精霊王ノ瞳~Ⅶ (2/26更新)
文字数 6,822文字
厚い雲を貫いたのは、月灯を導く秋風。
竜巻の対現象たる下降気流は、晴夜を切り開き。
移動中だった人々の多くが、強風を避け屋内へと駆け込んだ。
山岳の峰に寄り集まる雲はやがて、国境に雪を降らせるだろう。
片や都の礎となる岩盤層、直下にて。
戦線を張るアイゼリアの兵士達が捕捉したのは、どす黒く肉々しい何か。
全貌を捉えきれず、実態こそ不明確だが。
石塔に根を張る巨大樹の梢に見え隠れするそれは、
ズルズル と部分的、浮き沈みを繰り返す。
触手のよう。
何処からともなく聞こえてくる息吹は唸り声にも似て。
とある兵士は大気質の検知を試みた。
そして挙手。
彼は一言で結果を周知する。
「沼気です」
発生源は言うまでもない。
対象を見張る兵士の一人が言った。
「となると ... 迂闊に火器は使えんな」
可燃性瓦斯単体に爆発性は無い。
注意すべきは燃焼範囲と火源のほう。
要するに、酸素を孕んだ当周辺こそ危機的という事だが。
都に吹く風は、彼等に味方している。
先頃の損害を差し引いても。
人命被害に至ってはいないだけ、追い風に救われている気分だ。
そんな彼等のもとへと。
吹き下ろす気流をまとめあげ、送り込んでいたのは彼ノ魔導師である。
携えた杖を振り下ろし、
腕と肩を軸に回した等身を絡め取るように、左から右へ。
また、同時に描かれる大小様々な魔法陣は、蒼き光を宿す印により紡がれた。
次いで前方を指し示すと。
波打つ大気が暴風となって、城下街を、人々の背後を押し通る。
大人の体が浮きかける風圧。
中には前のめりに吹き飛ばされ、人々の足元を転がる子供もいた。
しかし誰かしらが受け止め、共に避難している様子。
そんな状況にあっても。
期待の覡を見上げる若者の瞳は憧れに満ちて、キラキラ と輝いているのだから。
見届け役としては複雑な心境である。
若者から視線を逸らすヴォルトの表情は暗い。
何故だろう ... ...
その時、何処かで、誰かが思った。
このところの日常を振り返りながら。
魔法って何?
錬金術って何?
合間を見て子供達の質問に答えてやっている若手の覡は、
あえて小難しい話を聞かせているようだった。
『光子が多元量子を各次元へ透写し、結び付け。
また、それら無数の情報は第六次元へ帰属する記憶に揺らぎを生じ、この世の物理に反映する』
『 キャハハ! 』
『 フフフ! 』
『わかんない!』
まあ、当然。
すると彼は応接室の窓掛けを閉め、小椅子に本を数冊ほど積んで電灯で照らし。
周辺を歩きながら、こう話す。
『では、ある物体を光で照らす。
私と君達とでは、目に見える影の形も、位置も面積も異なり、様々。
そこで私は呪文をとなえる。君がいる角度から見た影にまつわる情報が欲しいと』
『イヤだ!』
『イイよ!』
フェレンスは朗らかに笑った。
『そう、自身とは異なる見え方、意見をあらわす他者の影響もあって、君達の心は揺らぐ。
第六次元の揺らぎも、それに近い』
『やっぱり、わかんないって!』
神秘学上の第六次元とは神々ノ意識を示す言葉。
魔法や錬金術というのは、人の心を動かす力と似ている。
『て言うか、覡様って何でも自分で出来るんじゃないの?」
フェレンスは黙って首を横に振った。
そして続ける。
『けれど、君達が私の言葉に応じてくれたなら、
私は自分では見ることのできなかった角度の情報を得ることが出来る」
『それなら俺にも出来るでしょ!』
『誰が、お前の言うコトなんか聞くんだよ』
『そこは魔法の言葉を考えてだな』
『うわ、何か鳥肌たった。キモっ!』
子供達のやり取りを聞きながら微笑む彼は、
同じ目の高さで寄り添う姿勢を見せた。
『私も、君達が考え導き出した答えに興味がある。知りたい。だから ... 教えて欲しい』
『えー』
『そんなの、俺、まだ ... よく分かんないし』
『 ハハハ! でも考えとく!』
すると子供達は皆、照れくさそうに走り去る。
やっと他の事をして遊ぶ気になったようだ。
けれども、それだけが理由ではない。
興味の対象が自分達と同様、興味を示してくれた事に満足したのだ。
覡を装うフェレンスは、以前と打って変わり。
人々に慈愛を示すように接している。
愛情に関する解釈の仕方、理解するに至らぬ者の演技とは思えないほど。
温かく、優しく、包み込むように。
そして、あの若者もまた、そんな彼に惹かれた者の一人なのだ。
朦朧としながらも、散乱した記憶の整理をしていく。
これまでの出来事を振り返っていたのは、カーツェルだった。
若者は、誰かに相談したかったのだそう。
実の父親が、息子である自分と他者を比較評価し嘲る事について。
周りの人間に話しても、返ってくる応えはだいたい想像がつく。
傷つきたくない。嫌な思いをしたくない。逃避ばかり。
何のためそうしているのか、意味すら分からなくなってきたと言う。
『こんなちっぽけなコト ...
あなたのほうが、きっと、ずっと大変ですよね。ごめんなさい』
前屈みに俯く彼は、
膝に乗せた両手を強く握り締め。
ついには黙ってしまった。
父親の言う最低限の範疇に収まったところで、反応は変わらない。
どこまで行っても出来て当然。
初めから出来ない時点で底辺と見做されてしまう。
環境や状況、辛いと感じる度合い、何もかもが人それぞれなはずなのに。
自分自身でさえ、情けないと感じてしまうのだ。
聞いていると、そうやって見下してきた相手の訴えに耳を貸すような父親ではなさそう。
上手くやっていくため努力しても否定されるなら、彼の成長を望んでいるのではなく、
自身の不幸を彼のせいにしたいだけではないだろうか。
自分が変われば、改善するのではないかというような視点の置き換え、
可能性を考慮しようとしないばかりか。
そうせざるを得ないのは他者が劣るせいと考え、不満を抱いてしまうような。
固執した価値観、他責思考の持ち主と思われるので。
転嫁行動に至る要因を探り。
別途、解決する必要がある。
一通り考察を述べ終えたところ。
フェレンスは次に、若者を気に掛けた。
彼の前には、手付かずのお茶。
主人の目配せを察したカーツェルは、すぐに引き取って淹れなおす。
暫くして差し出されたのは、ふわりと湯気の立った紅茶。
『良ければ ... 一度、喉を潤して、深呼吸を』
言う通りにすれば、救われる ... ... ?
若者は少しだけ震えながら、ゆっくりとした動作で従った。
僅かな期待を見受け、フェレンスは提案していく。
『あなたはまず、比較されている対象を自分と置き換えてみてはどうだろう。
あなたが先に見る誰かの背中、それは未来にいるあなた自身の姿かもしれないと』
『未来の俺、ですか』
『そう。いずれあなたは辿り着くのだから。
そこにある差は伸びしろでしかない。
何でも好きなものを取り入れていける』
『でも、何をしたらいいのか』
『無理に、考えなくても良いのでは?』
『え?』
『何か理由があるのかも。
しかし、それらは気付きにくい。
新たな知識を得たりなど。
備えが必要な事もある。
きっと焦るだろう。
辛くないわけはない。
悲しい思いもするはず。
だから俯いてもいい。
立ち止まってもいい。
けれど ... どうせ目指すなら、出来るだけ早く立ち上がった方が有利だ。
前を向いて、歩きなさい。
あなたはこれから先、ずっと成長し続けていくのだから。
どうしても進めない時は、その場で出来る事で良い、方法を探して。
考えて。分からなければ、少し休憩するといい。
そうして時間を持て余すようなら ... また、私と話をしよう』
フェレンスに憂鬱を打ち明けた者は皆、
彼の言葉を忘れぬよう、無くさぬよう、閉じこめる。
胸の中。心の奥底に。
自分もそうしてきた。
だからこそ、分かってしまうのだ。
カーツェルは思う。
この感情は ... フェレンスに想いを寄せる者への ... 共感、だろうか。
いや、違う ... ...
答えを導き出すための鍵は、
若者が訪れた日の深夜にフェレンスと交わした会話の中。
悩まし気な彼を待ち構えていたのは当の主人。
戸締りを済ませた後の事だった。
『今日、仕事の最中。何か納得のいかない事でもあったか?』
カーツェルは顔を背けて弱々しく答える。
『私が幼かった頃も、彼等と同じように ...
気兼ねなく旦那様と話せたなら、どんなに良かったかと』
『そうか。それは奇遇だな』
『奇遇?』
対して清々しいほど、意外な反応を見せる。
フェレンスは、とても嬉しそうな表情。
何故だろう ... ...
皮肉を込めて言ったつもりなのに。
カーツェルは驚きを隠せず、目を見張った。
するとフェレンスが言い加える。
『私も。当時のお前と、そのような話をすることがあったなら何と言って答えようかと。
いつもお前の面影を重ねて会話していた』
愛敬を示そうにも、なかなか難しい。
見抜かれても困るので、より親身になって考えられるよう意識したとの事。
ああ ... なんて残酷な ... ...
そうは思っても、悪い気がしない。
『私との遣り取りを念頭に置き、抜かりなく演じてらっしゃると?』
フェレンスは素直に答えた。
『そう。何せ ... 私が愛しているのは、お前しかいないので』
その時、彼を駆り立てたのは、
言葉であらわせるような心情ではない。
主人を蔑む者も、恋慕する者も、許せない ... 認知的不協和を。
欲情に塗れた執念で上書きし、自我を保っている状態だ。
フェレンスが学び、示そうとしている愛情を
独り占めするためには、どうしたら良いだろう。
気付けば、そんなことを考えている。
カーツェルは知っているはずだった。
某英雄が寄せた特別な愛情について。
当時は疑問を抱くにも至らず、尋ねることすら出来なかったと言う相手が。
あらため人の情に触れ、自己拡張に努めるようになった経緯を。
ただ、忘れていただけ。
何故だろう ... ...
朦朧としながら、カーツェルは繰り返す。
何故なんだ ... ... !
お前は、何度も俺に言ってた。
お前は、何度も俺に嘘をついた。
アイシテル?
初めて使う言葉なんかじゃないだろう?
それなのに俺は ... 忘れてた。
どうして。どうして忘れなきゃならない!
「フェレンス ... どうして、お前は ... 」
何のための演技か、嘘か。
混乱していると、意図せず向き合う事になる。
ああ、でも、待てよ ... ...
腹に据えかねる憤り。
これは、お前のものでもあるのか ... グウィン ... ...
目の前に現れた幻影は、目を見開いてカーツェルの胸の中央に手を伸ばした。
ところがだ。またしても意識を失いかけていたはずのカーツェルが、その手を突き返す。
フェレンスに寄り添っていいのは俺だけ。
慕っていいのは俺だけ。
愛していいのは俺だけ。
負ノ共感は、決して相容れぬもの。
散り々になった某英雄の記憶を再生したところで、反発し合うだけなのだ。
それは最早、敵対意識。
寒気がする。
その時ヴォルトは堪だならぬ気配を感じ、身震いした。
更に向き直ると。
路地裏から姿をあらわした男が、フラリ ... フラリ ... 足を引きずるようにして歩く。
カーツェルだった。
どうして奴が!? 今、ここに ... ... !?
クロイツの瞳に捕らわれ、機能不全による墜落後、
気絶したはずの侍従が、まさか二人いるわけはないし。
我が目を疑ったのも束の間。
頭を抱え呻く様は、
正気を失い彷徨う薬物中毒者のよう。
遅れて避難する人々の誰もが危険人物と思い、避けて通った。
彼の心は、ここに無い。
ただ本能的に。
危険因子を排除すべく、辿り着いたのだ。
そして、鬼の形相で迫る。
カーツェルに気が付いた若者は、危うく腰を抜かけた。
けれども踏み留まって逃げ出す。
そこへ、すかさず割って入ったのは、ヴォルト。
腕と肩を順に捻り返し、乗り上がると。
呆気なく倒れ込んだので拍子抜けしたが。
相手には抵抗するどころか、頭の向きを変え辺りを見る余力も無いよう。
朦朧としているくせに。
吐き散らしながら、ここまで来たらしい。
彼の何が、そうさせているのだろう。
思い詰まったヴォルトが、息を吐き捨てたところ。
逆光の中、目の前に映り込む。
見覚えのある人影。
「やるではないか。ウルクア ... 思いの外、見識高い男だな」
クロイツの声だ。
思いがけぬ展開と相俟って。
些か気不味い。
ヴォルトは尋ねた。
「おいおい。とんだ臆病者と言ってなかったか?
さっきまでのあんたに、こんな猿芝居を見に来る余裕なんて見えなかったが ... 何しに来た?」
対し、答えたのはノシュウェル。
「それが、割と今でもギリギリなのに。
この人ときたら ... 一度、言い出すと聞かなくてねぇ」
勿論、止めはした。
こちらにとって要ノ人であるからして。
無理だけはして欲しくない。
連れて行けと脅されたところで食らうのは、へなちょこパンチだし。
逆らいようはあったのだ。
しかし遮られる。
クロイツは言った。
「王党派の諜報員共が貴様達を野放しにしておく理由について、少し話したい」
逆光の中。
気怠そうな足取で、一歩、二歩、詰め寄るうち。
クロイツは、挑発的に語気を強める。
「まあ、安心しろ。共有された情報の齟齬など気にしてもないぞ。
我々級になれば、むしろ有益。
国境問題に託け会談を繰り返す帝国の官僚とアイゼリア王党派の蜜月。
双方の営利など知ったところで 今更。
興味は無いのだ。
例え貴様等が共々 ... 同じ弱みを有する立場であり、
我々の独断的介入を牽制するための当て馬だったとしてもな」
耳を傾けるヴォルトは何を察したか。
少しばかり俯いて溜息する。
「だが、しかしだ」
耳が痛い。
「配下の動員にあたるウルクアの独断専行が目に余る。
これ以上は看過できぬのだ。分かるか?」
見ると、不意に滑り落ちていく視線。
クロイツの瞳は、ヴォルトが抑え込む男を見詰めた。
内通を疑われているだけと思ったが、そうではなさそう。
という事は ... ...
ヴォルトの額に、汗が滲みはじめる。
取り繕うしかなかった。
「待て。今ここで話せることじゃない。あともう少し、いや、せめて場所を変えよう」
対し相手は断じて拒否する。
「いいや ... 今でなければならぬ!」
事情を加味している場合ではない。
立ち上がりかけたヴォルトの声を遮るように肩を押し退けるクロイツの手が。
正面の射程を開いた時。
その後方で待ち構えていたのは、ノシュウェルだった。
彼の手には曳光弾を装填した信号拳銃。
夕闇を裂く旋光は、誰に、何を伝えたのだろう。
漂う硝煙の向こうから現れた何時ぞやの紳士は、不気味に笑う。
血に飢えた亡者を引き連れて。
ヴォルトは状況を把握し、やがて向き直った。
迫り来る徒党を。かつての同志達を。
時を同じくして。
臨戦間近にして、フェレンスは悲しげに瞳を閉じる。
その時、彼の背後から撃ち上げられた曳光弾の残照は、
自身と鼓動を重ねる男の裏切りを示唆していた。
後にヴォルトは、こう釈明する。
俺達は元々、異国ノ刺客。
他国へ潜入し権力者を暗殺後、顔を変え、声を変え、なりすます。
背乗りを繰り返してきた。
王党派はローランドの同業者が取り仕切っている。
対し俺達はハイランドの出身。
アイゼリアを含む、それら三カ国は元々が同民族であり。
互いの治世に詳しく。
資源目当ての領土問題は尽きなかった。
しかし、現在の帝国がそうであるように。
資源国との敵対は避けるべきであるとして。
石ノ杜が喰らった土地と、残される鉱物資源を独占する
アイゼリアとは冷戦状態。
近隣、各国が牽制しあう中。
内部侵略が進んでいったわけだが。
『 何もかも、罠だったんだ 』
今も昔も、 アイゼリアの王族をはじめとする政界、そして一般に至るまで。
当該国に民など存在しない。
何世代にも渡る収賄と暗殺によって権力者を排除し、入れ替わってきた刺客達は、
逆に囚われてしまったのだと。
馬鹿々しい。
誰がそんな話を信じるだろう。
しかし疑い否定する者すら、ここには居ない。
石ノ杜が芽吹いた時。
アイゼリアの民は糧となり ... 姿を消した。
『俺達が生かされている理由は、そう、あんたの言うとおり。
近隣国の治政干渉に対処する当て馬として利用するため』
ウルクアは杜に囚われた同志の筆頭として、
杜ノ主と交渉してきたという。
ところが、彼の動向には不審な点があった。
例の紳士をはじめとする王党派の同志等はウルクアを信用していない。
『 俺達は ... ウルクアの潔白を証明したかった』
片やクロイツは、こう指摘する。
時期尚早 ... ... 。
不本意ながら。
フェレンスの私見を代弁したに過ぎないが。
祖国を離れ、長らく別人として生きてきたばかりか。
囚人として労役する彼等、憂国ノ士を。
囲い込んだ者。まとめ上げた者。
それぞれの駆け引きと、疑惑すら目眩ましである可能性について。
協議したのは、ほんの数日前だ。
アイゼリア王都、真下の支柱から。
巨大な魔物が姿を現た時。
身に纏った白い羽衣を翻し、
法の刃を振るう覡は ...
予期していたらしい。
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