血ノ奴隷~Ⅹ

文字数 8,195文字

 
 
 
フェレンスの身体(からだ)を押して草の上に寝かせ、騎士が上になれば。
すっかりと隠れてしまいそうな体格差。

持ち上げた(あし)の下に(ひざ)を滑り込ませると、
草と背の(あいだ)に手を入れ、次には深々(ふかぶか)と差し込む。

ああ ... そこは、やめておけ ... ...

(みずか)らの(こし)を前後に(しな)らせる騎士の動作には、目も当てられない。
違和感を覚えたらしいフェレンスは、仕切りに騎士の(こし)回りを気にしていた。

すると、庭園に面する施設の司書だろうか。通り掛かる気配。

『誰か来ます。グウィン ... (よろい)を、急いで ... 』
『いいえ、どうかこのまま。()せていて』

『竜騎士であると知られては ... 』
『私が(ばっ)せられるだけ。(かま)いません』
『そんな ... !』

嫌でも聞こえてくる会話。

『何より、今、この状態では ... とても鎧なんて ... 』
『え? あ ... 具合が悪いなら、来る前に言ってくれたら良かったのに!』

違う。そうじゃない ... ...

下半身の状態を見せても、案の定フェレンスには伝わらない訳だが。
残念だったなエロ騎士め。ざまぁ見ろ!!
なんて、思ったところで声にならないのだから(くや)しい。

『こればかりは、さすがに』
『なら、私が出て行って他所(よそ)へ』
『こんな格好で ... ですか ? 』
貴方(あなた)悪戯(イタズラ)するからでしょう? 手を退()けて下さい、グウィン』

その上、フェレンスは(はだ)けそうになる(ころも)(おさ)えるばかりで、ほぼ無抵抗なのだ。

嗚呼々(ああああ)... ... !!!!

金縛(かなしば)りにでも()っているよう。
息だけ抜けていく(のど)()(つぶ)したい。

『嫌だ ... 行かないで ... 居て下さるだけでいい。こうして居て下されば、()ぐに ... 』

情欲の込もる騎士の声を聴くと、カーツェルの腹の底に溜まりに溜まった苛立(いらだ)ちが爆発した。

()ぐに、済ませますから ... ... 』

この、変態野郎(やろう)がぁあぁぁぁぁぁぁ ... ... !!


「いい加減に ... ... し や が れ ――――――!!」


夢だった。当然。分かってる。
(いきお)(あま)って身体(からだ)を起こしたカーツェルは、息を切らし汗ばむ(ひたい)に手を当てた。

「 ハァ ... ハァ ... どうしてこんな ... 」

困惑(こんわく)し、言葉にならないが。
夢にまで出てくるのには、何か意味があるのだろうかと考えると、
ロージーに言われたことを思い出した。

俺と、奴が()てるって ... ... ?

心当たりがあるとすれば。理不尽なところとか。

笑えねーよ ... ...

投げたブーメランが自分に刺さる心持ち。

フェレンスの過去になど興味は無い。
出会ってから共に過ごした時間だけが、(たが)いにとっての(すべ)てだと思っている。
なのに何だ。あの変態騎士め。共有する必要のない未練など。

何のために押し付けてくるのだろう。

「 ... ... 俺には関係ねーだろうが ... ... 」

馬鹿げてる。その一言に()きると感じた。
それで終わり。今はもう、何も考えたくないのだ。
脱力して(まくら)に頭を投げ出すと、カーツェルは目を閉じて心を(から)っぽにする。
そうでもなければ、寝付ける気がしなかった。

ところがだ。

「悪夢か。酷く(うな)されていたな」

いざ(たず)ねられると、つい、答えてしまう。

「ああ、もう、まいったぜ ... ... 」

良くぞ聞いて下さいました。

「 ... ... っ て ... ... 」

いや待て。

待て待て待て。

顔を上げると目が点。


「どわあぁあぁあああぁぁぁ!?」


心臓が身体(からだ)中の血を一気に押上げた(いきお)いか、飛び上がってベッドの(すみ)まで退()き去る。


「内容は?」


目の前にはフェレンスが居た。
ドアに背を(もた)(うで)を組み、こちらを見ている。

「 ハァ、ハァ、 つか!! ここ俺の部屋じゃなかったっけ? だよな!? え!?
 どうして、お前が居んの!? な なな な な 何、勝手に入って来てんだ!?」

早くに休むと言うので支度(したく)に付き()い、寝床(ねどこ)に入るまでを確認したと思ったが。

そう言えば、着ているものが違う。
スラックスにベルトもしていない。
シャツだけ着込んで来たのか。

彼の身形(みなり)隅々(すみずみ)まで見て状況を把握(はあく)
カーツェルは小刻みに息して気持ちを静めた。

(かた)やフェレンスは、お(かま)いなし。
(ただ)、質問を繰り返した。
しかも()め息までして。

「 ハァ ... 落ち着いて、答えるんだ。 ... 内容は?」

「 ハァ!? 何、()まし顔キメ込んでんの!? 人の部屋に押し入っといて何!?」

(かげ)で返す声が裏返る。

「カーツェル ... 聞きなさい」
「テメーがまず聞けっつってんだよ!!
 どんだけ人の話スルーしてんだ! ああ!? こら(ゴルァアァ)!!」

それから、まず、その太々(ふてぶて)しい態度をどうにかしろって。
なぁ、なぁ、聞いてる ?

言っても(ほぼ)、聞き流されているよう。
フェレンスは眉間(みけん)()みだした。

空気読め。

これだから、頓馬(とんま)だなんて言われんだよ。
言ってんのは俺だけだけど。

カーツェルは目の下を引き()らせ、とうとう絶句した。

だが、よく考えてみると。無断で入室してくるくらいだ。
やはり見透(みす)かされていたのだろうと思う。
どう振る舞おうが、白々(しらじら)しく見えるに違いない。

誤魔化(ごまか)そうが何しようが。黙認されていたのだ。

それでいて今更(いまさら)、あえて(たず)ねるのか。
寝姿を盗み見られたことよりも、彼の身勝手(みがって)に腹が立った。

それなら、こちらにだって考えがある。
納得できる答えを聞くまで、そこから退()かないつもりだろうが。

追い返す。

横柄(おうへい)な身振りでベッドから立ち、おもむろに(せま)るカーツェル。
(ドア)を開こうとする一方で、肩を(つか)み押しやってくる手。
フェレンスは(がん)として動かなかった。

「聴く気がねーなら出て行けよ」
「答える気のない お前に言えたことか? 
 昼間もそう。初めから言わせる気の無い態度だったな」

痛い ... ...

「いいから戻れよ。夜中だぞ。いい加減にしろ」
「なら、答えやすいよう質問を変える。夢に見たのはグウィンの記憶か?」

確かに、その質問に答えるなら一言で済む。
(うなず)いたっていい。だが、答えたらどうなる。

「黙れよ ... 」

考えたくなかった。

「彼の(たましい)を通じて過去を(のぞ)かれる私の身にもなってくれないか ... 」
「お前らのことなんか知らねーつってんだよ。ほら、もう、大人しく戻って寝ろ ... 」

考えたくなかった。

「意識の侵蝕(しんしょく)が進めば、お前の記憶や心情にまで影響(えいきょう)(およ)ぼしかねない。今ならまだ ... 」
「黙れっつってんだろ ... !?」

大人しくなどと言っておきながら、自分はどうだ。
声を()る相手を見てフェレンスは目元に遺憾(いかん)を込めた。

不安を(ぬぐ)いたいのか、頭を振りカーツェルは続ける。

「これは俺の問題だ!! テメーには一切関係ねー!!」

これは、そんな彼への制裁(せいさい)

フェレンスは(うで)を振り払って距離を置いた。
そして、手の(こう)で彼の(ほほ)を打ち(はら)う。

〈 パシィ ――― ... !〉

(ゆる)やかに(しな)る黒髪で顔を隠すように(うつむ)き。
カーツェルは短く切るように肩で息した。

「見上げた根性をしている ... 」

対して、低く、強く、言い(はな)つ。
フェレンスは()いだその手を更に素早く突き出し、カーツェルの(ひたい)(つか)み込んだ。

「では、こちらの思うところも、お前にとって不都合であろうがなかろうが、
 関係ないと言う訳か。... ... なるほど。いいだろう。私にしてみれば、むしろ好都合」

バリバリと凍てついていく湖面のように、熱を(うば)眼差(まなざ)しに(とら)われた瞬間。
ハッ とする。だが、考えていたのでは間に合わない。
二本の指で蟀谷(こめかみ)を抑えられ、咄嗟(とっさ)に口を()いた。


「忘れたくない!!」


それ以上は言葉にすらならず。(のど)(つか)えているよう。
両者共に口を閉ざし、見合っていると。フェレンスが先に手を下ろした。

制裁などと、如何(いか)にもらしく言い(ただ)せど。
自分だってそう、単に彼を黙らせたかっただけと思う。
脅しかけに痛みを加える必要など無かったのだ。

緊迫した空気が フッ ... と(やわ)らいだのを感じた途端(とたん)、カーツェルは息切れを起こす。

フェレンスは静々(しずしず)と語った。

「装置無しでの消去には複合総体並(クラスターなみ)(じん)形成が必要だ。
 安心していい。そう簡単に()せるものでは ... ... 」

だが、様子がおかしい。
言葉尻が弱々しく、途切れ 々 。

背を向けるフェレンスを見れば、肩が、腕が、手が、震えている。

カーツェルは、これまで抱いていた恐れも体裁も投げ出して、目の前の背を包み込んだ。

「 ... ごめん ... ごめん ... 」

何故(なぜ)、謝る。お前を変えてしまいかねない事をしたのは私だ」
「いいや、違う。そうさせたのは俺じゃねーか。それに、この先のこともある」

この先 ... ...

フェレンスは深く(うつむ)いて聞く。

「この先。もしかしたら ...
 お前が知られたくない事まで、夢に見る日がくるかもしれないだろ。
 けど 許してくれ、フェレンス。俺は、それでもここに居なきゃいけない。
 だから ... 例え、俺なのか、あの騎士なのかと思うような事があっても、
 頼むから ... ... フェレンス、頼むから ... ... 」

彼は繰り返した。

「頼むから ... 変わってく俺を受け入れてくれ ... ... 」

とても居た(たま)れない。フェレンスは首を振る。
その耳元に(ひたい)()り付けながらカーツェルは懇願(こんがん)した。

頼む ... フェレンス、頼む ...

「少し考えたい。離してくれないか ... 」

震えの収まらない手で(うで)(ほど)く。
フェレンスは(めずら)しく動揺しているよう。

思うように動かない身体(からだ)と、いくら(たな)に戻しても
落ちてくる本のように整理のつかない気持ちを持て(あま)しているのだ。

彼によって(ほど)かれた(うで)を下ろすカーツェルは、
無言で部屋を去る背を見送りながら思い返していた。

先の夢においても、そう。
フェレンスは騎士の押しに弱かった。

何という皮肉(ひにく)

これは、(みずか)らの選択によるものか。
騎士の情に影響された結果か。

もう ... 自分ですら分からない。

彼は(ひと)(たたず)んだ。
フェレンスが置いていったらしい手持ちランタンの(あか)りに()らされながら。


どれくらい、そうしていただろう。


テラスとの(あいだ)を仕切るアコーディオンドアの(ふち)(もたれ)れる(シルエット)は、
発光植物で(あふ)れる中庭の風情と馴染(なじ)み、一枚の幻想的な灯絵(あかりえ)を描くかのよう。

フェレンスは(うつむ)いたままだった。
寝室に戻ったところで、横になる気になどならなかったので。
一つ 々 、思い返しては再確認していたところ。

よくよく話して聞かせたうえ、()るつもりであった手前。
今更ではあるが。彼の口から〈この先〉と聞いて、真っ先に思ったのだ。

元より ... 彼を裏切るかたちで去るより他ないのだと。

引き下がる気のないカーツェルは、取り残されると予期していながら(すが)って来た。
こちらも予想はしていたのに、どうしてだろう。

得体(えたい)の知れぬ、あの心痛が以前にも増し。
呼吸をも(さえぎ)ったのだから。
危機感を(いだ)かずにはいられないのだ。

少年期のカーツェルに付き(まと)われた頃を振り返ってみても、そう。

修道院裏手の高い(へい)を、毎回 々 、あの手この手で乗り()えては、
時に大怪我(おおけが)しかねない高さから落ちてくる。
彼の()すこと(すべ)てが、想定するところの(なな)め上。

思わず()()れば、作戦通りと言って笑う。
頭を打っていたら命に関わると(さと)しても、覚悟の上だと。

その当時から悩まされていた痛み。
だが、度を越し始めたのは不味(まず)い。

いくら(あしら)っても、めげずについて来る幼き日のカーツェルの様子と、
かつて思い合った騎士の命が失われた日の情景が ... 断片的(だんぺんてき)に、(いく)つも 々 、脳裏を(よぎ)った。
()すべきを()げる〈記憶〉の警鐘(けいしょう)だろうか。

嗚呼(ああ) ... まただ。息が ... 心臓が ... 苦しい。

フェレンスは胸元を(おさ)え、冷や汗の(にじ)(ひたい)硝子(ガラス)戸の(ふち)に当てた。
呼吸を整えていると、(ひか)えめに戸を叩く音が(ひび)く。

廊下に立ち、扉の間近で耳を()ませていたのはアレセルだった。
制服のまま。真夜中を過ぎるというのに、寝支度(ねじたく)もせず起きていた様子。

気配を(さっ)し、フェレンスは目の前の硝子(ガラス)面に手早く鍵印(けんいん)(しる)し、指を()らした。
すると、同印の記されたリビングの扉が開かれる。

〈 カチャリ ... 〉

手も掛けていないのに。
フェレンスの私室のドアが、スッ ... と向こう側に()いたのを見てアレセルは顔を上げた。
入室を許可されたものと思い、()み入ると。書斎を()て寝室へ。

扉に触れる直前だった。
彼は、向こう側から持ち手を握り(うずくま)っているであろう気配に呼びかける。

「そのまま、深呼吸を続けて下さい」

そして、留め金(ラッチボルト)が下りたままの扉をゆっくりと手前に引いたうえ。
(うずくま)った姿のまま、力無く倒れ込んでくる身体(からだ)を受け止めるのだ。

「負担を掛けて、すまない ... 」
「いいえ。お連れしたのは僕の方なのですから」

身体(からだ)を支え、ベッドの(そば)まで連れ歩き座らせる()に、アレセルは(たず)ねた。

「あの男を裏切ることが、そんなにも ... お(つら)いのなら 〈記憶〉に(あらが)ってみても(よろ)しいでは?」
「それは ... 出来ない ... 〈記憶〉が()げているのは彼の ... ぅ... ! 」

ところが、胸元でシャツを(にぎ)りしめるフェレンスは無呼吸と過呼吸を繰り返す。

「すみません。もう、何も(おっしゃ)らずに ... どうか息を」

答えを聞く前だが、アレセルの方から質問を取り下げた。

騎士に感化されていく ... あの男の〈この先〉に起こり()る事、如何(いか)なるや。
影響を受けたものと分かる行為を目の当たりにしてなお、
(こころよ)く振る舞うなど、可能であるか(いな)か。

見出(みいだ)す前から拒絶(きょぜつ)感を(しめ)すフェレンスの肩を(かか)え。
ゆっくりと寝かせてやりながら、(みずか)らが着る制服の前()めを外していく。

立襟(スタンドカラー)のシャツを開くアレセルの左胸には、乱雑に縫合(ほうごう)された手術(こん)が存在した。

フェレンスの胸を(はだ)身体(からだ)()せていくと。
共鳴するかのように(あと)(かこ)い、浮かび上がる蒼ノ印影(あおのいんえい)
(たが)いの鼓動が耳の奥を打ち、反響(はんきょう)する。

動け ... ...

そう(ねん)じ、心臓の位置を(そろ)えるように肌を合わせると、フェレンスの背筋が()り上がった。

深く息を吸って、止め、やがて吐き出す。
想い人の呼吸が落ち着きを取り戻していく次第(しだい)
その体温を感じながら、アレセルもまた吐息(といき)を重ねる。

夜籠(よごも)りの泡沫(うたかた)

知らず 々 、手に手を()えられていたと気付き。
指の合間(あいま)に差し込まれる爪先を、朦朧(もうろう)としながら見つめた。

フェレンスが ... 彼を(こば)むことは無い。


その日。帝都の夜明けは真横から差す光芒(こうぼう)と共に(おとず)れた。


立ってシャツを着込む()に足元を移動する影を()()え、アレセルは寝室を出る。
けれども、ふと気掛かりに思い振り向いた。

足早に戻る彼は、カーテンを少しだけ引いて立ち返る。
テラスを向いていたフェレンスの顔に日差しが掛からぬよう、影幅(かげはば)を調整してやっていたのだ。

音を(しの)ばせ扉を開くと。そこには、(うで)組みをして立つメイド(がしら) ... ならぬ大男の姿。

ロージーは言う。

「どうしてこう、旦那様のお(そば)には(ひね)くれ者しか()って来ないのかしら ...
 あんたも、そう。付け入るようなマネして、(むな)しくなったりはしないもの?」

シャツだけ着込み制服を(たずさ)えるアレセルを見て、思わず()め息が出た。

「捻くれでもしないと、お傍に寄ることすら叶わないでしょう?
 何もせず、気が狂う思いをするよりずっといい。 ... 満足ですよ ?
 僕はあくまでも、あの御方(おかた)(みつ)がれた〈心臓〉の一部に過ぎないのです。
 命()きるまで利用して頂ければそれで ... 」

「お黙りなさいね、(ぼう)や。利用しているのは、あんたの方。
 あたしには、そうとしか思えないわ。あのコとは決定的に違うのよ。
 あんたには旦那様のお心向きが見えない。あのコを盾にして
 我儘(ワガママ)なんか聞いてもっているのですものね。 ... 卑怯者(ひきょうもの) ... 」

アレセルは視線を()せたまま聞いた。
存分に(ののし)ってくれていい。むしろ有り難いとすら思う。

「あの男が知ったら ... どうするでしょうね ... 」

目の置き場所は変わらない。
アレセルの口の端々(はしばし)が不気味に釣り上がるのを見て、ロージーは後退(あとの)いた。
恐れたのではなく。狂気を受け流すつもり。

「あのコも、旦那様の〈心臓〉を(にぎ)(つぶ)すワケにはいきませんものね。
 でも、いい気になるんじゃないわよ ... あたし達、宿り霊(やどりだま)には
 生かさず殺さず(たた)るってやり方もあるんですからね。
 (もっと)も、本気で旦那様の命を盾にするような男なら、
 とっくに()わりを立ててるところだけど」

アレセルは鼻の先を上げて笑った。

「お(さっ)し下さり、どうも 」

その仕草(しぐさ)、誰かさんにそっくりね。

だが、思っても口にはしない。
そろそろ話を切り上げたかった。

「ふざけないで。分かったら、とっとと行ってちょうだい」

回り込んで後ろから責付(せっつ)き歩かせる。
ロージーの前で速度を落とすと、案の定、(わき)小突(こづ)かれた。

「早く!」
「痛いです ... 」

「イヤなら早く歩きなさいってば!」
「嫌です ... 」

あんたね ... ...

普段、真面目な男ほど、駄目(だめ)な時は駄目。

何故(なぜ)、急かされているのかも分かっているのだろうから。
あの執事(もどき)といい、この天邪鬼(あまのじゃく)管理官といい ... 子供かと思う。

両者が共にロビーに面する角の向こうへ姿を消すと、ほぼ同時。
奥の側壁塔(そくへきとう)を上がって来たカーツェルは、二人の気配に小首を(かし)げた。

けれども、あのロージーのこと。
何かに付け、気を()かせただけだろう。

彼は気にも()めなかった。

調理場や貯蔵庫の他、使用人部屋の(つら)なる(とう)(へだ)てに存在し、
螺旋(らせん)階段を有する(とう)は屋敷の四方を固めている。

屋敷で(つと)める(あいだ)は、朝晩、ここを通ったうえ
まず第一に主人の身支度(みじたく)を手伝い、一日の予定を確認するのが日課。

使用人同士が(つど)い、打ち合わせるのは朝食後である。
主人からの希望や予定の変更があれば、その時、調整する流れ。

フェレンスの私室を前に立ち止まった彼は、軽く深呼吸した。

昨夜の事もあり、気分が重い。
けれども切り()え、扉を叩いた。

〈 コンコンコンコン ... 〉

短く四回。

毎朝の(おとず)れにのみ、彼は必ずそうする。
返事が無くとも入るという意味合いを込めて。

起こしに来るのも役目の内なので。
この時ばかりは、気配り無用と思うが。
ああ見えて彼は律儀(りちぎ)

フェレンスはいつも、その音を聞き分け目覚めた。
 
スルリ ... ...

上掛けを(はら)身体(からだ)を起こすと、二度目の打音。返事はしない。
だが彼は()ぐに入室し、言うのだ。

「さあ、旦那様、お時間で御座(ござ)います。お目覚めを」

身体(からだ)を起こしていても、あえて繰り返す。
「さあ! お目覚めを」
フェレンスは項垂(うなだ)れ、目を閉じた。
「 ... ... ... 何を(たくら)んでいる?」

(たず)ねたところで答えるわけがないと知りながら。

御止(およ)し下さい。朝から物騒(ぶっそう)な物言い。気運が下がります」

聞き、あらため思う。
そうだろうとも ... ...
いつものことだと。


ところが、昨夜からだろうか。
(すで)に何かが、少しずつ ... 変わり始めていたらしいのだ。


「次期公判の通知はまだありません。書簡は全て管理官を通じ受け渡されますので、
 届き次第、お知らせ致します。以上ですが。
 本日の予定には余裕があります ... 何か、ご希望は御座(ござ)いますか?」

(しばら)く出歩いていないので、身体(からだ)()らしたい」

(かしこ)まりました。ですが守衛は現在、少年の護衛に当たらせております。
 役目から(はず)すわけには(まい)りませんので ...
 朝食後、管理官との懇談(こんだん)が済んでからで(よろ)しければ、
 是非(ぜひ)(わたくし)めにお相手させて頂きとう(ぞん)じます。如何(いかが)でしょう」

「それで(かま)わない」

立ち歩き、クローゼットを前にするまでに、ベッドの上掛けを一払(ひとはら)いで()し、横に着く。

「では、頃合(ころあ)いを見て仕度時間を頂戴(ちょうだい)します。
 旦那様の御仕度にはメイドを上がらせますので、ご了承(りょうしょう)を」

「分かった」

彼は、いつも通り手際(てぎわ)良く寝衣(しんい)の前留めを外していった。

だが、その時。

「それはそうと ... フェレンス ... 」

背筋が ゾクリ と震え上がる。

耳元から(あご)の先まで。
人差し指の(つめ)()で付けるようにした後 ...
ピン と立てられた彼の指は、(あご)の下を少しだけ押し上げてきた。

「そう暗い顔するなって。今は話せない。けど、もう少しだけ待ってくれ」

もう少しだけ ... な?

その(ささや)きは、フェレンスの目を(くら)ませる。
けじめに(うるさ)いカーツェルが、端無(はしな)く私意を()らすのとは明らかに(こと)なるのだ。

それと、その、仕草(しぐさ) ... ...

直後、カーツェルは何事も無かったかのようにシャツを着せ上げ。
ベストを取っては見合わせる。

彼の動作を目で追うも静止状態。

フェレンスの瞳には(うれ)いが(ただよ)っていた。
 
 
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

◆フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ


故国・シャンテの生き残り。

《千ノ影》を宿す男。


錬金術、魔術、魂魄召喚、禁呪とされる魔導兵召喚術を扱う。


戦犯として裁かれるも、失われし禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)のありかを突き止める事を条件に恩赦を受けた帝国魔導師。

アルシオン帝国軍管轄下、高等錬金術師団所属。特務士官。


訳あって薄情者と言われがち。感情に乏しい。自覚はしている。

交友関係にある者への誹謗中傷だけは論外。そうと知れば制裁を躊躇わない。


◆カーツェル・D・アード・ランゼルク


アルシオン帝国、公爵家子息(次男)。


幼きに母失踪。父、ハインリッツェ・A・ヴァート・ランゼルクは帝国軍大佐で婿養子。宗家、家長は存命していた祖父。そのために身内の権力闘争を見聞きし育ち、一族を嫌悪するようになった。


父を尊敬し、文武とも好成績。だが言行は粗暴で捻くれ者。しばしば父と作戦を共にしていた異端ノ魔導師に漢惚れし、『いつかは部下にしてやる』などと言って付きまとう。散々無視されるも諦めなかった。フェレンスの悪口等耳にすると黙ってはいられない。喧嘩の売り買い過剰で問題児リスト入り。


士官学校卒。


彼には救いたい人がいる。フェレンスが蔑まされながら孤独に生きる姿を見るのも嫌。しかし傍にいれば陰謀に巻き込まれ命が危うい。フェレンスに避けられ続けた彼が思い至った解決法は... 彼と禁断ノ契約を交わし、絶対服従の《魔導兵》となる事。


◆チェシャ


フェレンスとカーツェルの前に突如として現れた謎の少年。


訳あって上手く会話する事が出来ない。舌っ足らずの片言。


血に驚異的魔力を宿す。その等級は二等:紅玉(ルベウス)、もしくはそれ以上。

フェレンスの魔ノ香(マノカ)に惹かれ懐いた。


魔ノ香とは。特異血種とみなされた者の血に宿る魔力と、それに伴う瘴気の醸す香り。

魔物(キメラ)や、等しい存在にしか認識できないはずのもの。


◆クロイツ


軍警を主体とする治安維持機構所属の監視官。


要監視対象として挙がる人物を見張る。

担当は異端ノ魔導師、フェレンス 。


高圧的で気難しい性格をしているが、子供好き。策略家。


◆アレセル


クロイツの実弟。だが腹違い。

実母は娼婦で霧ノ病を発症し討伐された。

義母を尊敬し、子として愛し愛されたが、またしても霧ノ病で失う。


人の心を失いかけた当時、闇魔術に手を染めるもフェレンスと出会い更生。

以来、彼の愛はフェレンスに向く。人脈の形成、諜報力に秀でる。

◆翠玉碑 (エメラルド・タブレット)

故国・シャンテの中枢に収められていた叡智ノ結晶。

彼ノ戦により砕かれ、その多くが行方不明。

◆千ノ影

彼ノ戦の犠牲者。シャンテの民の霊。

一部はフェレンスの扱う魂魄召喚にて戦闘可能。

筆頭は亡国ノ英雄。黒ノ竜騎士・グウィン。

◆霧ノ病

心身が麻痺していく病。
発症し悪化すると身動きもせず、飲食すらしなくなり衰弱。


あらゆる想いの境地に至る人の心に穴を開け、冥府ノ霧を呼び込む。

冥府ノ霧とは、悲しみ、怒り、妬み等、人を惑わす負ノ思念。


霧は欲を喰らい、無我ノ境地へ誘われた者は無垢なる狂気を発症。

やがて魔物(キメラ)化する。

◆複合錬金

特殊錬金、キメラ錬金とも呼ばれる。

由来が異なる複数のエリクシールを掛け合わせる法。
それによって生じた存在は安定化させる事が難しく、禁じられている。

◆魔導兵

神々ノ器とも呼ばれる。

亡国ノ魔導師と禁断ノ契約を結んだ下僕。


複合錬金により身体を強化。

覚醒→魔人化→神化。

三段階の変身が可能。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み