血ノ奴隷~Ⅻ

文字数 8,322文字

 
 
 
足を開き土を踏みしめ、低姿勢を()るカーツェルに対し。
フェレンスは(じく)足を前に、軽く(ひざ)を曲げるだけの(ほぼ)、直立。

両者とも微動だにせず。
浅く、短く、呼吸した。

黒髪を一つ(ゆい)にしたカーツェルの耳元まで(えり)(めく)り上げる風が、(なぎ)ぎ静まると。
試合場の中心に二人の少年の姿が、彷彿(ほうふつ)として(あらわ)れる。

『二刀を(あつか)う場合。切っ先を相手に向け、手首を返し(かま)えるのが基本。
 二の腕の引きと、(うで)の曲げ伸ばしのみで素早く受け幅を拡げられる。
 柔軟に受け流すことで身の返し、踏み込みも容易(ようい) ... 』

『なぁ、お前の(かま)えはいいからさ。こっちを早く教えろよー』

『聞きなさい。上達したいのであれば、まず道理を知ることだ。
 初めから理解する必要は無い。身に付くまでの(あいだ)に、この事かと思う時が来る』
『ぁぁ ... もー。分かった! はいはい。聞く! 聞くから、次、次!』

『 ... 急っかちめ ... 』
『 ヘヘヘ 』
 
それは想い出。
二人が(した)しくなりはじめた頃を映す(まぼろし)

カーツェルに双剣(そうけん)(あつか)いと流儀を教え込んだのはフェレンスだった。

『まずは左肩を前に出して。(ひじ)は下げること。 ... そう。
 ダガーの刀身は(うで)沿()わせるんだ。(にぎ)りは、つま先より向こうへ出してはいけない』

『逆じゃダメなのか?』
『お前も右()きなのだから、そちらの手は胸の前に(ひか)えておきなさい。
 ()き手側の(わき)は開いた足の後方まで寄せて。
 重心を(あず)ける足と(ひざ)の直線上を常に意識する。 ... そう。
 それから、鉄則として相手側に向けないこと。決してだ』

『え。つか、それって攻撃には使うなってコトなの?』
『そう。相手の(ふところ)に入るまでは。
 考えてもみなさい ... 距離を()めなければ振ったところで届かない』

『あ ... そっか。入るまでは何より自分の急所を守るんだな』

聞いて納得し、(ひざ)(わき)の位置を見合わせつつ脚幅(あしはば)を調整する。
カーツェルの言葉を聞いて微笑み返したフェレンスは、
彼の頭を()で付けたその手で背筋を前に押し、真っ直ぐ(こし)を落とさせた。

『 ヒゥ ッ ... !』
『 ... ... ? 何だ。今の声は』

『何でもない!! 次!!』

(たず)ねるフェレンスに(かぶ)せ気味。
閉じた目をきつく(しぼ)って声を上げるオチビに目を丸くしたのは、かつての彼。

やがて薄れゆく。

それらを前に、カーツェルの気が()った。

チラリ ... 一瞬だけ虚空を見やり視線を戻せば、容赦(ようしゃ)なく踏み込んで来るフェレンスの姿。

名残()しかった。
その頃に戻りたいとすら感じた。

何故(なぜ)だ。
決めた事なのに今更(いまさら)

戸惑(とまど)う。

けれど、もう ... ...

〈 ガチン !! キシュゥゥン ... !〉

瞬時、前に出した手を返し受け流すと、向かってきたはずの切っ先が引いて(ひるがえ)る。

刃を寝かせ脇腹(わきばら)を下段から狙う軌道(きどう)

切っ先に向かい湾曲(わんきょく)する(ツバ)を上から掛け下ろしたカーツェルは、
(てこ)を利用し、刀身を(とら)えた。

そして低く踏み込む。

フェレンスの右腕を押し開きながら。

すると、後方からダガーを弾きに掛かるマン・ゴーシュ。
ダガーを外へ振り受け流したカーツェルは、直ぐ様に(ひじ)を引き戻した。

「ぐ ... 」

同時に歯を食いしばる。

ただの練習試合だが、呵責(かしゃく)(さいな)まれたか。

「違うわね ... 」

ロージーの見方は(こと)なった。

「あ あ あぁああぁぁぁぁぁ!!」

フェレンスの腹部を目掛け、逆手のダガーを突き立てる。
その手は(すん)でのところで静止。

「 ハァ ... ハァ ... ハァ ... 」

脇腹に(ひたい)を寄せ、項垂(うなだ)れるカーツェルを見下ろすフェレンスは無言だった。

おかしい ... ...

開始早々、数手で勝負がついているのに息が切れるはずは無いのだ。

(かた)や、ロージーは手の先で勝者を指す。

1・fase(一戦目), decision(それまで)! 旦那様が一点先取です」

決まり手は、レイピアによる胸部への突き。

カーツェルがフェレンスのマン・ゴーシュを払った時、(すで)に。
(おさ)えられた剣の握り手を返し、(てこ)を逆手に取るかたちで相手の胸に突き立てられている切っ先(きっさき)

カーツェルは今一歩、(およ)ばなかった。

しかし、それよりも気掛かりなのは、若干、不規則な彼の呼吸。
フェレンスは息を()め、脱力したカーツェルの(わき)から模擬(もぎ)剣を()く。


項垂(うなだ)れ、主人の足元を見つめていると。
向きを変え、元の位置まで引き下がっていく足取り。
深く吸った息を腹の底に()え、カーツェルは立ち上がった。

ユラリ ... (うつむ)いたまま。

ゆっくり戻っていく彼の背を見て警戒を強めつつ、再び剣を抜き(かま)えると同時。

彼は振り向く。

だが、焦点(しょうてん)が定まらないのだ。

揺らぎ、ぼやける視界。
耳の奥を圧迫する血流が、周囲の音を遮断(しゃだん)した。

内に()もる声。

フェレンス ... フェレンス ...

はっきりと聴こえるのは、自らの(ささや)きのみ。


異変に気付いてはいる。
それでもフェレンスは、様子を(うかが)うだけ。
出方を待っているようにも見えた。

次に向きを変えるロージーはカーツェルの(かま)えを確認次第(しだい)、二戦目の開始を告げる。


ところがだ。彼の耳には届かない。
肩で息をするも身動きせず。

一同は注目した。


そんな中、不意に脳裏を(よぎ)る。
『あの魔導師とは、金輪際(こんりんざい)(かか)わるな ... ... 』
兄、フォルカーツェの言葉。


つい先日の出来事から、(またた)()に時を(さかのぼ)る記憶。


身内の()め事を目の当たりにしては、利用価値の無い者に(なす)り付け始末(しまつ)する()り口を見てきた。

『フォルカーツェ様!! ご無体(むたい)御座(ござ)います! 話が違うではありませんか!』

何故(なぜ)、このような仕打ちを?
問う下僕(しもべ)を見下しては、冷淡に言い捨てる。

『必要だからだ ... 』

士官学校を主席で卒業した彼の兄は、その時 ...
(すで)(クアトロ)として結社の密命を受けていたのやもしれぬ。

必要と()らば手段を選ばず、躊躇(ためら)いもしない。
フェレンスも同じ。否定は出来ない。

しかし、(みずか)らが代償を負うフェレンスと比較(ひかく)して、どうだ。
明らかに行く道筋が(こと)なる。真逆なのだ。

あらゆる災厄(さいやく)を他者に負わせる。
それは、事ある(ごと)に反発していたカーツェルにも、例外なく降り掛かった。


『一族を(かえり)みず、あの魔導師と共に生きたいと言うなら好きにするが良い。
 こちらも利用させてもらうがな。命が()しくば、精々(せいぜい)あの男を守って生きていく事だ』


 ――― さもなくば ... ... 死んでもらう。


『お前に、拒否権(きょひけん)はない』


(よみがえ)る記憶を(ふたた)び意識の底に沈め、カーツェルは思う。

つまり ... ...

お前が俺を突き放すなら。それでも生きろと言うなら。
俺には、こうするしか手が無いってワケだ。

「なぁ ... フェレンス ... 」

呼びかけを聞いて、フェレンスは視点を(うつ)した。
それから、気付いて(そく)模擬剣(つるぎ)を捨て()けつける。

彼の手足が、小刻みに震えてたのだ。

見ていられず、次々と(ふさ)ぎ込むメイド達を他所(よそ)に。

目を見て危機感を覚える。
近づくに()れ、彼の目線が(はず)れていった。

見えていないのか!?

フェレンスは咄嗟に彼の両脇に腕を入れる。
だが、抱きしめる身体は既に硬直しきっていた。

何故(なぜ)だ ... ... !

愕然(がくぜん)とするあまり、声にならない。
そのため細々と耳元で囁く彼の声を、只々(ただただ)聞く事になった。


「... 知ってたか? ...
 俺は、お前を利用するために()かれた ...
 単なる〈生き餌(いきえ)〉なんだって」


フェレンスは(あわ)てた様子で彼の腰回(こしまわ)り、(わき)、胸元を(さぐ)りはじめる。
そして(ふく)らみを確認し、ベストの下から手を入れた。

そんなはずは無い。
お前と距離を置けば(みかど)の不都合は無くなるのだから。

思っても(のど)麻痺(まひ)したように、(かわ)ききった息だけが()けていく。

ビリリ と内張りを破って取り出されたのは、褐色(かっしょく)薬瓶(やくびん)だった。

再度、襲い来る絶望感。

何 故 (なぜ)!! 止めなかった!?」

一語で息を吐ききる叫び。
初めて耳にするフェレンスの怒声(どせい)

メイド達の肩が ビクリ と()ね、立ち(すく)(かたわ)ら。ロージーが答えた。

「お言葉ですけどね。旦那様 ...
 そのコは旦那様に付いて行こうが行くまいが、死ぬ目に()う運命なのよ。
 それならせめて、最後の言葉くらい静かに聴いてやって下さらないかしら」

「最後だなどと ... ロージー、お前 ... 二度と言うな!!」
「いいえ。旦那様、残念ながら一線を()えたのは、そのコだけじゃありませんから」

(な    に)... ... ? 」
「少し頭を冷やして、ご(らん)になるといいわ。
 そろそろ奴等(やつら)が、そのコを始末しに来る(ころ)よ」

ガタガタ と増して震えだすカーツェルの両手からダガーを取り上げ、投げ捨てる。
そんなフェレンスから顔を(そむ)け上空を見やったのはロージー。

すると(あらわ)れる。

駆逐艇(くちくてい)!? 帝国軍が、どうして今 ... ... 」

天蓋区(てんがいく)(ささ)える塔を横倒しにしたかのような。
巨大な飛空艦艇(かんてい)が夕日を(さえぎ)り、向かって来るのが見えた。
いくつもの小戦艦を引き連れている。

震える声で、カーツェルが言った。

「兄貴がさ ... 役立たずは死ねだとよ」
「お前は黙っていなさい。 ... 嗚呼(ああ) ... カーツェル、何て事を ... 」

「でも、お前は、俺に生きていて、欲しいんだろ?」
「当然だ ... 」

「だからさ、本物の、化物に ... なってでも ... 」
「馬鹿を言うな。私がそうはさせない!」

「俺な、知ってんだ。初めて、お前に会った日。そう差し向けたのは、兄貴 ... 」
「言うな ... もう、何も ... 」

生まれた時から存在価値を(うたが)われてきた。
兄弟という言葉の他、関係を言いあらわすとするならば。
如何(いか)に利用するか、されるか。

「お前となら分かち合えるかもしれない。
 なんて思ってたのかもな ... ...

 奴等(やつら)にとっちゃ、都合が良い。
 (した)しみを邪魔されずに済むなら、利用されようが、どうでも良い。

 俺も、そう思ってた ... けど」

グ ... ...

痙攣(けいれん)を起こしはじめ、(うめ)き崩れるカーツェル。
フェレンスは彼を支え、共に(ひざ)を付いた。

そして、食い千切らんばかりに下唇を噛みしめる口元から ダラダラ と、
血が(したた)り落ちていくのを見ながら、(いん)(つづ)る。

「よせ ... カーツェル、口を開きなさい」

呼吸困難、咳。赤味の強い喀血(かっけつ)。肺出血を起こしているのだろう。
痙攣(けいれん)を弱めなければ窒息しかねない。

「カーツェル ... 」

名を呼び顔を横に向け、法を胸に宿(やど)す。祈る思いだった。

「ダメね ... 」

ところが水を()してくる。
ロージーは一言投げかけ、前に出た。

「来るな!! ロージー!!」
「けど、それじゃ、旦那様の御命(おいのち)まで(あや)ういのよ」

「分かっている。だが手出しは無用」
「申し訳ありません。けど、容赦(ようしゃ)しない。そのコが望んだコトよ」

「必要無い! 彼は私が ... 」
「らしくないわね。イヤなら御自分で始末なさいよ!!」

「下がれと言っている!!」


何ヲ 夢ニ 見テイル ノ ダロウ ... ...

蒼火ニ 瞳ヲ ()カレ ナガラ ... ...


遠目に見て思う。
少年はローナーよりも前に歩み出て、丸々と目を開いた。

「チェシャ。おいで」

呼んだのはアレセル。
馬車から降りた彼は、手を取り(みちび)く。

「あの男が大量に飲み込んだと思われるカプセル薬は、
 (クワトロ)が精通する闇ギルド経由(けいゆ)魔薬(まやく)
 君のように、血ノ奴隷として(かこ)われた者の生き血が原料なのです」

冥府ノ()がカーツェルの目を()(つぶ)していくのに、治癒が追いつかず()(すべ)が無い。
蒼火に(さら)されるフェレンスの手のひらも同様に、黒く凍てついていった。




魔物(キメラ)化に(ともな)う生態反応を感知する帝国の探査塔(たんさとう)
それは、国土中心を円周に置いた一定範囲内の〈異変〉を警戒している。

国境上空を浮遊(ふゆう)する巨大物体(オブジェ)の一角には観測者と管理役員が常駐(じょうちゅう)し、
政府機関、並びに軍部へ向け発信、情報を共有。

その日。

帝都を(いき)(ふく)む複数の探査塔から〈異変〉の通知を受けた上院官邸(かんてい)は、厳戒令(げんかいれい)を宣告した。

軍に司法、行政の一部統制を(ゆだ)ねたのだ。

「観測データの(あたい)(すで)に〈超級変異体〉のそれと酷似(こくじ)しています。
 魔導防壁にりよる区画閉鎖だけで封じきれるものでしょうか」

「不可能だろうな。だが、問題は無い。
 見境(みさかい)の無い相手であれば、こちらも加減せずに済むというもの。
 徹底的に追い込むんだ。そうすれば ... あの魔導師は帝都を立ち去るより他無くなる」

「まさか、たったそれだけのために死に目を見るとは思ってもみませんでしたが ... ... 」

艦隊指揮官が恐々(きょうきょう)として見やると、せせら笑う男。

紅の一つ()いを右前に垂らし、足を組み()える様子を(うかが)っていると。
不服に対し、男、フォルカーツェはこう返した。

「安心しろ。お前なら例え死んでも〈全くの無駄〉 という事にはならない」

波及(はきゅう)の中心に立つ者の(そで)の一振り。
たかがそれだけの動作で、幾千(いくせん)の人々が藻掻(もが)くかのような事変。

それら大勢の苦しみを昇華(しょうか)するだけの力と時間を()るためには、必要な事なのだそう。

「だが、アレに関しては例外だ」

「アレ、と申しますのは ...
 先日、()くへを(くら)ませた弟君と解釈(かいしゃく)して(よろ)しいでしょうか?」

フォルカーツェは聞いた素振りも見せぬまま続ける。

彼ノ尊(かのみこと)の不都合と言えば、あの魔導師を(とりこ)にして放さぬ存在。それに限る。
 大層な役目だが、アレも我々の意図を理解したうえ(みずか)ら買って出たのだからな。
 あの魔導師の(そば)に居る ... そう、たったそれだけのためだけにだ」

つまりは、制約に反するより以前から。
どう転んでも命が危ういと分かっていて、そうしていたという訳か。

この上なく(むな)しい。

「無理ならば当然、()けた命を()(つぐな)ってもらうだけのこと」

迷惑な話にも思えるが。
(さっ)するに、誰かしらは差し向けられたであろう事案だ。

過激派の(ぜい)から寝返った元・審問官の若造が、まず(あや)しい。
修道院の教徒の中にも居そうなもの。

相手に弱みが無ければ、付け込みようもないのだから。

それにしても寄りにも寄って、この男 ... 現役の軍警副総監が軍事顧問(こもん)とは。
上級貴族及び上院議員(マグナート)の勢も余程(よほど)(あせ)りがあると見える。

前後に隣接(りんせつ)する通信室と制御室を見渡しがてらフォルカーツェを横目に、彼は思った。

だが ... 捨て(ごま)とは言え、超級。
()ノ魔導師を追い詰めるのに飛空艦隊で足りるものなのか。

不安を(ぬぐ)いきれない。

探査塔から随時(ずいじ)、送信されるデータの流れに視線を戻せば、艦内に警報が鳴り響いた。


フェレンスは心を(しず)め、(うた)う。
カーツェルの顔を(ふところ)(いだ)き。()みやかに。


(ひざ)を付いたその場から フワリ ... 立ち登る旋風(つむじかぜ)()い、組み上げられていく魔法陣。
精霊達はロージーの後ろへと寄り集まり、見上げる。

樹木が枝葉を広げるように展開されていくその下で、フェレンスは細々と(ささや)いた。

「よく聞きなさい、カーツェル。 ... 今直(います)ぐ、何もかも忘れるんだ ... 」

すると、親愛なる男の瞳を()く蒼き炎が、
法を(たずさ)える手を(はじ)き飛ばし全身へと燃え広がる。

そして(さら)に、彼の身体(からだ)を宙に浮かせ(つつ)状の氷柱を形成していくのだ。
炎柱(ひばしら)が生じる極寒を内に封じようとしているのである。

行かせまいと手を伸ばすが届くはずもない。
フェレンスは喉元(のどもと)まで()り上がる危機感を、飲み込むようにして息を殺した。

その後ろ姿を見つめ、ロージーが言う。

瘴気(しょうき)によって中毒を起こした人間の狂気は、負ノ思念の坩堝(るつぼ)
 冥府ノ()()(つく)せないなら ... あのコは ... ... 」

見上げれば、カーツェルの手足の関節が有らぬ方向へと()り返り、
皮膚は()け、(すじ)が ブチブチ と千切(ちぎ)れていった。
骨に亀裂(きれつ)が走る様子まで目に見えるよう。

しかし血は流れない。

(かわ)りに ブヨブヨ と(みにく)(ふく)れ上がる肉塊(にくかい)が衣服を破り、()れ下がっていくのだ。

(なび)外套(がいとう)を脱ぎ捨て。
腰元(こしもと)にしまっていた二尺半(にしゃくはん)の杖を取り出したフェレンスは、同時に耳を疑う。

何故(なぜ)か真後ろで、カーツェルの声がした。

(なつ)かしい ... 幼年時代の(つぶや)き。


『フェレンスが ... 俺を()けるから。〈忘れて欲しい〉って言うから ... 』


いや ... 泣き声だ。

肺が(つぶ)れていくような感覚。
萎縮(いしゅく)した心臓が、一度に大量の血を吐き出すように(うね)る。

アレセルも同様に不整脈を起こし、表情を曇らせた。

胸元に爪を立て(わず)かに(うずくま)る主人と管理官を交互(こうご)に見た上で、
重い(こし)を上げたのはローナー。赤毛の少年に歩み寄り、彼は言う。

(ぼう)よ ... どうやら悠長(ゆうちょう)にしてらんねーようなんでなぁ。悪ぃが、ちょいと拝借(はいしゃく)すんぜ」

取り出された注射器は小指ほどの長さ。
振り向いて針先を見る少年は、何も言わず無表情に一つ(うなず)いた。

一方ではフェレンスとロージーが(にら)み合う。


『どうにかして欲しい。でも、忘れたくない ... でも ... 』


幻聴が相手の言葉を()き消していると分かり、耳元を強く打つと。
経緯を()くロージーの話がようやく耳に入って(おどろ)いた。

「あのコはね、言ったそうよ。貴方(あなた)(さと)られないよう、
 〈想いを隠しておけるようにして欲しい〉 ... だなんて。バカよね、ホント」

「ロージー ... 何故(なぜ)お前がそれを?」

対して(そく)、言い返す。
(あき)れ果てるより、苛立(いらだ)ちが(まさ)った。

貴方(あなた)ね ... (とぼ)けるのもいい加減にしなさいよ!!
 誰から聞いたか気になるのかしら!?
 あのコに暗示をかけた偏屈爺(ヘンクツジジイ)、本人に決まってるじゃないの!!」

例の霊草(ハーブ)売りの事である。


「 ビュェェェエェエェェ ... ッ グ シュン !!」


その時、盛大(せいだい)なクシャミを飛ばしたのは(うわさ)の老商人。

配達のため店を出たところ風に鼻を(くすぐ)られ、
背負い籠(しょいご)から高々と霊草(ハーブ)が飛び上がった。

すると、区画閉鎖の開始を知らせる警鐘(サイレン)が鳴り響く。
上空を見れば、複数の小戦艦に()いで過ぎ行く駆逐艇(くちくてい)の底。

「さぁて、どうなるかのぅ」

フサフサ (まゆ)の下から(のぞ)(するど)い視線とは裏腹。
真っ青な光の印膜(いんまく)徐々(じょじょ)に降りて来る中。
老商人は呑気(のんき)に配達先へと向かいはじめた。

閉鎖域は店から数区画先の()ぐ側だが、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)
まるで他人事(ひとごと)なのだ。


(かた)やフェレンスは一旦(いったん)、法の展開を断念し(ひざ)を付く。

「 ハァ ... ... ハァ ... ... 」

目眩(めまい)と鼓動の(かたよ)りを(おさ)えるため。
制御法を自らの胸に打ち込むが優先と判断した。

事を済ませ、呼吸を落ち着かせようとするフェレンスに対し、
ロージーは引き続き問う。

「旦那様 ? ... 貴方(あなた)、何度あのコに言ったの?」


〈忘れて良い〉 

〈忘れるんだ〉

〈忘れて欲しい〉


「それで、本当にあのコが忘れるとでも思ってらしたの?」

一方的なやり取りだった。

「だとしたら貴方(あなた)、あのコ以上のバカを通り()して、
 純心を裏切ったうえ、見もせず踏みつけるような(はじ)知らずなのよ。
 まぁ ... 貴方の場合、本当に知らないんでしょうけど」

使用人が主人に(たず)ねる態度ではない。
(はた)で聞いていても正直、腹が立つ。
そう思ったのはアレセル。

だが、あえて聞き流していた。

「あのコには、もうこれ以上、気持ちを隠しておける心の余裕なんて無い。
 引き裂いて詰め込めとでも(おっしゃ)るの ? ... ご(らん)なさいよ、アレを!
 まだ、あのコなりに努力しているようには見えますけどね。限界なのよ!!」

途切(とぎ)れる呼吸を手で押して引き戻す。
フェレンスの(ひたい)には冷や汗が(にじ)んでいたが、ロージーは黙ろうとしない。

「それから、旦那様 ... 不躾(ぶしつけ)ですけど。
 あたし、最後にどうしてもお聞きしたいことがあるの」

地に杖を突き、ユラリ ... 立ち上がる主人の答えも聞かぬうち。
質問を重ね、追い詰めるのだ。

「あのコは、これまで ... 何度、貴方を好きになったのかしら」

一つ。

「そして、貴方は何度 ... 」

そしてまた、一つ。

「ロージー ... もういい ... 」

答えようも無く、静かに押し止めるが無意味だった。

「よくなんかないわよ!
 あのコは昔、あらゆる意味で貴方を愛してた!
 なのに、もう二度と思い出せない!

 かつてのあたしは、部屋の片隅(かたすみ)にあった、ただのチェスト。
 でもずっと、あのコの声を聞いてた!

 あのコはね、貴方(あなた)(そば)に居るためだけに想いを犠牲にしたのよ!
 貴方が、あのコを突き放そうとしたりするから!

 どこまでも健気(けなげ)でバカなコよ ... なのに、
 ねぇ、旦那様、どうしてなの? 本当は、貴方だって ... 」

(くや)しくて、悔しくて、声が震える。
さすがのロージーも気詰まりした。

すると、ゆっくり顔を上げたフェレンスが苦しげに微笑む。

(つら)い話をさせてすまない。だが、もういい」

その様子を見ると(たま)らず、大粒の涙が(こぼ)れた。

「私が浅はかだった ... ... 」

(かす)れても。その声は、そこはかとなく(おだ)やか。

始末すると口では言っても、そうそう踏ん切りが付くものではない。
当初、カーツェルの介入(かいにゅう)を拒否していた精霊達の中で、唯一(ゆいいつ)
理解を(しめ)したロージーであるなら尚更(なおさら)だろう。

そう思えば、何もかもが裏腹。

安心して良い ... ...

フェレンスは、ただ一言、答えた。

「彼は私が連れて行く ... ... 」
 
 
 
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登場人物紹介

◆フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ


故国・シャンテの生き残り。

《千ノ影》を宿す男。


錬金術、魔術、魂魄召喚、禁呪とされる魔導兵召喚術を扱う。


戦犯として裁かれるも、失われし禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)のありかを突き止める事を条件に恩赦を受けた帝国魔導師。

アルシオン帝国軍管轄下、高等錬金術師団所属。特務士官。


訳あって薄情者と言われがち。感情に乏しい。自覚はしている。

交友関係にある者への誹謗中傷だけは論外。そうと知れば制裁を躊躇わない。


◆カーツェル・D・アード・ランゼルク


アルシオン帝国、公爵家子息(次男)。


幼きに母失踪。父、ハインリッツェ・A・ヴァート・ランゼルクは帝国軍大佐で婿養子。宗家、家長は存命していた祖父。そのために身内の権力闘争を見聞きし育ち、一族を嫌悪するようになった。


父を尊敬し、文武とも好成績。だが言行は粗暴で捻くれ者。しばしば父と作戦を共にしていた異端ノ魔導師に漢惚れし、『いつかは部下にしてやる』などと言って付きまとう。散々無視されるも諦めなかった。フェレンスの悪口等耳にすると黙ってはいられない。喧嘩の売り買い過剰で問題児リスト入り。


士官学校卒。


彼には救いたい人がいる。フェレンスが蔑まされながら孤独に生きる姿を見るのも嫌。しかし傍にいれば陰謀に巻き込まれ命が危うい。フェレンスに避けられ続けた彼が思い至った解決法は... 彼と禁断ノ契約を交わし、絶対服従の《魔導兵》となる事。


◆チェシャ


フェレンスとカーツェルの前に突如として現れた謎の少年。


訳あって上手く会話する事が出来ない。舌っ足らずの片言。


血に驚異的魔力を宿す。その等級は二等:紅玉(ルベウス)、もしくはそれ以上。

フェレンスの魔ノ香(マノカ)に惹かれ懐いた。


魔ノ香とは。特異血種とみなされた者の血に宿る魔力と、それに伴う瘴気の醸す香り。

魔物(キメラ)や、等しい存在にしか認識できないはずのもの。


◆クロイツ


軍警を主体とする治安維持機構所属の監視官。


要監視対象として挙がる人物を見張る。

担当は異端ノ魔導師、フェレンス 。


高圧的で気難しい性格をしているが、子供好き。策略家。


◆アレセル


クロイツの実弟。だが腹違い。

実母は娼婦で霧ノ病を発症し討伐された。

義母を尊敬し、子として愛し愛されたが、またしても霧ノ病で失う。


人の心を失いかけた当時、闇魔術に手を染めるもフェレンスと出会い更生。

以来、彼の愛はフェレンスに向く。人脈の形成、諜報力に秀でる。

◆翠玉碑 (エメラルド・タブレット)

故国・シャンテの中枢に収められていた叡智ノ結晶。

彼ノ戦により砕かれ、その多くが行方不明。

◆千ノ影

彼ノ戦の犠牲者。シャンテの民の霊。

一部はフェレンスの扱う魂魄召喚にて戦闘可能。

筆頭は亡国ノ英雄。黒ノ竜騎士・グウィン。

◆霧ノ病

心身が麻痺していく病。
発症し悪化すると身動きもせず、飲食すらしなくなり衰弱。


あらゆる想いの境地に至る人の心に穴を開け、冥府ノ霧を呼び込む。

冥府ノ霧とは、悲しみ、怒り、妬み等、人を惑わす負ノ思念。


霧は欲を喰らい、無我ノ境地へ誘われた者は無垢なる狂気を発症。

やがて魔物(キメラ)化する。

◆複合錬金

特殊錬金、キメラ錬金とも呼ばれる。

由来が異なる複数のエリクシールを掛け合わせる法。
それによって生じた存在は安定化させる事が難しく、禁じられている。

◆魔導兵

神々ノ器とも呼ばれる。

亡国ノ魔導師と禁断ノ契約を結んだ下僕。


複合錬金により身体を強化。

覚醒→魔人化→神化。

三段階の変身が可能。

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