石ノ杜~Ⅵ

文字数 9,637文字

 
 
 
空を仰げば、目眩(めくるめ)く歳月を経た巨木の枝々が(うね)りを描くかのよう。

風の道筋、水の流れに沿()う生え際の土壌は大きく(えぐ)れ落ち。
根張(ねばり)を浮かせ、身の(たけ)を遥かに越える穹窿(アーチ)を形成している。

カーツェルはチェシャの後ろを歩き、見守った。
()って登らねばならぬような斜面では、担ぎ上げてやりながら。

一方、安全の確認に余念が無いフェレンスは、常に二人の遙か先を行く。

姿が見えなくなりそうでハラハラするが。
間際には立ち止まり、取り出した懐中機器で位置確認を済ませているようだった。

嵐が来ようものなら濁流(だくりゅう)に飲まれるであろう堀りを、急ぎ下らねばならぬ。
長い々 ... 自然隧道(ずいどう)をひたすら。 先へ ... 先へ ... 。   (※隧道=トンネル)

足早に進む主に対し文句も言わず。
揚々として追うチェシャの背を見ていると、その辛抱強さも筋金入りと思う。

特異血種であるが(ゆえ)
余程の事態に(おちい)らぬ限りは、この通り ... 当然のように乗り越え歩んできたのだろう。

清々しい心持ちで。カーツェルは再度、降る木漏れ日を胸に浴びた。

ところが、そう上手く事は運ばないらしい。



--- 深淵(しんえん)(のぞ)むは、何者か ... ...

  呼び声に応えるが(ごと)き筋道を。
  毒を湛えし()(もり)(しるべ)を。

  (あば)くべき時 ... ...



彼ら三人の他、関係する幾人もの(まばた)き、(ひらめ)きが同調するかのような節目に。
転じ、深く沈む視感。



意識的暗闇を()て、それは現れた。

白藍に放光する水場の底から。
水中花を透かし蓬々(ほうほう)として浮き立つように。

水面(みなも)に揺れる水影が、一枚、また一枚。
剥がれては舞い上がり、気配を放っている。

夜光石を敷き描かれるは、
孔雀(くじゃく)尾羽(おは)を思わす幾何学的左右対称柄(ジオメトリック・シンメントリー)

「やれやれ。地下洗礼堂とは酔狂じゃないか、バノマン ... ... 」

円柱の堂内に響き渡る声は、洗礼盤の中心にある気配から発せられた。

壁面に組まれた回り階段を降りていく、初老の男が目をやると。
その赤い瞳が微光を(たた)艶麗(えんれい)(かも)す。

指先で水影を払う気配は、やがて。
(すそ)の広い衣を一枚きり(まと)い、水場の(ふち)へと(おど)り出た。

「しかも、硝子(ガラス)ノ宮の資材を運んで造らせたんだね。
 この世にシャンテの中枢なき今、何の役にも立ちはしないのに」

「神秘学者の研究材料として、保管を兼ねているのでね」
「ああ、そう」

降りて来る男を冷ややかに見つめる翠玉色(エメラルド)の瞳と。
白百合の(つぼみ)を思わす淡黄(うすき)色の髪。

身丈(みたけ)に余る衣と、(すそ)に届く毛先を揺らして首を傾げる彼は、
()も投げやりにあしらう。

「さて。それはそうと、僕はいつまで待たされるのかな?」

長居するつもりは互いに無い。
(ふく)み笑いから見て取れる意向だ。

「アイゼリアの(もり)に関した帝国の懸念を知る彼の事。
 あちらへ逃れることは分かり切っていた」

回りくどい話も極力、()けたいので要約する。

「つまりは、こうかな。
 君達、過激派(バルチザン)の追撃先送りを見通した者が ... 結社には存在する」

「そう。察しは付いているが。あの男は高位貴族、及び上院議員(マグナート)のNO.Ⅳ」

「《フォルカーツェ・L・ディート・ランゼルク》 ... 言行不一致の厄介者だね。
 僕は、あの()まわしいシャンテの竜とフェレンスが交わした
 契約の解除だけして欲しかったんだけどな。どうしても無視出来ないのかい?」

「石ノ(もり)が他の土地を侵蝕(しんしょく)し始めたのは何故(なぜ)か。その生態を(あば)く必要がある」
「まぁね。君たちにとって不都合なのはあの杜の毒 ... と言うよりは ... 」

語尾を濁し小声で笑う彼の視線は、様子に反して鋭い。

「 フフ ... それにしても、困ったな。
 せっかく送り出した使者も、あちらでは役に立ってくれそうにないんだから」

バノマンは口を閉ざし、嘲笑(ちょうしょう)する彼の声を聞きながら思索した。
それすら知られているとすれば、(なお)()せん。

高位貴族、及び上院議員(マグナート)の結社が、
禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)神血(イーコール)を求めるのは何の(ため)か。

亡国のように、魔導兵を軍に()え置くつもりなどと
幼稚な策謀を抱くのは、軍権に依存する愚か者のみであろう。

シャンテの中枢は蒼ノ要塞(シャングリラ)に移植されたのだ。
叡智(えいち)の結晶である《それら》を手に入れたところで、
要塞の(あるじ)に楯突こうなどとは馬鹿げた話。
勝る力を得る方法さえ、この世には存在しないのだから。

闇雲に策を講じるはずも無いが ... ...

(いず)れにせよ。
 我々は(もり)(あば)かれた(のち)に備えるのみ。
 使者を呼び戻すか否かは貴殿にお任せしよう」

「無駄な労力を注ぐつもりはないな。
 僕が欲しいのはフェレンスだけだから。君達こそ、好きにすると良いよ」
「であれば(しば)し、お待ち頂こうか」

流石(さすが)、宗教的過激派を率いる役者の物言いは一味違う。
彼ノ尊(かのみこと)を前に、対等な口を()いても引けを取らない。

対し飄々(ひょうひょう)と虚空を見上げる。
ユリアヌスの言説は吐息を交え、(いささ)か放漫。

「待ち遠しいな ... 早く救い出してあげたい。
 彼は僕の(つがい)であるべき存在なのに、シャンテの影に取り()かれている。
 《賢者ノ石》を造り上げるために成すべきは、僕と一つになる事。
 彼だって、本当は分かっているはずなんだ」

それなのに ... あの男が邪魔をする ... ...

彼の目色が豹変したのは、
求めてやまない人物に付き(まと)う男の《影》を連想した瞬間だった。

()まわしい、シャンテの竜め ... ... 」

その場を去る間際に見る妖雲。
(みこと)の放つ無情の風合いが足元に吹き付け。
洗礼盤を振り向けば、黒煙が立ち込めるかのよう。

枢機卿。バノマンは、それを一時(いっとき)ほど眺め立ち返る。

余分に関わるのは面倒。
()つ危険であると、彼は悟っていた。



(もり)が国境を(むしば)むなら、軍事衝突は()けられぬ。
だが、資源輸出国と争えば、自国の産業にも打撃となるのだ。

軍事力が勝るか、動力(エネルギー)資源の掌握力が勝るか。

泥沼化する前に、距離を置きたいのが両国の本音と推測する。

結社の有力者は少なからず(もり)の進行停止を望み、裏工作に着手しているはずなので。
異端ノ魔導師を送り込む策は受け入れられなくもないだろう。

とは言え、代償(リスク)は大きい。
例えば枢機卿、率いる過激派にとって好都合である事を第一とし。

その他にも ... ...

ともあれ。両国が共に、(もり)の存在する意義について触れようとしない、
... その謎に迫るなら。
何らかの陰謀が(あば)かれるであろう。

--- 彼女が選ばれたのは、そういう理由からだ。

場面は地下洗礼堂から、地上に建つ聖堂の最奥へと移り行き。
列柱廊(コロネード)にて。
枢機卿を迎えた男は、(あるじ)意図(いと)を読み解き、()い歩く。

「彼女を向かわせる準備は?」
「とっくに済んでいますよ? 出入国管理庁に穴を開けておきました。
 我々に不手際を握られ結社に抹殺されるより、寝返る。
 連中にとっては生きるための賭けなのでしょうが ... 容易(たやす)いものですね」
「彼女に薬を与えた(やから)は、まだ生きているか?」
「それは ... ... 」

バノマンの問いに対し、アシェルは少しばかり口籠(くちごも)った。
そして立ち止まり、質問で返す。

「お言葉通り、単なる生存の確認ですか?
 それとも、利用できる状態にあるかどうかをお(たず)ねでしょうか?」

対して彼の主人は、振り向くでもなく即答した。

「その両方だ」

アシェルは、(いや)らしく笑う。
指の側面を唇に()わせて。

フェレンスに仕えていた頃の修道服とも不釣り合いであるが。
(あで)やかな淡黄(たんおう)の光沢を持った司祭平服(キャソック)を着る、現在の彼とは比較にならず。

不気味。

白い柱の間から差す光を受けて輪郭を(にじ)ませる両者の影は、やがて消え。
反転していく情景は不知火(しらぬい)彷彿(ほうふつ)させた。



そこはまるで、泥海(どろうみ)(ふち) ... ...



何処(いずこ)へ誘われるや。
只々(ただただ)、信ずる者を後追うも。

二日目にして気掛かりが増えたとあって。

カーツェルの視線は、前を歩くチェシャの足元に釘付け。
思いのほか旅慣れていた幼子(おさなご)の頑張りもあって、快調なペースを保ってはいたが。
そろそろ言うべきか、(いな)か。

遥か先を行くフェレンスを見やっては、焦点を戻し悩んでいる最中。
ゆくりなくチェシャの足取りがふらついたので、彼は駆け寄った。

そして、何も言わずに手を引き込み()ぶる。

するとだ。

「降ろしなさい」

と、フェレンスの一声。

睨み上げたところ、語気を強め彼は言う。

「聴こえなかったか? ならば繰り返す ... 降ろしなさい。カーツェル」

(しか)れども、そこはあえて無視(スルー)
(まぶた)を伏せ、チェシャを背負ったまま歩き出した彼は、行き過ぎざまに吹っ掛けた。

「時々、遠くから様子を見るだけの分からず屋が何か言ってるけど、
 気にしなくていいからなー。チェシャ」

そうは言われても ... ...

困る!

聞こうとしないカーツェルと、物言いたげなフェレンスと。
交互に見て、落ち着き無く目の前の黒髪を()むチェシャは、気が気でない。

冷や汗まで出てきた。
しかし、上手く言葉に出来ないので。

「 ゥゥー ... ムー !!

降ろして! 降ろしてー! という気持ちを込めて(うめ)いていたのだ。
大した事ではないのに、険悪な雰囲気(ムード)である。

「分からず屋とは、言っても聞かない者のことを指す言葉では?」
「他にもな、察しが悪いとか、融通の利かないヤツにも当てはまるんだよ。
 今のお前にぴったりだろーが」

正直、勘弁して欲しかった。

「なるほど。であれば、もっと具体的に指摘してくれないか」
「 ... あのな、お前。この前、俺に何て言ったか覚えてる?」

「 ... ... 」
「 ... ... 」

カーツェルは気付いて欲しいらしいが。
チェシャは思う。

いや無理でしょ。
具体的にって言ってるのに。

黙り込んでしまったフェレンスは、一先(ひとま)ず思い(めぐ)らせているよう。
だが、彼の切り返しは360度の角度から、こうだ。

「もう一度、言うぞ?」
「もういい!! 気配りを忘れるなって話だよ!」

どうやら パッ と思い出せなかったみたい。

でしょうね!!

けれども悔しい。と、言うか。拍子抜け。
カーツェルもチェシャも ガクン と肩を落とすが、即、持ち直し(うった)えかけた。

自分で言っといて何だ。とまでは言わないが。

(そば)に居られなかったんだから、そりゃ仕方ねーし。お前のコトだもんな。
 どーせ、やり抜こうとする子を余分に甘やかすのはどうか ... なんて思ったんだろ」

フェレンスは真剣に耳を傾けている。

「でもな ... 」

カーツェルは一旦、話を区切って何やら ゴソゴソ と音を立てはじめた。
そうして、お()ったままチェシャの片足を取り。
パッ と小さな素足を晒して見せながら言い放つのだ。

「もう、足のマメが潰れそうなんだよ!」

見て納得。

はたと数回、(まばた)いたフェレンスの手が、幼子(おさなご)(かかと)に添えられる。

履物(はきもの)が合っていなかったか」
「ロージーも、コイツが着の身着のまま旅に放り出されるとは思わなかったろうからな」
「ふむ ... 」
「俺たちの服は合うように(こしら)えてある。けど、さ ... 」

一度、屋敷を出てからチェシャの(よそお)いは変わらない。
町の子らと(まぎ)れ目立たぬよう、適当に揃えられたものだった。

臙脂(えんじ)色のフード付きケープも、よく々見れば。
あちらこちら、毛羽立ちが目につく。
枝葉に(こす)れた跡だろうか。

それはそうと。

カーツェルが何か言いかけたと思ったが。
すっかり黙ってしまったので。
疑問に思い顔を上げて見ると、バツが悪そうに目を()らす。

無頓着だが冷静、()つ素直なフェレンスの受け答えを聞いて、
少しばかりムキになってしまった事を反省しだしたよう。

すると、フェレンスの口元から吐息のような笑みが(こぼ)れ。
彼は(たず)ねた。

「当初から気に掛けていたのか」
「うん。だってさ ... 」

片や、なお口籠(くちごも)有様(ありさま)

そっぽを向く(あご)の側面に指を突き、
正面を向くよう仕向けたフェレンスは ... 一言、(ささや)く。

「良い子だ ... 」

カーツェルは ドキリ として息()いた。

時に(みょう)な言葉を使う。
からかっているのか、どうなのか。

()れど本人は、何気無し。
さっさとチェシャを抱き降ろしたうえ、木の根元に座らせて足の具合を診ている。

そこで、何がそんなに気不味(きまず)いのかと言うと。

こんな事で一々赤面している自分だ ーーー !!

《あぁあぁあぁぁぁぁぁ゛ーーーーーーーーー!!》

思わず背を向け別の木を殴る(グーパン)

《 ゴスッ !!

鈍い音がしたので見やるチェシャは、
ああ、またか ... と、思った。

しかし気になるのは、もう一方の反応である。

向き直ると、フェレンスの口元に浮かぶ笑み。
素知らぬふりをしているのだと分かった。
取り出した手巾(クロス)を折り、処置しながら彼は言う。

「ところで、何故(なぜ)こうなる前に言わなかった?」

当然の疑問だが。
不意に痛いところを突かれたものだから、つい(うつむ)いてしまう。

唇を(とが)らせるチェシャを見たカーツェルは、()かさず間に入った。

「つーか、お前が感じ取った通り。
 足手まといになりたくなくて頑張ってたんだろーが。責めるトコかよ」

「そうではない」

対して即、返す。
フェレンスは思慮を重ね、加えた。

「だが(ねん)(ため)、確認しておきたい」
「確認?」

「自身の血が特殊である事。
 流血してからでは対処し(にくい)い事。
 その点については、チェシャ ... お前が一番よく分かっているはずだな」

チェシャは黙って(うなづ)く。

「ならば、私が伝えておきたい事は三つ」

フェレンスの声は(おだ)やかだった。

目を見て耳を(かたむ)けている幼子(おさなご)と、向き合う彼。
眺め、ゆったり息を吐くカーツェルは、やれやれ ... といった気分。

一つ。指を立て、彼は言う。

「自立心が強く、何事も懸命なのは良い。
 だが、意地になってもらっては困る」

二つ。足される指。
勿論(もちろん)、真面目な話だ。

「カーツェルは魔ノ香(マノカ)に敏感な体質だが、私はそうではない。
 それとなく(あず)けきりになってしまう事もあるので、彼の不満は(もっと)も。
 だが、そこは ... その都度、反省していく」

けれども。

え、待って ... ...

二人は同時に思った。

その都度? ... ...
ああ、(なお)す自信ないのね ... ...

ツッコミを入れたいのは山々だが。
()く言うフェレンスは気にも()めていないようなので、飲み込む。
そう、集中して聞かねばならぬのだ。

なのに。なのに ... ...

カーツェルめ、背を向け密かに笑ってやがる。
気が散って仕方がない。
けれどもチェシャは()えた。

三つ。フェレンスは続ける。

保護符(メダル)魔ノ香(マノカ)の拡散を防いでも、鼻が利く魔物(キメラ)は見通す。
 なので、次からは何かしら知らせてくれると()(がた)い」

終わりにチェシャの頭を()でて微笑む彼を見ていると、気持ちが(なご)んだ。
落ち着いた頃に振り向くカーツェルは、あらため実感する。

これが、彼の《(まこと)の姿。
そう無闇に(しか)ろうとはしない。
底知れぬ優しさを秘めた男であるのだと。

とは言え、何だ。視線が痛い。

想いに(ふけ)っていた彼は次に。
ガンッ! とこちらを睨むチェシャと目が合い、面食らって驚いた。

「え!? 何だよ!?」
「 ンン ... ム !! ツェル 、メ !! ノ 、 ンムム --- !!

指差し、名指し。

文句を言われているのは分かるのだ。が、内容までは、どうにもこうにも。
すると、チェシャを抱き上げ歩き出したフェレンスから一言、投げられる。

「真面目な話を聞いている時に笑ってんじゃねーよ。だ、そうだ」
「え!? だって、それは! お前が《その都度》とか、微妙なコト言うから!」

実は、カーツェルの様子も(あま)さず把握していたよう。

()ノ魔導師 ... (あなど)れぬ。下僕(しもべ)は思った。
《 ンムム 》を、どう(やく)すれば、今の解釈に(いた)るのか。

「それに! チェシャは、そんな口の利き方しねーだろ! なぁー? チェシャ~?」

苦し紛れ。

フェレンスの肩越しに顔を出すチェシャに問いかけてみるけれども。
所詮(しょせん)、ダメ押しだった。

《 ヤダ、この子。 お前がソレを言う? みたいな顔してる!!》

トボトボ ... だいぶ遅れてから二人を追う。
カーツェルは、心で泣いていた。



云々(しかじか)。所、変わる。
石ノ(もり)、圏内。



帝国中部より南下する分水嶺(ぶんすいれい)に沿い連なる山岳を、
西へ越えたフェレンス達とは(こと)なり。

国境から南へ向かった(のち)
急ぎ、石ノ杜へと逃れたクロイツ一行の現在に至っては。
(おおむ)ね、想定された通りの運びとなっている。

アイゼリアの国境警備隊によって拘束された彼らは、事無く尋問を済ませ。
相手方(あいてかた)、指揮官を通じ交渉を持ちかけたところ。

長い年月と雨風により岩崩れし、形成された洞穴(どうけつ)の深部にて。

《 ジャリリ、ジャリリ ... 》

響く足音。

目の前を左右に行き来する男を目で追うノシュウェルは、浅く溜息して項垂(うなだ)れた。
足元は、骨とも見紛(みまが)砂礫(されき)(おお)われている。

石ノ(もり)と呼ばれる由縁(ゆえん)だ。

大地を侵蝕(しんしょく)し、毒を生成する植物生態の最末期に見られるという白石化。
その深度を探れば、(もり)の向かう先が見えてくるというもの。

だが、知る手立ては今のところ無い。

連行されている間は目隠しされていたので。
現在地すら把握できていないのだ。

知ったところで、今更だが ... ...

そして思う。

それよりも気になるのは部下達の安否。
一人々(ひとりひとり)、尋問を受けたとは思うが。
水や食事は与えられているだろうかと。

与えられているのであれば安心。と言うか。
出来れば自分も、そちらへ混ざりたい。

なんちゃって。

そう。部下達はどうか分からないが。
彼ら二名には、水しか与えられていなかった。

帝都を脱してから五日()つが。
それでも(なお)、ギラギラとした眼光を絶やさず。
目の前の男を睨むクロイツの根性には心底、関心させられる。

まぁ、何だ。

自分も軍人である(ゆえ)
そういうものだという事は理解出来るのだ。

相手から()られる情報は如何程(いかほど)か。
()かすに値し、利用可能な人物であるか(いな)か。
見定めるためには極限に追い込む必要があると。

しかし、交渉に持ち込むつもりであったのだから。
穏便(おんびん)に済むものと見越して、一言。

そろそろ、食事くらい出してもらえないかなぁと。
言ってみたくもなる。

なのにだ。隣に居座るクロイツ。

この人ときたら ... ...

一昨日、切り出してみた時ね。
聞くなり、人の足を踏みにじったのね。

どんなに痛かったか。

聞いてくれる? 聞いてくれる?

ではまず。ご想像、頂きたい。

食事と言いかけたところで、
クロイツの(かかと)(ひざ)の高さまで上がるのが見えたのだ。

どんだけ ... って話だよ。
あ れ は 痛かった。本当(ホント)

いつかは部下にでも聞いてもらいたい。
ノシュウェルは長いこと考えていた。

大声を出したら、追い打ちの壁ドンパンチが来ると思い。
口いっぱいに(うめ)きを頬張(ほおば)って()えたのに。

『交渉に持ち込むまでが肝心なのだ。
 軽んじるられるような無様を(さら)すなど、許さんぞ ... 』

小声で釘を刺す、ドスの()いたクロイツの声が恐ろし過ぎて。
若干、トラウマ。
交渉中であろうと、安易(あんい)に口を(はさ)む気にはなれなかったのだ。

《 ジャリリ、ジャリリ ... 》

行き来する足音は止まない。

(かた)やクロイツは、終始、男を睨み続けた。

国境警備隊の制服ではなく。
フード付き外套(クローク)に民族色の強い(よそお)い。

民間に紛れて活動しなければならない官職と言えば、
隠密(おんみつ)と相場が決まっている。

関係者に身分を知らしめているのは、胸元に光るアイゼリアの徽章(きしょう)だ。

「居所は掴めたか?」
「いいえ。そればかりか、国境を通過した形跡も確認できていないようです」

「帝国からの要請は?」
「変わりありませんね。逃亡犯引き渡しに関してのみであると」

「あちらも魔導師の行方(ゆくへ)を特定するには至らぬか」
「ええ、まあ。そこに居る二人の言っている事が真実であればですが」

聞き耳を立てていると。
《異変》が生じた気配も無く、膨大な魔力の放出も観測されてはいないらしい。

「しかし、帝国ばかりか我々の探査網まで()(くぐ)るなんて。オレには信じられませんよ」

紅玉(ルベウス)を連れた帝国魔導師が軍規を乱し、
国を脱したという話を聞いて、目の色を変えぬ軍人など居ない。

それを聞いた連中の反応を、一瞬ばかり思い返すが。
不必要に口を開こうとはせず。
ノシュウェルは横を向いて、クロイツの様子を(うかが)っていた。

何せ、この通り。確たる証拠が無いのだから。
嘘か(まこと)か。
虚言と見做(みなさ)されてもおかしくはないので。

さて ... どう切り返すものかと。興味津々である。

すると、薄っすら開く唇。

笑っているのか。
目元に(くま)(こしら)えても、陰らぬ威勢。
クロイツは断言した。

「悪名、名高き《異端ノ魔導師》には、それが可能なのだ」

振り向く連中は、揃いも揃って顔を(しか)(たたず)む。

「信じようが信じまいが、貴様らの勝手だがな。
 一方にとっては、たかが不法入国者。
 また一方にとっては、不審をはたらいた程度の軍人。
 にも関わらず、この様は何だ。考えてもみろ。
 わざわざ密偵を差し向けるほどの事か?
 重犯と断定するには日が浅すぎる割に、決めつけて掛からねばならぬ理由とは何だ?」

交渉を持ちかけておきながら(わきま)えもせず、高圧的で(しゃく)(さわ)るが。
その場に居合わせた者、皆で考えさせられた。
対して連中の仕切り役が言葉を返す。

「双方共に、知られたくない事情から相手の目を逸らそうと画策している ... とでも?」
 
ニヤリ ... クロイツの笑みは不敵。

どうよ、この顔 ... ...

辺りを見やると、報告をしていた側の男が後退(あとずさ)る動作を目にし、
共感を覚えずには居られない。ノシュウェルは思った。

引くよなぁ ... ...

分かるよ、その気持ち。
それはそれとしてだが。

クロイツの話は(あなが)ち当てずっぽうでもなさそう。
公判を控えた異端ノ魔導師と、その下僕(しもべ)の動向、全て憶測であるにも関わらず。
隠密(おんみつ)と思わしき男が(あらわ)れるや、見計らったように交渉を始めたのだ。

この人が敵じゃなくて(さいわ)い。
心から、そう思う。

続けて見方を示すクロイツは淡々としたもの。
仮に両国が魔導師の足取りを掴んでいたとして、言う理由(わけ)がないとの事だった。

名のある魔導師の確保は国益、安保推進に結びつく(ゆえ)
利害を見極める必要こそあれ。
理に(かな)いさえすれば、例え余所(よそ)で法を犯していようが自国には何の不都合も無く。

唯一(ゆいいつ)、問題があるとすれば。
提示されるであろう条件。

つまりは、見返りである。

「 ククク ... あの男の利用価値は計り知れんのだ。
 国家機密に触れる事もある隠密(おんみつ)なら。
 誰に会わせるべきかくらいは、見当が付いているはずだな?」

「 ... ... 」

「異端ノ魔導師を甘く見ると高く付くぞ?
 (もっと)も我々であれば、あの男を黙らせる事など容易(たやす)い」

「 ... ... 」
「ヴォルト ... 危険です」

後退(あとずさ)りしたままの男が、仕切り役を見て言う。
例え真実を述べているとしても、魔導師と結託(けったく)した工作員である可能性は(いな)めない。

分かっている。

だが、彼は異例の決断を下した。

「エルジオ。二人を連れて来い」
「え!?」

「その他は拘留措置(こうりゅうそち)を継続する事」
「いや、でも! と言うか、まさか! 謁見(えっけん)させるつもりですか!?」

「機密事項を(ごく)内々(ないない)(とど)めながら
 即、我々を差し向けられるのは、あの方しかおらんだろう」
「それは、確かに ... オレもそう思いますけど!
 でも、ヤバイと言うか。マズくないですか!?」

見ていると、片方の取り乱しようが半端ない。
まだ若いとは言え、一介(いっかい)の暗躍者が戸惑うほどの人物とは。

「まさか、国王じゃないですよね?」

声を(ひそ)めるノシュウェルに、また小声で返す。

「そう。飾り物に隠密(おんみつ)の指揮が務まるはずはないのだ」

クロイツの顔色は心做(こころな)し明るい。
何日も水しか与えられていないというのに。

この人、本当に図太いな ... ...

流石(さすが)、俺の見込んだ人だ。ああ、あなたのコトなんですけどね」
巫山戯(ふざけ)るな。自惚(うぬぼ)れ屋に言われる筋合いは無い。私の格を下げるつもりか」

「いえいえ。滅相(めっそう)もない」

とりあえずは、これで。食事にもありつけるだろうし。
()(かく)、感謝の気持ちを伝えておきたいだけ。

「ありがとうございます」
「 ... フン 」

素っ気なく顔を(そむ)けるクロイツであるが。
と、言うことはだ。満更でもない気分なんだなと。

そう考えれば、つい:頬(ほほ)が:緩(ゆる)む。

交渉の第二段階は、いつ頃になるやら。
先は長そう。

けど、まぁ、この人となら切り抜けられるに違いない ... ...

ノシュウェルの心持ちは安らかだった。
 
 
 
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登場人物紹介

◆フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ


故国・シャンテの生き残り。

《千ノ影》を宿す男。


錬金術、魔術、魂魄召喚、禁呪とされる魔導兵召喚術を扱う。


戦犯として裁かれるも、失われし禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)のありかを突き止める事を条件に恩赦を受けた帝国魔導師。

アルシオン帝国軍管轄下、高等錬金術師団所属。特務士官。


訳あって薄情者と言われがち。感情に乏しい。自覚はしている。

交友関係にある者への誹謗中傷だけは論外。そうと知れば制裁を躊躇わない。


◆カーツェル・D・アード・ランゼルク


アルシオン帝国、公爵家子息(次男)。


幼きに母失踪。父、ハインリッツェ・A・ヴァート・ランゼルクは帝国軍大佐で婿養子。宗家、家長は存命していた祖父。そのために身内の権力闘争を見聞きし育ち、一族を嫌悪するようになった。


父を尊敬し、文武とも好成績。だが言行は粗暴で捻くれ者。しばしば父と作戦を共にしていた異端ノ魔導師に漢惚れし、『いつかは部下にしてやる』などと言って付きまとう。散々無視されるも諦めなかった。フェレンスの悪口等耳にすると黙ってはいられない。喧嘩の売り買い過剰で問題児リスト入り。


士官学校卒。


彼には救いたい人がいる。フェレンスが蔑まされながら孤独に生きる姿を見るのも嫌。しかし傍にいれば陰謀に巻き込まれ命が危うい。フェレンスに避けられ続けた彼が思い至った解決法は... 彼と禁断ノ契約を交わし、絶対服従の《魔導兵》となる事。


◆チェシャ


フェレンスとカーツェルの前に突如として現れた謎の少年。


訳あって上手く会話する事が出来ない。舌っ足らずの片言。


血に驚異的魔力を宿す。その等級は二等:紅玉(ルベウス)、もしくはそれ以上。

フェレンスの魔ノ香(マノカ)に惹かれ懐いた。


魔ノ香とは。特異血種とみなされた者の血に宿る魔力と、それに伴う瘴気の醸す香り。

魔物(キメラ)や、等しい存在にしか認識できないはずのもの。


◆クロイツ


軍警を主体とする治安維持機構所属の監視官。


要監視対象として挙がる人物を見張る。

担当は異端ノ魔導師、フェレンス 。


高圧的で気難しい性格をしているが、子供好き。策略家。


◆アレセル


クロイツの実弟。だが腹違い。

実母は娼婦で霧ノ病を発症し討伐された。

義母を尊敬し、子として愛し愛されたが、またしても霧ノ病で失う。


人の心を失いかけた当時、闇魔術に手を染めるもフェレンスと出会い更生。

以来、彼の愛はフェレンスに向く。人脈の形成、諜報力に秀でる。

◆翠玉碑 (エメラルド・タブレット)

故国・シャンテの中枢に収められていた叡智ノ結晶。

彼ノ戦により砕かれ、その多くが行方不明。

◆千ノ影

彼ノ戦の犠牲者。シャンテの民の霊。

一部はフェレンスの扱う魂魄召喚にて戦闘可能。

筆頭は亡国ノ英雄。黒ノ竜騎士・グウィン。

◆霧ノ病

心身が麻痺していく病。
発症し悪化すると身動きもせず、飲食すらしなくなり衰弱。


あらゆる想いの境地に至る人の心に穴を開け、冥府ノ霧を呼び込む。

冥府ノ霧とは、悲しみ、怒り、妬み等、人を惑わす負ノ思念。


霧は欲を喰らい、無我ノ境地へ誘われた者は無垢なる狂気を発症。

やがて魔物(キメラ)化する。

◆複合錬金

特殊錬金、キメラ錬金とも呼ばれる。

由来が異なる複数のエリクシールを掛け合わせる法。
それによって生じた存在は安定化させる事が難しく、禁じられている。

◆魔導兵

神々ノ器とも呼ばれる。

亡国ノ魔導師と禁断ノ契約を結んだ下僕。


複合錬金により身体を強化。

覚醒→魔人化→神化。

三段階の変身が可能。

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