魔ノ香~Ⅱ
文字数 4,279文字
「ユリアン ... ... 」
旧友の名を幾度となく囁くフェレンスの声を聞きながら、切なげに彼の頬を撫で下ろす。
そんなカーツェルの背を見守ること、さて、今日で何日目になるだろうか。
クロイツと、その一行は、護送の中継地であった自治区の医療施設に留まり。
フェレンスの回復を待ち続けた。
境界より帰して後。
二日目には聴取を済ませ。
三日目にはノシュウェルに作成させた報告書の、確認と送付を完了したが。
カーツェルは依然として、気の休まらぬ時を過ごしている。
昏睡状態を脱したと思われるフェレンスが、一向に目を覚まそうとしないのだ。
多数の魂を精錬することにより、
神の意識における〈格〉の一つ、 戦神との融合を果たす。
〈神化〉 と魔導兵召喚の関連を認め、証言するカーツェルの表情は終始、虚ろ。
両袖の際に覗く〈枷ノ刻印〉すら、隠そうともしなかった。
より蒼味を増して際立つそれは、焼刃で彫り込まれたかのよう。
彼の傍で眠る、フェレンスの左下瞼に現れた印も同様。
専門家の見立てによれば、禁呪の使い手に下される烙印とのことだが。
神化を魔導兵召喚などと巧言した末裔の処罰は免れないだろう。
崖を切り出した小道に立ち、商業区の町並みを見下ろしながらクロイツは予測する。
療養所の間近に広がる果実園には、了承を得て駐留する隊のテントが複数。
見渡せば、赤や黄色、そして桃色。
鮮やかに色付く実り前の木々と花々で溢れる段畑。
帝国に属す伯爵領の一部は商業自治区として開放されているが。
一見すると、平凡な農地である。
けれども、それは地平に限られた話。
ならば見る角度を変えてみよう。
例えば空を飛ぶ鳥の目には、どう映るのか。
遥か山間の水源から引かれる数多くの水路と。
赤い煉瓦作りの汲み上げ風車が集中する、そこは正に。
大地の割れ目に沿う小都市。
地下数十階の規模で掘削された街の中心には、配水塔が聳え。
小道を縫う流れの照り返しと、水底に仕込まれた燈石の灯りを受ける通りの天面には水影が揺らぐ。
運河を利用した移動や運搬も盛んに行われているので。
農園の合間を往来する中型船が、突然、消えたりもした。
船の昇降を可能にする水位堤が、いたる所に存在するためである。
一方、日当たりの良い環境を意識してか、医院と療養所だけは地上に建設された模様。
季節によって、花々の香り、果実の香りと様々な旬を醸す風土。
心と身体を癒やすのに、これほど適した場所は無いだろうと思う。
納得の情緒だった。
移送中、滞在する予定など無かったが。
状況も状況であったため。
カーツェルたっての願いに押し切られたかたち。
フェレンスが纏うローブの治癒力は、着る者の魔力に依存するなど。
込み入った説明がなければ、無視していたやもしれぬ。
しかし、多頭引き大型馬車に揺られながら、交替で魔力を注ぎ続けるにも無理があるため。
それなりの設備が望める施設と、それから、治癒専門の錬金術師が在住する近場として。
ここ、〈リーズヴェルグ自治区〉が挙げられたのだ。
しかし、まぁ、実のところ。殴り合い寸前まで揉めたわけで。
クロイツは移動中を回想しながら、息を吐き捨てる。
『そもそも、お前らの魔力で足りるワケがないんだ!!
頼むから! リーズヴェルグで馬車を止めてくれ!!』
『黙れ! 微塵の魔力も持ち合わせぬ分際で、どの口がほざく!?』
治癒の法を扱える者なら複数人乗り合わせていた。
なのに聞かないカーツェルと、襟、袖、引っ掴み合って言い争うこと暫し。
癪に障ったために脇腹を蹴り上げても、
その手を離さなかったカーツェルの ... あの目を見ていられずに。
思わず視線を逸らしてしまった。 その時だ。
クロイツの様子を逐一見ていたノシュウェルの独断により、停車が指示される。
『やれやれ ... お取り込み中、申し訳ないが。ちょっくら失礼いたしますよ ... っと』
何喰わぬ顔で割って入り。
毛布に包み寝かせていたフェレンスを抱き起こしながら、彼は続けた。
『そうこうしているうち、火傷の下が腐っちゃ適いません。
この御方のことですからな ...
五体満足にといかなけりゃ、上からの言い掛かりにも四苦八苦する事になります』
『貴様 ... ! 余計な真似をするな!』
クロイツの切り返しも突っ撥ね。
ノシュウェルは馭者に医院を目指すよう伝える。
『いやいや。要、不要に関わらずですな。
異端ノ魔導師の治癒に努めた次に、監視官殿 ...
あなたが倒れるのは目に見えているのでね ... ... 』
地位や権力に服すだけの人間が持つ目色ではなかった。
医院を訪れると、運び出される主人に付き添い歩くカーツェル。
彼らを見送った後。ノシュウェルは、こうも囁いた。
『あなたに従うのが私の仕事だ。
つまり、あなたが居なければ成り立たないわけです。
職務として良しとするにも、あなたの信念あってこそなもんでして ... そう、
信念というのも、一時の気分によって左右されて良いものではないはずだ。
見失わないで頂きたい ... ... 』
まぁ、要するに、皆々健康第一なのですなぁー ハハハァー ((*´ω`* ))
などと後付けして福々と笑いながら。
〈いや、待て、今の顔 ... ... 〉
馬車の外で見ていた兵の数名が同じことを考えたらしいが。
案外と気付かぬものなのか。
対し苦笑いする、クロイツの柔らかな面差しを目に留める者はいなかった。
それが確か ... 四日目の出来事。
五日目には、伯爵領遠方に出ていた誉れ高き錬金術師が到着する。
老術師は、フェレンスを診るなり事の重大さを把握し口を噤んだ。
「なんたることじゃ ... 」
高等錬金術師団所属の魔導師が、重症とは ... ...
数時間置きに施される治癒の法。
神経の接触構造に取り憑いた呪毒を解きながら。
時に老術師は、カーツェルが掛け置いた紫紺のローブを見て唸る。
「火喰い鳥の羽根に ... 千年貝 ... それに魔青鋼 ... フゥ ... ム ... 」
再生に関連する宝具を錬合し織り込んだものと見て、感嘆の溜息まで溢していた。
珍しいのかと尋ねると。老術師は、こう答える。
「そうですな。冥府の炎による凍傷をも癒やす効力とあらば。
儂のような術師の端くれなんかより、断然、
この御方の造られた法衣の方が格上ですじゃ ... 」
生気を取り戻し、血が魔力の供給をはじめさえすれば、ローブで身体を包み安静を保つのみ。
だが、最後に指摘しておかねばならぬ。
「それより。今、心配なのは ... むしろ、お前様の方ですぞ」
カーツェルを振り向く老術師、あえての計らいであった。
なのに、言われた当人は聞いているのか、いないのか。
カーツェルの献身ぶりは、看護師の関心を通り越し ... 胸を痛める程だったという。
そして、その次の日も。
相変わらず、食事もせずにフェレンスの隣で惚けているのだろうかと。
半ば呆れ、経過を見に訪れるクロイツだが。
彼は一瞬、我が目を疑った。
フェレンスの眠るベッドの傍ら。
いつもならばそこに居て、こちら側に背を向けているはず ... ... なのに。
カーツェルの姿が見当たらないのだ。
何事だ ... !?
咄嗟の事。部屋の窓に貼り付いて顔を顰める監視官の奇行に、
同廊下を歩いていた看護師と、ドアの横に立つ見張り役が揃って肩を跳ね上げ、驚く。
足早に横を通り部屋のドアを開いたクロイツは、見て納得した。
「おい、見張り ... 貴様は案山子か ?
だとしたら早々に辞表を出したうえ、
畑の真ん々中、好きなだけ居眠りするがいい。この、役立たずめ」
寝てなんかいないのに、睨まれ狼狽える見張り役だったが。
クロイツの視線を辿る彼は、すぐに自身の不甲斐なさを自覚した。
心地良い日和。
爽やかな風を頬に感じれば、目を覚ますやもしれぬ。そう考えたのだろうか。
席を立ち、窓辺まで足を運ぶ途中。力尽きてしまったと思われる。
静かな部屋の奥には、ベッドの横で床に身を横たえるカーツェルの姿。
過労であった。
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