霧ノ病~Ⅳ
文字数 11,151文字
町医者は採掘場に程近い診療所を、ただ一人、任されていると聞いた。
実際には結構な距離である。
丘を登りきったところで風を背に振り向いてみれば、
石造りの町を一望するに余る景観。
対して、採掘工舎の立ち並ぶ地帯は、
物の密度の割には人気を感じない違和感もあってか、閉鎖的な雰囲気を肌に感じる。
かつては昼も夜も無く、交替で働いた鉱夫たちも、今や
蒸気機関の
渡っては
稼働する様子を時に見上げながら、カーツェルは歩いた。
そうして、ようやく診療所まで
しかし、受付を目の前にした彼は
仮にも医院ともあろう施設の窓口が
仕方なく、施設関係者を探し病舎
路端の
時間を持て余して悠長にしているのは、老人や療養中の患者だけではなさそうだった。
落ち着いて挨拶し事情を説明すると、看護婦は
「いやぁ、驚きましたよ ... 帝国お抱えの魔導師様がお見えになっているとの
耳にしておりましたが。その、
私はこの診療所を任されている医師で、グレコヴィッチと申します」
診断を終えたらしい老婆と行き違いに通された診察室にて。
気さくに挨拶し、手を差し出してくる中年医師。
「ご用件については、だいたいのところ想像がつきますが。
直にお
指先と視線を椅子に手向ける医師は、カーツェルに着席を
しかし、手短に済ませるつもりで立ち居たまま。彼は姿勢を変えなかった。
「まずは、私的要件で突然にお伺い致しましたこと、お
フェレンス
本来であれば加えて、時候挨拶と恐縮の意を
医師は苦笑して手のひらを見せ空気を押してきた。
貴族や高官の下回りが
気遣い無用と伝えたいようだ。
用意していた言葉を飲み込み、一つ
「では、単刀直入に申し上げます。この度は一つ、お願致したく思い
カーツェルは言った。
「霧ノ病を患う者への、無意味な調薬と投与を
詳細については周知のことと思い
医師ならば当然、学会を通じ情報を共有しているはずなのだ。
すると、念の為か... 医師は問い返す。
「 ... ... それは、貴方のお仕えする魔導師様の
権限、そして責任を問われる発言であることを警告しているのだ。
瞳を閉じ一呼吸置いて、カーツェルは答えた。
「いいえ。あの方が他分野の施策に干渉することは決してありません。
ですが私個人として、どうしても見過ごすことが出来ないのです」
あえて言葉にはせず、相手の目をジッと見て
効果が見込めるならまだしも。次期を誤り変異体に投与すれば
薬効まで変え吸収し、武器として
いくら地方の町医者と言えど、事例報告を受けていなとは言わせない。
また、そういった危険性も
患者の親族である少女に金銭的余裕がないことくらい ... 言わずもがな。
医師は、そんな彼の思うところを察して、それ以上に
しばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「困りましたね。帝国軍に所属する魔導師様のお言葉とあらば、従うしか道はありませんが。
そうでもない限りは、薬を求める人々次第ですから ... ...
もしも、あの少女がそれを聞いて納得するならば。構いませんよ ?
しかし、世の中そう上手くは回らないものです ... ... 」
傍ら、机の上にあったカルテをファイルに戻し、
片付けを済ませようと待っていた看護婦に手渡して。
更に続ける。
「私だって、自覚はしています。
我々医者の至らなさも、属する分野で得られる知識だけでは、
錬金術師は
重々しい空気が
どうやら、金儲けのためにそうしていたわけではないよう。
カーツェルは聞いていて胸を
話半ばに差し当たった時だった。
「ですが、私は
突然、話を切り返してきた医師の、真っ直ぐな
「貴方は、病に
知らず識らず表情が曇る。だがカーツェルは医師の述べる所感に耳を
霧ノ病とは、〈地獄の霧に毒される〉と彼の民が
ところが、その実態を知れば、とても病とは言いがたく。
医療薬が役に立つかどうかなんて、正直はなから期待してなどいない。
医師は本心を言い
現実的に
もしくは、
いずれにせよ、薬でどうにかなるものでは無いことは明らかとして。
「それなのに。実際に治癒が可能なのは、
特にも優秀な魔導師様だけと言うではありませんか」
指折り数えられる程度。極少数の
近年では増加の
病状によって優遇される者と、そうでない者と、分け
そんな有り様で。
全てに対応することなど不可能。 仕方がないことも分かってはいる。
しかし、変異後に討伐される者の
あの少女もまた、その一人だったのだ。
医師は繰り返した。
「そんな、あの
窓辺に差す光が、祈りを
しかし、カーツェルはと言うと。目元を
「理解だと ... ?」
「やっぱり医者なんて、どいつもこいつも厚かましい奴ばかりなんだな」
物言いも一変する。
顔の横で嫌気を払うように手を振りながら、うんざりした顔つきで診察用ベッドに
ふてぶてしくシーツに手をつき脚組までして、不適に笑う。
そんな彼の態度に気分でも害したか。
医師は、目もくれず正面の壁を不穏な眼差しで凝視していた。
どいつもこいつもとは言ったが、
黙り込んだ医師を
「心から配慮するなら増してや、
患者や家族に無駄な負担を負わせるような
結果、裏目に出てんだよ ... ... 」
帝国政府内の、よく似た連中のことを思い出した。
「まぁ。そんな奴に言うだけ
人を救うため医者になったってのに、金がなきゃ出来ない、
出来ないんじゃ意味がない、ジレンマだよなぁ」
「気休めだろうが、何かしたいという人の手助けくらいはしても良いのでは?」
「何をしたって結果は変わらない、そんな局面で... 金だけとって見送るのか?」
「 ... ... ... 」
アイツは違う ... ...
『カーツェル。私は、異端者と呼ばれる事に抵抗など無い』
こんな時に、また
普段は白の修道服に身を包む、かつての彼の装いまで。今日に限って、より鮮明なのだから不思議。
『正しいことがしたくてそうしている
正直、興味すら無いのだから。 どう思う? カーツェル ... ... 言われて当然と、思わないか?』
学院で大勢を相手に殴り合いをした日。
そう言いながら、こちらの服の
そんなアイツの微笑みが ... むしろ一番、
『だから関わるなと忠告したのに。お前という奴は、とんだ変わり者だな。
異質に思われて当然な私のことで、どうしてお前が
私の成すべき事が必ずしも人々を幸福にするとは限らない。それなのに、
カーツェル ...
あの頃は何と言って返したら良いか分からなかったが。
もっともであると感じ、アイツのことを思い切り蹴飛ばし半泣きで帰宅した。
本物と見込んだ者が世間に
なのに、当の本人はそれでも良いと言うし。
周りは勝手な解釈で、自分たちが納得できるようにしか考えない。
「けど、どうでもいいか ... 」
「
... 親切を
彼はその時、主たる者のことだけを考えた。
そうでもなければ、ふざけるなと言って食って掛かっていただろう。
しかし彼は、あの日から変わったのだ。
そう、あの日 ... ...
体勢を崩したフェレンスは、それでも嫌そうな顔一つせず。
見ていられなくて立ち去ろうとした彼を
『カーツェル ... ! 考えや価値観は人それぞれだ。
しかし、お前には 〈押し付けたり〉〈押し付けられたり〉 で
対立することしか知らないような人間には、ならないで欲しい。
だから、どうしていいか分からないと言うのであれば、
... 今回のようなことになる前に、私のところへ来なさい』
もう二度と無視したり、お前を
約束する ... ... と。
他人との関わりに一切の興味を
ただ、
初めて、友として
それからというもの、彼はフェレンスの言葉に
アイツの力を利用する ... ... 本物と認めた男に認められるため ... ...
理由はそれだけでは無くなった。
その時、最終的に告げられた言葉が要因である。
『
例えば、そう。もしまた今回と同じようなことが起きたとしよう。
その場合おそらく私は、私のことでお前を傷つけた者たちに
制裁を下しに行くだろうから、事態は更に悪化する。
分かるか ? これは、私がお前を
あの男ときたら、自分はいくら悪く言われようが平気なくせに。
自分と関わった者に何かあった場合は、そうはいかない ... などと
と言うか。制裁やら悪化を前提にして話すなよと。あらためて
けれども、成すべきと思うことの善悪など、考えたことも無いと話す男の言葉だ。
ある程度、言う事を聞いておかなければ。
一体、何を仕出かすものやら。まず想像がつかないのだから。
まぁ、仕方ねぇよな。 ここは
カーツェルは思った。
『日々、何かを恐れて過ごす人々が、私の成すべきを驚異と
だが、そんなことで世界の
私を見ろカーツェル。お前の目の前にいる男は、
人々に
アイツは、フェレンスは、世の中のどんな風潮にも左右されることは無い。
底知れぬ闇と、無限を秘めた光りの
見る角度によって、その姿を変えるような存在。
人々の恐れと向き合い、共に歩むことを恐れぬ。
そんな奴と
そう考えると、むしろ医師が
多目に見てやろうという気にもなるわけだ。
一時的な怒りに
カーツェルは落ち着いた気持ちでドアを開き、医師のもとを去ろうとした。
フェレンスが今頃、どうしているかも気に掛かる。
次、
ところが。
「ヲヤ ... ...
壁を
「まだ、話は済んでいないはずですよ」
カーツェルの肩に触れ、不気味に引き止める。
低く、
医師は
「実を言うと〈ボク〉も、貴方の考えに同感なんです。
どうあるべきかなんて、そりゃあ時と場合、相手にもよりますよね。
でも。親身なふりをして利用する。言われるままに薬を売るだけで、自分に非はないと開き直る。
さすが、人の命がかかった仕事をしている人間の
よくよく聞けば、一人称まで変わっている。
「そう ... あなたの言うとおりなんだ... ... 」
ただならぬ気配に、腹の底まで息が沈んだ。
「何せ、 〈 ニ セ モ ノ 〉 ですからね ... ... ボ ク ハ ... ... 」
肩に食い込んでいく医師の指先から血の気が引き、薄気味悪く伸びて。
まるで
その様子を目の
「なるほど ... 俺たちはどうやら、
だいぶ前から仕掛けられてた罠に、まんまと
同時に身の危険を感じる。
〈 クク.. グフッ... ga ha ha ha ha ... ! ハハ ハハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ !! 〉
医師の姿をしたケモノが、彼の背後で見る見る巨大化していった。
衣服を破り、裂けた肉の合間から牙を
時を同じくして。また一方のフェレンスは。
暗転した視界を手のひらで
素早く
すると、指輪と呼応し青白く発光する、
杖は細身で、彼の
しかしそれは、仮の形状だった。
指輪の魔力を受け、
杖は、あっという間に彼の身長を越して真の姿を
フェレンスは、気を静めて
「清めの大地 ...
〈Tierra pura ... 〉
水の濁りを払う精霊の力 ...
〈El poder de los espxritus para limpiar el agua ... 〉」
地に呼びかけ、風が摘み舞い上げた緑を、青い光の粒子に変えながら。
閉ざした目元を
錬金術における法語とは、神秘文字の
印は、それらを簡略的に表す符号。
魔法陣を描けない時は音で記す。
つまりは
いつしか手のひらの向こうへ沈み、底光りする浄化の法。
瞳に掛けられた呪いが
影が邪魔だ。
彼は手を翻し、陽の光を素早くまとめ、
そして命じた。
「闇を払え ...
〈Borra la oscuridad ... 〉」
光は彼の指先から一直線に放たれた。
しかし弾かれる。だが、それでいい。
踏みにじられた光の球は衝撃により、より強く発光した。
照らし出された
確信して
すると、中庭を
「お兄ちゃん ... ! お 兄 ち ゃ ん !!」
そこに居るのは兄だと、そう信じる悲痛の叫びだ。
そんな両者を無情が襲う。
「違う! あれは、あなたのお兄様ではない!!」
フェレンスは
暗闇の中を
逸早く察知した彼は、
それを地面に突き刺し、身を返す。
呪文など
少女を巻き込むまいと、主屋に向かい駆け出すフェレンスの後に残った
刃に変じた
だが、襲い来るそれらの全てを防ぐには至らなかった。
逃れた
その間に、少女を抱き上げ主屋の廊下を駆け抜けるフェレンス。
床や壁を打ち砕くそれらを
時に クルリ と回り込み、彼は
交わし
刃先は
いつから仕掛けられた
本体から切り離され、放置された
毒を放ちながら
そんな一部始終をフェレンスの肩越しに見ていた少女は、
涙を一杯に
「グレコビッチ先生が ... ... どうして ... ... 」
崩れかけて
「どうして ... どうしてですか ... ? 魔導師さま ... ... 」
主屋から出ると、町の外れに位置するそこは、丁度いい具合に馬屋の真向かい。
帝都と村町を結ぶ駅馬車業者の、一部施設と思われる。
魔物の発する奇声と爆発音に加え、土煙を吐いて
おいおい、下宿屋の嬢ちゃん大丈夫かよー。なんて、
業者に務める数名だろう。
フェレンスは息を
背にした主屋から立ち昇る黒煙は、魔物が消滅する際に放つ毒の粉。
数分と持たず、消えて無くなるものだが。風向きによっては
だが、風は町の外へと向いているようだった。
対処を
馬屋の横で暴れる一頭の
手際よく
そして自らは、その後ろに。
どうして ... ? お兄ちゃんはドコ ... ?
少女は繰り返し
そんな彼女の肩を胸に抱きながら、フェレンスは馬を走らせる。
今、話して聞かせたところで、このコには聞き取ることが出来ない。
心を閉ざしかけている少女には安静が必要だった。
それに、一刻も早くカーツェルを探さなければ ... ...
彼の不在については、少女が一人で様子を見に来た時点で気付いていたフェレンス。
だが、どうして彼は少女の
霧ノ病に
胸騒ぎがするのだ。
石畳を蹴る
目の前を駆け抜ける
騒動を聞きつけ道端まで出ていた女達。
フェレンスの意識が
そんな時。
視界の
吹き抜ける風に
クロイツ ... ...
フェレンスは細かに綱を引き操って、向きを戻した。
興奮、冷めやらぬ様子で前脚を跳ね上げ、仕切りに石畳を蹴る馬。
その動作に背筋を
見つめる先には、あの役人。
「どうした。そんなに
感情の薄い貴様にしては珍しいじゃないか。 ... フェレンス」
爽やかに風を受ける。しかし、その眼光は暗く、冷たい。
次いで、建物内で張り込んでいたらしい数名の気配を感じ、フェレンスは振り向いた。
すると、同時に扉が開き、現れる。 兵士と、補佐官らしき男。
「少女を渡せ!」
フェレンスは
しかし、その直後。
〈 ドカッッ ... !! 〉
「ぐふっ ! 」
背後から強烈な飛び蹴りを食らって前のめりなる新兵の
彼は目を丸めた。
「馬鹿者!! なんて口の
あの
くれぐれも口だけは
「ぇ ... この人物が、で、ありますか ... !?」
事前の指示を聞き違えたらしい新兵と、それを
聞いていると、そんな二名に続き、指揮を任されているらしい男が一歩前に出て口を開く。
「指導の不行き届き、申し訳ない ... 士官殿」
風を受けざわめき立つように、波打ち肩を撫でるミドルヘア。
「ともあれ急事ゆえ。... なんっつーか、もう説明している
って、おっと。失礼。あー、つまりですな。手早に要件のみ、お伝えする」
深緑の
木漏れ日と
「その少女を、お引き渡し願いたい」
銃剣武装の部下を
将官の
もしくは帝都の治安維持を主な
フェレンスは再びテラスを見上げる。
すると、
「案ずるな。保護してやろうと言っているのだ。
... 貴様も、それを望んで