石ノ杜~Ⅺ

文字数 7,997文字

 
 
 
アムアム。モグモグ。

食べ始めたら止まらない。

チェシャの咀嚼(そしゃく)は休み無く。
口が(から)になるのは、食べた物を飲み込んだ瞬間のみ。

(そば)で見守る執事は、(いささ)呆気(あっけ)に取られていた。

主人の連れ子を(よそお)っているとは言え。
血ノ奴隷(どれい)と知れては面倒なので。
警戒し、それとなく店内の隅々(すみずみ)まで目を(くば)らなければならないが。

幼子(おさなご)の食いっぷりときたら、まあ凄いこと。
つい、見てしまう。
それまでの疲れや緊張(など)、一切、感じさせないのだ。

チェシャは、食べかけのパンを左手に持ったまま。
反対の手で皿を持ち、チュル チュルルル ... と、スープを飲む。

コース料理でもなし。順に口に運ぶ必要こそ無い ... とは言え。
次から次へと欲張るものだから、いつの間にやら両手にパン。

あれ ... ... ?

(いず)れも食べかけなので困っている様子だ。
やむを()ず。片方を ソッ ... と、皿の(はし)に置いてから副菜に手を伸ばしたところ。
やや後ろに立って見ていた、カーツェルの口元が若干、(ゆる)む。

「 プッ ... ... 」

と言うか。今後こそ吹き出しかけた。

何が面白かったのかな?

不思議に思って振り向いたのはチェシャ。
目が合うなり視線を()らすカーツェルは、気不味(きまず)そうに()く。

食事の席では、よく味わい。(はら)と心を満たす事こそ、より重要。
拒絶感を(いだ)かせてもいけないので。
興味を持つ前から、逐一(ちくいち)口を出すような事はしない ... が、どちらかと言えば。
これまで空腹(くうふく)を我慢する事が多かったぶん、今日くらいは好きにさせてやりたい。

そんな気分だったのだ。


追加注文した料理が並ぶ頃には、満腹のチェシャ。


運んで来たのは、あのウェイトレスだが。
彼女は、目も合わせず立ち去る。

幼子(おさなご)は見ていた。
しかし、まあ、お構い無しといったところ。

(となり)の席に座ったカーツェルを見るチェシャは、満面の笑顔で言う。

「 ツェ ル 、 タベ、ル ―― ノ! イッ ... ショ!」

そして、テーブルの(はし)を トントン と叩いた。
さあ、()し上がれ ... とでも言いたいのだろうか。
相変わらず、(さっ)するのが(むずか)しいけれども。
カーツェルは答える。

「ええ、頂きます」
「 ン !!

勿論(もちろん)、笑顔で。

店の客は、それぞれ会話を楽しんでいるよう。
夜が()けていく(ごと)に、(にぎ)やかな声も増していった。

食事を終えたカーツェルが、ナプキンを皿の左隣に置いたのを見計らって、チェシャは席を立つ。

見たところ、教えてもないのに同じ位置に置かれているソース(まみ)れのそれは、
フェレンスの居た席のそれと、形が(そろ)えられていた。
つい先頃とは打って変わって、カトラリーも皿の手前(うえ)に並べ置かれている。

宿の階段手前まで()けて行きカーツェルを待つ幼子(おさなご)
チェシャは、思った以上にフェレンスの所作(しょさ)を良く見ているよう。

今後は、社交の場でも通じる礼儀作法を教えていかねばならないが。
それほど苦労はしなさそうだと、カーツェルは思った。


むしろ逆に。教えてもらいたいなーなんて。


そんな考えが脳裏を(よぎ)ったのは、
フェレンスの待つ客室へ戻ってからの事である。


扉も無い収納と、簡易的な洗い場と。
並ぶ(わた)りを照らしているのは、小さくて古いランタン。一つだけ。

部屋の(ドア)を開くや(いな)や、()けていく幼子(おさなご)の背を ... 一旦(いったん)、見送った(のち)
照明に手を伸ばしたカーツェルは、(つま)みを回し、ゆっくりと()を落とす。

それから、一呼吸置き。
向き(なお)って見れば。

()き当り右に位置した部屋から差し込む ... 光と影。
聞こえてくる主人と幼子(おさなご)の声は、実に(おだ)やかだった。

そのほとんどが料理の話なのは、ご愛嬌(あいきょう)
例えば、追加で頼んだムースケーキが思っていたより小さくて切なかっただとか。

チェシャは、身振り手振り楽しそうに話して聴かせている。

け れ ど ... ...

実際には、どうなのだろう。

う ――― ん ... ...

部屋を横切りつつ二人の様子を(うかが)うカーツェルは、複雑な気分だった。
と言うのも。正直、自分ではとてもチェシャの話す言葉を理解出来ない。

「ツェ、ル、タベ、ォ ... ルノ、サカ ... キ、レイ! ノ、ナ! チェ、シャ、モ!」

んんんんんんんん ... ... !?

最早(もはや)、暗号ではないかと思うのだが。
クローゼットを開き、襟締(タイ)(ゆる)めていると。
動揺が隠せず汗ばむ彼の後ろで、フェレンスが答えた。

「そうか。しかし、カーツェルの場合は昔から魚を好んで食していたからだろう。
 お前も、嫌いなわけではないと言うなら、(じき)に上手く身を()り分けられるようになる」

まさかの魚が、どうしたら タベ、ォ ... ルノ ―――――― ... ... !?

あまりの衝撃に、自分まで訳の分からないツッコミを入れてしまう。
口に出しては言えないけれど。

そう、どんな話をしているのか、内容は(すべ)
チェシャの話に相槌(あいづち)するフェレンスの言葉を(かい)した想像でしかないので。

「なぁ、ちょっといいか? ぁぁ ... ... フェレンス!」
「どうした」

(たま)()ねて声を掛けたと見える。
指の先で(こめ)かみを押す彼は、(つい)の手で襟締(タイ)を抜き取りながら言った。

「あのさ、チェシャが言う片言(かたこと)の解読のしかた ... ... 教えてくれる?」

フェレンスの受け答えまで聞けば、何となく分かったような気にはなるのだが。

「どうも、聴いてて疲れるんだよな」
「それは ... 口に出せずにいる疑問に()ぐ疑問のせいか?」

「ぁぁ ... 分かってくれるか」
「言いたければ言いなさい」

「ぇぇ ... だって、一々(いちいち)つっこんでたらキリ()ぇーよ」
「そうだな」

「 ... ... 」
「 ... ... 」

「そう。で、お前もさ。そんなのずっと聴いてたら耳に(タコ)できちまうだろ?」
「ふむ。ならば聴かないふりを ... ... 」

「うん。そうすれば大丈夫かな。お前は。でもね? 待てよ?
 コレな、初めから俺が疲れるから何とかしようって話なんだわ。 話、戻さなきゃダメ?」

ちゃんと聴いて欲しいんだけど? 聴かないふり以前に、馬鹿なふりするのやめてくれる?

「つーか、さっきから何してんの?」

よくよく見たところ、フェレンスは片手間(かたてま)に話を聴いていたよう。
椅子に座り、丸テーブルの上に()らばった極々(ごくごく)小さな部品を一つ、また一つ。
精密鑷子(ピンセット)(つま)み取り、手のひらに軽く収まった(フレーム)に組み込んでいる。

フェレンスは(しば)し黙ったうえ、手元に集中した。

カーツェルもまた、静かに待つ。
しかし、()を置いた返答は、(まった)くの期待はずれ。

彼は言う。

「言葉の解釈(かいしゃく)は、各々(おのおの)が自身の主観と折り合いをつけながら行うものだ。
 他人に合わせたところで、難儀(なんぎ)な事に変わりは無い」

「無理って事? つーか。何してる?って聞いたんだけどな。もぉー」

悪い(くせ)は、そうそう(なお)らない。
人らしいと言えば、人らしいので。
フェレンスに(かぎ)り、良い事と思えなくもないが。

すっかりと肩の力が抜けてしまった。

真面目に(たず)ねたのが阿呆(あほ)らしくなるなと、カーツェルは思う。
対し、フェレンスは相も変わらず手元ばかりを見ているのだから、尚更(なおさら)

「お前の言う事からして解釈に困るの、すっかり忘れてたわ ... ... 」

そう言って、首休めに見上げると。
頭上の(はり)には、湾曲(わんきょく)する丸木が使用されていたと知る。

上手いこと組み上げるものだなんて、余計な事を考えていたところ。
またしても、遅れて答えるフェレンスの声。

「無理 ... とは少し違う。お前が努力するのは良い。
 しかし、意識し(つと)めるのが二人のうち、片一方のみでは ... ...
 例え理解出来たとしても、お前の疲れの度合いは増すばかりなのでは?」

吐息混(といきま)じりの言葉(つづ)り。
内容とは別の話になってしまうが。
カーツェルは、やや息()まり視線を戻した。

テーブルに乗り上がる格好(かっこう)のチェシャは、フェレンスの対面にいて話を聞いている。
投げ出された足は脱力し、プラーン ... と()れ下がったまま。

食事の席での調子といい。
なんて心地(ここち)良い声風(こわぶり)だろう。

幼子(おさなご)は、うっとりと頬杖(ほおづえ)する。
カーツェルもまた同じように。目を細め、耳を(かたむ)けた。

すると彼は、手にした物を順に置いて顔を上げる。

〈 コトン、コトン ... ... 〉

卓上(たくじょう)に並べられた器具が(わず)かに立てる音。

「来なさい。チェシャ」

不意に呼ばれ、ぶら下がった足がピンと張り上がったかと思えば。
すかさず()()りて駆けて行く赤毛の子。

カーツェルは目で追った。
主人の(そば)へと()り、テーブルの(ふち)()えられた小さな手を。

あのフェレンスが作業を休み向き(なお)ったとあれば、聞き逃すわけにはいかないのだ。

まぁ、そうだよな ... ...

共感するカーツェルの目に映ったチェシャの瞳は、爛々(らんらん)として嬉しそう。
(かた)や二人の主人は、形の乱れた幼子(おさなご)襟元(えりもと)(ただ)してやりながら、こう()べる。

「お前は興奮すると言語の末尾が、(あと)に続く言葉のどこかに(まぎ)れ込むようだ。
 一言、言い切る前に、次の文頭に(ふく)まれる語句の一部だけを事前に口走ってしまう点も。
 ()み分けを難解(なんかい)にしている」

けどね、ちょっと。何、言ってるか分かんない ... ...

ポ カ ――――― ン ... とするチェシャの顔を見れば、一目瞭然(いちもくりょうぜん)と言うか。
当人と見合うフェレンスにも、その気持は伝わっていたので。

「 ... ... 簡潔(かんけつ)に言おう」

少しだけ()を置いてから、付け加える。
思考停止状態で固まってしまっている子に対し、真顔で。

「先のお前の話し方では、以前よりも分かりづらいので。
 今後は気を付けなさい。聞き手の様子にも気を(くば)るように。
 相手が困っている素振(そぶ)りを見せたら、少し落ち着いて。
 特に意識しゆっくりと、いつものように一つ 々 、順に話すと良い」

懸命(けんめい)に話を簡略(かんりゃく)化しようとする元帝国魔導師と。
懸命に理解しようとして聴く幼子(おさなご)と。
(かたわ)らで(なが)める執事役は、(なご)みを満喫(まんきつ)中である。


人的災害の代名詞と言えば、異端ノ魔導師。


そんな、世間一般の認識を(くつがえ)したいだなんて。
多くの犠牲を(ともな)うような選択を(せま)り、(みずか)ら罪を負ってしまったからには二度と言えない。

だがしかし、今はもう。
(さげす)みを受け、()み嫌われようと。
当然と割り切る彼の生き様を、この瞳に焼き付け先に進むのみ。

どうしたらこうも、きっぱりと物事を区別できるのか。
気持ちを切り()えられるのか。
人と向き合えるのか。

不思議でならないのは、今も変わらない。
けれど、いつだってそうだった。

冷徹(れいてつ)を演じてまで、人を()けてきたくせに。
本当は、優しいくせに。

何なんだ ... ... そう思うと、また、胸を()め付けられる。

これまで、その(ほとん)どを見る事が出来なかったのだ。
ずっと、(そば)に居た〈つもり〉で。そうとは気付かず。

なのに、何故(なぜ)だろう。

心の底から(した)う者と、()()い。満たされる。
この幸福感 ... ... ここに来て今更のように知ったはずだが。

実のところ、そうではなく。
以前から知っていたような。

また、竜騎士(あいつ)未練(みれん)が関係しているのだろうか。
考えていると、理由(わけ)の分からない痛みが、胸を()す。

チクリ ... ... チクリ ... ...

おかげで、何度も呼ばれているのに気が付かなかったようだ。

... ... カーツェル。

「カーツェル。どうした」

(いぶか)しげに(たず)ねる声を聞いて息を()む。

「え!? ああ、悪い ... ... 何か、疲れてんのかな。ぼーっとしてた」

適当な事を言って、はぐらかしてはみたものの。
フェレンスは ... どう思ったろう。

いつものように見透かされているかもしれない。
だが意外にも、フェレンスは聞き流して話を続ける。

分かりきっているので、触れるまでもないだなんて。
思われてたら、ちょっとショックだけど。

彼は、こう言った。

「食事の席で声を掛けてきた女性についてだが。
 この国、アイゼリアでは現在、入国者の行動が制限されている。
 厳密に言えば、手形を身に着けていなければならない。そうでない者は刑罰の対象。
 法令により、密告者は報奨(ほうしょう)金を()られるよう(さだ)められているそうなので。
 本件も即刻(そっこく)、対処されるだろう」

思惑(おもわく)(さっ)し言葉を返したのはカーツェル。

「それなのに。答える必要は無いとか ... ...
 あの時は一瞬、どういうつもりかなぁーって思ったけどさ。
 帝国の連中がお前を(ほう)っておくわけないんだし。
 居るなら返せよって言ってくるまでは、簡単に想像がつくもんな」

「ともすれば、出来るだけ()りを(ひそ)めておいて欲しいのが、アイゼリア国交関係者の本音」
「それを無下(むげ)にするってんだから。お前って本当(ほんと)イカレテル」

でも正直、そういう所が好き ... ...

会話していて、ふと思った。
カーツェルの顔に、裏腹な笑みが浮かぶ。


()(みこと)(きり)(やまい)の元凶。
初皇帝ユリアヌスが帝国の過激派(パルチザン)を相手に、そう易々(やすやす)と取引に(おう)じるはずはないのだ。

〈禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)〉の所在に(まつ)わる情報ともなれば。
より莫大(ばくだい)な対価を(よう)すだろう。
それに(あたい)すると思わしき唯一(ゆいいつ)の存在が、ここに居る男。

異端ノ魔導師 ... ... フェレンス。


「お前が、〈石ノ(もり)国境侵蝕(しんしょく)問題〉で帝国と険悪(けんあく)
 この国 ... アイゼリアに逃げ込んだ理由も、ちょっと(から)んでたりする?」

追って(たず)ねると、彼は答えた。

「 ... ... 少しだけな」

現在必要な情報を()るには、
可能な(かぎ)りアイゼリアの裏事情に精通する人物を、引きずり出さなければならない。
直接的な()り取りから心当てを模索(もさく)する事も出来るからだ。

つまりは、ある程度想定し。
こちらの要求に見合う相手を望むと、行動で伝えているのだろう。

「そのため早速(さっそく)だが。明日にはギルド総連を(たず)ねようと思う」
仲介人(ちゅうかいにん)を探すんだな?」

「そう。アイゼリアの諜報(ちょうほう)員と通じる者が少なからず居るはず。
 先立つ物も必要だ。資金調達をしながら、あちらの出方を待つ」

「よっし! そう来るだろうと思って、準備だけはしといたぜ」
「準備?」

実入(みい)りの良い仕事を探すなら、やっぱコレだろ?」

ジャ ―― ン! と声に出すカーツェルが自慢(じまん)げに広げて見せたのは、真新しい燕尾服(テールコート)

「お前が〈アレ〉を売っぱらった日、(はら)いせに新調やったんだ!
 料金割増(わりまし)の急(ごしら)えだぞ、コンチクショーめ!」

アレ ... ... ?

アレって、あの時のアレの事だろうか。
主人と幼子(おさなご)は、それぞれ思う。

いつの間にか荷物が増えていると思ったら、それか ... ...
お金が無くて仕方なく売ったと思うんだけど、何してくれてんの、この人 ... ...

と言うか。そう。
〈アレ〉で思い出したが。

奥歯を()()めるカーツェルは、意識し一呼吸置いた。

フェレンスの奴め。随分(ずいぶん)とアイゼリアの情勢(じょうせい)に詳しいじゃないかと。
余計な事だが、聞いてみたくなったのだ。

「つーかさ。お前、この国に来るの何回目?」
「初めてだが?」

「へ―――― ... ... マジかよ。
 で? どっから来んの。そういう予備知識みたいなの」
「地上の国々の慣習(かんしゅう)、情勢は軍役(ぐんえき)中、粗方(あらかた)、学んだ」

「それを、よくもまぁ憶えてるもんだよなぁ ... ... 」

会話しながら回り込む彼は、フェレンスの後ろまで来て椅子(いす)の背に両手を掛けた。
その口ぶりは、どこか嫌味(いやみ)ったらしい。

この()(およ)んで何がしたいやら。
耳元まで(くちびる)()せる彼は、 ボソリ ... と小声で言った。

「俺との約束は忘れるくせに」

けれどもチェシャは真横に居る。
聞こえてしまって当然なのだ。

なのに、さっぱり話が見えない。

逆に聞きたかったが、あえて黙り通す。
この手の話に水を()した時のカーツェルは怖いと。
ここ数日で思い知ったので。

まさか、言えなかった。

(かた)や主人は余裕そう。
組んだ足の上に置かれていた右手が、肩に落ちる黒髪に触れ、(ゆい)止めを(ほど)く。

その(かん)、聞こえるのは。
カーツェルの長い髪を()き流すフェレンスの、動作に(ともな)う静音だけ。

返す言葉も一つきり。

「何を()ねている?」

答えたくない気持ちを無言で(あらわ)すと、また一つ()でられた。
テーブルの上を見れば、先日、(しち)入れした〈アレ〉の代替(だいたい)品を作成中だったのだと知る。

作りかけの多機能機器(マルチエクイップメント)

魔青鋼(オリハルコン)製魔導素子(そし)(かか)える中央処理装置( C  P  U )接合(ソルダリング)から何から。
単眼顕微鏡(マイクロスコープ)()しに作業するフェレンスを、ただ、(なが)めて待った。

あれは ... ... いつの事だったろう。

思いを()せていると、カーツェルの口を()いて出る。

「それ、次に新調するなりして使わなくなったら ... 今度こそ俺にくれるんだろうな?」

「今度こそ?」
「そう、今度こそ ... っ て、しつこいようだけど。
 俺も欲しいって話してた時、新調することがあったらって言ったのは、お前なんだからな!?
 それなのに、あっさり売り飛ばしやがって」

フェレンスは(しば)しの(あいだ)、記憶を辿(たど)った。
言われてみれば、そんな事もあったような気がする。

いや、確かにあった ... ... と、思うや(いな)や。

サッ ... と血の気が引き、背筋が凍る。

「よく ... 憶えているな」

しかしながら(さと)られるわけにはいかない。
会話を続けるしかなかった。

「ああ。俺はまだチビだったし、何でそんな話になったかとか、色々疎覚(うろおぼ)えなんだけどな」
「そうか ... ... 」

「まったく。約束したのに。忘れてたなんて最低(さ い て ー)

あれは確か、長期遠征(えんせい)のため帝都を離れる事になるより前。
それまでは長くても三ヶ月弱で帰還(きかん)していたと思う。

それなのに ... ...

「お前は、任を終えるまでの数ヶ月が待てず。
 頻繁(ひんぱん)に私の部屋を(おとず)れ寝泊まりしていたらしいな」
「それはもう忘れていい!!」

修道院施設、預かりの身だったフェレンスの部屋への不法侵入。無断使用。
公爵家第二子の犯行を黙認した修道士()共謀者(きょうぼうしゃ)と言ってもいい。
彼らは懺悔(ざんげ)に明け()れた。

掃除管理をしていた修道士が居眠り中、(こし)に下げられた鍵を コッソリ ... 盗み取った事。
ドラグニティ公爵として在位(ざいい)した祖父(そふ)が、大金を積んで()び入れした事。
(あまつさ)え帝国軍大佐の父が土下座までした事。

等々(などなど)

知らさせたのは、出入りを許可されたカーツェルが
事ある(ごと)(おとず)れるようになってからであって。
部屋の(ぬし)の意に反す理不尽(りふじん)には、頭を悩ませたものだった。

嗚呼(ああ) ... 憶えているとも。

フェレンスは作業を再開する素振(そぶ)りを見せながら、かつてを振り返る。

報道関係者の目を極力(きょくりょく)()けたいとして。
帰還の日程は内密にされていたというのに。
カーツェルはいつも先回りし、待ち構えていたのだ。

そして、視線や言葉を()わすでもなく行き過ぎるフェレンスの背を、追って()く。

当時の監視役が彼の制止を躊躇(ためら)ったのは、
クロイツの前任とされる監視官がカーツェルの実兄(じっけい)であった(ため)

官職を(つと)める父は役職の都合以前に、堅実(けんじつ)で特にも口の固い男。
信頼を(そこ)なうと分かっていて(たよ)るわけにもゆかず。
伝手(つて)を持つなど()して(むずか)しいはずだが。

彼の兄にとっては造作(ぞうさ)もない。

実の弟が異端ノ魔導師と(した)しむに(さい)し。
それとなく情報を(あた)え続けたフォルカーツェの目的は推測(すいそく)しきれぬ。

()れども。

現状において、(もっと)(あや)うきは。

カーツェル ... ...

彼が(みずか)ら望んで封じたはずの〈記憶ノ断片(だんぺん)〉を、
今 ... ... 口にしたという奇事(きじ)

余計な事まで思い出させてしまったと言いながら、荷物の整理に乗り出す友の背を見て。
フェレンスは、胸を押さえた。


それは本来、忘れ去られていなければならない想い出だったのだ。


実の弟を、異端ノ魔導師のもとへ。
差し向けたのは、彼の兄。

カーツェルが恋心を抱いた頃に取り上げたのも、そう。

「あの御方(おかた)元々(もともと)、あの男を()けていたのに。
 押し切られるかたちで(した)しみ合うようになってから、別れを仕組んだのは何故(なぜ)なのでしょう」

(ひじ)置きに両腕を預け、組み下ろした(あし)の上で手指を合わせる。
アレセルは、自身の邸宅(ていたく)(まね)いた ... とある人物を前に、問いかけた。

鈍色(にびいろ)(けむ)る街。
帝都に降り続く雨は、各上層区、各(とう)に置かれた空調設備の熱を吸って、薄靄(うすもや)を生じる。

夕暮れ時。

部屋の片一面に広がる街景色は、白灰(しらはい)(かすむ)むよう。
それらを横目に、軽く見開かれた(はしばみ)色の瞳は、どこか冷めた情操(じょうそう)宿(やど)していた。
 
 
 
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登場人物紹介

◆フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ


故国・シャンテの生き残り。

《千ノ影》を宿す男。


錬金術、魔術、魂魄召喚、禁呪とされる魔導兵召喚術を扱う。


戦犯として裁かれるも、失われし禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)のありかを突き止める事を条件に恩赦を受けた帝国魔導師。

アルシオン帝国軍管轄下、高等錬金術師団所属。特務士官。


訳あって薄情者と言われがち。感情に乏しい。自覚はしている。

交友関係にある者への誹謗中傷だけは論外。そうと知れば制裁を躊躇わない。


◆カーツェル・D・アード・ランゼルク


アルシオン帝国、公爵家子息(次男)。


幼きに母失踪。父、ハインリッツェ・A・ヴァート・ランゼルクは帝国軍大佐で婿養子。宗家、家長は存命していた祖父。そのために身内の権力闘争を見聞きし育ち、一族を嫌悪するようになった。


父を尊敬し、文武とも好成績。だが言行は粗暴で捻くれ者。しばしば父と作戦を共にしていた異端ノ魔導師に漢惚れし、『いつかは部下にしてやる』などと言って付きまとう。散々無視されるも諦めなかった。フェレンスの悪口等耳にすると黙ってはいられない。喧嘩の売り買い過剰で問題児リスト入り。


士官学校卒。


彼には救いたい人がいる。フェレンスが蔑まされながら孤独に生きる姿を見るのも嫌。しかし傍にいれば陰謀に巻き込まれ命が危うい。フェレンスに避けられ続けた彼が思い至った解決法は... 彼と禁断ノ契約を交わし、絶対服従の《魔導兵》となる事。


◆チェシャ


フェレンスとカーツェルの前に突如として現れた謎の少年。


訳あって上手く会話する事が出来ない。舌っ足らずの片言。


血に驚異的魔力を宿す。その等級は二等:紅玉(ルベウス)、もしくはそれ以上。

フェレンスの魔ノ香(マノカ)に惹かれ懐いた。


魔ノ香とは。特異血種とみなされた者の血に宿る魔力と、それに伴う瘴気の醸す香り。

魔物(キメラ)や、等しい存在にしか認識できないはずのもの。


◆クロイツ


軍警を主体とする治安維持機構所属の監視官。


要監視対象として挙がる人物を見張る。

担当は異端ノ魔導師、フェレンス 。


高圧的で気難しい性格をしているが、子供好き。策略家。


◆アレセル


クロイツの実弟。だが腹違い。

実母は娼婦で霧ノ病を発症し討伐された。

義母を尊敬し、子として愛し愛されたが、またしても霧ノ病で失う。


人の心を失いかけた当時、闇魔術に手を染めるもフェレンスと出会い更生。

以来、彼の愛はフェレンスに向く。人脈の形成、諜報力に秀でる。

◆翠玉碑 (エメラルド・タブレット)

故国・シャンテの中枢に収められていた叡智ノ結晶。

彼ノ戦により砕かれ、その多くが行方不明。

◆千ノ影

彼ノ戦の犠牲者。シャンテの民の霊。

一部はフェレンスの扱う魂魄召喚にて戦闘可能。

筆頭は亡国ノ英雄。黒ノ竜騎士・グウィン。

◆霧ノ病

心身が麻痺していく病。
発症し悪化すると身動きもせず、飲食すらしなくなり衰弱。


あらゆる想いの境地に至る人の心に穴を開け、冥府ノ霧を呼び込む。

冥府ノ霧とは、悲しみ、怒り、妬み等、人を惑わす負ノ思念。


霧は欲を喰らい、無我ノ境地へ誘われた者は無垢なる狂気を発症。

やがて魔物(キメラ)化する。

◆複合錬金

特殊錬金、キメラ錬金とも呼ばれる。

由来が異なる複数のエリクシールを掛け合わせる法。
それによって生じた存在は安定化させる事が難しく、禁じられている。

◆魔導兵

神々ノ器とも呼ばれる。

亡国ノ魔導師と禁断ノ契約を結んだ下僕。


複合錬金により身体を強化。

覚醒→魔人化→神化。

三段階の変身が可能。

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