魔ノ香~Ⅷ
文字数 9,042文字
療養所内の階段手前に広々と設けられたリビングテラスにて。
クロイツは立ち止まった。
そそぐ陽の光と、黄金色に輝くかのような木ノ花。
金合歓、咲き乱れる中庭の傍らに。
とある女性のシルエットを見た気がしたのだ。
しかし振り向いて直ぐに、そんなはずはないと思い正す。
どうやら近くを通りかかった女性の姿を、それと錯覚してしまったよう。
こちらの視線に気付いて会釈し行き過ぎる女性に、目礼を返すが。
そのまま伏せっきりになった瞳の奥で、悲しみが揺らいだ。
『お母様 ! 私たちの妹は、いつ、お生まれに?』
記憶の中の二人は、まだ幼い。
『アレセルも気にかけています。お医者様とは、どのようなお話を?』
かつての自分の声が脳裏に木霊した。
弟と共に息を切らし、駆けつけた一室の片隅に見る ... いつぞやの光景が、
白黒の幻となって目の前に現れるも、直視できぬまま。
クロイツは、ただ悲しみに暮れる母の姿を回想する。
嘘 ... ... 嘘 ... ... お願いです... ... 嘘と言って下さい... ...
『奥様 ... どうか、お気を確かに。まだ、詳しく調べてみなければ分かりませんし。
母体に問題がないとすれば、今ならまだ、手のうちようが ... ... 』
『腹の子を見捨て、自分だけ助かれと仰るのですか!?
霧ノ病に侵されているのが、この子の方だとしても。
問題があったのは母である私の心の方でしょう? それなのに!?』
『奥様 ... 奥様、どうか落ち着いて下さい、奥様 ... 』
老メイドを交えた母と医者のやり取りを聞いて、言葉を失っていると。
場の空気を読んだうえクロイツの手を握り、共に退室するアレセルが言った。
『ここは、婆やとお医者様に任せて、お父様の帰宅を待ちましょう。
今、僕たちが行っても、お母様に無理をさせてしまうだけでしょうから』
その間も、切々と言い連ねる母の声は止まない。
女の子の出生率が異常に低い私の種族にとって、この子は宝なのです!!
同種族の男達に囚われていた私を救い出し、
守ってくれた主人の子なのですから尚更、失いたくありません!!
ですから、どうか ... この子だけはお救い下さい ! どうか、この子だけは!!
息遣いも、発声の強弱も不規則で、常軌を逸しつつある事が窺えた。
扉の向こうで取り乱す母を想うと、動悸が増していく。
『アレセル ... お前はどうして、そう冷静にしていられるのだ?』
『さぁ ... ... 』
動揺する気持ちを静めるためにはどうしたら良いのか、知りたくて尋ねただけ。
だが、的外れな答えを聞いて悔い已む。
『あなたとは違って、僕の血が繋がっているのはお父様とあなただけ。
もしかしたら、そのせいかもしれませんね ... 』
『お前という奴は ...! 真の母でなければ、同情も出来ぬと言うのか!?』
今思えば、落ち着き払う弟の言動に、違和感を覚えたたとは言え。
疑うべきではなかったし、選りにも選って最悪の言葉を口にしたものだと我ながら呆れる。
あの時は、お互いにどうかしていたのだ。
『同情なんて ... 痴がましい。
お母様は僕を受け入れ育てて下さった恩人であり、最も尊敬する女性です。
それに引き換え僕は、所詮、
お父様が気の迷いで通じた娼婦の子でしかないと言っているのです』
『お前!! そういう卑屈な言い方はよせと常々 ... 』
『論点を差し替えるのですか ?
ならばまず、自身の言葉を振り返ったうえ、撤回して下さい。
堪えられる程度の悲しみなら、大したものではないとでも?
分け隔てなく、あなたと同様に愛情を注いでで下さったお母様が、
どうなるかも分からないなんて時に ... !
平然としていられる僕が冷酷な人間に見えますか ?
ふざけるな ... !! 僕はただ、今のあなたに出来ない事をしているだけだ。
悲しみを負った人のぶんまで、強くありたいのです!!』
大声にならぬよう抑えながらも力を込める。
互いに襟を掴み上げ、睨み合い。
大人ぶって偉そうな口を利いたのも、不安を誤魔化すため。
最終的に黙るかたちとなったのは、クロイツの方だった。
回想する中で、あらためて学ぶ不屈の精神。年の割に合わぬ主張。
随分と生意気なことを言う。今でさえそう感じるのに。
それを言い放った奴は確か、その時まだ十三。
負けてなどいられない。
視線を持ち上げ、クロイツは思った。
この程度の悲痛 ... 亡き母と妹のことを想えば ... ...
そう、元々は弟の気構えに倣い身につけた気丈さ。
あの〈病〉の根源を絶つまでは、持ち続けねばならぬのだ。
こんな所で呆けている場合ではない。
気持ちの整理を済ませたクロイツは、やがてすっきりとした表情で立ち返る。
例の二人は、少年を連れ出そうとするノシュウェルに文句を言っている頃だろうか。
待っても来る気配は無い。
即日、事を済ませるには手間を省かねば、時間だって足りないはずだが。
何をしている ... ...
どうも気に掛かるので引き返したところ。
角を過ぎた先で、丁度よく姿を見せるノシュウェル。
目を見れば、徒ならぬ雰囲気だ。
彼が抱きかかえる少年の表情にも、緊張の色が窺える。
「何事だ! ノシュウェル!!」
駆けつけ、尋ねるも。
答えを聞く前に目撃するかたちとなった。
異常事態である。
ノシュウェルは後退り、軍羽織りの下から脇差拳銃を取り出した。
けれども、銃口を向けるに際し躊躇っている。
そんな彼を押し退け、部屋に入ると。
握り締めた布切れと紙を宙に投げ、素早く指先で火の印を切るフェレンスの姿。
〈 La quema de la aniquilacion 〉
「 焼 滅 せ よ ... ... 」
滑やかに呪文を唱える唇。
奴はいったい何を ... ... ?
不穏な状況から生じる疑問を順序立て整理し、やがてクロイツは悟った。
注視すべきは、二人を庇うようにして立つ魔導師の視線の先。
燃える印紙の向こうへ視点を押しやれば。
前のめりに俯いて立つ下僕。
様子が可怪しいのは一目瞭然である。
壁際まで退いたフェレンスは、
目の前の紙布が燃え尽きるのを確認して更に、奥を見据えた。
すると。喉元、目掛け視界を裂く。
下僕が伸ばした手は、主人の脈を断つ勢いだが。
「フェレンス!!」
危機に直面し名を叫ぶ。
クロイツの声が耳に入ると同時。
フェレンスの指先が横一直線に蒼い光を引いた。
文字列と思わしきそれは、瞬時にして描かれた印文。
帝国魔導師としての資格、そして、地位と名誉。
彼に与えられたものの必然性を目の当たりにした瞬間。
冥府の炎を祓い。
激情を抑制する鎮め詩を耳にする。
冥府ノ炎 ... ... 極寒を生じる蒼き焔... ...
彼ノ下僕に宿された力の本来の役目は、負の思念に毒された魂の浄化である。
神ノ意識の向こうに存在す。
生命の樹の麓たる浄土へと帰すため。
一連の流れに差し当たり。
狂いを生じた魂が直接、忘却の泉に浸される事は無い。
肉体を離れた情念は冥府ノ炎に灼かれ。
凍てつき、砕かれ、塵と化し。
徐々に〈修正〉されたうえ、清浄ノ水辺へ誘われると言うのだ。
人々が恐れる奈落の真意。
禁じられた法の一環である覚醒術は、
人体の魔物化を図るうえで魂魄錬金を駆使し、冥府との繋がりは密接。
魔導師と下僕の間で交わされた契約のもと。
カーツェルの両腕に刻まれた〈枷の刻印〉は蒼火を秘め。
魔人化した後には、それを操ることが可能なのも道理という訳だが。
予想だにしなかった ... まさかの展開にクロイツの思慮が鈍る。
周辺を舞う印文はやがて、封陣を成し。
取り纏めカーツェルの胸に打ち込まれた。
首の皮に喰い込む爪先から、次第に力が抜けていくのが分かる。
力の加減に迷いが見られるのは、如何ほどか自制心が活きていた証拠だろう。
意識を失っても主人を想う気持ちの表れか ... ...
負の思念を隠し持つ者が、強烈な魔の瘴気に当てられる事はあっても。
負の思念を封殺する〈冥府の炎の宿り主〉が、同じ理由で暴走するなど有り得ぬ。
然れども、魔力を欲してフェレンスに襲いかかる
カーツェルの目色は、完全に常軌を逸していたのだ。
彼ノ魔導師は言う。
「強い魔力は欲を煽る瘴気を発するので、直に扱うのは危険。
だが、精製しだいでは秘薬とも成り得る。分かるな? クロイツ ... ... 」
視線で促され振り向くと。
ノシュウェルに抱えられた姿で、肩にしがみつき横目でこちらを見つめる赤毛の少年と目が合った。
「まさか ... この少年の身体に流れる血が、〈紅玉〉級だと?」
名高い魔導師の言葉とは言え、とても信じられぬ。
見開かれたクロイツの瞳に疑念が映り込んだ。
その様子を傍らにカーツェルを見守りつつ、フェレンスは言う。
「ともすれば、それ以上の可能性も ... 」
「馬鹿な!! 特等〈熾金剛〉は伝説と言われている!
実際には、もう何百年もの間それと認定される者は現れていないのだぞ!?」
「しかし可能性は零では無い。かつて ... 〈あの人〉は確かに存在したのだから」
「 ... ... !? ... ... 」
負の思念が膨張し続け、発症した〈病〉の霧は欲を喰らう。
治癒に必要な秘薬の精製に不可欠とされるのは魔力ばかりではなかった。
血の魔力に比例する〈瘴気〉を活かすは、毒を以て毒を制すが如く。
故に ... ... 強い魔力を宿す人の血は、高値で取引されるのだ。
中でも、特等・熾金剛は、第一等たる紅玉を凌駕し。
燃え盛る金剛石の異名を持つ。
ところが、認定するに相応しい血を持つ者は現在、この世に存在しなかった。
彼ノ戦を引き起こした、アルシオン帝国初代皇帝 ... その人を除いては。
フェレンスの話から推測される人物の名が、脳裏をよぎった。
ユリアヌス・ゼーン・エウフェミオ一世 ... ...
「この少年が、あの一族の血を引いているというのか ... ... 」
身なりからして、無免の錬金術師か、
魔薬の違法精製取り引きに関わる輩に売り買いされた者だろう。
その程度の予想はしていたが。
腑に落ちぬ。
「いや、だが。もし本当に、そのような逸材であれば、
この界隈を一人で彷徨い歩いて無事でいられるはずがなかろう!?」
クロイツから投げかけられる問いは後を絶たなかった。
「それこそ! こんな ... 簡単に ... ぽんと現れてたまるか!!」
見やると、少年は一言。
「 ポ ン ! 」 \(*´∀`*)/
ポン! ポン! と、万歳三唱 。
とは言え、全てに答えてはいられない。
カーツェルの胸に打ち込んだ法により、蒼火を沈静化したものの。
今の彼は、とても不安定な状態なのだ。
得体の知れぬ激情に混乱し。
見るものと幻覚が重なり合う現象に怯え、震える身体。
足元で蹲る彼の肩に手を添え。
フェレンスは、そっと声をかけた。
「辛いか?」
次いでは、左腕の腹に グッ ... と爪を当て肌を裂き、差し出す。
一筋流れた血。漂う香り。
気付いてカーツェルは顔を上げた。
そして酔い痴れる。
差し出された腕に、指先を這わせ。
スルリ スルリ と撫で下ろしては、握り込み。
やがて、傷口に舌を付けるカーツェルは、
すっかりと血を舐め取ってから ... 一思いにしゃぶりついた。
〈 ジュルッ... チュ ... クチュ... 〉
その間、腕に爪が食い込んでも顔色一つ変えず。
フェレンスは淡々として述べる。
「強い瘴気に当てられ欲が増すほどに、それを喰らう〈霧〉の膨張も倍加していく。
発生を防ぐには負ノ思念を抑制するか、滅さねばならない。
対して彼に宿った冥府の炎が、瘴気を感知し過度な免疫反応を起こした。
放っておけば瘴気を発する血の持ち主はおろか、
彼自身の意識、肉体までも烙かれていただろう ... 」
するとそこに、ノシュウェルの相槌が入る。
「なるほど ... それで ... 」
けれども煮え切らない。
そこに一突き入れたのは、やはりクロイツだった。
「それで ... 理性を失っても 〈待て〉 が出来た奴への褒美と言う訳かそれは ... ... 」
あえて黙っていたのに。
言っちゃうのね、あなたと言う人は。
しかも平然として犬扱いとか、やめて。
こんな時だし、生きた心地がしないから。
心で泣いているのは隣の部隊長。
片やフェレンスの腕に チュッチュ と吸い付く大人の奇行を ジッ ... と見る少年は、
それとなく視線を遮るために立ちはだかり、せっせと横移動するクロイツと競争中。
いくら覗き込んでも見えなかろう ... ...
ムームー ムームー 唸る子の声が、やたらと耳に付くのだが。
そこは我慢の男ノシュウェル。
心を無にして遣り過した。
ドン引きするクロイツもまた、取り合わないわけにはいかないので。
引き攣った顔で訴え掛ける。
フェレンスは少しだけ首を傾げた。
「何か、如何わしい事をしているようにでも見えるか?」
察し。尚も チュッチュ と腕を吸われる当事者が尋ねると。
傍見の二名は揃って頷いた。
要するに、子供にそんなものを見せるんじゃないと。
言わんとすることは理解できた。けれども ... ... フェレンスは続ける。
「まぁ、今の彼は我を忘れているうえ、炎を縛られ
煩悩を抑制することが難しい状態なので。
こうして魔力で満たしてやるなどしなければ、他の欲が煽られ危険だ」
率直に言って、今の彼は、人を喰い散らかしかねないので。
「それこそ、性的に欲情されでもしたら困るだろう?」
「貴様! そこは、もっと違う言葉を選ばないか!!」
「何故だ。恥ずかしいのか?」
「そうではない!! そうではないが!!」
「なら、何と言えばいい。 ... ... 発情か?」
「それはもっとまずかろうが!!」
「そうか ... 」
フェレンスは空気を読んで、あえて攻めるタイプなのだなと、ノシュウェルは思う。
先の率直な例えが〈グロ系18禁〉な件には、あえて触れずに。
下目遣いに傷口を眺め、物足りなそうに唇の先で啄むカーツェル。
彼がフェレンスの腕を引いて、ぴったりと身を寄せていく様子は、確かにエロス。
かと言って、耳まで赤くして恥じらうほどか?
クロイツの斜め後ろで見ていると、
珍しく戸惑った素振りを見せる目上に思わず笑いが込み上げてきた。
すると、しがみつく肩が上下に揺れるので、はたと顔を上げる少年。
周囲が落ち着いたと知って、再度、覗き込んでみるとする。
クロイツの背に遮られた向こう側の様子が、どうしても気になった。
「 ... ン ー ... ? 」
抱きかかえられた格好のまま、めいっぱいに身を乗り出してみたところ。
フェレンスの肩口に顔を埋めるカーツェルが、床に座り込んで脱力しているのが見えた。
幼心ながら、黙って見てなどいられない気分。
「あっ ... ! こら!」
ノシュウェルが止めるのも聞かずに、脇から滑り降りて走る。
テ テ テ ... ...
「貴様と言う奴は! 主従の契約を結んだなら、主人らしくだな! もっと、こぅ、理知的に!」
テ テ テ ... ...
しかも小走り。
度々、後退りするクロイツの背中が、
ノシュウェルの懐にくっつきそうになったところを擦り抜けて、駆け寄る。
少年はやがて、フェレンスの直ぐ傍に。
見ていたクロイツは不意に黙った。
少年は何より先にフェレンスの胸元へ飛び込んでいって、
シャツの袖を ギュッ... と掴み、高らかに唸る。
「 ム ゥ ゥ ――――― ... !!」
それから、言葉にならない思いを詰め込んだ身体を目一杯、押し付けて地団駄。
極めつけに幼子は、こう言い放った。
「 シャ 、マ !! シュ 、 キ !!」
するとクロイツが、真っ先に首を傾げる。
「 ... え ... ?」
時間差でフェレンスの口をついたのは、呆気の一言だった。
一瞬、何と言ったのか分からなかったが。
尋ね返す者はいなかった。
月のように輝く瞳と、火照り赤く染まる頬と。
気持ちの高揚を抑えられずに ソワソワ とする身体。
全てを使って〈好き〉を表現する少年の健気さが周囲を黙らさせたよう。
そんな時。
これは、もしかしなくても、告白 ... か?
なんて考えたのはノシュウェル。
クロイツは意外にも冷静だった。
いや、むしろ我に返ったかのように割って入る。
「茶番はそこまでだ。今すぐに、ここを発つ。
紅玉級の魔ノ香を匂わせる血ともなれば、
少年の存在を隠し、売り買いしていた連中が血眼になって探しているはずだからな」
利用するまでもなく。好都合ではあるが。
少年の有する血の価値が桁外れなだけに、手段を選ばず襲撃してくるやもしれぬ。
フェレンスに相手をさせれば、根を突き止める策も台無しにされかねない。
一刻も早く、この地を去らねばならなかった。
少年の姿が視界に入って幸い。
焼き餅を焼いて擦り寄る少年が、フェレンスに懐き過ぎるのも ...
クロイツにとっては都合が悪かった。
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