魔ノ香~Ⅹ
文字数 8,115文字
魔石、介さぬ其の力は、正に...
禍津日ノ黒炎と言わしめるに厭わぬ趣。
銀の指輪にあしらった魔石は砕けてしまったので、
身に付けていた耳飾りを携え、抵抗体として代用することに。
細い八面体を形成する深紅の振り子は、
フェレンスが自身の血から精製した予備品の一つだった。
宝具のように錬精されてはいないため、用途は限られるが。
機器内蔵型導力炉の不具合を避けるためには不可欠。
チェーンを爪の上に掛け、中指の先から垂らすと。
可視化された魔力が蒼碧の光を放ち、導力源と成り代わった。
次いで、手元に浮き上がる〈起動〉の印文を指先で弾くフェレンスは、
機器周辺に次々と現れた魔法陣と光の窓を左手で指差し、タップとスライドを繰り返す。
制御に支障無きよう手際よく配置されていく表示の中には、
鏡のように少年の姿を映し出すものもあった。
装置に組み込まれた硝子の眼が、少年を見つめている ... ...
そうと気付いたからには百面相せずにはいられない幼子。
一つの窓を占領し披露されるは、モッチモッチ の 変顔。
だが、しかし。
フェレンスは相変わらずの真顔で、黙々と作業していた。
あまりの反応の薄さを目の当たりにして、
落ち着かない気持ちになり、ソワソワ ((´・ω・`)) シュン... とする少年。
片や、密かに様子を窺っていたカーツェルは思う。
もう少し、愛想よくしてやったらいいのに ... ...
一眠りしようにも、気になって仕方なく。
寝返りをうってみたところ、やれ、案の定。
フェレンスは、テーブル上に投影された義球から片時も目を離さない。
変則的に絡み合った魔法陣から成る機構を見張り。
異常があれば直ぐ様、修正する。
そんな彼の手際の良さも、 まぁ ... 見慣れた光景ではあるのだけれど。
いつもならば片手間に本を読んだり、魔導具の手入れだって平気でするくせに。
関わり合いにならずに済むよう、意識しまくっているのが見え 々 なのだ。
異端ノ魔導師などと呼ばれる立場上。
彼が親しむことを許されるのは、
弱点を突こうと付け狙う輩の圧力に屈しない ...
そんな、強い意志と力を持つ者に限られている。
佐官を務めた父に、そう諭され育ったカーツェルとは異なって。
少年は無力過ぎた。
だが、彼は純粋に惹かれている。
瞳に映る魔導師の、無駄のない一挙一動に。
芯の通った姿勢と眼差しに。
心が吸い込まれていくような感覚を覚えながら。
フェレンスを見つめる少年の気持ちが、カーツェルには ... よく分かる。
かつての自分もそうであったと。
それだけに、あまり片意地を張って欲しくはないのだが。
フェレンスの思うところも、分からなくはない。
カーツェルは瞼を伏せ、床に映る薄影を見流す。
オーロラのように美しい青と緑のグラデーションを纏い、揺々と波状発光する一部、装置の傍ら。
黄金色の打ち込み枠を配す箱型鞄が積み置かれた部屋の片隅には、あのタペストリー。
帝都に構える屋敷から、機材一式、取り寄せた模様だ。
魔力の検知、計測であれば、フェレンスの持ち歩いている懐中時計型複合機器でも間に合うが。
血の判定に際しては解析の必要があるため、それなりに大掛かり。
椅子に座る双方を機器の合間から眺めていると。
ある装置の中で虹を放つ柱状結晶から、下方向へ。
複数、備えられたフィルター内の細石を通し、一粒 々 落ちていく光の雫が、
両者の瞳に星を宿すかのように映り込み、より神秘的な情景を醸す。
彼の魔導師は言った。
「では、肘掛けに備えた測定管に腕を通して。そのまま、静かに待ちなさい」
少年は我に返り、自らの手元を見る。
だが、言い付けに従おうとする手前、どんな装置であるのか気に掛かり内側を覗き込んでみた。
外側は青銅製だが、中は蒼く光る列線を張り巡らせてあるよう。
マジマジ と見ていたところ、筒の向こう側に ヒョイ と現れるフェレンスの顔。
「観察は済んだか ... ?」
急かすでもなく。彼はゆったりと姿勢を戻し、少年の気が済むのを待っていた。
列線は魔青鋼製である。
それとは即ち。〈第五元素〉の媒介として優れた性質を持つ、錬精超貴金属のことを言う。
恐る々 ... その内側に腕を通した少年は、
脈から魔力を検知し作動する装置の眩い光源に目を細めた。
間もなくして。血質を数値化し用紙に打刻していく器具へと、手を伸ばすフェレンス。
まず先に気付いたのは彼。
顔を上げて見やると。
ソファーの横に位置した扉が、ゆっくりと開く。
〈 カチャリ ... キィィ ... ... 〉
物音を潜め、姿を見せたのはクロイツだった。
すると、フェレンスの視線を辿った末に目が合うや否や、
吐き気を催したカーツェルが バタバタ と水受けを探す。
人の顔を見るなり、なんて奴だ ... ...
目元は引き攣っているが、これでも場に配慮し堪えたつもり。
這う余力も無い腑抜けが ... ...
なんて、心で思っても口にはしない。
「 ど う し た 下 僕 ... 顔色 が 優れん よ う だ が。 ど こ か ... 具 合 でも 悪 い の か?」
なのにどうして。
青褪めたカーツェルの傍へ躙り寄るクロイツの取った行動は正反対だった。
踵で ガツン !! とソファーの肘置きを蹴った挙句。
その脚で片胡座をかき、カーツェルの背に乗り上がる。
「 グエ ェ ェ ェ ... ... ... 」
堪らず呻きを漏らすカーツェルと、それを見て高圧的に笑うクロイツ。
二人は一言二言、交わした。
「それが、具合悪そうに見える人間に対してする事か ... この、碌でなしが ... 」
「人で無しの言えた台詞か? 笑わせるな化物め。
紅玉の魔ノ香を鼻の先にして中毒も起こさぬ人間など、この世にいてたまるか」
チリチリ と喉を焼くような苛立ち。
そういう奴だと、分かってはいたが ... ...
カーツェルは改めて思い知った。そして、歯を食い縛る。
吐き気も忘れて振り向けば、見下し顔の高慢ちきと睨み合いになった。
「 ククク ... 憐れなものだ。主人は覚悟の上だというのに、
契約を交わし半ば死人となった下僕が、未だ人間のつもりとはな」
「 ... 何だと ... ?」
ギラリ と鋭さを増す琥珀色の瞳。強張る目元。
憤りを露わにするカーツェルを嘲笑い、クロイツは畳み掛ける。
「腹立たしいか? ククク ... そんな事だから貴様は馬鹿なのだ。
そうでもしなければ、あの男と添い歩くなど不可能。
そうと承知の上で選んだ道ではなかったのか?」
ところがだ。条を接ぐ直前に、フェレンスが遮った。
「監視官 ... 今、彼の〈炎〉を煽るのは控えてもらいたい。
不安定なので傍で休ませてはいるが。
少年を間近にしながら万が一の対策も出来ていない現状にしろ、本意ではないので」
「 ククク ... 親愛なる友を魔物と化して支配する異端ノ魔導師でも、痛めるような良心があるのか?」
「 ... ... 良心とは思わないが。それなりには」
腹に据えかねる。
ついに身体を起こしたカーツェルが、深々と伏した面差しに濃い影を落とした。
たかが戯言。然れど許しがたい。
主人である前に、親しき友人。そう思えばこそ。
フェレンスを侮辱する者が、良心について触れるなど以ての外という認識だ。
両腕の枷に燈る蒼火は、沸々とたぎるカーツェルの怒りに伴って霜を降らせる。
クロイツは素早く退いた。けれども態度は変わらず。
目が合えば顎の先を ツン と上げ、鼻で笑う素振り。
フェレンスとの遣り取りは続いた。
「 ククク クク ... そう案ずるな。貴様が憂うような言葉であればこそ。
この、くたばりかけには良い薬になるというもの ... ...
実際に、どうだ? 見るがいい。ようやく〈腑抜け〉とは思えぬ面構えになったではないか」
「 ... ... それはそうだが」
そこで、ふと思い返す。
カーツェルは、胸を擦りながら視線を落とした。
言われてみると ... ...
先程までの吐き気は何処へやら。
腕を組み直し、壁に凭れ、クロイツは言う。
「人であれば悪酔いもする。酷ければ中毒を起こし、最悪は死ぬ。
しかし、それはあくまでも人であればの話なのだ。
考えてもみろ。貴様が付き従う男は何者だ? いい加減に自覚を持て愚か者。
貴様は主人のため、心から慕う者のため、化物でなければならぬ身であろうが」
冥府の炎を制し瘴気を灼く。
それが出来れば酔いなどしない。
尤も ... そんな腑抜けの人間味を好いていて、
いつまでも甘やかしている奴の方こそ、どうかとは思うがな ... ...
少年の傍であろうと、なかろうと。問題はそこではない。
だが、それについて話す気にはならなかったのだ。
彼の下僕は、ああ見えて名門貴族に婿入りした男の第二子。
且つ、次期士官候補。 ... にも拘わらず、弛んでいるにも程がある。
万全でないなら尚更に気を引き締め警戒すべきなのに。
療養所でのカーツェルはどうだった。
友人、改め主人の意識が戻らないからといって、役目を忘れるような男に誰がした。
本来なら、まともに瘴気を喰らわぬよう、
喰らったとしても意識が飛ばぬよう鍛えてやるべきであったろうに。
友に無理をさせぬよう、心配を悟られぬよう、努めていたフェレンスが ... 俯く。
また、カーツェルも同様に。
どう捉えるかは両者次第だが。
この二人に限って目を逸らし続けることはあるまい。
様子を見て、これ以上の指摘は不要と見做し、クロイツは次の話題を振った。
「それで ... ... どうなのだ ... ... 」
ところが、何とも言えない。
藪から棒な切り返し。
「「 ... ... え? ... ... 」」
意表を突かれて面食らった主従が、声を揃えた。
「だから!! 少年の血の判定は済んだのかと聞いている!」
いや、そんな、急に、〈だから〉とか言われても ... ...
カーツェルは思う。ところがフェレンスは違った。
「 ... あ。... そうだった... 」
「って! 忘れてたんかい!」
その上、つっこみ入れたのはクロイツである。
組んだ腕を指先で連打し、イライラ するだけならまだしも。
いつもと雰囲気が違うような。
あれ? コイツって、こんなキャラだったっけ ... ?
呆気にとられるカーツェルと、あまり気にしていないフェレンスの反応を見比べて。
実のところは楽しんでいたりする監視官の一面に、ちょっとだけ親近感が湧いた。
少年の胸がときめく。
まだ座っていたほうが良いだろうか。
装置の吐き出す細長い用紙に再び目を通すフェレンスに対し、視線で訴えかけると。
「もう、自由にしてかまわない」
彼は直ぐに気付いて答えた。
聞くなり椅子から飛び降りる少年は、 ペタペタ と足音を鳴らし、クロイツの元へと馳せ寄る。
見ていたカーツェルは、その後、二度、驚かされた。
あのクロイツが、ふわり表情を緩めたかと思えば。
ソファーに腰掛け迎え入れた少年を ... 何と、お膝抱っこしてやった上に言ったのだ。
「甘いものは好きか?」
「 ン ! シュキ !! 」
しかも、そうと聞いてトラウザのポケットから取り出した飴玉の一つを少年に。
更にもう一つはと言うと、紙包装を カサカサ と剥きはじめ自身の口に放ったのだから。
今度ばかりは声に出る。
「 ... お、お、お ... お前って、そういうキャラだったっけ !?」
「何も珍しい事は無かろうが!! 先から何が言いたいのだ! 貴様!!」
意外すぎて逆に興味が沸いた。
カーツェルは ストン ... とクロイツの隣に腰を下ろし尋ねる。
「甘いもの、好きなの?」
「 ... うむ ... 」
悪いか。
いや、別に ... ...
「いつの間に、そんな仲良くなったの?」
「貴様が居眠りしている間にだ。ノーシュの手には余るようだったのでな」
可怪しいか。
いや、ちょっと驚いただけ ... ...
組み合わせが組み合わせだけに。
甘いもの+子供+クロイツ = 和み
こんな図式が成り立つとは思いがけず、目が離せない。
ところが、クロイツ。
わざわざ答えてやっているのに、マジマジ 見られるものだから嫌気が差してきた。
けれども少年が包みを開けられずに、いつまでも手を拱いているようなので。
渡してみろと言い開けてやりながら、気休めにフェレンスを急かしてみる。
「おい、フェレンス! 結果は出ているのだろう。いつまで眺めているつもりなのだ!!」
するとだ。何やら数値を流し見る彼の様子がおかしい。
「異常でもあったか ... ? 」
察し、尋ねると。
唇に指の背を添え、考え込んでいたフェレンスは説明のしように困った。
何と言えばいい ... ...
「それが ... ああ、そう、つまり。その少年の血は確かに、
〈紅玉〉と認定されるだけの数値を ... ... 示してはいる」
彼にしては珍しく、はっきりとしない物言い。
だからどうした ... ... さっさと続きを言え ... ...
クロイツの目元が不服そうに萎んだ。
一方でカーツェルは、クロイツが解きかけた紙包装の隙間を少年と一緒に注視。
チラリと見える赤い飴玉を、そっと摘んで取り出し、
クロイツを真似て口に放る少年の動きに対し、可愛いもんだなぁ ... と、思っていたところ。
事は起きた。
〈 ミシッ ... バチバチッ ...!!〉
装置の数カ所から発せられる異音と共に、次々と緊急停止する装置。
管制機器の警報を即座に解除したうえ、義級を確認するフェレンスは咄嗟に口走る。
「制御機構の異常ではない。保安が正常に動作しただけだ。となると ... 」
設備損傷。
そうこうしているうち熱を帯びる装置の繋ぎ目が、赤黒い泡を吹きはじめた。
逸早く気付いたカーツェルは、至急フェレンスに知らせようと口を開く。
少年の頬張る飴玉が、口の中で パリッ と砕けた音に次ぐ。
装置の各所から次々と上がる炸裂音。
それらは、フェレンスを呼ぶカーツェルの声さえ掻き消した。
直ぐ様に導力を落とすフェレンスだったが、熱暴走は収束せず。
少年を抱き上げたクロイツは、飛び散る火花を逃れ。
扉を開くと同時に裏側へ身を隠す。
部屋を出るまでの数秒が惜しかった。
カーツェルもまた、同断。
素早く装置とフェレンスの間に立ち入って、自身の背を盾にした。
最終的に吹き飛んだのは、耐圧部周辺の表示端末、一式。
軽く吹き込む辻風。
全ての装置が沈黙すると共に訪れるは、元の静寂。
流石のフェレンスも驚きを隠しきれない。
飛散した硝子片が シュン...! と耳元で空を裂き、
部屋の壁に複数、突き刺さる音を聞いていたからだ。
カーツェルの背を撫でた後、顔の傍まで寄せて見ると。
手にした紙媒体が、血で染まっていく。
先のクロイツの言葉が、脳裏を過ぎった。
〈 貴様は主人のため、心から慕う者のため、化物でなければならぬ身であろうが 〉
然りとて。元はと言えば、ただの人。
彼の血を見るのは ... ... やはり辛い ... ...
憂き目に遭うも腹を据え。
フェレンスが見て辿るのは、手元の記録紙。
X X X X X X X X X X X ... ...
そこには、未知数を示す記号が延々と連なり ... 続いていた。
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