石ノ杜~Ⅹ
文字数 9,834文字
黒の表地に、赤く艶のある裏地。
それぞれを縫い合わせた日除けの落とす影の下。
指先で耳珠を押して塞ぎ、音を遮る。
紳士は再び口を開いた。
「改め、報告します。
彼ノ魔導師より、接触あり。
魔石の欠片を託されました。
... いえ。計画の見直しを図る前に。
今一つ、検証の許可を下さい。
〈魔導兵〉の日常的応対能力を知る必要があります」
やがて走り出した辻馬車を横目に。
チェシャと並ぶフェレンスは、大荷物の降ろし作業を手伝わされている執事を待つ。
真上に差し掛かった太陽を背に汗するカーツェルは、
馬車後方の下側三名に対し、客車上の荷台側一人で対応していた。
「せぇーの ... !! よいしょー!!」
男三人が声を揃えて腕を突っ張ると、上からカーツェルが押す。
流石の怪力は、歯を食いしばるだけで持ち上げた。
「うぉおぉおぉぉぉぉぉ重ぉぉぉぉい ... !!」
下側なんか咳き込むくらい叫んでないと、やってられない様子なのに。
見上げるチェシャの口は、ぽかーんと開かれたまま。
虫が飛んできたら、喉の奥まで一直線に突っ込んで行きそう。
チラリ ... 一目見て、やれやれと一呼吸置くフェレンスが、幼子の思うところを察したかたち。
「感心するだろう? しかもあれは、彼、生まれ持っての馬鹿力。
今のお前より、もう少し背は大きかったが ... 昔も今と変わらず。力だけは、同年代の三人分あった」
マジで ... ... ?
銀色の瞳を真ん丸にして、フェレンスを見るチェシャの口が、シュッ! と窄む。
それはもう、きっと、握り潰しリンゴジュース作れちゃうやつ!
摩り下ろし○○みたいな。
何を想像して胸を膨らませているのだろう。
フェレンスには分からない。けれども。
気後れするでも無し、素直で前向きなチェシャの反応を見て安心した。
その隙きを突くべく緊張を高めたのは、停留所を行き交う人々に紛れた五人の男。
彼等は、辻馬車の紳士と遣り取りする誰かしらの答えを待っていた。
すると、一言で下される検証の可否。
紳士を含め、それぞれには、こう聴こえていた。
〈 ... ... 許可する〉
野太い、男の声である。
赤毛の幼子を映す碧い瞳が上を向くと。
いつにも増して高く、遠い空を漂う白雲。
剥き出しになった岩盤の上に据えられた城下街は蒼天の下に曝され。
一見し、深い森を経て辿り着いた場所とは思えぬ。
思い立って取り出したペンダントトップ型小端末の側輪を回してみれば、簡易的測量が可能。
結果、計器盤の指針は水準点より低い位置を示した。
海抜 ... おそよ1640ft ... ... ※1640ft=500m
その場を離れたフェレンスが、ベルトの留め金に端末を戻すと。
岩壁の間を下る階段が目に留まる。
葡萄色を基調とした建物の向こう側へ続くそれは、
階下に設けられた見晴らしに通じている模様。
広場の外縁を巡る鉄柵は、鳥籠のように弧を描き。
所により生い茂る蔓植物の中には、秋咲きのクレマチスが色取り取り見られた。
下り口で立ち止まったフェレンスの横を行き過ぎ。
広場へと下りていく人々が、球状のテラリウムに吸い込まれていくかのような光景。
石ノ杜に侵蝕された土地特有と言える。
岩盤を残し没していく地に根ざした樹々は、
この街よりも、また遥か下で枝葉を広げているのだ。
それはまるで ... 森ノ海。
帝国側、北東の国境に面す石ノ杜最北端を南下。
ここ、王都・イシュタットが位置するのは、杜ノ根と呼ばれる最深毀壊部に程近い。
「まるで、巨大な岩棚の上に建つ都で御座いますね」
フェレンスの背に声を掛けたのは、客車上の荷台から一歩、
踏み出るようにして降り立った彼ノ下僕。
彼は、一階建て納屋の屋根と並ぶ荷台から、梯子も使わず降りて来た。
しかしチェシャは驚かない。ここ数日間の移動において、すっかり見慣れてしまったので。
一方。岩畳に手も付かず、膝の弾機だけで着地した彼の所作に、
人知れず目を見張ったのは、一行を監視する五人。
なるほど、確かに。
人の姿をした魔物とは、見て納得。
あの脚なら、建物の四、五階は優に飛び越えるのだろう。
振り向く異端ノ魔導師は、安穏として答えた。
「ああ。そうだな」
平穏無事に、ここまで辿り着いたのだから。
気が緩んでもおかしくはないのだ。
むしろ、この時のため野放しにしておいてやったようなもの。
広場を後にした辻馬車の中で、あの紳士は言う。
「さて、ご挨拶と行こうか」
箱型鞄の上に座る幼子と、その横に立つ執事のともへ戻る手前。
二人の背景にある馬車を中心とし、行き交う人々の様子を例えるなら。
風に散り、日陰を揺蕩う木の葉。
内、一人がフェレンスの真向かいを横切った時だった。
〈抜かり無く ... 拐え〉
紳士の指示が下り。それと略同時。
カーツェルの背後に立った一人の男が、彼の肩を叩く。
「あの、道をお聞きしたいのですが」
また一人は急に向きを変え。
フェレンスの前を行き過ぎようとした若者と肩がぶつかるなり、言い掛かりを付け始めた。
その間、チェシャの姿は視界から外れ、死角に入る。
主従共に。ほんの一瞬、気を取られたにすぎないが。
見知らぬ作業者の腕に抱え上げられたチェシャは、あっという間に真っ暗闇の中へ。
幼子がぶち込まれたのは、駅馬車から郵便馬車へ積み替えられたばかりの通い箱。
ガサガサ と手紙に埋もれ、戸惑う幼子の声は、フェレンスの前で言い争う二人の怒声にかき消された。
片や、急に尋ねられても愛想良く断る執事は物静か。
「申し訳ありませんが、私も他所の土地から着いたばかりなので ... 」
道案内できる程の土地勘が無い。
カーツェルは、そう言いかける。
けれども、彼に限って即座に気付かないなんて事は有り得なかった。
チェシャの脈から嗅ぎ取れる魔ノ香が薄れた瞬間、振り向けば。
そこにあるのは立て置かれた箱型鞄のみ。
息を呑んで視線を上げたところ、目が合う ... フェレンスと。
アイゼリアの諜報員ごとき。
束になって掛かったところで相手になるはずもないが。
警告はしたのだ。
しかし検証を許可した男は、クロイツの話を ... ただ、聞くだけ。
「魔導兵は覚醒状態から魔人化する。が ...
半覚醒までは人の姿を維持するそうだ。それに加え、例え目を離していたとしても、
脈から漂う血の香りで、人の判別、居場所の特定が可能」
「 ... 無駄と言いたいのか?」
言葉を返すのは、側近と思わしき髭の男。
「命を懸けてする事ではなかろう?
そもそも日常的応対能力など知って、どうしようと言うのだ」
「それについて、あなたが知る必要は無い」
ノシュウェルは戦々恐々としてクロイツの斜め後ろに立つ。
「まあ良い。無駄骨を折るだけで済むかどうか ...
貴様等が差し向けた精鋭の健闘を祈ろうではないか」
幽々たる深緑ノ間にて。
幾重にも引かれた襞折引幕が両者を隔て。
片一方、手前側のみ薄明かりが灯される中。
低卓を囲う長椅子の肩に腕を投げ掛け、足を組む。
クロイツの鋭い視線は、対面、幕下の人影に向けられていた。
四頭立て郵便馬車を操る馭者をはじめ、郵送局員は全くの無関係である。
とりわけ急ぐ様子も無し。時間通り、日常業務をこなしているだけだ。
ゆるりと方向を変え、走り出した馬車と共に薄れ往く。
魔ノ香を察知した彼ノ下僕は、素早く背後を振り向き、深く踏み込んだ。
拐われた幼子は何処へ ... ...
目星は付いているらしい。
初め道を尋ねた男が、執事の目向きを見張る間に。
狙いを定める獣の眼。
琥珀色の瞳から、スッ ... と、消えゆく色原体。
透けた虹彩の奥を通う血が、黄金の輝きを放った時。
発せられた覇気は、手出しを躊躇うほど猛烈。
咄嗟に抱く印象と言えば、やはり ... ...
〈 化物 か !? 〉
忌々し。
然れど言い知れぬ。
それは正に、聖火の如く。
〈無垢なる狂気〉を秘めたる眼光に等しい。
彼ノ魔導師は、その背に声を掛けるでも無く。
ただ、佇んでいる。
どこか切迫した表情だった。
悲しげと言うには、少し違う気がする。
彼の目には、一体 ... 何が見えているのだろう。
振り翳されし黒き槍。
宙をも紅く染める戦火を裂き。
突き進むは、金剛鉄の黒鎧で身を固めた英雄。
また一歩 ... 踏み次ぐカーツェルの背に。
かつて目に焼き付けた竜騎士の、特攻姿勢が重なって映る。
フェレンスは、無言だった。
――― 密やかに、静やかに。
人の欲を喰らう恩情ノ焔が、無垢なる狂気を発症させる皮肉よ。
我を取り留め辿異を阻止しているのは、奴 ... ...
〈異端ノ魔導師〉との契約により刻まれた鈐印に他ならない。
クロイツは続け尋ねた。
「高々。暗部、傘下の勢が。
半覚醒の活動限界でも推し量るつもりだったのか?」
「ん? ... ... やぁ、さ。 ... なぁ。 ... ガハハハハ!
まぁまぁ。この様を良く見てから言ってくれ」
と言うか。急遽、作戦参加を願い出ただけあって。
やる事なす事、見え透いているのだが。
笑い飛ばす目上の横で項垂れる部下の肩にポンと、手を置いたのはノシュウェル。
郵便馬車の玉突き大事故に巻き込まれた一般民を装って。
町医者のもとへ担ぎ込まれたらしい男は、左腕の保護帯を軽く上げて言った。
「帝国の都に甚大な爪痕を残した魔物牴牾。
何時また箍を外すとも分からん男をガチギレさせるなんざ、到底、無理だ」
対し、口を挟んだのは彼の部下。
「ヴォルト ... 貴方。もう、やめませんか。らしくありませんよ」
国家諜報員の一人。且つ、指揮を預かる者と知れているのに。
態とらしいったらない。聞いていて恥ずかしいのだ。
「興味があるのは分かります。でも、あの方が追って貴方に命じたのは、
ここに居る二人の監視と護衛だったはずでしょう ... ... 」
しかし更に割って入る。
クロイツは、口の端を釣り上げ笑いつつ指摘した。
「百も承知で謀ったな?」
「え? ... て、まさか!!」
真っ先に声を上げたのは話を遮られた当人。
彼の上役は、一呼吸置いて答える。
「 ... ... 御名答様」
どういう事だろう。
「ヴォルト! 貴方!!」
とは言え、もう少し静かに話したいところ。
指先で耳を塞ぐ目上の様子を見て、今更のように黙る。
男の部下は、然も決まりが悪そうに下を向いた。
片や、惟んみる。
「何のための検証か ... ... 目的を疑う者が貴様等の側にも居るわけか」
自身の顎に指の背を当て、独り言のように囁いたのはクロイツ。
男は直様、言い留めた。
「おっと、あまり勘ぐってもらいたくないな。これは飽く迄も俺の一存だ」
「ほぅ ... 」
それにしても、あえての命令無視とは。
名だたる諜報機関にも、厄介な派閥が存在すると?
クロイツの顔色を見ながら、思いを察したのはノシュウェル。
分かったような口を利くと蹴られるので、声に出しては言えないが。
黙って男の話に耳を傾けていると。
彼は言う。
「それから、エルジオ。済まんがな ...
今のお前では、まだ役不足と判断した。
もう少し俺の下で働いてもらうぞ。いいな?」
上役と同じようには思い至らない。
恥ずべきは自身と考えを改めたか。
彼の部下は、静々と頷いて応えた。
あの男は浅はかだが。
民に顔を覚えられるような真似をするほど、致命的馬鹿ではない。
クロイツは思う。
何をきっかけにした事故なのかは調査中との事だが。
目撃者の多くは、こう証言していると言う。
停留所にて一息ついていた馬が、ほぼ一斉に暴れだしたのだと。
その内の一台。
個人所有の二頭立て馬車は小道に乱入。
路肩の市を尽く引き倒し。
抜けた先で郵便馬車を猛追した挙げ句。
荷降ろし作業中の貨物馬車に追突後、ようやく事態は収束したのだそう。
事故で重症を負った者の中には、二頭立て馬車に同乗していたらしい執事と馭者も含まれる。
ところが、彼らに当時の記憶は無い。
車内に居た雇い主の話によれば。
馬車の暴走時、手綱を握っていたのは、彼らとは別の男だったとか。
しかし、暴走馬車を止めるべくして飛び乗って来た猛者は少なくなく。
それらは全て、咄嗟の救済行動と捉えられた模様。
つまり、あの男にしては珍しく。
郵便物の詰まった大型木箱の錠前を打鉄ごと抜き外す等。
己が怪力のみ披露するに留まったと言うのだから、驚きだ。
一般民に扮し、急遽、検証に携わった男。
ヴォルトの拳も、彼ノ執事が少年を奪還する直前に、阻止しようとして握り潰されている。
〈 バキッ! ... ボキボキ ボキャ ... !〉
その時、傍で聴いた音が耳に付いて離れず。
困っているのは ... ... まさかの幼子。
やがて夜を迎えた宿場町では、その日、起きた事故の話題で持ち切りだった。
「しっかり掴まれ! って、言ってたわ。何かに当てるしか止める方法が無いと思ったのね」
「停留所じゃ、加速する前に車輪の首に縄を投げるなりすりゃ簡単に止められるけどよ」
「あの大通りに入った時は、下り向きだったらしいしなぁ」
「死人が出なかっただけマシっちゃ、マシなわけだ」
「その時おいら、丁度、近くに居たからさ。あそこで止まってなかったらと思うと、ぞっとするねぇ」
食事時だと言うのに。憂鬱。
ぷっくりを頬を膨らませる彼の右手にはスプーン。左手にはフォーク。
握られたそれらの先は、いずれも上を向いたまま。
テーブルに立て置かれ、微動だにしないのだ。
チラリ ... と見やれば、いかにも不服そう。
まあ。思うところ、察してやらんでもないが。
フェレンスは言う。
「チェシャ ... ... そろそろ機嫌を直さないか。料理が冷めてしまう」
世話になっておきながら、何だ。
分かっている。分かってはいるのだ。
... ... が、どうにも食が進まない。
注文を任せた自分も悪いが。
頼んで出されたお勧めは、寄りにも寄って、骨付きバラ肉の甘辛煮。
その他にも数品、揃えられてはいるものの。
視界に入っちゃう時点で、どうもねぇ。
待てども、赤毛おチビの心持ちは変わらない。
食する手を止め視線を上げると、目の前には、何とも渋い表情のチェシャ。
フェレンスの吐息を聞いて、次に口を開いたのはカーツェルだった。
「先の件での私の対応に、何か、ご不満でも?」
ギクリ ... ...
ああ。うん。まぁ。
図星ってやつ。
元々、怪力なのは存じ上げております故。
骨など折ってやらずとも、突き倒す程度で勘弁してやる事だって出来たのではないでしょうか。
なんて。上手く言えないけど。
グニュン と眉間に皺の寄る顔を、そのまま真上に向けてみたところ。
視界のやや左寄りで水差しを手にした彼と目が合う。
事故の衝撃で積荷が吹き飛ぼうが。
瞬時、対面に降り立ち受け止める素早さを兼ね備えた魔導兵は、且つ、素の状態を保っていた。
余裕なのは一目瞭然なのに。
何故、あそこまでする必要があったのかと。
チェシの瞳は、そう訴えるかのよう。
皿の上でフォークの腹を下にし、ナイフと共にハの字に置く。
主人が示した食事休みのサインを見て傍に寄るカーツェルは、
グラスを手にする彼の喉が潤された後に注ぎ足した。
宿屋の地下にて営まれる食事処は、ほぼ満席。
だが、酒場の賑わいとは異なり。
声を張って会話する必要は無い。
フェレンスは口を開いた。
「軍学を修めた者でもなければ理解し難いだろう ... が、
チェシャ。お前も知ってのとおり、彼は軍役を経験している」
事情は聞いているので。
無理に食事を済ませるよう促すでもなく語らうとする。
また何か、難しい話になりそうだ。
聞くなり両手のカトラリーをテーブルに置いて身構えたのはチェシャ。
見ていたカーツェルは思わず、その場で溜息し、肩を落とした。
しかし、話の腰は折りたくないので。
無言で行って、それぞれ片側ずつ、ハの字に置き変え皿に乗せる。
後でみっちりと教え込まねばならない。
まずは食事の作法から。
密かに意気込む執事をよそに、フェレンスは続けた。
「連携し任務に当たる輩を、相手する際。
例えば、そう。今回の彼のように。自身の優位を確信できたと仮定するが。
そんな場面であればこそ、警戒すべきは〈何か〉... さぁ、チェシャ。考えてみなさい」
覚悟はしていたけれど。
急に問われて驚いた。
じわじわと首を傾げていく幼子は、ムー ... と小声で唸る。
まずね。ヤベー奴を相手に自分が優位に立つ場面が想像できないっていうね ... ...
終いには涙目。
すると二人は若干、顔を逸らした。
どうやら、笑いを堪えているらしい。
これ以上、チェシャの機嫌を損ねるわけにはいかないので。
二人共、割と真剣である。
致し方ない。
フェレンスは、少しばかり困った顔をして向き直った。
そして、問いを繰り返し答えを述べる。
「自身の優位を確信した時にこそ警戒すべきは ... ... 追撃だ」
聞いて、はっとする。
確かに ... ...
もし自分が逆の立場で、相手の優位を知っていたなら。
出来る限り体力を消耗させた後、追撃者に狙わせた方が成功率も上がるというもの。
「よって、筆頭を見極め真っ先に打ち伏せるは、単独戦における常套手段。
追撃者の孤立の他、隊列の後退、分散も見込める。
だが、そのためには徹底し相手を怯ませなければならない」
目から鱗。
大きく息を吸い上げ、ゆっくりと吐き出す幼子は、すっかりと舌を巻く。
ところが、話は終わっていなかった。
「それから ... 」
少しだけ間を置いて、フェレンスは言う。
「彼が相手に選ぶのは、殺めずに済みそうな者だけ。
全員を相手にしたのでは、手加減しようとも死人が出る ... ... 」
控えめにしているつもりだろう。
けれどもそれは、フェレンスが本当に伝えたかった事に違いない。
「どうか、分かってやって欲しい」
理解を求めるその声は、囁きに近い。
チェシャの胸が、キュン ... とする。
先頃まで拗ねていた幼子でさえ、息詰まる程なのに。
さて 々 、話題に挙げられた当人は今、どんな顔をしているのだろう。
興味津々。
見てみたいよね。そりゃあ。
しかし、振り向きかけて思い留まる。
チェシャは思った。
いやいや。そこは グッ ... と、堪えてだな。
野暮な事はすまいぞ ... ...
なんてね。
こんな時は、気を取り直して食事だ。
気になる骨付き肉はテーブルの端に寄せておけば良いわけだし。
すると、気を利かせたカーツェルが食後のデザートを中央に置き換える。
山盛りカットフルーツ来た(*゚∀゚*)!
食前ではあるが、特別。
食べて良し ... ... と、そういう事だろう。
それでいて何故。
執事の白手袋は、目を輝かせ手を伸ばしたチェシャの視界を遮るのか。
些か疑問に思っていると、彼は言う。
「只今、取り分けますので」
あ、はい。
聞くなり手を引っ込めた幼子は、ソワソワ ... と身体を揺すりながら待つ。
トングで皿に盛られていくカットフルーツは、記憶に新しい芳醇な香り。
先日まで非常食にしていたカーツェルお手製のジャムと同じだ。
それは、チェシャの好物になりつつある。
けれども唐突に、盛り皿から飛び出たウニョウニョは ... ... 逆にトラウマ。
卓上で、のた打つ白虫を見るや否や、肩が竦み上がった。
「 ヒッ ... ... !!」
それはもう。引き攣り声が裏返ってしまうほど。
ところが、次の瞬間には目の前から消えて無くなるウニョウニョ。
手元の手巾ごと、素早く。
のた打つそれを掻っ攫ったのは、流石 ... ...見上げた執事役。
ホッ ... と、胸を撫で下ろしたところで、一言、礼をと思う。が、つい々、黙った。
チェシャは思う。
つーか滅茶苦茶、汗かいてるけど、この人!!
目のやり場に困って、ぎこちなく真正面に視線を戻せば。
フェレンスと見つめ合わざるを得ない。
本気の痩我慢を見ちまった感じ。
お互い、ちょっと気不味いやつ。
あまり見ては冷やかしになってしまうので。
野暮な事はすまいぞ ... ...
改め、自身に言い聞かせる。
けれどもフェレンスときたら、それほど気に留めていない様子なのだ。
ああ、そうか ... ...
取り繕い食事を始めた幼子が思い立ったのは、少し間を置いてからの事である。
二人共、長い付き合いなのだから、見慣れてしまっていても可怪しくない理由で。
片や、思いがけず声を掛けられたのは主人の後方に控える世話役の方。
「あのさぁ、お客さん。ごめんね、ちょっといいかい?」
尋ねてきたのは、ウェイトレスをしている女性だった。
カーツェルが振り向いて見たところ。
こちらへ歩み寄る彼女は、トレイの縁を腰に当てて話す。
「その果物は、ここら辺の特産品でね。味が良いだけに虫も沢山ついちまうのさ。
けど、この国だと。食物が毒を吸っていないかどうかを、付いた虫の生き死にで判断したりもするんでね。
虫取りの処理をするのも後々だし、ある程度なら喰われちまっても良品として扱うのが一般的なんだよ」
「ええ、存じ上げています」
相槌がてら強めに主張する執事の顔色は、普段と変わりない。
チェシャは、特に気にせず食事を続けていた。
皮を剥いた面が薄っすらと緑掛かった橙色の果実をモグモグ。
目一杯、頬張っては、カツン、カツン ... 刺す度皿に当たるフォークの先が音を立てる。
その横で、彼女は続けた。
「そうかい。そりゃあ良かった。けど、さっきのアレ ... 見てたけどさ。
うちの下っ端が虫を取り損ねちまってたんだろ?
そこの子も驚いてたし、あんたも苦手が顔に出てたからね。悪いなと思ったんだ」
けど ... そう言えば ... ...
その後も会話を引き伸ばす女性の方こそ、どこか冷やかな雰囲気。
西側の言葉訛りも無いので、話してみたかったと彼女は言うが。
「あんた達 ... ... どちらからお見えだい?」
核心と思わしき問い。
カーツェルを見る疑惑の目。
思うところとは裏腹だ。
チェシャもまた、薄々と感付く。
もしかしたら、フェレンスやカーツェルの気配りを勘違いしていたのかもしれないと。
地下資源国 ... ... アイゼリアと国境を隔てるは。
石ノ杜の進行により国交険悪な北ノ帝国と、経済同盟国である西ノ二カ国。
いずれより渡ってきた旅人かによるのだろう。
北に面す国境では現在、国家間における出入国が制限されているため。
場合によっては、密告されかねない。
カトラリーを皿の中央手前に揃え、席を立ったフェレンスは、
一歩、後ろへ下がって視線を伏せるカーツェルに対し、こう言い残した。
「先に戻る。お前も一緒に済ませてから来なさい」
振り向く女性に対し、会釈し行き違う。
一行の主人らしき男の声は、彼女にも聴こえていたはず。
「それから ... ... 今の質問に答える必要は無い」
沈黙を守れとの言いつけだ。
適当な嘘を並べ立てるどころか。
逃げ遂せようなんて、素振りも見せぬとは。
随分と肝の据わった連中だな ... ...
店の片隅で、何者かが囁く。
「むしろ、我々の警戒が解けるのを待っているようにも伺えますね」
第一等に格される帝国ノ魔導師とは、如何なる人物か。
探る程に、謎めいた性分と認識される。
噂に違わぬ強者とは聞いていたが。
事前に得た情報との相違について。
調査したうえ、照合する必要があるのは当然の事。
とは言え常識的に考えて、そういった介入を快く思う者はいないだろう。
反撃を受ける場合を想定し、慎重を期しているのが現状だ。
「帝国の束縛から逃れた異端ノ魔導師か ... ... 」
亡国ノ叡智。
失われし〈禁断ノ翠玉碑〉の手掛かりを握る者なれば。
何としても、引き込みたいところ。
古来より、資源の採掘と再錬成に伴う危難として、
放射性物質による健康被害に遭わざるを得なかった ... 地下資源国、アイゼリアでは。
それら大地ノ毒を吸う〈石ノ杜〉との共存が不可欠であり。
毒の昇華。有効活用が国是。
であるにも関わらず。
当国には、それらに関する研究開発に携われるだけの知識を持った錬金術師や魔導師が存在しないのだ。
国防と発展のためである。
しかし、そういった理由、目的などは、政治家の口から溢れる ... お決まりの綺麗事と言って良い。
帝国に囚われた悪名、名高き亡国ノ末裔は何故。
〈石ノ杜〉と言う生態的、謎を抱える隣国、アイゼリアを逃亡先として選んだのか。
異端ノ魔導師を追う隠密の間では ... ... 専ら、恐れられていた。
彼と関わったが最後。
当国の民にすら明かされていないような、禁忌的〈闇〉に ... 取り込まれてしまうのではなかろうかと。
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