霧ノ病~Ⅶ

文字数 8,925文字

 
 
 
魔物の押し出す獄炎の波に対し、魔人に(そな)えられたのはミスリルの盾と(つるぎ)
ただ、それらはあくまでもカーツェルの心体を媒介(ばいかい)としているために、
実際に変じるのは彼の両腕である。

吹き飛んだ工舎の瓦礫(がれき)と土砂が、衝撃波を(ともな)(せま)る。
左腕を顔の前に構えた魔人は、盾と化したそれにより波動を生み。
攻撃を受けるに(とど)まらず、何と打ち返した。
更に、サーベル化した右腕を一振りすれば、竜巻が生じ獄炎を吸い込む。

魔物の(あせ)りが見て取れた。

獄炎を巻き上げる突風の壁をも乗り越えて、死角から尾を叩き込む。
ところが魔人は軽々と(かわ)し、渓谷(けいこく)沿()う工舎の外れから、また一歩、大きく後方へと飛んだ。

そこはもう、目的地である渓谷の狭間(はざま)。足場など無い。
翼を持たぬ魔神は谷底へと落ちていくだけと思われるが。
陶酔(とうすい)しているカーツェルに躊躇(ためら)いは無かった。

「来たか ... 」

渓谷の(ふち)を見上げて、フェレンスが言う。

ふわり、ふわり。

雪のようでありながら青みを()びる(たてがみ)が、風を(ふく)んで浮き上がる。
対当する谷壁(こくへき)に程近いをフェレンスを見下ろすカーツェルは、(めじり)を細め、静かに答えた。

〈 魔導師・フェレンス ... おお ... ()(あるじ)よ。... ... 今、お(そば)に ... 〉

そんな彼の背後に差す影が、百足(ムカデ)の形態を脱し蟲羽(むしは)を広げる。
儀球(ぎきゅう)を拡大するフェレンスは、境界を開くための詠唱(うたよみ)(そな)えた。

ところが。こちらを見つめるカーツェルの瞳が不穏に見開かれ、察知する。

尾の一振りで(はな)たれた魔物の被片(ひへん)が、それぞれに(がけ)()い。
フェレンス目掛け、接近していたのだ。

サッ ... と血の気が引く。
()いから覚めるかのよう。
我に返った瞬間、カーツェルは叫んだ。

「 フ ェ レ ン ス !! 」

動揺の(あらわ)れか。
大気が異常に冷え込み、比熱差で次々と罅割(ひびわ)れを生じる壁面。

落下速では追いつかず。腕を振り払い、爪の先から氷の矢を放つも。
命中したのは数匹。到底、防ぎきれぬのだ。

寒波を見舞(みま)ってやろうにも穴だらけの谷が崩れてしまっては、巻き込みかねない。

(なお)、フェレンスは儀球を放棄することなく。
瞳を閉じ、集中した。

複合錬金は至難の(わざ)

覚醒の維持と支援、諸々(もろもろ)の実行に(ともな)い。
義球を管制する術者個人は、極端に無防備な状態に(おちい)るのだ。

万が一にも、法が破られるような事があれば。
失われるのは、術者の命一つに(とど)まらぬ。

〈従者である前に、友人であって欲しい〉そう願うフェレンスが、
当の彼に対し(つと)めて注意喚起(かんき)してきた由縁(ゆえん)である。
〈勝手に傍を離れるな〉と ... ...

しかし動じることは無い。

「例え斬り刻まれようとも、お前の強化だけは維持して見せよう。
 だがこれは、お前のために払う対価ではない ... 」

彼が(にら)み上げたのは、こちらの様子に気を取られるカーツェルと、その後方。

猛追する魔物が、疎通(そつう)を中継する鳥を引き裂き。蒼き光の羽根が舞う中。
その声は、カーツェルの耳の奥で チリチリ と音を立てながら木霊(こだま)した。
胸を焼く冷たさに萎縮(いしゅく)する思い。


   ()の戦は、(わず)か五日間のうち、シャンテを崩壊させたという ... ...

   発端(ほったん)を知る者は、王族と一部の学者。そして彼らと親密だった近衛(このえ)(ごく)数名。
   多くの民は暴走した〈得体の知れない力〉によって命を奪われたのだ。

   一方で、事態の収拾(しゅうしゅう)に命をかけた者達の魂は、
   死してなお(せき)を負い(とら)われ、影と()り ... 眠る。

   ある者は、魂を喰らい生き(ながら)える死神のようだと(うわさ)し、彼を()み嫌った。

   自身の血から精製した魔石で、銀の指輪を(かざ)り。
   戦地を渡り歩いては、大地に染みた古血から膨大な魔力を(あぶ)り出す。

   そんな彼の姿が ... ...

   事情を知り()ぬ人々の目には、
   力に(おぼ)れ欲するままに血を(むさぼ)る魔物のように映るからだ。


親しみ合う間柄であろうと、想像し(がた)い。
生まれながらにして幾千(いくせん)の影を負い、帝国の(とりこ)()らざるを()なかった彼の心情。

人々が抱く恐怖により、泥々(どろどろ)とした(みにく)い先入観で塗り固められてしまった背を。
幼い頃から見て察するしかなかったカーツェルにとって、それは悲痛でしかない光景だった。

輝きを放つ指輪を胸の前に()えたフェレンスが、杖を振り(かざ)すと。
背中合わせの影が ヌラリ ... と、まるで生き物のように振り向き、彼の首筋に喰らいつく。

それも次々と、複数に(およ)んで。

ある影は彼の腕に爪を立て、ある影は懐に縋り付くように。
血脈から魔力を吸い上げるのだ。

ファントム召喚の本質は、自身に取り()いた死霊に魔力を分け与え、(したが)える(くろ)魔術である。

フェレンスの場合。契約者と魔力を共有したうえに召喚術まで(もち)い。
あまつさえ、複数の魔術を同時に(あつか)うのだから人並み外れていた。

魔力の質、量。共に(ひい)でた者であっても。
生成、循環(じゅんかん)が間に合わなければ供給過多で命を落とし()ねない。
だが彼はこのために、長い歴史の背景で流された幾多の血の(あと)辿(たど)っては
(なぐさ)みを(うた)い、対価として膨大な魔力を引き出し(たくわ)えてきたのだ。

その使用における効率の良い付与(ふよ)法も、彼のみぞ知る。
かと言って、容易に()()ることでは無い。
それが、彼の心体にどれほどの負荷を(あた)えるものであるか。

カーツェルには分かる。

霊障と寒さに(すく)む身体で、
さも余裕であるかのように涼し気な顔をして見せようとも、無意味なのだ。

呪文詠唱(うたよみ)を聴いて目覚める魂が、次々と影から抜け出て冥府の炎を(まと)う。
異型の前に立ち(ふさ)がったのは、あの竜騎士を筆頭とする英霊達だった。

それを見るカーツェルは、両腕に蒼火を(とも)して吠える。

「こそこそと ... 人の影に(かく)れる亡霊どもが ... ... !!」

力の(およ)ばない自らに対する不満が、(ひねく)り返って暴言と化した。

「いつもいつも、胸糞悪い登場の仕方しやがって!!」

八つ当たりもいいところ。

怒りの矛先(ほこさき)が間違っているという自覚はあった。
しかし、(あるじ)に群がり(いで)る連中の仕様に対し、
カーツェルが遺憾(いかん)(うった)えるのは今に始まったことでは無い。

(さて)置いても。
竜騎士の槍を()(くぐ)り、魔導師を守る防護壁に(かじ)り付く異型の数は増すばかりである。
カーツェルは身の回りに無数の矢を形成して身構えた。

ところが、同時に耳を疑う。

義球の中で魔力を高めるフェレンスが、再びカーツェルを(にら)み上げ、言ったのだ。

「 ... 寄るな。 敵に背を向けるような(おろ)か者を配下に()えた覚えはない ... 」

「 何 だ と ... !?」

衝撃を受けた拍子、思わず攻撃を躊躇(ためら)った。
挙句(あげく)、背後から巨大な虫爪に(とら)われる。

「この ... クソが!! てめー! こんな時にゴネてんじゃねーぞ!! ガキか!!」
(おのれ)の無能を(たな)に上げるな。
 それと ... お前の方こそ。いい加減に、その短気を(なお)さないか ... 」

「 テ メ ェ ... ... もう一遍(いっぺん) ・・・ 言 っ て み ろ ・・・ !!!! 」

逆上するあまりに(うな)り声が()じった。
するとそこに、思いがけぬフェレンスの言葉。

「忘れたのか ... ?」

静やかな声に、意識を(つらぬ)かれる。

見つめ合う瞳が、互いの身から吹き出る鮮血を映した数秒間。
時の経過が(にぶ)く感じられた。

義球の防御を食い破ってフェレンスの肩口を裂き、燃え尽きる異型。
(かた)や全身を握り込まれ、裂傷から宝石を砕いたかのような(あお)い血飛沫を上げるカーツェルの身体(からだ)

()が目を疑うとは、この事。
フェレンスの(したが)えるファントムが、一斉(いっせい)に狙いを定めたのはカーツェルを(とら)える本体の方。
残存する異型を無視する理由は、主人が強くそれを望んだからだ。

行き違うファントムを横目に、カーツェルは(さと)る。

逆上しているのは自分ではなく、むしろ、あいつの方かと ... ...

義球の壁を破ってはフェレンスの身に喰らいつく異型が、()もなく灰となる一方。
彼の(まと)紫紺(しこん)のローブを ... 黒く()め上げる血。

胸が(ふる)えた。

幾度(いくたび)、傷を負っても(ひる)むことなく。
フェレンスは杖を(かた)く握り、義球を(あやつ)って新たな魔法陣を()()す。

いつもなら温厚さを(たた)え、ゆったりと見向きする碧眼(へきがん)が、ギラギラと閃光を弾いて。
高圧的に首を()らせる動作も、彼にしては珍しかった。

様子を(うかが)っていると、彼の手中にあった杖が幻のように揺らいで消え。
二本の青鎖(せいさ)()()わる。

そして、自身の(かせ)と通じた時の事。

魔物の腕を裂き、打ち払う。ファントムの速攻により。
雪白(せっぱく)ノ魔神は()(はな)たれた。

すると、どこか切なげな瞳を持ち上げ、カーツェルは(つぶや)く。

「らしくねぇなぁ ... ... 」

言葉とは真逆の行動で示すかのよう。
そんな主人の姿を映す瞳に、(うれ)いを浮かべながら。
衝撃で膨らんだ(たてがみ)と、雪のように サラサラ と(こぼ)れる血を背に。

「腹が立っても俺みたいな下僕(しもべ)が大事か ... ?」

どうかしてる。
心の底から、そう思った。

見せかけの優しさならともかく。
お前って、いつも逆なんだよな。
その ... さ、見せかけの傲慢(ごうまん)みたいな?
聞いたこと()ぇーし。

約束が結ばれた日と同じ心境だった。

『いいか ... カーツェル。よく聞くんだ。
 今後は何よりも()(おのれ)の身を(まも)って欲しい。
 私の(そば)にいる以上、真っ先に狙われるのは ... 常にお前の方なのだから』

その ... ... 言いつけを忘れてたのは、まぁ、俺が悪いんだけど ... ...

カーツェルは続ける。

「つーか、俺の短気は親父とテメーに似ちまったせいだ。この、クソ・大馬鹿野郎が ... 」

人のことを散々(さんざん)罵倒(ばとう)しておいて。胸糞悪いにも程がある。
それなのに今は、不快と言うよりは清々(すがすが)しいのだ。

フェレンスに集中する攻撃は(おとり)
魔物の狙いは()(まで)も、魔導師の片腕。

追撃は止まない。

一度は逃せど、二重に開いた魔物の口はカーツェルを目前にして割れ、無数の(とげ)を突き出した。
だが、それらは一瞬のうちに消失する。

正確に言うならば。カーツェルを(かこ)うようにして(あらわ)れた魔法陣の中心で、
彼を(ひざまず)かせる(くさり) ... それらが宿す冥府の炎に触れ、塵屑(ちりくず)となったのだ。

ファントムが猛攻を継続する中。精神統一するフェレンス。
彼の魔力が高まるに連れ、義球の輝きも強まっていった。


そうして(つい)に。境界の扉が、開かれる。


(あらがじ)め渓谷の各所に配置した法の連鎖(れんさ)発動を()て。
範囲内の隅々(すみずみ)を駆け(めぐ)り、蒼く染める光が、
輪郭(りんかく)を浮き彫りにすると、代替地(だいたいち)の転写は完了する。

フェレンスはただ、(てのひら)を返す動作ひとつで多数の(イン)を組み替えた。

次に裏返る擬似空間は、内部に居た彼らをも巻き込み。
ある一点へと集中して消える。

跡地は何事もなかったかのように静まり返った。
揺蕩(たゆと)(ゆが)みを、唯一(ただひとつ)、空に残して。

それは、まるで ... 黒光りするオーロラ。

境界の生じる強烈な冷気は、雲を呼び寄せ吹雪を巻き起こすと言う。
その様子を遠目に確認したノシュウェルは、真っ直ぐに伸ばした(うで)を天に向けた。

結界を展開せよとの合図だ。

見て一斉(いっせい)に応じるは、各所、装置の横で待機していた兵士の一人々(ひとりひとり)
装置は起動済みなので。残す作業と言えば、鍵となる印石(ルーンストーン)を装填するのみ。

移りゆく場面。

「お前は知っているか?」

宿所の一室に()もったきり。
対話を続けるクロイツが言った。

「魔導師の言う〈境界〉とはつまり、
 〈アノ世とコノ世の狭間〉のことを言うのだそうだ。
 あわよくば魔物(キメラ)を帰化させ、冥府に封じることも可能と聞いた。
 もちろん。相手より優位に立つ必要はあるだろうがな。
 しかし万が一にも、逆の立場に追い込まれた時は、
 代わりとして、術者各々(おのおの)が地獄行きだ ... ... 」

話半ばで、相手から(さえぎ)られでもしたか。
一旦(いったん)は発言を(ひか)えて笑う。

「 ククク ... そう腹を立てることでは無かろう ? 
 奴の〈魔導兵〉が破られることなど、まず()()んのだからな」

するとだ。耳元に()えられた機器から()れる声が、吹き付ける風の音に()じり込んだ。

〈 それは、そうですが ... 〉

対話の相手は男。

「 ククク... 分かっているなら一々(いちいち)()み付くな。鬱陶(うっとう)しい奴め」
〈 ... ... ... 〉

彼は何か言いたげだった。しかし、気掛かりが先立つ。

〈 それにしても。近頃あなたは、 あの方や国の情勢について随分(ずいぶん)と詳しく()べられますね。
 今回の件といい。 一体、何方(どなた)からの入れ知恵ですか? 〉

威圧感を(かも)す低音。
男の声色に、クロイツは苦笑しながら返した。

「答えると思うのか? だが、まぁ、実のところ。お前がフェレンスと顔見知りで、
 秘密裏に(かば)い立てしていることも同じ人物から知らされたのだ。
 ... この私と血を分けた弟が、まさか職務に反してまで
 異端ノ魔導師を支援していたとはな。裏切られた気分だったぞ?」

すると、雨に()れる窓の向こうを(なが)めていた男の口元から、溜息(ためいき)(こぼ)れる。

有耶無耶(うやむや)に話を()らすのですね 〉

「 ククク ... 貴様こそ、察しが付いていながら ... 笑わせるな。
 その程度の(あお)りで、この私が動じるとでも思ったか?」

〈 いえ。まさか ... 〉

所詮(しょせん)(たわむ)れ。男は続けた。

〈 政界随一(ずいいち)の策士すら、あなたの名を聞くなり一度は黙るのですから。
 あの方との関係を打ち明けるなんて ... ハハ ...
 否応(いやおう)無く監禁されるのは流石(さすが)御免(ごめん)です 〉

「ほう ... 貴様が? たかが監禁を恐れる玉とはな」

〈 それだけであなたの気が済むわけがない。そうでしょう?
 僕はまだ、肩書きも人脈も、失うわけにはいきませんので ... 〉

「 ククク ... クク ... よく分かっているじゃないか」

クロイツは(まゆ)(ひそ)める。
すると急に折り返された。

〈 ところで ... ... これまでは、どちらかと言うと
 あの方の後ろ盾となるほうが都合の良かった勢力まで、(てのひら)を返しはじめています。
 奴等が〈アレ〉の手掛かりを()たという見方が強まっていますから。
 くれぐれも、周囲の人間の裏切りに()わないよう ... 注意を払って下さい 〉

一方は、分かりきった内容であるかのような素振りで聞き流している雰囲気だった。
かと思えば、語尾を()いぎみに返される。

「私を誰だと思っているのだ アレセル。
 裏切り者には二重の利用価値があるのだぞ?
 ただ排除するなど、低能のすることではないのか?」
〈 ... ... まさか、(すで)に ? 〉

窓ガラスに(するど)い視線を映し、男は息を飲んだ。

「私には私のやり方があるのでな。
 お前の側と利害を分かつ事になろうと、指図(さしず)を受けるつもりは無い。
 奴等の〈奴隷取引〉は、どれ一つをとっても目溢(めこぼ)しするわけにはいかぬのだ」

聞いているとクロイツは、噛みしめるかのように、こう言い残す。

貴様等(きさまら)の大義名分など、知るものか ... ... 」

それっきり通話は途絶えた。

「貴様ら ... か ... 」

あえて一括(ひとくく)りにされた模様。
だが、どうも胸に(つか)える。

「僕はただ、フェレンス様をお(まも)りしたいだけ ... ... 」

一緒にしないでもらいたかった。

(いく)つもの巨大な塔が立ち並び。
各層、(へだ)てられる都心の風景を望む窓辺に際立(きわだ)つ。
淡白色(アイボリー)の祭服と片掛けの羽織外套(ハーフマント)
(たくま)しい身体(からだ)つきだが、成人したての若者と思わしき風貌(ふうぼう)

その胸には、審問執行委員の資格章が輝く。

アレセル ... クロイツがそう呼んだ彼は、
つい先頃、公会議の副議長を(つと)め終え、執務(しつむ)室に戻ったばかり。

リーフ調の(がら)()()す絨毯に、銀糸の刺繍をたっぷりとあしらうロングカーテン。
部屋を(かこう)う壁掛けのシャンデリア。

(あで)やかだが、どこか(ひか)えめな部屋には、明かりすら(とも)されておらず。
美しい木彫りの(ほどこ)された机には、資料が複数、投げ置かれている。


場面を割って背中合わせに立つ印象の二人は、現在、共通の敵を追っていた。
手掛かりとなるのはフェレンス本人と、あの人物 ... ...

雨の打ち付ける格子窓を見やる。クロイツの表情は物思わしげだ。


降り出したのは先頃。


寒々(さむざむ)と雨天を(あお)ぎ見ながらフードを(かぶ)りなおし。
(むすめ)を連れて歩く鉱夫を装いつつ、男は先を急いだ。

泥や炭を塗った顔を深々と伏せ。目立たぬよう。
出入りを見張る兵士たちの目を()(くぐ)り、町の外れまで辿(たど)り着けば。
あとは(やぶ)(ひそ)ませた馬に(またが)るだけ。

連れた少女を乗せるが先。
手はず通りだ。

やがて男は、林の小道を馬で行く。

雨が雪に変わり、吹き(すさ)ぶ夜。
手綱(たずな)を握る手が(かじか)んで仕方ない。

()()ね、目が行くのは少女の肩口。
男は歯を()き出し、(いや)らしく笑った。
そして、冷え切った手を胸元まで差し込む。

少女は ビクリ として硬直してしまった。
その上、目眩(めまい)痙攣(けいれん)を起こし、やがて意識を失ってしまう。

馬から落ちそうになる小さな身体(からだ)を支えながら、男は(あわ)てふためいた。

「おいおい !! 気絶するほどかよ!? 畜生が!
 血を(にご)しちまったらオレがブチ殺されるところだ ... ゥゥ ... ヤベー ... 」

馬上でぐったりとする少女の(ふところ)から手を()いて抱えるしかない。
そんな男に容赦(ようしゃ)なく叩きつける吹雪。

だが、渓谷を下り荒野に出る頃には、春の陽気へと変わる。
地平線に程近(ほどちか)い空の下などは、別世界のように(うら)らかだった。

それが ... この地方、本来の気候。

ともすれば、異端ノ魔導師に付き(まと)う極寒の恐ろしさを思い知る。
出来る限り関わってはいけないのだと。

男は決して振り向かなかった。
 
 
 
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登場人物紹介

◆フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ


故国・シャンテの生き残り。

《千ノ影》を宿す男。


錬金術、魔術、魂魄召喚、禁呪とされる魔導兵召喚術を扱う。


戦犯として裁かれるも、失われし禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)のありかを突き止める事を条件に恩赦を受けた帝国魔導師。

アルシオン帝国軍管轄下、高等錬金術師団所属。特務士官。


訳あって薄情者と言われがち。感情に乏しい。自覚はしている。

交友関係にある者への誹謗中傷だけは論外。そうと知れば制裁を躊躇わない。


◆カーツェル・D・アード・ランゼルク


アルシオン帝国、公爵家子息(次男)。


幼きに母失踪。父、ハインリッツェ・A・ヴァート・ランゼルクは帝国軍大佐で婿養子。宗家、家長は存命していた祖父。そのために身内の権力闘争を見聞きし育ち、一族を嫌悪するようになった。


父を尊敬し、文武とも好成績。だが言行は粗暴で捻くれ者。しばしば父と作戦を共にしていた異端ノ魔導師に漢惚れし、『いつかは部下にしてやる』などと言って付きまとう。散々無視されるも諦めなかった。フェレンスの悪口等耳にすると黙ってはいられない。喧嘩の売り買い過剰で問題児リスト入り。


士官学校卒。


彼には救いたい人がいる。フェレンスが蔑まされながら孤独に生きる姿を見るのも嫌。しかし傍にいれば陰謀に巻き込まれ命が危うい。フェレンスに避けられ続けた彼が思い至った解決法は... 彼と禁断ノ契約を交わし、絶対服従の《魔導兵》となる事。


◆チェシャ


フェレンスとカーツェルの前に突如として現れた謎の少年。


訳あって上手く会話する事が出来ない。舌っ足らずの片言。


血に驚異的魔力を宿す。その等級は二等:紅玉(ルベウス)、もしくはそれ以上。

フェレンスの魔ノ香(マノカ)に惹かれ懐いた。


魔ノ香とは。特異血種とみなされた者の血に宿る魔力と、それに伴う瘴気の醸す香り。

魔物(キメラ)や、等しい存在にしか認識できないはずのもの。


◆クロイツ


軍警を主体とする治安維持機構所属の監視官。


要監視対象として挙がる人物を見張る。

担当は異端ノ魔導師、フェレンス 。


高圧的で気難しい性格をしているが、子供好き。策略家。


◆アレセル


クロイツの実弟。だが腹違い。

実母は娼婦で霧ノ病を発症し討伐された。

義母を尊敬し、子として愛し愛されたが、またしても霧ノ病で失う。


人の心を失いかけた当時、闇魔術に手を染めるもフェレンスと出会い更生。

以来、彼の愛はフェレンスに向く。人脈の形成、諜報力に秀でる。

◆翠玉碑 (エメラルド・タブレット)

故国・シャンテの中枢に収められていた叡智ノ結晶。

彼ノ戦により砕かれ、その多くが行方不明。

◆千ノ影

彼ノ戦の犠牲者。シャンテの民の霊。

一部はフェレンスの扱う魂魄召喚にて戦闘可能。

筆頭は亡国ノ英雄。黒ノ竜騎士・グウィン。

◆霧ノ病

心身が麻痺していく病。
発症し悪化すると身動きもせず、飲食すらしなくなり衰弱。


あらゆる想いの境地に至る人の心に穴を開け、冥府ノ霧を呼び込む。

冥府ノ霧とは、悲しみ、怒り、妬み等、人を惑わす負ノ思念。


霧は欲を喰らい、無我ノ境地へ誘われた者は無垢なる狂気を発症。

やがて魔物(キメラ)化する。

◆複合錬金

特殊錬金、キメラ錬金とも呼ばれる。

由来が異なる複数のエリクシールを掛け合わせる法。
それによって生じた存在は安定化させる事が難しく、禁じられている。

◆魔導兵

神々ノ器とも呼ばれる。

亡国ノ魔導師と禁断ノ契約を結んだ下僕。


複合錬金により身体を強化。

覚醒→魔人化→神化。

三段階の変身が可能。

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