石ノ杜~Ⅻ
文字数 9,660文字
長く、重厚な低卓の天板には黒の強化硝子。
黒鏡の如き卓上に映し出された髭の人物は、白頭長眉の小柄な老君。
落ち着かないのか、肩を竦めて俯く。
老人は彼の質問に対し、こう答えた。
「そんなコト ... 儂が知るワケないじゃん?」
ションボリ ... として力無く、実に弱々しい声だった。
「そもそもじゃ。尋ねる相手を間違うておるわい」
何を恐れているのだろう。
戸惑っているようにも見えるが。
アレセルは立ち上がり、相手の傍まで歩いて行く。
〈 コツ ... コツ ... コツ ... 〉
靴の踵が大理石の床を鳴らす音を数えてみると。
低卓の端から端まで、大人の足で八歩。
「なるほど。風の噂に聞いてはいましたが。
ご嗜好が些か悪趣味ですね。とんだ猿芝居だ」
相手の真横まで来て、卓上に片手を乗せたアレセルは依然として無表情だが。
ゆっくりと握られていく手に力が込められる様子を目の当たりにする。
老人は、密かに汗した。
対して、また幾つか問う。
「では少しばかり質問を変えますので、お答え頂けますか?」
置かれた拳は、やがて引き下ろされた。
けれども不穏な気配を放つ彼は、老人の背後を行ったり、来たり。
「直接的ではないにしろ、〈Ⅳ〉に雇われた事実上の工作員。
貴方が、その一人である事は分かっているのです。
風の噂などと、あの男に情報を流し続け。
そればかりか、禁断ノ翠玉碑を手に入れた暁には
関連する研究活動に参加させてやってもいいと ... ...
そう吹き込まれ貴方が取引した相手は、あの男だけではない事も」
不安定な息遣い。
強張り震える腹の底から絞り出されたような、声音の重圧。
「果たして貴方は、誰にとっての二重スパイなのでしょう。
あの御方ですか? ... それともⅣ? もしくは ... ... 」
吐く息は細く、長く。
吸う息は一度に、早く。
並の人間であれば、危険人物と認識し震え上がるだろう。
だが老人は、あっけらかんとして返した。
「あの魔物小僧だけは無いて」
「 ... ... そんな事は分かっています」
じゃあ、何で今、言いかけたの ... ...
老人は心の中で思う。
そうして無理やり飲み込んだ。
まずは話を最後まで聞いてみようかと。
アレセルは続ける。
「あの男は、フェレンス様との巡り合わせが自身の兄によって仕組まれたものだと知っていました。
自分に都合の良いよう誰にでも情報を漏らすような、向こう見ずで口の軽い人物は、
そこそこ名の知れた〈秘術師〉であるとも聞いています。尤も ... ...
記憶の改竄を恐れ、故意に口を滑らせようとも咎める者はいないそうですが」
拍子抜けしたのか、少しばかり冷めた口ぶりだった。
なのに態度だけは相変わらず。
「限定的記憶の抹消。
あの男が自ら望んで申し出るよう仕向けるまでがⅣの筋書きだったのです。
実行したのは他でもない、貴方だ。そうでしょう?
星詠ノ郷に伝わる秘術を受け継ぐ者。水郷ノ民。
オルフォード・ルフ・カルロ ... ... さあ、お答え下さい」
此奴。またしても言い切りおったわ ... ...
思うところは様々あるし、うんざりもする。
しかし老人は肩で大きく息を吸って、吐くだけ。
決して答えようとはせず、そればかりか話を逸した。
「奢りが過ぎるのぅ、若造」
「漏洩すると分かっていて、主犯が正犯に真意を明かすわけがないと仰っしゃりたいのですか?」
「違うの」
それ以前の問題よ? と、続けて。
老人は意見する。
アレセルは歯を食い縛って聞いた。
「手順が成っておらんのじゃ。諜報活動の優れ者であるなら、
上手くすれば利が得られる事を相手に分からせたうえ、引き込むものじゃろうてのぅ」
問い掛けを完全に無視された挙げ句、駄目出しを食らってしまうとは驚きである。
円み豊かな口調が、アレセルの神経を逆撫でているよう。
老人は尚も軽口を叩いた。
忘れたの? そんなはずはないよね?
そう、彼の箍が外れてしまったのは、指摘に次ぐ指摘のせい。
「お主、何を焦っておるのじゃ?」
「 こ っ ち が 聞 き た い !!」
突然のガチ切れ。
だが、老人は動じなかった。
それどころか涼しい面持ちで茶を啜りはじめる。
今のアレセルに、それら老人の振る舞いを顧みる余裕は無かった。
目の焦点を合わせる事すら難しい中で、彼は言う。
焦燥感の滲む言行だった。
「鼓動で ... ... あの御方の心身の乱れが伝わってくるのです ... ... !!
何があったのか、知る由もないのに!! どうにか、どうにかして知りたい ... ... !!
どうしたら良い!? 少しでもあの御方の置かれた状況を予測し手を打たねばならないのです!!
公判前、あの御方から水郷の伝承について触れる文献は無いかと尋ねられました。
けど、あの時の僕は気付かなかった。水郷に伝わる秘術については知っていたのに!!
催眠法の一種。
深層意識に働きかけ記憶を操作する事により精神疾患の元を取り除く秘術師が存在すると。
思い出した時、あの御方が尋ねた理由が分かった。全て繋がった。
あの男の記憶が関係しているに違いないのです!!
でも手掛かりが足りない。
その昔、行方知れずとなった秘術師とその弟子について調べました。
弟子に限っては今も存命している可能性があった。
更に調べると、あの御方と薬品や霊草を取引し配達を行っていた人物に行き着いたのです。
貴方だ!
各勢力と通じる貴方なら、Ⅳの企みについて如何ばかしかは推測可能なはず。
Ⅳの狙いが分かれば、あの御方が懸念する〈あの男の欠点〉が見えてくるかもしれない!
そうでしょう!?」
要するにだ。
「汝が知りたいと言う実のところは、異端ノ魔導師と契約した小僧の〈弱み〉と言う事か?」
狂っている。
老人の声色が豹変し、地を這う音を成したにも関わらず。
アレセルを怯ませるには至らない。
「 ... ... そう」
ユラリ ... 立ち返る彼は細々と答えた。
「あの御方に仇成す要因があるなら。
即刻、取り除かねばならないのです ... ... 」
煙る街景色に目を向ける彼は、落ち着きを取り戻したかのように見えた。
ところが、よく見れば血の気のない顔色をしている。
激昂を通り越し卒倒していても不思議ではない。
執着、執念、何れにもとれる強い想いが、その姿を支えているのだろう。
「嗚呼 ... ... 気が狂いそうだ。あの男は一体、フェレンス様に何を ... ... 」
「狂いそう? これはまた、今更な事を言う」
すると、茶の器を置いて言葉を返す。
老人の物言いは威風を堪たえ、厳格を極めた。
「汝が気狂いを起こしたのは、疾うの昔。
今や限られた自身の寿命を懸け、それを鎮めたのがシャンテの傀儡。
これだけ思い詰めているにも関わらず、
霧ノ病を発症せずにおるのが不思議と、自分でも思わぬか?
それもそうじゃろう。汝が正気のつもりでいられるのは
〈傀儡ノ心臓〉として機能しておるからじゃて ... ... !」
「僕の大切な人を〈傀儡〉呼ばわりするのは や め ろ !!」
末尾まで持たず、声枯れするほどの拒絶反応。
その時、部屋の片隅で見守っていたメイドの肩、がビクリと跳ねた。
何のため立ち会う羽目になったのだろう。
老人の気掛かりは、彼女にも向けられる。
するとアレセルは言った。荒らぐ呼吸を静めながら。
「僕は知っています。貴方ですら僕には手が出せない。
そう ... ... 僕は、あの御方の心臓なのですから」
「どこまでも生かされておきながら、哀れじゃのう。
そんな事ではな。知っていたところで、とても聞かせてやれんわ」
「 ... ... 」
更に。突如として椅背を握り込んだ彼は、不気味に笑う。
そうして、老人の座る椅子が部屋の壁に ガツン! と押し当たるまで力一杯、引くのだ。
正面に立って屈み込み、視界を遮る凶眼。
長尾の影に隠れた鋭い視線を凝視する。
彼の挙動に危機感を覚えずには居られなかった。
「やはり ... ご存知なのですね ... 」
「おやめ下さい! アレセル様!!」
嫌な予感に押し切られ口走ったのは、立ち会っていた一人のメイドである。
「少し黙っていてくれませんか! リリィ!
僕は、この老漢を味方とは思っていないのです!!」
「いいえ、黙りません! だって、だって ... !
その御方は旦那様から大事なお役目を!!」
「おバカじゃのぅ ... 精霊の娘御やぁ ... 」
言いかけたところで老人に遮られた。
リリィは ハッ ... として口元を抑える。
アレセルの苛立ちは最高潮に達し。
ギリリ ... 食い縛ると。
引き攣る唇の隙間から、漏れ出す歯軋りの音。
「では、それも含め洗い浚いお聞かせ願います。さもないと ... ... 」
軍警に属する法制管理官の制服に佩用された、略綬を横切る目向き。
老人が実際に見ていたのは、その向こうだった。
黒光りする銃身。
彼が取り出した拳銃は、老人の顎の下へ突き付けられる。
こりゃ堪らん。シワシワと萎み込む口から溢れたのは、本音だろうか。
「シャンテの厄介者め、何のために汝を生かしたのか理解不能じゃ。熟、迷惑な!」
「聞こえていたでしょう? 二度はありませんよ?」
受け流しは通用しない。銃口が顎の下を刳り上げてきた。
今となっては、もう自棄糞。
「儂は記憶の抹消なぞしておらん!」
老人は矢継ぎ早に言い立てる。
「儂が受け継いだのは〈封止忘却ノ術〉と言うてな!
記憶を深層へ沈め、意識への干渉を防ぐ封じ技じゃ!!
あくまでも忘れているだけにすぎん! 何を切っ掛けに思い出すやもしれぬ!
Ⅳの思惑なぞ知った事か! 一時の不都合を排除するだけと思うたわ!!」
「つまり、そうではなかったのですね?」
「儂は確かにシャンテの厄介者に関する記憶と、矛盾が生じるを前後の幾つかを封じた。
小僧の兄も事故と言って取り繕ったはずなのじゃ。
なのに彼奴め、あの厄介者の存在だけは忘れなんだ!
いや。小僧の中には自身のそれとは異なる記憶が
暗号のように灼き付いておる! 恐らくは、そのせいじゃ!
引き出せるのは、記憶の持ち主の魂に触れ、散り々になったそれが元の形を成そうとした時!!」
「いやですね ... ... ハハハ ... ... 冗談じゃない。それでは、まるで ... ... あの男が、
かつて魔導兵として仕えた竜騎士の記憶を受け継ぐ、生まれ変わりと。
そう言っているように聞こえます ... ... 」
「汝が言うたのじゃ。推測せぇとな」
アレセルは言葉を失った。
「あの厄介者。シャンテの中枢を司った者の一人である〈記憶ノ番人〉が、
何時、何を仕出かしおったかは儂にも分からん!
しかし、あの小僧め。思い出すまで行かぬうち、次から次へとアレを好きおる!
その都度、幾度となく封止忘却が発動してきたのじゃ!
汝に分かるか。小僧の心の奥底で犇めき合うのは、恋慕の情ばかりではない!!」
「 ... ... そう、ですね。あの御方を忌む者への嫌悪感など、数え上げたら切りが無い」
「そっとしておくのじゃ。
〈神々ノ器〉と言うが、魔導兵たる者の本質なぞ魔物と変わらん!
それがどうにかなってみろ、何が起こるか分からんぞ!!」
どうにかなるだって ... ... ?
「 ハハ ... ハハ。ハハハ! ハハハハハハ!! どうにかなる? あの男が!?
それはそれで好都合ですよ? あの御方が帝都を去り、
彼ノ尊と距離を置く決心をしてくれさえすればよかったのですから!!」
「何、じゃと?」
「あの男は僕にとって、もう、用済みなのです ... ... 」
堕落した魔導兵は真正の魔物。
契約主との絆を強化し、原形再生の後ろ盾となる楔ノ法が、
契約者によって打ち破られる事を意味するのだ。
「お陰様で。Ⅳの狙いが見えてきました」
落ち着き払って囁く。
アレセルの様子が打って変わり、ただならぬ空気が漂った。
老人とリリィ。二人は同時に息を殺す。
胸騒ぎ。曰く言い難し。
「よもや、汝が成り代わるつもりではあるまいな!? 何たる傲慢!!
傀儡ノ心臓に、そんな事が出来るはず ... ... ! ぐ! ああ!!」
老人の胸元を掴み上げるアレセルの手は、甲を返し。
腕をあてがうや壁に押し付け、首を締め込む。
最早、声にもならない。
リリィは、すっかりと青褪め打震えるばかりだった。
「二度は無いと言ったはずです」
彼は続ける。
今は方法が無い。
けど、いつかは見つけ出してみせると。
そして、多少なり話を整理した。
「竜騎士ノ記憶が元々あの男の内にあったものかどうか。今となっては貴方にしか見通せない。
あの御方は、そう判断なさったのかもしれませんね。ただ、それでは単なる生まれ変わりとは訳が違う」
そう。宗教的意味合いを込めて言い表すならば。
それは最早〈転生〉ではなく ... ... 〈復活〉。
それから、もう一つだけ問い掛ける。
「貴方が口を割らずとも連中に始末される事はありません ... ... が、
ご覧の通り。あの御方が取り付けた話の内容を知る者は、貴方だけではないのです」
お解り頂けますね ... ... ?
彼女が口を滑らせた時。
同席させられている理由については察し済みである。
老人の心は揺らいだ。
物を傷つけようが、壊そうが、買い換えるか作り直すだけと思うのが人間。
中でも凶悪と思しき冷血漢に掛かっては、
小間使い如き物ノ精霊など簡単に圧し折られてしまうに違いない。
呼吸もままならなず意識が遠退く中、老人は思う。
気狂いを起こしても女性へ向ける尊念に変わりはないらしい。
例えそれが、精霊の仮の姿であろうと。
思いもよらぬ遣り取りを聞いて息を凝らすリリィは、壁に凭れ。
今にもへたり込んでしまいそう。
だが、やがて気を失った老人の身体が脱力しきると、
直様に力を抜いて血流を戻してやっているアレセルのもとまで駆け寄る。
もしもの事があってはいけない。
老人を託されたリリィは、傍の長椅子に寝かせたうえ脈を窺った。
無言で立ち去るアレセルには目もくれず、介抱するのみ。
そんな彼女の横顔を振り向く退室の間際に。
何を思ったか。
アレセルの面差しは、逆光による濃い影に覆されている。
その心情を窺い知る者は、誰もいないのだ。
上級貴族及び上院議員の結社に属する権力者、№4。
Ⅳの策略に落ちようが、奴なら切り抜けるだろう。
愛情深い男であるが故に。
注ぐ相手が存在する限り、屈する事は無いはず。
二人の母を同病で亡くし、一時は正気を失っても。
今、アレセルが想いを寄せているのは良くも悪くも、あの ... ... 異端ノ魔導師なのだから。
状況をまとめ上げ、思い至る。
それと言うのもアレセル元審問官の裏切りについてだが。
クロイツが言うには、結社の真の狙いを探るためだろうとの事。
「この国、アイゼリアには信教徒過激派の連中ですら不都合と思う、何かしらが存在するのだ。
出来る事なら、フェレンスに始末させたいのだろう」
主従の契約を断っていたなら、不要だった策と思われるが。
飽く迄も真相は謎のままである。
それよりも不可解なのは、結社の動きなのだそう。
「それを知っていたにしろ、一時とは言えフェレンスを手放すような真似をするとは」
「流石に、紅玉を保護させるためだけ ... ... ではなさそうですな。
不都合に関係する利害の一致でもあったんでしょうか」
「 ... ... ハァ ... ... 貴様という奴は、熟 ... ... 」
ぁぁ。はいはい。馬鹿だなって言いたいんでしょ。
口に出して言いかけたが、唇を噛み締め堪える。
気を取り直したノシュウェルは少しだけ見方を変え、こう切り出した。
「ぇぇと。帝都で主従の契約を断とうとしたのは枢機卿でしたな」
「手出し出来ぬようアレセルを引き込み、一芝居打たせた事に何の意味があると思う?」
「単に魔導兵を操る異端ノ魔導師の利用価値を失いたくないからでは?」
「アイゼリアに主従を追いやれば利用価値は保たれるのか?」
「価値がどうのと言う前に、利用する事が難しくなりますね ... ... 」
頭がこんがらがるなぁ。
会話を聞いている誰もが思うところ。
「ううん ... ... ! 自分には分かりません!!」
「安心しろ。私もだ」
何それ。え。何それ。
一同、拍子抜け。
カクン ... と膝から力が抜ける。
仕方が無いのは分かっているのだ。
何しろ情報不足すぎて。
「でも、あなたがそれを言っちゃった時の〈してやられた気分〉は格別だわー」
誰かの呟きが聞こえたので振り返って見るが。
彼の元部下達は皆、空気を読んで顔を逸らす。
仮釈放されて間もないのだ。
うっかりしたとは言え、出来れば蹴り飛ばされたくない。
その気持も分かる ... ...
元上司として、ノシュウェルもまた沈黙を守った。
すると気が付く。元部下のうち一人が、いつまでも顔を上げようとしないので。
何やら鬱ぎ込んでいるように見えるが、どうしたのだろう。
ノシュウェルが近くまで足を運んでみると、小さな溜め息を耳にする。
同じように気に掛けていたのは、彼の同期だが。
実を言うと、ちょっと聞き辛くて。
どうしようかなぁ ... ...
なんて思っていたのだ。
何せ、そいつときたら。
部隊の解散後に乗っ取った巡視船の操縦桿を握りながら、
自分とクロイツを相手にキレ散らかした意外性の人であるからして。
相手が気を利かせるのを暫し待つ。
会話に至ったのは、その場から少し距離を置く相手の視線に呼ばれ、行ってみた後の事。
「何かね、シャンテノンで失踪した女の子の件を気に病んでるみたいなんだ」
「そういやぁ、彼の御方から直々に頼まれてたのはアイツだったか」
「うん。一緒にいなくなった裏切り者とも、それなりに仲良かったしね。
あえて泳がせる作戦なんて知らされたところで、心配なものは心配なんでしょ」
しかも、音信不通の別働隊には彼の義兄が所属していた ... ...
不意に押し黙るノシュウェルの、思うところを見通したか。
一つ二つ、言い残して話を切り上げたのも相手の方だった。
「今さ、考えてる事。言ってやる必要は無いみたいだよ。アイツも、とっくに察してるから」
フェレンスに聞かされた事とは言え。別働隊の全滅を立証するのは不可能。
人を介する憶測は、あたかも事実であるかのように伝わりやすい事情。
ただでさえ思い悩む。
現状を受け入れるための考察なら、各自に委ねるのが一番、当たり障りが無くて済むだろうか。
床板の目を辿って歩くかのような姿勢でクロイツの傍まで戻ったノシュウェルは、
腕組みした片方の手で、頻りに自身の顎を揉む。
気まずそうにする男共を睨みがてら、それとなく目で追っていたが。
隊の中で最も責任感の強い人物と言えば、皆が指差すであろう某隊員の気負いとは裏腹。
クロイツの関心は、思わぬ角度から寄せられていた。
「奴は、貴様の隊の中堅だな?」
隊員の序列なんて気にする人ではないと思ったが。どういう風の吹き回しだろう。
はたとして考え事を一時中断し、ノシュウェルは答える。
「分かりますか? 控えめな性格をしてますが、気立ての良い男ですよ」
真面目すぎるといった話の展開を予想し、高を括っていたのだ。
けれども、クロイツは不敵な笑みを浮かべる。
「狸に着せる化けの皮としては、もってこいと言うわけか」
... ... ん?
横目で チラリ ... 様子を窺うなり、意表を突かれた気分だった。
まるで話が見えない。ノシュウェルは尋ねた。
「いえ、待って下さい。いったい何の話ですか?」
突然でてきた狸が迷子です。
言ってみたところで、クロイツは聞かない。
そうと知りながら、あえて。
対し、皆に聞こえるよう声を張る。
クロイツの声は、今後を案ずる個々の目的意識を駆り立てるかのよう。
「我が弟が奴等の側に付いたのは、例の少女の征くへを探るためでもある。
私は、いずれまた帝都へ戻らねばならん。だがその前に、やる事がある。
アレセルと交渉し、情報を引き出すための取引材料が必要なのだ」
そのため、不本意ながら異端ノ魔導師に取り入るつもり。そこでだ。
「貴様らは ... ... どうする?」
このまま西ノ二カ国、ローランド、もしくはハイランドの何れかに亡命するも良し。
そう言ってクロイツは続ける。
「好きにするが良い」
但し、この場で決めてもらうと。
何処の施設かも知れぬ。
広々とした石造りの応接間にて、訪れた選択の時。
中心に向かって数段、掘り下げられた各所に腰を下ろす者は皆。
帝都を脱した時から、たまたま行動を共にしていたに過ぎない。
今となっては、ただの顔見知りといったところ。
おずおずとして、互いに見合う。
彼らは、やがて心を決めた。
そうして、各々が順に告げていくのだ。
結果、亡命希望者は十名。
クロイツと行動を共にする。
そう答えたのは、先の話題に関わった二名のみである。
意外と言えば意外。
中堅だった一人は分かる。 ... が、まさかと思った。
「あの、おっかないのが付いて来るとは驚きましたね」
「中堅の同期と言うではないか。義理でもあるのだろう」
会合を終え、場所を変えるクロイツに同行したのはノシュウェルだが。
「いやぁ、それが。たまたま二人の会話を近くで聞いてたんですがね?
そうでもなさそうでしたよ」
先の様子が一瞬だけ思い返される。
『え、嘘 ... ... お前も来るの?』
『何、その言い方 ... ... 行っちゃ悪い?』
衝撃を受け後退る話題の男と、腕組みして睨みを利かせる、もう片方。
『いいえ、とんでも御座いません!』
なんて。聞いていただけなのに声を揃えて言いそうになったもんな ... ...
出来事を振り返るノシュウェルは軽く身震いし、やがて気を取り直す。
「それはそうと。一つ、お尋ねしたい」
対してクロイツは溜め息を零した。
「元部下たちに亡命を勧めたのは、やはり ...
先々に各方面から情報を得るための布石ですか?」
チラリ ... 隣を見ても、クロイツは無反応。
バルコニーの縁に片腕を置き、森ノ海を展望する。
「誰が勧めた?」
いや、誰って ... ...
「あなたですよ?」
ざわめく樹々。滑昇霧を生じ、湿りを吐き出すかのような森淵。
「帰郷を諦めさせたのは分かります。
例えあなたが、異端ノ魔導師に取り入る事で釈明の機会を与えられ、恩赦復権したとしてもだ。
力の無い者は、それまでに関わった人物や弱みを吐かせるための格好の餌食ですもんねぇ。
身の安全のため傍に置いておけるのは極少数。選定は必要だった。
それに、至って真面目な元中堅なんか、奴等や連中が飛びつきそうじゃないですか」
〈化けの皮〉とはよく言ったものだなと思う。
「このままでは布石にもならん。西ノ二カ国はアイゼリアを盾に帝国の顔色を窺うような食わせ者。
亡命客を保護させるには政治的利点、国益を匂わせ、
いつの日か我々が必要とするやもしれぬ人物であると、思わせなければならぬのだ」
その上、あっさり答えが返ってきたぞと。
ノシュウェルの目が丸々と開いた。
あら素直。認めた。びっくり ... ...
帝国と西ノ二カ国。
双方が同じ事を期待し動くよう仕込み、結果として人材を生かすと同時。
自身も双方の情報を得ていくのが狙い。
二重スパイの二股とは、何て大胆 ... ...
普通であれば消されてしまう。
だが、これからクロイツが取り入ろうとしている相手は、あの、異端ノ魔導師。
先が思いやられる。いくら何でも無謀が過ぎるのではと。
確かに、これまでもそうだった。
しかし、比較にならんよなぁ ... ...
随分と目の前が暗くなった気がする。
流石のクロイツも、心做しか素直になるわけだ。
するとそこへ、駆け付ける足音。
開け放たれた硝子扉の内側からバルコニーへ向け吹き出す風。
振り向いたのはノシュウェルだけだった。
煽られ棚引く窓掛けを手で除け、現れたのは保護観察官を装う若者。
「ヴォルトが呼んでます。あの男が明日にも動きそうだって」
エルジオだった。
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