れば良い。
異端ノ魔導師との協力的相互関係を結ぶには、確かに有効と思われる。
しかしそれは、飽く迄も奥の手。
取引材料として持ち出しはしても使うことなどあってはならない。
何としても避けるべき事項である。
厚い信頼も、度を越すと形を変えるらしい。
薄情に成らざるを得ないのだ。
そう考えると、クロイツの弟 ... ... アレセルの洞察力、
見識の鋭さが一層、際立つ反面。
愛情深いと聞く彼、本来の姿と策謀との乖離が激し過ぎて心配にもなる。
裏切りを仂いてまで、彼ノ魔導師の決意を覆し。
罪人に仕立て上げられた身内をも、逃がす体で利用するあたり。
情け容赦も無く。
剰え、他でもない身内の命にすら関わる保険を掛けようと言うのだから。
ノシュウェルは思う。
どうりで、あのクロイツが王太子との遣り取りも人任せに黙り込むわけだと。
それくらいでなければ、とっくに始末されていたのかもしれない。が、しかし。
血を分けた二人揃って、よくもまぁ心折れずにいられるものだなと。
只々、感心すると言うか。
図太さで言えば引け劣らないつもりだけれど。
重い ... ... 重すぎる ... ...
繰り返しになるが、国境を越えてからの重圧が以前の比ではないので。
元軍人であろうが精神的に堪えるよう。
元役人のクロイツと、同現役のアレセル含む話だが。
暗躍者達の神経ってどうなってんのかなぁ ... ...
なんて。違うコトでも考えてないと疲れちゃう。
そんなノシュウェルの心境を知ってか知らずか。
だいぶ後になって彼を振り向いたクロイツは苦笑する。
ぼやぼやとして、どこを見ているのかも分からない元軍人の余裕が心強くて。
むしろ、ありがたかった。
諜報員の一派を統制するアイゼリア王太子ウルクア。
一癖も二癖もある者同士が手の内を読み合い、
時として立場の入れ替わりが起きる輪の中に、また一人、食わせ者が加わったところで。
一息。
対敵謀略で上手を取るのは、
不意や隙を誘発させるだけの策と行動力、判断力を兼ね備えた者に限る。
あの時、クロイツは確かに言った。
『我々であれば、あの男を黙らせることなど容易い』と。
そして今、正に行動する時が来たのだ。
ノシュウェルに背を向け夜空を見上げたのは、彼への配慮。
結い留めを外し頭を振ると、
屋内の灯火と星明りを受け、吹き込んだ風に揺らぐ金色の髪。
その向こうに隠されていた左眼に映る月は、
白兎のように血の色を透かす虹彩の中で ... ... 赤く染まる。
その翌日から。
覡修行という名の〈なんでも屋〉務めに勤しむ事となったのは、フェレンス一行。
アイゼリア諜報員達の仕業だろう。
周知活動もしていないのに仕事の依頼が舞い込みはじめたのだ。
ギルド総連合館の張り紙を見て来たとか。
医院の睡眠薬がわりに調合してもらった霊草液がよく効くと聞いただとか。
まぁ ――― 好き勝手、適当に触れ回っているようで。
ノックに応答し扉を開くたび、話を聞いたカーツェルの頬が僅かに引き攣る。
ろくすっぽ準備もしていないうちから調子を合わせる羽目になった執事役としては、
イライラが止まらない。
フェレンスへの仕返し、嫌がらせだろうなと思う。
役目に徹し、客を通すカーツェルだったが。
朝食を食べ終えたばかりで歯磨きも済んでいないのに、見かけてしまったチェシャには分かる。
彼の背中には、こう書いてあるように見えた。
『クッソ ... 野郎共が、覚えてやがれ ... ... 』
思わず手が止まってしまったけれど。
〈 シャコ シャコ シャコ シャコ ... ... ペッ 〉
チェシャは、すぐに思い直して口を濯ぐ。
だいたいのところ、見慣れてきたので。
それより気になったのは、客と入れ替わりに二階へと上がっていったフェレンスの様子と、
身支度を手伝いに急いで追って行ったカーツェルの声だった。
「何だコリャ!?」
応接室で待つ老人と、話し相手にでもなってやろうかなんて思い
隣に座ったチェシャの肩がビクリと跳ね上がる。
〈 シュルリ ... ... 〉
カーツェルが手に取って広げ、音を立てる衣は程良い厚みと重さ。
サラリとした手触りで、折り目に皺一つ残さない高品質素材。
なのに、随所の切り込みは何のためだ。
背面もそう。
腰どころか際どいところまで開いている。
それは昨日、紳士から受け取った衣装箱の中身であり。
覡服と言われ渡された物だった。
覡とは、男巫の異称だったはず。
アイゼリアにおいては、世間と隔絶する森ノ隠者であり、
神霊術を扱う能力者として聖人のように言い伝えられる者も存在するのだと聞いたが。
まだ朝だと言うのに、早速の一悶着である。
二階の二人は、なかなか降りてこなかった。
ようやく姿を見せたかと思えば、
主人の後ろで明らかに不機嫌な雰囲気を醸すカーツェルに同情しなくもない。
秒で諭された。そんな顔をしている。
カーツェルにしてみれば他国の風習等、全くの無知ではないつもり。
けれども、まさかこれをフェレンスが着る事になるとは。
怪しまれぬよう身に付けるのは当然であるからして、文句を付けるわけにもいかず。
クローゼットの前でシャツの留めを外していく主人に背を向け、着替えの手伝いを頑なに渋たと見える。
怒声は聞こえてこなかったし。
ああ見えて可愛いコトをしたりもするから。
胸の前で着替えを捏ね々するなど、意地を張っていたのかもしれないな。
なんて、チェシャは想像した。
カーツェル ... ... カーツェル ... ...
フェレンスは何度、彼を呼んだろう。
「カーツェル、ご老人が待ち草臥れてしまう。早く着せてくれないか」
対してカーツェルは、どんな返事をしただろう。
「 ... ... 嫌だ」
フ フ フ 。笑っちゃう。
しかし、横まで来て挨拶するフェレンスを見上げた老人に変わった様子は無い。
そう、聖者に通じる神霊的職能者をはじめ、
医師や薬師などは皆、覡の職能分野として認識されている。
それがこの国、アイゼリアの常套。
それにしても凄い露出だなとは思った。
席を立った老人の前を行く、その背中なんてもう。
バランスの良い筋肉の凹凸感にチェシャの目は釘付け。
扉を開いて老人を招き入れる動作。
それに伴った肌と肉の海練に至るまで。
とことん凝視。
何だか美的でドキドキするのだ。
そんなチェシャを横目に、深く溜息し項垂れたのはカーツェル。
彼は小声で言う。
「お顔以外、肌の露出を控えるのが帝国紳士、旅人の常識ですからね。
旦那様は貴方と同様に負傷を避けるべき都合もありますし」
然う々あんな格好、出来るわけはないのだ。
本来であれば目も当てられない事態。
だが、どうしてどうして。
逆に目が離せないぞという理由で。
幼子は執事役よりも早く、その場を後にする。
奥の部屋まで急駛だ。
置いて行かれたカーツェルは、また一つ溜息し遅れて歩いて行く。
帝都でも、似たような服装の男女を見かけた事くらいはあった。
とは言え、カーツェルは特に複雑な気分だったろう。
何故なら、その装衣。
最終的に身体を売るのが目的と思わしき、一部の踊り子服と見紛う作りをしているのだ。
色恋沙汰に敏感な年頃の範囲内に丁度良く収まっている執事役であるからして。
主人の素肌を如何わしい目で見る輩が少なからずいるのではいなか ... と、只々心配した。
また、依頼に応じ必要な物を取りに部屋を移動するたび、カーツェルの焦りが物音になって響くのは。
スリット対策として使わせた膝掛けが落ちないようにするなどの一手間を、フェレンスが面倒がるからだ。
チェシャには分かる。
と、言うわけで。
フェレンスが足を組み直す素振りを見た瞬間に三人掛け長椅子から飛び降りて駆け出し、
パッ! と上から抑えてやるのだ。
膝の上から滑り落ちそうになった半掛布を。
よし。良い仕事した。
心の中で自分を褒めてやりながら顔を上げてみると、真顔のフェレンスと目が合う。
わざわざ飛んで来なくてもいいじゃないか ... ... とでも言いたそうだけど。
早々と部屋に戻り立ち止まったカーツェルの気配を感じて振り向いて見たところ、
ケットを抑えるチェシャの手元へ目を向けるカーツェルの脇に添えられた拳から、
上向きに立ち上がる親指。
疎通する二人は、満足そうに頷き合っていた。
すると、その一方。少しだけ残念そうな顔を見せる診察中の老人。
え、どうして?
フェレンスは思った。
しかし無言の圧をかけてくるチェシャの目がこう言っている。
聞いちゃダメだよ?
仕事部屋の壁を向く机の上には、法を記憶する魔青鋼心棒が幾つも転がり。
丸くて平べったい小型展開器に複数、装填されたそれらは
手のひらサイズの法義球を連ね、
まるで星の座標をあらわすかのような形態を成していた。
相談、仕事の依頼内容等、記しておくべき書類の類は
予め仕事部屋の棚に取り揃えられていたよう。
しかも、フェレンスが義球を操作すると、棚に収められた用紙が
カサカサッ と音を立て、シュシュッ、フワリ ... 宙に飛び出し机の上までやって来る仕組みになっている。
カーツェルは何かと忙しいので、
昨晩のうちに仕込んでおいたのだろう。
チェシャは、そう察し次から次へと踊り出る用紙を見送った。
長椅子の上は最早彼の定位置。
休憩時間になって一旦客が引けても、カーツェルは働き詰めなので。
昼食の支度をする彼の背中を覗いてみては、何だか切ない気持ちになる。
接客からフェレンスの手伝いまで仕事が多いな。対して自分はどうだろう。
簡単なお世話を二度、三度、あとは長椅子に座って客と話したり。
それだけ。
なので、今度はカーツェルの手伝いでもしようかと思い部屋を出ようとした。
すると呼び止められる。
「チェシャ ... ... 少し話したい。傍に来てもらえないだろうか」
何だか改まった言い方だな。
フェレンスに呼ばれたなら、何も言われなくたって直ぐ聞きに行くけれど。
何、何、何。心配になって少し胸がドキドキしちゃうよ。
「 ム ゥ ――――― 」
駆け寄った幼子の愁いが、可愛らしい唸り声になって漏れ出す。
フェレンスは肘掛けに両手を添える子の頭を撫でてやりながら、
机上奥を占領した収納の引き出しを開く。
取り出されたのは昨夕、盛大に投げ捨てられた魔青鋼鑑札のペンダントだった。
見ると、その時の様子が頭に浮かんで胸を締め付ける。
取り上げられた瞬間。
放り投げられた瞬間。
ずっと遠くまで飛んでいって水に落ちてしまった瞬間。
思い出すと辛い。
しかし彼の宝物は主人の手で直接、返された。
《 チャリチリ ... チャリリ ... 》
銀鎖を下り、立つ音は鈴の音のよう。
あらため胸に下げ降ろされた証票を手にして見ると、フェレンスの声。
「その ... ... 昨日の事だが、返すのが遅れてしまってすまない。あと、それから ... ... 」
チェシャは少し違和感を感じた。
「何だろう、上手く言えない。朝からずっと考えていたのに。
それはお前の宝物だとカーツェルに聞いて、その、ええと ... ... 」
そして更に、心の中で復唱する。
えーと ... ...
異端ノ魔導師の歯切れが悪いなんてことがあるのか。
幼子もビックリのシドロモドロではないか。
ダメ、笑っちゃう。
けれども堪えた。
〈そこは堪えろ!〉という圧と視線を部屋の入り口付近から感じたので。
今では〈覗き見お疲れ様〉と言ってやりたい気持ちの方が、むしろ強いのだが。
チェシャは言う。
手にした証票をフェレンスによくよく見せてやりながら。
「 コ、レ! チェシャ、ノ! チェシャ、ハ、シャマ、ノ ... ナ、ノ! ... ... ィィ? 」
それは、カーツェルがいつか聞いた言葉と同じ。
なるほど、よく考えたな ... ... と、覗き見執事は思う。
そう、幼子が押して言うべき相手はフェレンスだったのだ。
言葉が足りていなかったと言うなら、お互い様と考えたらしい。
聞いて胸を撫で下ろす。
カーツェルは支度の続きをするため、洗い場へと戻って行った。
赤毛のフワフワ頭に手を添え、また一つ撫でてやりながらフェレンスは答える。
「もちろん。 ... ... 察してやれなくて、すまなかった」
この時、チェシャが感じた違和感について。
心に留めていたのは、カーツェルだけだろう。
あらため洗い場に立つ彼は、こう思った。
フェレンスの心の中には、きっと。
〈また泣かせてしまったらどうしようか〉という不安があったに違いない。
しかし、当の本人は ... ... それに気が付いていないのだと。
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