魔ノ香~Ⅲ
文字数 11,253文字
彼は
ここ数日は、その事ばかりを考えている。
当時、呼び掛けることしか出来なかったカーツェルを
治癒を
関係者の
フェレンスの回復は思いのほか早かったように感じられる。
それなのに ... ...
呼び掛けても
彼の意識は
記憶を
手を取っても、返ってくるのは別人の名前。
「 ... ユ リ ア ン ... 」
いっそのこと
クロイツに冷やかされても、相手にする気になどならなかった。
いつもの事を思えば。
確かに、
――― 心配させやがって ... !
言うと彼は、背中に叩き込まれた理不尽を甘んじて受け止め、
こちらを振り向く。そして微笑む。
彼の地方
帝都に戻るらしいと知るなり、よく待ち伏せしたものだった。
それなのに今は ... ...
手を取り
もし、このまま目覚めなければ。どうなる ... ...
遠からず
それとも
閉ざされた
むしろ相手を真っ直ぐに見返し
見ていたい。まだ、見ていたいのだ。
出来ない事など無さそうに見えて実は、リボンやタイを結ぶのが下手クソで。
アイロン掛けをさせてみれば、どうしてなのか ... 逆に
それに加え。
むきになって黙々と格闘している様子であったり。
手を差し伸べようとしているのに聞かず、
見守ることすら出来なくなるのか ... ... ?
『私のことで傷ついたりするな ... ... 』
彼はいつも、そう言った。
冷たい視線で斬りつけられ、傷だらけのくせに。
自身の背中の具合など、自分では分からないのだろうから。
だが、そう言って返すと。
彼は、こう
『お互い様だと言いたいのか?
話
『発散されるべき負荷が、お前の場合は
自分を
私の気持ちも ... お前の
そしてどうか分かってくれ、カーツェル 。お前の存在だけが ... 私の救いだ』
だからなのか。
呼び掛けても、呼び掛けても、
しかし他に何が出来る?
何もかも
受け入れられない理由でもあるのだろうか。
してやれる事があればいい。
出来る事なら何でもする。
なのに思い当たらない。
どうして ... ...
「どうして俺には何も無いんだ!!」
絶望の
カーツェルは深く顔を
自分だけの闇。
誰にも見られることは無いはずだった ... にも関わらず、何者かが言う。
「おっと ... これは驚いた ... 」
「 !? 」
その時はじめて、背後の気配に気付いた。
振り返れば、闇の向こうに浮かぶ
見覚えのある姿だった。
「フェレンスが愛着を
ユリアヌス ... !?
「君は、
そんな意識でしか
実に
あり
どうしてここに!?
確かめるべきかどうか。
考えるより先に口を
「フェレンスの意識を
カーツェルの身に差す影が、周囲の暗闇と同調していくかのよう。
「ふむ ... 答えて欲しいのかい?
僕には、君に話すことなんて何も無いのだけど。... 君はどう思う? フェレンス」
「フェレンス!?」
彼は、こちらに背を向けたまま
一方で、カーツェルの思考は停止
「ああ、うん。 安心していいよ? ここにいる彼も、ただの君の想像だ」
カーツェルは二人を引き離すつもりで闇の中を一歩、踏み出た。
ところが白影は
「ただし、それ以上は近づかないこと ... ! 彼に関わることは死を意味するからね」
フェレンスがあちら側に居るのは
目を
「
「下らぬ
例え、この足元に死線を
言葉を
一歩、また一歩、カーツェルは
そうして、
対敵は、なお無意義な表情で話した。
「なるほど? それがフェレンスにとって、一番の
次の瞬間。風の流れが変わる。
「どおりで、彼が失望するわけだ ... 」
その言葉は静かに、それでいて強く言い放たれ、カーツェルの心臓を
「君は
彼から
「陛下ご自身は? 違うとでも ... ?」
握り込む
「
サ ッ ... と引く血の気。
鼓動が早まる。
思うように息をすることさえ出来ない。
「彼の負った〈
けれど実際には、彼の魔力だけでは足りないはずなんだ。
負の思念に
これで分かってもらえたかな ... ? フェレンスが
... ... そんな ... ...
声にならならなかった。
物静かに揺れる。
差し伸べられる手。
「だから、意地を張らずに僕のもとへ
「僕の〈血〉なら、君を救える ... 」
しかし、その手が触れる事だけは許さない。
カーツェルは瞬時にダガーを抜き構え、
身を
「フェレンス!!」
それなのに、すり
確かに触れたと思ったが。
「 ... クソ... ! 戻れ、フェレンス! 俺を見ろ!!」
彼は応えない。
何を ... どうすれば ... ...
周囲の闇が深まるばかりだった。
白影を警戒し振り向くも。
不気味に消えゆく
息を殺し立ち返れば、同じようにして遠ざかるフェレンスの背。
このまま闇へと吸い込まれてしまっては、取り返しのつかない事になるのでは。
「行くな!! フ ェ レ ン ス !!」
カーツェルは叫んだ。
どうして応えてくれない ... フェレンス ...
俺じゃダメなのか ... ...
「 行 く な ―――――― !!!!」
「 ! ! ? ? 」
クロイツは息を
心臓が、ひっくり返る思い。
「 ... って、 ... ... あれ ... ? 」
対してカーツェルは全身の力が一度に
夢から
その割に、人の胸ぐらは掴んだままなのだから正気を疑う。
「 放 さ ん か 。 この、
しかし、カーツェルは
頭を
おかげでクロイツの
「 こ の ... ... フ ヌ ケ 執 事 の
ド ― ン 。
何の音と振動だろうか。
見上げてノシュウェルは言った。
「何じゃこりゃ ... ... て、ああ、点滴室か ... ... 」
よりにもよって真上だったとは。
「申し訳ありませんな。うちの上司は気が短いうえ、加減というものを知らなくて」
「自己管理を
よくも
もしも
徹底的に
貴様のような
... ... せっかく目を
まったく ... あの男という奴は、どこまでも
分かった。悪かったよ。うんうん。
急に目覚めたものだから、頭痛と目の
実を言うと、クロイツの話も
カーツェルは、ふと思い返す。
あの男 ... ? 目を覚ましても ... ?
『せっかく目を
クロイツは確かにそう言った。
「フェレンスが、目を覚ましたのか!?」
目を見開いてクロイツを
ガンッ ! ゴンッ ! ドカン! ドカドカドカ ... !!
「おいおい。だから、何なんだっていうのかね ...
はたまた、ノシュウェルなら
「心当たりのある
あれでいて大人。しかも上司。
あと一人は仮にも執事。
仮にもだ。
上の階を見やる二人の言い草を聞いていると、
カーツェル達の
シーツに足を引っ掛けるは。
そのシーツに足が乗っていたクロイツが、巻き
転倒しかけ
ひっくり返った水を
部屋を飛び出したカーツェルに突き飛ばされた看護師の悲鳴と。
ほぼ同時。
勢い
首筋にかかる熱い息に
アア ... ワルク ナイワ ...
けれども直後には顔面蒼白で立ち
「貴様ぁあぁあぁぁぁ!!!!」
「 ヤァアアァァァ !! 何なのちょっとぉ―――――!!!!」
聞いていた見張り役とノシュウェルは
「自分 ... もう、知りませんからね ... 」
「うん ... 俺も ... ... 」
涙がちょちょぎれるわー。
そうしているとだ。
ふらつく足取りで、部屋の入口に
窓から吹き抜ける風が、ふわり ... 揺らす黒髪。
逆光に目を
ノシュウェルは気を取り直し、部下と見合わせたうえ、静かに退室していった。
すれ違いざま、目礼を
再び視線を上げた頃には目の
カーツェルは
それから、もう一度だけ ... きつく目を閉じて。
なのに夢心地を
間近に見ていても不安だった。
呼んでも届かないのでは ... ...
カーツェルは口を
すると、差し出される手。
指先が触れ合った瞬間。
カーツェルは
両手で彼の手を
「 ... ... フェレンス ... ... 」
名を
何と声を掛けるべきか ... ...
ならば、せめて ... ...
カーツェルの手元を
心もとなく目で追う彼が顔を上げると、
口元から耳の後ろにかけて。
何度も、何度も、
だいぶ
しかし、お互い様か。
「なんてツラだよ ... ... 」
「お前こそ。
フェレンスの声を聴いたカーツェルは、すっかりと安心した様子でベッドに頭を転がす。
こうして
見上げていると、フェレンスの手が黒髪を払って肩に触れる。
「また食事を抜いていたのだろう。お前という奴は。
分かつ必要のないことで
「て、言われてもな ... お前だって、人の気も知らねーで寝てたんだろうが ... 」
痛いところを
「 ... ... すまない ... ... 」
「 だ が、し か し ... ... 」
その時だ。部屋の入り口に手をついて
不機嫌そうに言い放つクロイツが、
「主人の
食事もせず、点滴くらい受けろと言っても首を
仮眠をするにも椅子から離れず、
まあ、まあ、まあ ... と。
後ろから
クロイツは
「 ... さぁ、フェレンス。この
けれども、ずぶ
何、言ってるんだろうなと。
「あー ... すみませんねぇ ... えーと、この人、
仕事に
ちょっと
あはははは。 あー あー 、
「いやぁ。ホント、ホント。早く
口元もしっかり
モゴモゴ 言う クロイツを
フェレンスは、まだまだ
安静に配慮してくれたのだろう。
「アイツら、実はそんなに悪い奴じゃねーのかもな」
「そうだな ... ... しかし、カーツェル」
「どうしたよ」
こんな時に何だが、あえて言いたかった。
「監視官の言葉は
〈仕事は仕事〉と言い始めたのも、お前だったはずだが。
あれは私の聞き間違いだったのだろうか ... ... ? と、言う訳でだ。
今後、
出来なければ、お前の嫌がる〈アノ刑〉を応用して〈治療〉する。いいな?」
ようやっと一息ついたのに。
こういう時だけ
それでも話だけは、よく聞いておこうと思った。
おかげで終わり頃には目が点になっているワケだが。
アノ刑 ... ? 治療 ... ?
その言葉から連想する事と言えば。
尻。注射。点滴。
「 ... ... 旦那様 ... ... 」
すると急に、姿勢を
「
だが、フェレンスは即答する。
「認められない」
だよね! 分かってた! お前は絶対そう言うって!
しかも〈する〉と断言されたからには、聞かない訳にはいかないやつだ。
「あぁああぁ !! クソ! マジかよ!?」
思わず
一方でフェレンスは何か思い出したよう。
「それから、カーツェル ... 」
「何だよ、まだあんのか!?」
涙目で返すと気が引けたのか、
「いや。その。実は。
目覚めてからずっと気に掛かっていた事が一つだけあって。
... ... 私の横にあるコレは ... 一体何だろうか ... ... 」
「コレ ? ... つか、何だよ、コレって」
カーツェルはフェレンスが手を置いたベッドの
叩いてみようとしたところ。フェレンスが
すると ... ...
「コレとは何だ!?」
廊下側の扉を開け放ち、何か出てきた。
「貴様、そこに何を隠して ... モゴッ.... ( ンー !! ムー !!) 」
「あ。すみませんねぇ。油断したら取り逃がしてしまってぇ。はははははは」
クロイツとノシュウェルのターン。
モゴモゴの魔法と、タオル・モフモフ攻撃。
モゴモゴ ... モフモフ ...
「ははははは」
「 ハハハハハ ... 」
不思議と
「じゃ・ねーよ!! 戻って来んのがクソ早ぇし! 空気、読みやがれ!!
つか、こちとら
そうは言っても。いや、まさか、冗談だろうと。
カーツェルの怒声に耳が吹っ飛ぶ思いで
病み上がりで、この声量とは ... ...
気付いたカーツェルは
「て、あ ... 悪い ... 大丈夫かよ、フェレンス ... 」
フェレンスの耳のダメージは大きかった。
やはり体力が回復しきっていないせいだろうか。
耳鳴りが酷い ... ...
『 ン ム ... ... ンン ... ... 』
手を置いた
ところが、それを聞いたのは彼だけではない。
『 ハ ... クチュンッ ... ... !! 』
「 ん ? 」
「 え ? 」
「 何 ? 」
「 は ? 」
フェレンス、カーツェル、クロイツ、ノシュウェルが、調子を揃えて順に反応する奇跡。
「ノーシュ ... 特命を受けた士官として貴様に命じる」
「 ... は !」
「フェレンスのベッドを調べて来い」
「了解」
クロイツの肩にタオルを掛け置き、ノシュウェルが入室した。
すると、気を
それを
「
「分かった ... 好きにするといい」
カーツェルはむしろ、そんな二人を警戒した。
「
口元を見られぬよう、
その影に入るようにしてフェレンスは答える。
「かまわない」
〈 何かあった時は?〉
〈 心配するな。ある程度はもう動ける 〉
窓際からベッドの横へ回り込んだノシュウェルに続き。
クロイツもまた、フェレンスの足元に立って見張る。
上掛け、そして、ローブ。
それぞれ、ゆっくりと
が、期待したものとは何か違う。
クロイツもまた、
そこには、赤い毛玉があるだけのように見えた。
「 ... ... ... 」
黙り込む四人が、四人共、同じことを考えたのは言うまでもない。
毛玉 ? いやいや ... いや いや いや いや ... ...
「
誰よりも先にクロイツが
よく見れば見るほど、
「これは ... いつの間に ... 」
「小さなお客様で
何か居るとは思ったが。
そうとは気が付かなかった。
病み上がり主人が
付き
フェレンスの横にあったそれとは。
小さく丸まって眠る ... ふわふわとした赤毛の少年だった。