霧ノ病~Ⅰ

文字数 3,078文字

 
 
 
猛吹雪の襲う、薄暗い雪原を行く ... ...

風と雪が、耳を打つ音しか聞こえない ... ...

そこは、凍てついた魂の行き着く永久凍土。

安息の地 ... 〈エデン〉へと召されること無き魂は、
生前に抱いた強い不の思念に(とら)われ。
彷徨(さまよ)いながら、()ちていくという。

苦痛、そして悲しみ。
憎悪、もしくは(ねた)み。
あらゆる狂気。

それら心の曇りは、 まるで深い霧のように人を(まど)わせ。
死してなお、消えることはなく。

やがて、 冥 府 (ニブルヘイム)の扉を開くのだ ... ...




パチ ... パチッ ...

暖炉に()べた(まき)が火を弾く。

主人の眠るベッドの傍ら、切り出した木をそのまま組んだだけの椅子に(こし)掛け。
彼は、手にした本のページをまた一枚、(めく)った。
すらりとして長い足を組み換えると、不揃いな椅子の足がコツリと床を叩く。

燕尾の黒服も、着込んだまま。

(まき)が崩れる音を聞いては、本を置いて椅子を立ち、火に数本の細木を()して戻る。
素拵(すごしら)えのティーテーブルに椅子、()びた鉄枠のベッド。それぞれ一つずつ。
ふと見れば、窓の(さん)や床の(すみ)には、白い粉が薄っすらと積もっていた。
恐らくは、何年も使われていない空き部屋と思われる。

主人の枕元まで行って(ひたい)に乗せたタオルを取る彼は、
ようやっと息が落ち着いた様子を見て、その眼差しを(わず)かに細めた。

それから、テーブルの上に置いた金桶(かなおけ)の水にタオルを浸し。
(しぼ)り直して、また置く。

主人の眠るベッドの枕元に置いた片手が布を()る音。
薪の燃える音。
元の椅子に戻る足音。

どれもが静やか。

方眼鏡を外し、眉間を指で抑え目を休ませていたところ。
〈 コンコン ... 〉
(ひか)えめなノックが聞こえた。

ドアを開くと、そこには部屋を提供してくれた少女の姿。

「このような夜更けに、如何(いかが)なさいましたか?」
彼は微笑みながら(たず)ねた。
「あの ... 薪が足りないといけないと思って、持って来ました」

気の()くお嬢さんだ ... ...

関心して目礼し、受け取る。
「何から何まで、ありがとうございます」
「いえ ... あと、粉で(むせ)たりはしませんか? 部屋を使わなくなってから、
 お兄ちゃんが働いていたパン屋さんの麦粉を預かって置いていたりしたので。
 急いで掃除したけど、隅々までは行き届かなくて ... すみません」
「心配には及びません。とても快適ですよ? 野宿などして夜露(よつゆ)()れていたら、
 旦那様のお身体(からだ)もどうなっていたことか ... ... 本当に助かりました」
少女は、恥ずかしそうにしながら微笑んだ。
そして、気に掛かって仕方ないといった素振りで、彼の横から部屋の奥を(のぞ)き込む。

察して伝えた。

「今は熱も下がりはじめて、だいぶ落ち着きました。これも親切にして頂いたおかげです」
「いえ、そんなことありません。代わりにお兄ちゃんの病気を()て欲しいなんて。
 お世話になっているのはわたし達の方ですから」
「とんでもない。あ、それよりも ... 旦那様をお守りする聖霊は冷気を(ともな)いますので。
 毛布を足すなどして、くれぐれも暖かくしてお休み下さい」
「はい ... !」

死霊と言うには印象が悪すぎるため。聖霊と言って(はぐ)らかす。
言葉を変えてみるだけで随分(ずいぶん)と印象が変わるものだ。

少女を戸口で見送ってから室内へと戻る彼は、
次に見張りの様子を伺うため、ベッドの横の窓を開け、顔を出して見た。

視線の先には、(しげ)る草を分けて置かれた皮紙(ひし)

魔法陣を描き、ファントムを宿したものだ。
就寝中であろうとも術を解くわけにはいかない場合の処置。
風に飛んでは意味がないので石を置くなり、固定したが。
不具合はないかと心配した。

力のある魔導師は、恐れられると同時に狙われもする。
寝込んでいる時などは特にも油断禁物。
悪霊や魔物を寄せ付けないための見張りは不可欠だった。

紙片から目線を上げれば、(たくま)しい身体に(うろこ)()した(はがね)の鎧。
厳密に言うと鋼であるかどうか定かではないが。
青白い冷気と、うっすらとした光明を(まと)う竜騎士が、そこに居る。

臙脂(えんじ)のタイを解きながら、彼は言った。

「お前ほどの奴を見張りに立たせるなんて。フェレンスは余程参ってるらしいな」
騎士は見向きもせず家屋の面する林を(にら)む。
(さん)(ひじ)から下を置き伏せて続けた。
「分かってる ... 済まなかったな。俺が不用意に近付きすぎたせいで
 冥府の()があいつの陣に喰い込んだんだ。
 俺はまだ、お前達の(うつわ)として未熟だな。フェレンスが契約を(しぶ)ったのも無理ない」

深く(うつむ)き、拳を握り締める。
だが、すぐに気を取り直した。
「つか、ファントムには感情や意志はほとんど無いんだっけ?」
生前の記憶すら 夢 現 (ゆめうつつ)と聞いた。
彼らはただ、その魂に刻み込まれた本能にも似た衝動に ... 突き動かされているにすぎないと。

「 ... 先に休ませてもらう ... おやすみ。グウィン」

返事を期待しているわけではない。むしろ本心はその逆だ。
志半(こころざしなか)ば、無念の死を()げた魂に、情けない話など ... ...

窓を閉め、椅子に戻ろうとしたが数歩で(とど)まる。
彼は主人を向き直って思い返した。

儀式後に突如(とつじょ)、襲いかかってきた魔物との一戦を。

槍に(つらぬ)かれても、()てついていく()に術者を狙う手。
もしも守護の魔法陣を破られたら、フェレンスが〈凍てつく冥府の炎〉に(さら)される。
咄嗟(とっさ)に腕で()ぎ払っていた。

恐らくは ... その時、踏み込み過ぎたせい。

フェレンスの顔が一瞬、(ゆが)んだ様子も視界の(はし)に見た。
怪我の程度が気に掛かるのは当然ではないか。
なのに吹っ掛け会話で(さぐ)りを入れても、素知らぬ振りなどして。

何事もなければ(しも)焼け程度とは聞いている。
しかし、あの時の表情を見れば、そのような軽傷に(とど)まらなかったことも明白。

休む気が、すっかりと失せた。
(つくづく)、嫌気が差す。

自らの手の(こう)を見つめる瞳に、魔法陣にも似た文様の古傷が ... ぼんやりと映った。

「 ... ... バーカ ... ... 今更、俺に ... 隠し事なんかしてんじゃねーよ」

それは、単なる我侭(わがまま)
だが、自分(こちら)が多くを強要しているぶん、もっと頼ってくれていい。
ただ、そう思った。

主人の夢見時。また一つ不服をこぼす若い執事。
テーブルに置いた本の上にタイをかけ、襟元(えりもと)()めを(いく)つか外して()い髪をほどく。

夜を(てっ)しての介抱だった。
 
 
 
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登場人物紹介

◆フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ


故国・シャンテの生き残り。

《千ノ影》を宿す男。


錬金術、魔術、魂魄召喚、禁呪とされる魔導兵召喚術を扱う。


戦犯として裁かれるも、失われし禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)のありかを突き止める事を条件に恩赦を受けた帝国魔導師。

アルシオン帝国軍管轄下、高等錬金術師団所属。特務士官。


訳あって薄情者と言われがち。感情に乏しい。自覚はしている。

交友関係にある者への誹謗中傷だけは論外。そうと知れば制裁を躊躇わない。


◆カーツェル・D・アード・ランゼルク


アルシオン帝国、公爵家子息(次男)。


幼きに母失踪。父、ハインリッツェ・A・ヴァート・ランゼルクは帝国軍大佐で婿養子。宗家、家長は存命していた祖父。そのために身内の権力闘争を見聞きし育ち、一族を嫌悪するようになった。


父を尊敬し、文武とも好成績。だが言行は粗暴で捻くれ者。しばしば父と作戦を共にしていた異端ノ魔導師に漢惚れし、『いつかは部下にしてやる』などと言って付きまとう。散々無視されるも諦めなかった。フェレンスの悪口等耳にすると黙ってはいられない。喧嘩の売り買い過剰で問題児リスト入り。


士官学校卒。


彼には救いたい人がいる。フェレンスが蔑まされながら孤独に生きる姿を見るのも嫌。しかし傍にいれば陰謀に巻き込まれ命が危うい。フェレンスに避けられ続けた彼が思い至った解決法は... 彼と禁断ノ契約を交わし、絶対服従の《魔導兵》となる事。


◆チェシャ


フェレンスとカーツェルの前に突如として現れた謎の少年。


訳あって上手く会話する事が出来ない。舌っ足らずの片言。


血に驚異的魔力を宿す。その等級は二等:紅玉(ルベウス)、もしくはそれ以上。

フェレンスの魔ノ香(マノカ)に惹かれ懐いた。


魔ノ香とは。特異血種とみなされた者の血に宿る魔力と、それに伴う瘴気の醸す香り。

魔物(キメラ)や、等しい存在にしか認識できないはずのもの。


◆クロイツ


軍警を主体とする治安維持機構所属の監視官。


要監視対象として挙がる人物を見張る。

担当は異端ノ魔導師、フェレンス 。


高圧的で気難しい性格をしているが、子供好き。策略家。


◆アレセル


クロイツの実弟。だが腹違い。

実母は娼婦で霧ノ病を発症し討伐された。

義母を尊敬し、子として愛し愛されたが、またしても霧ノ病で失う。


人の心を失いかけた当時、闇魔術に手を染めるもフェレンスと出会い更生。

以来、彼の愛はフェレンスに向く。人脈の形成、諜報力に秀でる。

◆翠玉碑 (エメラルド・タブレット)

故国・シャンテの中枢に収められていた叡智ノ結晶。

彼ノ戦により砕かれ、その多くが行方不明。

◆千ノ影

彼ノ戦の犠牲者。シャンテの民の霊。

一部はフェレンスの扱う魂魄召喚にて戦闘可能。

筆頭は亡国ノ英雄。黒ノ竜騎士・グウィン。

◆霧ノ病

心身が麻痺していく病。
発症し悪化すると身動きもせず、飲食すらしなくなり衰弱。


あらゆる想いの境地に至る人の心に穴を開け、冥府ノ霧を呼び込む。

冥府ノ霧とは、悲しみ、怒り、妬み等、人を惑わす負ノ思念。


霧は欲を喰らい、無我ノ境地へ誘われた者は無垢なる狂気を発症。

やがて魔物(キメラ)化する。

◆複合錬金

特殊錬金、キメラ錬金とも呼ばれる。

由来が異なる複数のエリクシールを掛け合わせる法。
それによって生じた存在は安定化させる事が難しく、禁じられている。

◆魔導兵

神々ノ器とも呼ばれる。

亡国ノ魔導師と禁断ノ契約を結んだ下僕。


複合錬金により身体を強化。

覚醒→魔人化→神化。

三段階の変身が可能。

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