精霊王ノ瞳~Ⅳ
文字数 6,259文字
その幻は、あどけない少女の姿をしていた。
混乱を鎮めなければ。
せっかく留めた意識が何処かへ飛んでいきそう。
追想を重ねる本人は、自身に言い聞かせるばかり。
「俺は、ローレシアと約束したんだ」
いずれは彼女を帝国、皇室の檻、柵から救い出すつもりだと。
何故なら彼女は ... ...
「ローレシアは ... ... 」
「待ちなさい。カーツェル」
制止するため席を立ち、向き直ると。
幻に囚われる眼差しが、フェレンスの後ろを駆け抜けるかのような影を追う。
気配を確認したが。勿論、そこには何も無い。
彼は引き続き、思いを馳せた。
フェレンスの話をする時、ローレシアは嬉しそうに笑う。
ローレシアの話をする時、フェレンスはいつもより熱心に聞いてくれる。
何故なら。
ローレシアは、お前の味方だから ... ...
すると思い出の中の彼女が繰り返した。
『そう、私はフェレンス様の味方よ。
けれど、このことは秘密にしておかなければいけないの』
事情は耳打ちで告げられる。
『だから、カーツェル様は ... ね? お願い。
約束して? このことは誰にも言わないって。
フェレンス様のために ... ... ね?』
彼女に特別な好意を抱いたのは、その時かもしれない。
然して当時の彼は、こう考えた。
フェレンスの味方である彼女を守らねば。生かさねば。救わねば。
そう。フェレンスの魔導兵となるため、禁断ノ契約を交わす際。
決定的な影響を及ぼしたのが彼女、ローレシアの存在だったのだ。
彼女と、彼女の秘密を守り。
約束を果たすため。
『 ならば ... ... 力をかそう ... ... 』
斯くしてフェレンスは彼を受け入れる。
だか、おかしい。
違和感を覚え、我に返った。
すると目の前の主人が、口を閉ざし首を横に振る。
何も言うなとの事だろう。
けれども、納得なんて出来ない。
「だって。聞いてくれるって。話そうって、お前が ... ...」
「彼女のことについては、独自に情報を得ている」
答えにもなっていない。
「それだって正確とは限らないよな?」
「それはそう。だが心配ない。手は打ってあるので」
アレセルが当たっている筋の話をしているのだろうか。
「敵になるかもしれない奴の情報なんか!」
「懸念されるというだけ。策はある」
「そんなの 当てになんねーだろ!!」
「そう。根本にある不安要素は今も昔も変わらない!
私と関わったがため常々懸け引きされるのが、お前の命なのだから!!」
始末に負えず、互いが語気を荒げる。
隣の部屋で眠る幼子のこと。
意識し、静かな遣り取りを心掛けていたのに。
肩を揺さぶられ、勢いに押されたのはカーツェルの方だった。
フェレンスは更に強く言う。
「真に用済みと見做されぬよう、気を配れと言っている!
彼女の秘密を、そして約束を守り抜け ... ... !!」
明かさぬ限りは、生かされるためだ。
気を静めるように深呼吸し立ち直った相手の姿に目を瞠る。
カーツェルが気付かされたのは、ローレシアの真意。
『フェレンス様のために ... ... 』
と言うのは、つまり。
秘密を守り、生きろということ。
彼女は知っていたのだろう。
カーツェルが生き存えることこそ、フェレンスのためになるのだと。
与えられた秘密は、それを可能にするためのもの。
だがしかし。フェレンス本人にすら言ってはいけない理由が分からない。
疑問を抱いた末。
やがて思い至る。
交わした約束がフェレンスのためだなんて、当人が知ったら。
きっとフェレンスは、俺を受け入れなかった ... ...
だとすると。
まさか ... ... 俺は、フェレンスに受け入れられたい一心で ... ...
思い込んだ。
いや、有り得ない。
無意識なんて。
そう都合よくいくはずがない。
そもそもが契約する以前の事だ。
グウィンの未練さえ影響しようがないのに。
息が、できない。
地に足がつかない。
これ以上、考えてはいけない。
そんな気がする。
なのに回想が止まない。
フェレンスの話をする時、ローレシアは嬉しそうに笑う。
ローレシアの話をする時、フェレンスはいつもより熱心に聞いてくれる。
ローレシアは、フェレンスの味方だから。
守らねば。生かさねば。救わねば。
彼女との秘密を、約束を守ろうとする俺のことなら、フェレンスは受け入れてくれるから ... ...
「いや ... 待てよ。フェレンス」
それじゃまるで、俺が ... ... お前のことを、昔から ... ...
好 き 、 だ っ た 、 みたい ... ...
その時、受けた衝撃は、
戦神の撃ち下す雷を彷彿とさせた。
脳髄を走る信号の紡ぎを灼き、痕跡を断つが如く。
熱情だけ、持ち去られていくのだ。
次いで途切れる意識。
より深刻な自失を招き。
周辺を見渡す彼は、まるで抜け殻のよう。
ハッ ... と、浅く息を吸い、状況を飲み込む。
フェレンスの両手が彼の頬を包み、やがて撫で下ろした。
悲壮感、漂う。
しかし実に愚か。
傍聴者の誰もが思った。
住処として主従に与えた古家の、ほぼ向かい。
水路を挟んだ集合住宅路の物陰に二人。
屋上にも、また二人。
隠れ潜む計四名は呆れ返って、こう話す。
「あの二人 ... マジで未だに、お互い友人同士なんて思ってんだよね?」
「あぁ、うん、たぶん」
ノシュウェルの元部下二人は物陰から。
「多分!?」
「てコトはだ。なぁ、おい。もしかして、あいつら馬鹿なのか?」
諜報員のエルジオ、そしてヴォルトは屋上から。
それぞれ通信を交わしていたところ。
「いや、えぇと。そーだなぁー ... ...」
それぞれ聞いて言葉を濁したのはノシュウェルだった。
やや遠方。吊り展望の片隅にて。
額に四つ指。
冷や汗を拭っていると。
「 馬 鹿 な の だ 」
唸るようにして答える元上司。
クロイツに明言されると、ああ、仕方がないんだなという気がしてくるので。
返す言葉も無い。
不思議と皆が黙って聞いた。
「そればかりか出来もしない情想の裏打ちを
友人に抛つ人で無しめ。 吐き気がする!!」
言い過ぎじゃね ... ... ?
思っても言えない事情あり。
クロイツの不機嫌は今に始まった事ではなかった。
それと言うのも、主従の待機期間中に遣り取りした内容に由来するのだが。
「でも、分かる気がするなぁ」
などと呟く猫被りの発言を耳にし、それどころでは無くなった。
元部下のもう片方が隣で絶句。
驚愕の顔面芸をしている。
シにたいの ... ... ?
被った猫が脱げそうな空気。
なのに。
いや、だって。
こんな茶番劇を小一時間、見守って。
クロイツは兎も角、同じくらいイライラしてそうなのお前じゃん!
という顔。顔。顔。顔。
実はクロイツ以外、皆してた。
あくまでも驚きをあらわす、顔芸。
これには、感傷的猫被りの猫、吹っ飛ぶ。
「クソかよ! 全員、殴りたくなるからやめろ!!」
〈 ドドォオォォォン ... !! ゴゴゴゴゴゴ ... ... 〉
ところが、その爆発音は彼等が背にする都の中心部から聞こえた。
衝撃波は上向き。
相当な距離のため、遅れ到達する爆風も緩やか。
振り返るクロイツの髪を、フワリ ... 靡かせるに留まる。
古都の岩盤を支える石柱の一部が、破壊されたのだ。
クロイツの傍でノシュウェルが思い返すのは、
情報共有に纏わるフェレンスとの遣り取り。
それらは全て、暗号により交わされた。
とっくに気付いているとは思うが ... ...
まずは、この国。アイゼリアにおいて。
魔物の存在を確認することは難しいとの提議に関する。
返信には、こうあった。
確かに。魔物に絡んだ相談、依頼は未だに無い。
杜を迂回している時ですら気配を感じなかった。
現地民の見方によると。
土地を侵蝕する杜の毒にやられてしまうのだとか。
あらゆる物質を溶錬する機能を有した何かが、石ノ杜を形成している。
その地下茎らしきは、放射性元素に基づく毒性の強い鉱物から成るとも予測されていた。
予測に留まる理由は、言うまでもなく。
それら強毒に耐えうる術を持った技術者、錬金術師、魔導師が存在しないため。
杜の謎を解く手掛かりは、
諜報員をはじめとするアイゼリアの民が、説明に持ち込む言い伝えのみ。
心を病んだ者、死が近い者は皆、忽然と姿を消すらしいのだ。
そのため、この国には墓地が無い。
策略、陰謀によるものではないのか。
当然、誰しも考えるものの。
〈 杜に ... 呼ばれるんですよ 〉
とのこと。現実的な見解を引き出すには至らず。堂々巡り。
けれども遣り取りする両者にとっては、十分とも言える。
心を病んだ者、死が近い者は皆 ... ...
杜に、呼ばれる ... ...
要するに、待てばいい。
異端ノ魔導師の下僕を餌にして。
クロイツからの要望だった。
『 ククク ... あの化け物も、さぞや欲求不満を溜めていることだろうからな』
ほんの数日前。クロイツがそう漏らしていたのを彼等は聞いている。
だがしかし、フェレンスに対しては話を聞いてやれとしか伝えていない。
『あの男が真摯になればなるほど。
あの化け物は堕ちていく。
何故なのかは知らんがな。
いずれ暴いてやるとしよう。
今はまず、アレセルへの手土産を用意せねばならぬのだ』
嘲笑の交じる口振り。
敵に回さずに済んで良かった。
そう心の底から思ったのは、諜報員ばかりとも限らない。
次に評議された内容は、カーツェルの不振に纏わる。
元より疑問視されていた。
禁断ノ法による錬縋を受け、魔物同等の才覚、
並びに強靭な肉体を得る亡国の精鋭。
魔導兵ともあろう者が、杜の呼び声に反応すらしないとは奇妙だと。
しかしそれには杜、特有の毒が影響しているとの事。
身体器官の機能を超え、発達した組織のみ麻痺させるというのだ。
当国の覇権を握る側にとって異端ノ魔導師は、杜を焼き払い兼ねない火、そのもの。
操れるようになるまでは、下僕だけでも封じておきたいという理由。
だが、その程度の推測など容易。
まだ裏があるというのが、暗号を交わした双方の見解である。
差し当たって、まずクロイツが目を付けたのは。
フェレンスのもとへ通い詰めていた ... あの老人。
「この老耄が色への執着に寓け、
しつこかったのは、血を嗅ぎ分ける魔導兵の衰えを巡察するため」
その言葉には、アイゼリア王太子、ウルクアの見立ても含まれていた。
すると足元に目を向けるノシュウェル。
視線の先には、クロイツによってタコ殴り、
ならぬタコ蹴りされた老人、かと思いきや。
変装を破られ素顔を晒す、比較的高年層の男が。
数本、歯を欠き、顔面血塗れの状態で気を失っている。
実は、少し前に捕らえ尋問済みだったのだ。
「ウルクアを付け狙う王党派の一人が、勝手に口を滑らせたぞ」
居合わせた者は皆、思う。
よく言うなぁ ... ...
尋問中のクロイツは目を見開き、こう語った。
『口を割らずに済むような対価どころか!
交渉術さえ持ち合わせぬ有様で!
偵察に駆り出される者など!
構成員同士で足を引っ張り合う卑怯者と!
相場が決まっているのだ!
口を割ったところで! 上層の都合など! 知るものか!!』
要するに、役立たずはこうなるってわけね ... ...
言葉尻に一々蹴り込む姿は狂人的。
あれで、よく死ななかったなと考えれば。
そこそこ加減はしていたのかな?
全然、そうは見えなかったけど。
クロイツが苛立つのも無理はない。
時が、差し迫っていた。
「つまり、貴様は杜ノ王から直々に招かれたのだ。行け ... ... 」
フェレンスは話を聞き入れ、やがて立ち返る。
窓から見通す先には、吊り展望、クロイツと、そして ... 爆撃を受けた中心部に立つ煙。
自失したままのカーツェルは、何処を見ているのかも分からない。
それでいて主人の言動には反応するのだから、不思議。
席を立ち寄り添う気配を感じながら、フェレンスは言った。
「お前は ... 待っている間、有志から事情を聞いておきなさい」
ところが、聞かせている相手は扉の向こう側に居る。
「チェシャ。カーツェルを頼んだ」
息を飲んだのは、声を掛けられた当の幼子。
開けた扉の隙間から、中の様子を覗き見していたらしい。
いつの間に起きて来たのだろう。
先頃の大声を聞きつけたに違いないが。
察し、頷いたところ。
丁度、駆けつけるエルジオ。
チェシャにとっては初対面の相手だ。
けれども一先ず部屋の中を差した指を、口の前に立て添えた様子から。
フェレンスと通じる者と知って駆け寄る。
ところが、ここに来て猛烈な寒気に襲われ。
二人は同時に青褪めた。
足元を漂う冷気。
床に霜が降りた瞬間。
危機感を覚え、即座に対応すべく。
予め渡されていたらしい盾ノ印符を切ったのは、エルジオだった。
彼ノ下僕が察知したのは、主人の出征。
そこにあるのは兵としての本能のみ。
古家の周辺には霧が生じている。
異変の兆しを遠目に見ながら。
クロイツはフェレンスに、こう問いかけた。
「鼻が利かなくなった従僕が、付いて行ったところで足手纏なのは分かる。
が、その化け物 ... ... 貴様の言うことを大人しく聞いた事が、一度でもあるのか?」
主人の前に立つカーツェルは、部屋の壁に向かい手を翳す。
放たれたのは、冥府ノ焔。
極低温を浴びた一面が、バキバキ と音を立て内へ歪む様を見ながら。
フェレンスは手短に答えた。
「無いな ... ... 」
そう。繰り返しになるが。
ここぞという肝心な時に限る話。
彼、カーツェルがフェレンスの言うことを大人しく聞いた事など、ただの一度たりとも無いのだ。
追って叩き込まれたのは氷波の一撃。
薙ぎ払われた壁の残骸が塵のように降る中。
先陣を切ろうと更に踏み込むカーツェルの背後に佇み、
やや俯くフェレンスの表情は苦しげ。
一同は思う。
ふむふむ。そうですか。なんてね。
「 ふ ざ け る な !!」
対して、真っ先に不満をぶちまけたのはクロイツである。
ほんと、それ ... ... !!
皆が同意するのも当然。
このところ、ずっと苛立っていたクロイツの
八つ当たりを受けてきたのは、ノシュウェルだけではないのに。
ここに来て、そのイライラを最高潮まで爆上げするなど、何たる非道。
元はと言えば。
遣り取りを重ねるうち、交わされた密約が原因。
それは、フェレンスの持ち掛けによるものだった。
ある日、送られた暗号を読み解いたところ。
クロイツは不敵に笑う。
内容は主に、カーツェルの状態に触れるもの。
冒頭にはこうあった。
『彼を今、杜に近づけるわけにはいかない』
要約すれば。
接触してきた紳士を含む王党派の動きは、
どう見ても魔導兵の心的不調を狙い、画策されたとしか思えないとの事。
まあ、分かる。
末尾には協力を見越し、条件が記されていた。
『杜に呼ばれるのは、心を失いかけている者。
そうと知りながら。それでもカーツェルを囮にしようと言うなら、どうか ...
心を乱した彼を止めて欲しい。
彼の相談役になって欲しい。
それが、私からの条件。
その代わり。
今後、私が得る情報の一切を ... あなたにだけ知らせると約束しよう』
なるほど。クロイツが笑うわけだ。
『 ククク ... クク ... 勝った。
この駆け引き、帝国の奴等に勝ったぞ』
しかし何だ。
一旦、興奮を抑えてだ。
冷静に考えてみると。
物凄く、えげつない事を言われているように感じる。
相談役、だと ... ... ?
寄りにも寄って、馬鹿だの化け物だの。
常日頃カーツェルを嫌悪し、罵っているクロイツに。
何故、頼む。
考えが全く読めない。
どこまで外道なのかと言いたい。
周りからすれば、とんだとばっちりである。
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