石ノ杜~ⅩⅢ
文字数 9,172文字
街頭で空を指差す石像。
そして、街角の植え込みを彩る花の葉に滴る朝露も ... 乾かぬうちから。
日雇労働者と、朝市に訪れる人の往来で賑わう城下を行く。
見慣れぬ装いの男二人と、幼子が一人。
行き過ぎる人の中には、わざわざ振り向いて見る者もいた。
それはそうだろう。
何せ、いつもならロングジャケットの下にしまっている杖を
わざわざ昇華させた状態で持ち歩いているのだから。
まぁ、目立つ ... ...
けれども、そういう作戦なのだろうなと思っていたので。
一先ず役に徹していたのだ。
ギルド総連合館の扉を開くまでは。
主人を通す執事の横目に写り込んだのは、
求人の張り紙を見上げる人々の合間から見据えてくる、何者かの視線。
窓口の向こうに居るからには、安定所職員の一人と察するが。
どうやら、あちらも既に対応を改めた模様。
フェレンスは迷わず、視線を向けてくる男性職員のもとまで歩いて行った。
気を利かせ適当な場所から帳票を取り代わりに差し出したのは、警戒を強め前に立つ執事役。
すると、職員の手元で スルリ ... 帳票が入れ替わる瞬間を目撃し、彼は思う。
フェレンスが逃げも隠れもしないものだから、上から対応を急かされたのだろうなと。
「この仕事の依頼主は同連合の司書になります。
あちらへは今、私から連絡しておきますので。
詳しくは建物の三階、図書室まで行ってお尋ね下さい」
そう案内する職員の話を聞く間、左右の窓口を塞いでいた男達も。
おそらくは隠密。あるいは、その手先に違いない。
中央の折返し階段を行く間に杖の昇華を解いたフェレンスは、
それとなくストールの裾をカーツェルへと預けた。
黒ノ羽衣を肩に巻き、口元を隠したのも ... 不審人物を装うため?
主人の肩から衣を巻取り、自身の腕に掛けて預かる執事の憂いを見ていたのは、
彼らに連れ添う幼子。
三階の踊り場から上は吹き抜けの書房。
囲い廊下を真っ直ぐ行った先には、日の差す広間と司書室への扉があった。
〈 コンコンコン ... 〉
先に立つカーツェルが三回、早めにノックしたところ。
部屋の中から聴こえてくる ... 司書らしき男の声。
「ああ、丁度いらしたようだ」
その時チェシャは、どこかで聞いた気がするなと思った。
しかし二人を見上げて様子を伺っても、何ら反応は返って来ない。
「どうぞ。お入り下さい」
入室を許可する言葉を聞いて扉を開くカーツェルもまた、チェシャと同じことを考えていたが。
開いた扉の正面にある机の向こう ... 革張りの回転椅子に座る男の横顔を見て納得する。
つま先で軽く床を蹴り振り向いたのは、いつぞやの紳士だったのだ。
「お待ちしておりました。その節は、実に珍妙な自己紹介を賜りまして ... どうも。
私は当書館の司書を務めるアンドレイ・ホプキンスと申します」
演じる必要のない場面とは言え、些か投げやりな息遣い。
気だるそうに吐き出される声は、どこか不気味。
司書は続ける。
「極めて純度の高い魔石というものは、素人目にも分かるものなのですね。
調べさせて頂きましたところ。判定結果は、第二等:赫尖晶石であるとの事でした」
要するに、帝国が行方を追う彼の容疑者。
噂に名高い〈異端ノ魔導師〉に間違いないと。
ここに来て、ようやく立証されたわけだが。
「奇しくも我が国アイゼリアに、このレベルの血を身に宿す者はおりません。
ここまで洗練された凝縮法を扱える錬金術師さえ ... ... 」
第一等、紅玉にこそ及ばぬものの。
第二等に格される血を持ち得ながら、尚不足をきたし、
屍の血を炙り魔力を集取していたと言う彼の身の上は、とうに国境を越えている。
一般に腕の立つ錬金術師と認識され名を馳せる者のうち、
別格と言われる賢才すら第三等が手に入れば十分と頷く時世だと言うのに。
「恐れ慄く者は少なくありませんでしたよ」
どおりで、あの帝国が領土問題を理由に対話の機会を得ようと、しつこいわけだと。
しかし帝国の引き渡し要求に関する声明は、まだと聞く。
紳士との会話を傍受し耳を傾けるは、クロイツをはじめとする一行だった。
まず一つ、注釈を入れたのは傍受機器を操作するエルジオ。
「逃亡経路が判明したと言ってきているらしいですが。はったりに決まってますからね」
「事実、こちら側に形跡は無い。あんたらの言う〈それが可能〉な人物で救われたよ」
補足したのは会話の記録を行うヴォルトである。
クロイツは、それらを同時に聞く側だが。
はっきり言ってしまうと ... そんな事よりも気になって仕方がないので。
ノシュウェル含む元部下三名を代表してヴォルトに問う。
「ところで。身内であるはずの側を盗聴とは、どういう了見だ?」
「おっと。それは聞かない約束だろうが」
被せ気味に諌められたので、つい黙る。
言いたい事は山ほどあるのだけれど。
では何故、連れて来たのかと ... ...
すっかり横並びするクロイツ達の真顔を振り向いたエルジオは心底、同情した。
帝国に面する東の山脈は、自然的国境として双方の領を分かつ。
石ノ杜の侵蝕が及んで以来、帝国の軍事圧力は増す一方だが。
先制的自衛、行使の可能性を示唆するようになったのは、つい先頃の事。
制裁戦争は帝国の生業とも言われる世相にあって。
資源輸出停止などの対抗措置は、ほぼ無意味とまで囁かれていた。
とは言え、例外はある。
帝国であろうとアイゼリアへの侵攻だけは極力、避けたいはずなのだ。
石ノ杜をはじめとするこの土地の毒は、
扱い慣れていない者にとって驚異。
危険因子であり続ける事に変わりはないため。
高位貴族、及び上院議員の勢。
奴等ですら関わりたがらない。
それは、公然の事実。
信教徒の一派、過激派の連中と尊が取引し、
主従の契約を断とうとするなど強硬な手段に及んだ件も含め。
アイゼリアへの逃亡を見越していたようにも思える。
ともすれば、帝国に罪を着せられた異端ノ魔導師が廻者である可能性を念頭に置がざるをえず。
当該国アイゼリアが真っ先に警戒するは、至極当然の事だった。
しかしながら、紳士は言う。
「杜の制御を可能にするには、貴方に縋るしかないのも事実。
故に、我々は貴方々に協力するより他無い ... という理由、ですのでね」
ここからが本題なのだ。
「折り入っては、まず ... ご要望をお聞かせ頂きましょうか。
せめて暫くの間、大人しく身を隠して下されば良いものを。
どうやら、その気も無いようなのでね ... ご期待に沿えるよう努めましょうとも」
これ以上、勝手に動き回られては我が国の外交部だけで収拾がつかなくなってしまう。
そうなる事だけは何としても避けたいとして。
あくまでも、念の為である。
ここまで来て聞く必要などあるのか? 誰もが思うだろう。
異端ノ魔導師こと。フェレンスの狙い ... ... それは。
アイゼリア王国、保護領域〈石ノ杜〉の検分。
主な調査対象は最深毀壊部と呼ばれる杜の根先。
人間ばかりか魔物も寄り付かぬ領域だ。
そこは、32808.4フィートを超える深度。
坑底温度は200を上回る地下世界。
杜ノ地下茎を辿っても二日はかかる見込みだそう。
酸素の確保も難しい地中に、一体 ... 何があると言うのか。
尋ねるカーツェルに対し、フェレンスはこう答えた。
杜の実態を知れば、連中の狙いも見えてくるはず ... ... と。
椅子に座る主人の傍まで顔を寄せた時。
耳元に吐息が吹き掛かる距離での囁き声は、下僕の意識高揚を誘う。
彼ノ尊が痺れをきらしてしまう前に済ませなければならないのだ。
対応を急かす主人の意図を汲み、士気を上げる下僕の立ち姿は毅然とし。
肩筋を結ぶ動線は、弦を張った弓のように美しい。
これまで示してきた通り。
先を急ぐ旨を伝えると、机の引き出しを開いた司書の手によって仮の身分証が差し出された。
「では早速ですが。一般の民に怪しまれぬよう、お待ち頂くために ... これを。
一月内には手筈を整えますので」
「一月も?」
不服を顔に出したのは下僕の方。
片や魔導師は表情一つ変えない。司書は答えた。
「ええ。早まる事はあっても引き伸ばしはしません。
時が来ましたら、城へご招待いたします。
それまでは、どうか ... 我が国の覡を装ってお過ごし頂きたい。
生来、聖地に住まう隠者の世話となり暮らしてきた者として」
覡とは、男巫の異称だ。
三名分の身分証を並べ置いた司書の手は更に。
フェレンスの左隣り、来客席の横を差す。
目を向けたのは、やはりカーツェルだけ。
脇机の上には、大中小 ... 三つの衣装箱と青銅の鍵が見受けられた。
司書の話によると。
名を馳せた覡の中には、聖者の称号を授与され聖域に帰る者もいるのだとか。
要するに。
聖域の隠者が育てた捨て子が成長した後。
称号を得るため人里に下りて来た ... という体を装い生活しながら、
暫く待っていて欲しい。そういった内容だったと思う。
「けどさ、よくも シレッ とした顔で言ってくれるよな」
追々。司書との遣り取りを振り返るカーツェルの声が、とある空き家の窓越しに響いた。
用意された鍵は、城下の外れに建つ古家の施錠に用いる物との説明を受け。
三人が訪れたのは、日暮れ時にあたる。
「装ってとか言って、ふんわりしたコト抜かしてたけどさ。
つまり何だ、まずは国王様のお眼鏡に適う仕事をしてみせろって事だろ?」
危うく暴言を吐きそうになったと、カーツェルは言う。
が、戸口に立つ彼の後ろで聞いていて耳を疑った。
フェレンスはそれとなく、こう返す。
いいや、実際に言っていたと思ったが。あれは私の空耳か ... ... ?
え、言ってたかな ... ...
二人の会話は、どこかシュール。
チラチラ と見上げながらチェシャは思った。
日頃から執事を装う彼の口から、時々溢れる本音。
それは、苛立ちの込もった舌打ちと共に、小声で囁かれる。
〈 チッ ... ... 舐め腐ってんじゃねーぞ クソ が ... ... 〉
耳元で聞く羽目になるのは勿論、フェレンスだが。
うん、確かに言ってたよね ... ...
実はチェシャにも聞こえてた。
身分証と聞いて思い出し、胸元から取り出した勲章 ... ではない方を袖口で磨いている最中。
夢中になっていたので気に留める事こそなかったものの。
今になって思えば、凄い悪態ついてたなと。
既に来た道を引き返している街馬車を振り向けば、降ろした積荷が視界に入る。
大きな箱型鞄二つと更に、積み上げられた大中小の三箱 ... と、それから。
馬車を手配する前に買い付けた食料品等。
紙袋一杯のそれらは、それぞれが一袋ずつ抱え。
ようやっと持ち運んだのだけれど。
カーツェルの持つ袋は特別デカイ。
破れずにいるのが不思議なほどだが。
何せ幾つも抱えていられないので。
丈夫な穀物袋を態々一つ空けてもらい、詰め込んで来たのだ。
ちなみにチェシャの袋は、その十分の一もない。
しかも中身は石鹸各種。
つまらないなぁ ... ...
シュン ... としてフェレンスを見上げてみれば。
芳醇な香りを漂わせる果実が、袋の上部から美しい姿を覗かせている。
そんな幼子の視線を感じる度に、フェレンスは言った。
「あともう少し待ちなさい」
さて、どうして主人にまで袋を持たせたのか。
何度も見上げて落ち着かないオチビの様子から察するに。
執事はチェシャのつまみ食いを特に警戒したのだ。
無理と分かっていても勝手に手が伸びるであろう幼子を、余分に叱るのも忍びなく。
憧れる人の前では意識して良い子ぶりたいお年頃の性を利用した措置だが、効果は覿面。
そうこうしているうち、受け取った鍵を取り出し扉を開ける。
執事が先に立ち見渡してみたところ。
古家は清掃済みである模様。
馬車を降りた直後に解いたクロスタイを引き抜きつつ、進む彼に続いたのは幼子。
こぢんまりとした待合室と応接室が手前と奥の左角に位置し。
開け放たれたままになっている右の扉は居間、そして炊事場へと続く。
壁沿い隣り合わせの階段を登れば、寝室がそれぞれ三部屋。
主人は執事役が戻るまで、残された荷を見張っていなければならなかった。
ところが間もなくして聞く彼の声は思いがけず、荷物の置かれた方から耳に届く。
「住処から、日用品まで準備済みとはな。ご丁寧なこった」
どうやら勝手口が存在したらしい。
「 ... どうする? フェレンス」
荷の傍で彼は問う。
まずは上の三箱を持ち上げながら。
「それこそ四六時中、見張られるコトになると思うんだけど。 ... いいの?」
諜報機関の仕込みに抜かりは無いはず。
盗聴器を始め、監視機器だらけなのは目に見えている。
それでも必要かどうかを尋ねているのだ。
「一応、やっとく?」
滞在先での定例について。
安全、外的非干渉性確保のための探知と不審物の排除。
征く先々で行っているのは執事役。
並びに、護衛を務めるカーツェルだが。
「そうだな。しかし今回は ... 私がやろう」
あらため中へ入って居間の中心へと進み出たフェレンスは、
テーブルの上に袋を置いたうえで腰に差した杖を手に取る。
その間に勝手口から戻ったカーツェルが〈ドン!〉と音を立てて降ろしたのは外にあった荷の全て。
何と、この男。三つの衣装箱と大型箱型鞄二つを一度に抱え持ち込んだのだ。
流石の怪力 ... ...
階段の半ばに居ながら見て思うのは、二階を視察し戻ったばかりのチェシャだった。
カーツェルは、じっとして見つめる。
封止を解かれ昇華を果たした杖を撫で上げる ... 主人の左手を。
人差し指には新たな宝具が見受けられた。
赤い魔石を収める銀ノ指輪には、
魔力の高出力に耐え得る抵抗体が備えられている。
「これは、私からの返礼」
綴られし印文を宿すは、青翠の可視光線。
波紋を広げるが如く各所で反響するそれは、捜し物の位置を示し表わした。
壁、床、天井の継ぎ目。絵の額縁。家具や置き照明の内部もしくは裏側など。
珍しくもない箇所だが、その数の多さには驚かされる。
「酷ぇな、おい ... ... 」
「 ウ ン ... ... 」
カーツェルに共感し、チェシャは頷いた。
まるで祭りの電飾を眺めているかのよう。
開いた口が塞がらないのだ。
それに加え、囁いたのはフェレンス。
「何一つ余さず受け取ってもらおう」
彼は詠った。
あらゆる 眼 ... あらゆる 耳 へと通じる 信号を絶て
「 Corta la senal que conduce a todos los ojos y todos los oidos ... ... 」
異端ノ魔導師が唱える真言は、古家のそればかりか傍受機器をも破壊する。
〈 バチ ――――― ン! バチバチッ! バチバチバチ!! 〉
手元、耳元で火花が飛ぶ中。
クロイツを含む一味の内、声を上げたのは言うまでもなく。
機器調整と記録を行っていた二人。
「「ぐわあぁぁ!!」」
突如、絶叫し耳掛けを放り投げたエルジオとヴォルトが略同時に言う。
「ああ! やっぱり!!」
「やりやがった!!」
対してクロイツは笑った。
「 ククク ... ! だから言ったのだ」
第一等に格される帝国魔導師ともなれば。
同等の使い手を連れて来るでもしない限り、
如何なる兵器を並べ立てようが牽制になどなりはしない。
例え単独であろうとも。
その気になれば複数国相手に戦争し支配権を勝ち取る事すら容易かろう。
然れど国家機構に従属する ... 彼等の望むものとは何か。
「富と名誉。その二つに結びつく力。様々ある。
だが、あの男達は知っているのだ。
それらを欲する大勢の価値判断に左右される物は全て ...
統治されてこそ意味を成すのだと」
とは言え政治になど興味は無いのだから。
権力に絡む面倒事は人任せ。
逆に操れるだけの影響力さえあれば良い。
決して表に出さない強権性。
帝国魔導師の強かさたるや甚だしい。
「中でも、あの男は別格。
かつて亡国が保有した〈翠玉碑〉の制約に反し、
魔導兵を従える事が出来るのも、人外たる所以に違いないのだ」
誇張しているつもりはない。
静かに言って諭す。
クロイツの声は、いつになく控えめだった。
信号変換に作用し発生した雑爆音と、
回路発火時の破裂音を同時に聞かされた二人にしてみれば、違う意味で耳の痛い話である。
両耳を手で抑えたり、離したり。
調子を気にするエルジオの傍ら、振り向いて言葉を返したのはヴォルト。
「なるぼどな、よく分かったよ。しかしだな ...
好条件で仕事できるよう膳立てしてやりたい、こちとら堪ったもんじゃない」
するとだ。この場に至る隠し通路側に人の気配を感じ、ノシュウェルが見やる。
クロイツも気が付いていて、何やら意味深なことを言いかけた。
「 ククク ... 組織内部に潜在する対敵がどうのという話は良くある事だが」
いやいや。それにしても .... ...
眉を顰めるノシュウェルの横には、同行を決めたばかりの二人。
「あの人、見たことあるよね?」
「うん。アイゼリア絡みの報道で、よく見る顔だな」
やっぱり ... ... ?
小声になる二人の会話を聞き、改めて思う。
ノシュウェルは手に汗を握りながらも後ろへ下がり、両者の座る椅子の背を蹴って立たせた。
この時点で起立していないのはクロイツだけである。
どんだけ図太いんだと。
クロイツに目を向ける者、皆が心で呟いた。
それもそのはず。
立たされた二人は初対面であるものの。
クロイツとノシュウェルは目を見張る。
言うなれば、幕下の人影 ... 再来の時。
初めて対面した際は影に隠れていた人物だ。
言葉を交わすことすら無かった相手である。
それが、まさか、こんな。
理由の分からない拍子で訪れようとは思いも寄らなかったと言うか。
ノシュウェルは度肝を抜かれながら、
なお座っていられるクロイツの神経を疑った。
まぁ、何だ。今更だけど ... ...
位の高い人物である事くらいは予想していたのだ。
とは言え、正体も知らず終いだったのに。
「こいつは ... 予想を遥かに超えてきましたな」
ノシュウェルの口を衝いて出た言葉からは、動揺の色が窺えた。
一方で語り連ねる。クロイツの声は、また静か。
「君主制であるとは言え。
元老院を据え、民間議員も携わる国体。
資源輸出国でありながら、機関を設けてまで諜報活動に注力するのは何故か。
杜の生態を利用した侵略と見做されぬよう。
国交に差し障り無きよう、情報統制するために決まっている。
だが ... それだけだと思うか?」
つまるところ。
侵略と見做されようが、国交に差し障ろうが、
杜を利用し権力を得たい者が少なからず存在し。目に見えているだけに。
それを望まぬ者とで国政が二分するような、
内紛の勃発を防ぐためでもあるのだ。
具体的に言えば。
王家転覆を図りかねない者を見張り、
企てを抑止する。
それが、クロイツとの取引に応じた彼等の担う ... 真の勤め。
クロイツは、そう言って続けた。
「しかしな。王太子、自らが隠密を兼任し率いていたとは驚きだ」
ノシュウェルは心の中で繰り返す。
ホント ... 驚き ... ...
閣僚首席ならまだしも。
君主である国王の子息。王位、第一継承者を前に踏ん反り返るなんて。
あんたにしか出来ねーわ ... ...
等々。考えていると頭痛がしてくる。
現れた男がフードを脱ぎ、口隠しを取り払う間に。
引き連れられた複数人の護衛が部屋の四方を固め、一行を見張った。
右の耳元から後頭部にかけ片面のみ刈り上げれた髪は、彼らアイゼン民族特有とされる武の象徴。
緑漆に艶めく長い髪に指を通し、外套の襟口から左肩、そして胸の前へと梳き下ろす。
中心人物はやがて、視線を上げ。深藍の瞳がクロイツを捉えた。
アイゼリア王太子。現国王の一粒種と言われる彼の名は ... ...
《ウルクア・ルタ・トリアスト》
威風に圧倒されると共に、身が引き締まる。
姿勢を正した二人より一歩前に出て踵を鳴らし揃えるノシュウェルは、敬礼後に辞を述べた。
「殿下におかれしまては、お初に御意を得まして光栄に存じます」
ここは一つ、元軍人として恥ずかしくないよう努めねばならぬと。
それをチラ見し短く息を吐き捨てるクロイツは、見栄張りご苦労 ... とでも言いたげ。
一度は対面しているため、挨拶もそこそこに謝辞を返すのは先方。
「はじめまして。自己紹介は不要かと思いますが。まずは、いつぞやの非礼をお詫びします」
名を伏せたままの謁見について触れているよう。
対し、こちらの代表は応えもせず口を閉ざしたままなので。
ノシュウェルは気が気ではない。
並ぶ二人の首筋にも冷や汗が流れる。
暫しの沈黙を経て、クロイツは一言だけ置いた。
「要点だけ聞こう」
白熱灯一つきりの薄暗い空間に緊張が走る。
王太子、ウルクアの視線は鋭さを増した。
僅かながら笑みを浮かべる口元で、彼は言う。
「斯く言う人外を手懐けるにはどうしたら良いか。
ご意見をお聞きしたく参じました。教えて下さいますでしょうか?」
予測できた質問であるがため。
クロイツの回答もまた、端的。
「帝国の奴等が異端ノ魔導師に血ノ奴隷を保護させ、逃したのには何か裏があるはず。
それを代わりに探ってやれば良いのだ。
奴等の側には、あの魔導師が配下に据える男の実兄がいるからな」
アレセルは既に潜入済みである。
裏切りを働いてまで。
するとノシュウェルが小声で尋ねた。
「あなたの弟君はやはり、あの御方が知りたがる事を見越していたのでしょうか」
「そうとしか考えられんと言うのに。冗談でも手ぶらで帰れるか」
確かに ... ...
互いに耳打ちでもするかのような会話。
クロイツの目を見据えるウルクアの瞳にも、思惑が浮いて見えるよう。
「だが、思い違いの無いよう言っておく」
次に言い放つクロイツは、
足組みを解いて卓上に肘を付き、身を乗り出した。
そして続ける。
「あの男 ... 異端ノ魔導師を手懐けるなど到底、不可能だ。
仮に出来たとしても、そんな事を可能にする人物を果たして〈人間〉と呼べるのかどうか ... 」
聞いていて息を呑む。
ノシュウェルは同時に違和感を覚えた。
ウルクアが何かやら ... 期待した答えを得たかのような、そんな表情をしているので。
クロイツが示唆しているのは、段階的攻略。
着目点を少し手前に置いてみろという事だろう。
その言葉から連想されるのは、とある執事なわけだが。
「これに関する限り。あの化物であれば ... もしや ... ... 」
例によって、彼の名は伏せられた。
化物か ... ...
その場に居合わせた者は皆。
ある男の代名詞と化した言葉を思い返し、押し黙るばかり。
誰一人として、その名を口にする者はいないのだ。
「 カーツェル ... ... 」
その男は今、城下の外れに建つ古家に居て。
造りを見渡し ... 何かを警戒している。
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