石ノ杜~Ⅲ
文字数 6,707文字
なかなか、気が
カーツェルの口元に笑みが浮かぶ。
赤い、ふわふわの髪を
ローブを掛け直してやり、川辺まで行くと。
素足を水に
細い滝の
腰が浸かる場所まで歩いた彼は、
山岳の雪解け水が地下を通じ、湧き出たものと思われるが。
日を浴びる白い岩棚を
以前は薄っすらとしか見えなかったのに ... ...
水から出した両腕を交互に、
友として、また、
フェレンスが下した決断について。
この
兄に命を奪われぬよう、賭けに出た。その意に答えるため。
霧ノ病の
それにしてもだ。
直前の記憶まで欠落する事無く、しっかりと補正されているのだから。
唇を固く
《 ドボン !! 》
川の水に
勢い良く後頭部を振り上げると、
水を含んだ黒髪が
顔に掛かる前髪を払うため、
目覚めの気配を感じ視線を流す彼は、半身を水に
ゆっくりと向き直る。
眠り続ける
同じように、こちらを振り返り ...
足元で揺れる木漏れ日が、
表情にあらわれる
フェレンスは、無言で微笑むが。
心配無用とでも言いたいの?
思わず苦笑いで返すカーツェルは伏目がち。
首筋を手で
それから腰に両手を突いて、あえて尋ねるのだ。
「 ... ... 生きてる?」
気持ちとは裏腹に沈む
「 ... ... お前こそ」
対して、
フェレンスの
揺らぐ日差しが、目の前を
歩み寄るフェレンスが川辺で立ち止まると、何となく気まずい。
そぞろとして不規則に視線を泳がせるカーツェルを察し、
ようやく目が合ったところで、フェレンスは言った。
「そろそろ上がりなさい。風邪を引く」
言われるまでもなく、そうしたいのは山々なのだが。
分かって言ってるだろ ... ...
カーツェルは上目遣いに訴えながら一言、添える。
「 ... それな。まず着る物なり用意してから言ってくれる?」
すると、
風に吹かれる草葉の鳴りと滝の水音に、耳を塞がれる心地。
返事を待ちながら、ただ見ていたカーツェルは次に、
困り顔を若干、
「 ふふ ... はははは ... 」
何と、肩を揺らし声に出して笑いはじめたのだ。
しかも割と大きな声で。
「ははは! ... すまない。
意識のあるうち、お前の心身再生を法基盤に組むのが精一杯だった」
面食らったおかげで、カーツェルの口調が
「ああ、うん。そりゃ、な。分かってるんだけど、さ」
彼は思った。
何だろう。この感覚。
変わった雰囲気でも無し。
お互い、気兼ねなく接しているだけなのに。
方や、フェレンスはと言うと。
「
そう呼びかけ、肩に掛けたストールを手に取ると。
「それって、光の加減で透けて見えたりしねーの?」
薄手なのが気になるが。
「見えても言わないから。早く、おいで」
お構い無し。
そう。フェレンスって、そういう奴。
言う言わないの問題? いやいやいや。 違うよね?
ツッコミたい気持ちで一杯。
けれども
カーツェルは
《ペタ、ペタ、ペタ ... 》
近づき立ち止まる足音を聞いて、衣の下に目を向けたところ。
彼を迎え入れたフェレンスは、重ね言い聞かせた。
「
法と対価のみで
帝国を
なので当面は、これをと ... 着せてやるわけである。
なるほど。察知されては面倒。
装置が無くては、魔法陣の規模が大きくなるので。
衣の
はず、だった。
が、しかし。
脇に腕を通してから
「え、何 ... ?」
カーツェルは戸惑った。
硬直したまま動いてくれないので、
ちなみに、フェレンスの心境はこう。
カーツェル、お前と言う奴は。いつの間に、ここまで育った ... ...
身長は、ほぼ同じだが。体格は彼の方が
そんな気はしていたが。まさか、この距離で届かないなんて。
つまり、胸に張り付かなければ端を持ち
ところが、そうと決めた時には気付かれていた。
カーツェルの腕に グイッ ... と引き寄せられ。
気まずい思いを突き返される。
クスリ ... と笑う彼の吐息が、耳に掛かると同時。
「お前の中の俺は、
一言、囁かれ。視線を伏せるフェレンスは、はたと納得して両腕に抱く。
そう言えば、そう。
彼は、大人になって久しい男。
本当は目覚めて直ぐに言いたかったが。
不意を突いて、フェレンスの腕の力が強まったので。
追い打ちを食らった気分になる。
カーツェルは息を飲んだ。
するとフェレンスが囁き返す。
「よく、生きていてくれた ... 」
聴くと、意図せず腕が震えだし。
視界が揺らぐ。
堪らず
今、現在。胸に込み上げる、この感情は果たして。
自分のものであるのか
分からない ... 分からない ... ... !
「 クソッ !! 」
いっそ、このまま。
どうにでも なっちまえ ... ... !
そう思ったまでは良い。
いや、実際は良くないが。
あらため
目が合ったのだ。
チェシャと。
「え?」
見られてる。しかも薄目で。
ジィ------------------- ... と。
抱き返してから、逆に身動きしなくなったカーツェルを気に掛け。
フェレンスが顔を上げたのは数秒後。
「どうした」
声を掛けても返答は無い。
彼の視線を辿り、振り向いてみると。
「 あ ... 」
同様に目が合ったので、全てを察する。
チェシャの方は、どうだろうか。
そうだな、一言で言って。
夫婦かよ ... ...
と、思う。
だが、言葉にして言う気力が
「「 えぇぇえぇ ... !? 」」
二人は声を合わせた。
意外性を極めた子。チェシャ。
具合でも悪いのだろうかと心配したフェレンスが、
腕を
幼子が目を覚ますことは無かった。
衝動に身を
そんな気がしていたが、ふと我に返る。
確かめたところで、何になるのだろう。
フェレンスは友人であり、契約主。
秘めたる熱情を想定したところで、
何の葛藤も無く接していられるほど
恋愛対象的、意味合いで意識した事すら、ただの一度も無いのに。
知らず
つまり、何が言いたいのかというと。
どうかしてた ... ...
その一言に尽きるのだ。
スルリ ...
チェシャに駆け寄る背を追った指先が視界に入ったところで、慌て引き戻す。
名残ゆかし。
無自覚な動作は制しようもなく。
手元を見つめるカーツェルの胸は、やりきれない気持ちで一杯だった。
けれども切り替えていこう。
悩むような事ではない。なるようになる。
それで良いと思ったからこそ、今、こうしているのではないか。
一呼吸置いたうえ、思う次第。
命を繋いでくれた人の背を眺めているだけでも、不思議と前向きになれる。
穏やかな表情を浮かべるカーツェルは、間もなくして向かう。
フェレンスの
正に、猫。... ならぬ、
体調不良を気に掛けるフェレンスが、脇腹や首筋の触診を
目を覚ます気配のないチェシャは、不快を示すでもなく無反応だった。
少しくらい反応があっても良さそうだが、どうも様子がおかしい。
「まるで冬眠中の
ぱっと見ての感想だが。
どちらかと言えばリスかもしれないと思っていたところ、遅れて
「ふむ ... 」
手を止めた彼は、
スッ ... と立ち上がる姿を目で追い、カーツェルは
「ヤバそうなのか?」
「いいや、そうではない。しかし ... 」
「何?」
「冬眠中の熊と言ったな?」
「ああ。 ... え? つーか、関係あんの?」
「 ... ... 」
何を思ったのだろう。
フェレンスは無言で河辺へと戻る。
「て、おい! ドコに行く気だよ!」
「食料を探して来ようかと」
「は!? どうして今? チビはどうすんだ!」
「任せた」
「あ ... うん。分かった。 気を付けて行けよ ... って!
言 う わ け ね ー し な !! ちょっと待て、こらぁあぁぁ!!」
呼び止められ振り向く彼は、まだ何か? と言いたげ。
すっ
「あのな。行く前に、まず思い出して欲しいんですけど? 俺、さっき何て言った?」
「 ... ... 関係あるのかと」
「そう! それ!」
両の腰に拳を突いて、答えを待つ。
カーツェルは片方の
考え事をしているフェレンスは、所 々 人の話を聴き流す
「ああ。それは、その ... 」
いつもの事なので、
だが相変わらずの薄い反応には、つい肩の力が抜けた。
それから、ようやく引き出した答えはこう。
「先のお前の考えだが」
「うん」
「
「 ... ... うん?」
しかしカーツェルは、首を
どゆこと ... ... ?
片や行こうとするフェレンスだが。衣服は血だらけ。
彼は、もう一つだけ付け加えた。
「とは言え推測でしかないので、戻ってから説明したい。
お前は少し、そこで待っていなさい」
それはそうと、思うところがあったので。
更に呼び止め、物申す。
「いや。待つのは、お前だっつの! まったく ... 分かったよ、もう。
説明するのに食い物がいるってんなら、俺が行くからさ!」
けれども彼は浅瀬を探してばかり。
「素足でか?」
フェレンスの視線が足元に注がれると、腕組み、
「そういうお前は
なのに新しく着る物を用意出来るヤツは、ここに一人しかいねーだろうが」
「 ... ... 」
一理ある。
河の水で流すわけにもいかないので、シャツを脱いで拭き取るなりしなければならない。
納得したうえ一つだけ条件を述べた。
「ならば頼んだ。けれども、決して土を踏み
「 ... 土?」
----- ここは、大陸の南。
アルシオン帝国、西の国境に面す内陸国。
「樹林帯が国土の大半を
大地の毒を吸い上げ移動する《石ノ
ここまでは、お前も知っているだろう ... 」
目の前まで来て立ち止まる彼に、一つ
「大気が汚染されるような事は無いが、
横を行き過ぎ幼子を抱き上げる様子を見ていると、
右手側に送られる彼の眼差しが、その先を示した。
「あっちへは行くなってコトだな?」
「そう。対して上の水源と、この周辺はオアシスとも呼ばれる無侵食地帯。
渡った先を登ってみるといい。経緯からすると実の
何かしら食べられそうな物が見つかるはず。 ...
「土を踏み違えるな ... だろ? よし分かった!」
カーツェルは意気込み、肩の結びを
まるで秘境の原住民かと思うような見て
「では旦那様、早速では御座いますが
チェシャと ... お召し物の作製準備のほどを、お願い申し上げます」
調子を
「分かった」
岩棚の影に
河を渡っていくカーツェルを見送った
小枝を拾い上げた彼は、火の
すると、落ちてくる間に燃え尽き炭化する。
それを、クルリ、クルリ、手の側面に
白い岩肌と向き合い
可能な限り、魔力の消費を抑えたいので。
縦横無尽、複雑な法基盤を細かに
カーツェルの言う通り。
回復したばかりなうえ、無防備な状態であるからして。
あらゆる線を軸にし、
それら魔法陣は、足元から上へ手の届く際限にまで至り。
これでも詰めて描いたほうなのだが。大層な面積だ。
完成するなり、中心を
彼は
「
収納用亜空間の開放も、フェレンスであれば物の十分で完了するだろう。
カーツェルは、そう予測する。
けれども今更のように思い出して、口を
「 あ ... ... 」
そう言えば、ずっと片付けていなかったと。
後の祭りである。
必要物資を呼び出すため手を差し出すフェレンスは、ふと疑問に思った。
亜空間との
気のせい ... ではないような。
溢れてくるなんて想定外。まさかと思ったのだ。
けれども、時、既に遅し。
《ゴトゴトゴト ... 》
「何!? ああぁぁ!!」
《 ガチャガチャ !! ガチャ ! ガチャガチャ !! 》
音を立て
ほんの一瞬だけ、押し戻すべきかどうか悩むも、法は使えないし。
こんなの無理 ... ...
正面に居たフェレンスは、あっという間に巻き込まれ下敷きになってしまうのだった。
転じ。音を聴きつけたカーツェルが、ハッ とした様子で振り返る。
何が起きたかは容易に想像できたので。
片手で目元を
「あちゃ----- ... マ ズ イ 」
お叱り受け事案である。
詰まる所。
「ぐ ... あ い つ め ... ... 」
大量の物品に埋もれる中。
ガラガラ と押し
呆れ果てると腹も立たない。
いっそ埋もれたまま探すとしようか。
一つ取っては、横に置き。
「 ハァ ... ... 」
小さな溜息を漏らす。
しかし、フェレンスの表情は
「仕方のない奴だ ... 」
屋敷の管理に日頃の世話、
忙しさに
察すると、責める気にはならなかった。
それよりも心掛かりなのは時刻。
ローブに
もう丸一日以上、食事をさせていないのだ。
振り向けば、岩棚の
傾きを増す日差しが、木々の陰りを引き伸ばしているよう。
あと小一時間もすれば、夕刻に差し掛かるだろうか。