ロージーは深々と
俯き、涙を隠した。
眉間、口元、顔中を クシャクシャ にして堪えても、ボロボロ と落ちて止まらないのだ。
こうなるより前に気付いて欲しかった。
分かりきっていたのに。
何よ
今更 ... ...
皮肉が
自らの胸にも突き刺さる。
罪悪感で一杯だった。
手の打ちようが無かった事など、後悔のしようもないが。
前以て知らせたところで、主人は受け入れない。
そういった
諦めがあったのも確かなのだ。
けれども、訳がある。
誤算が生じたのは
何時?
彼の兄が実弟の命を本気で
奪いに掛かるとは思わなかった。
それがフェレンスの本音。
何故なら、かつてのフォルカーツェは異端ノ魔導師を監視する立場にあった。
つまりは、クロイツの同期であり、前任。
噂の男と、その存在を知って興味を持ち始める弟という構図に対し、
元々は両者の接近を
阻止していたはずの人物なのだ。
弟の成績、行動、安否、事細かな報告を聴いて
安堵する様子
等々。
陰ながら見掛けた事さえある。
それが
何故?
何時から?
とても理解出来ない。
霧ノ病に
侵された者の心が食い破られ、生じる
洞穴と、
雪崩れ込む負ノ思念。
それらを糧に
魔物化していく生態の限界突破を
総じて表わす。
《異変》の
真っ只中。
戸惑い、
悲憤、絶望が絡み生まれ落ちる。
狂気すら食い
尽くし、
無我ノ
境地を見出した魔物は
躊躇い無く破壊するだろう。
穢れに満ちた世界に散らばる
塵屑を消し去るため。
宿り主の身体、意識をも侵食するのだ。
そして、分裂しては
唸る。
太弦をゆるりと気味悪く弾き下ろすかのような
咆哮と、
甲高い悲鳴によく似た不快音は、大気を揺るがすほどだった。
駆逐
艇内では、
統監設備を中央に配置する
円卓より椅子を引き下げ足を組んだうえ、
指先を立て
頬杖し、経過を見るフォルカーツェの傍ら。
振動を受け カタカタ と細かに揺さぶられ移動する鉄筆に、副官の視線が
傾く。
区画住民の避難は思いのほか順調との知らせが、
何処からか耳に届いた。
通信器を片手に機関の指示を受け、民衆を誘導する職員の
冷静な対応を映すのは、避難率を伝える報道陣。
症状を隠し続け突如、
魔物化する者も少なくないのだ。
無機質な灰白色の軍用車両が
轟音と共に行き過ぎるのに、
人々は慣れた様子で、格段急ぎもせず坂を下っていく。
「
最早、珍しく無いとは言え、
悠長なものですね」
「異端ノ魔導師
絡みと知ったら、そうはいかんだろうがな」
車列から外の様子を
伺う兵士の会話だった。
人払いが済んだ閉鎖域へ次々到着する装甲戦闘車両は、
鎧を着せたような重装甲に加え、魔導を放つ
砲塔を
据え置く外形。
鋳造する過程で法を打ち込めた
鋼鈑は、
赤鉄鉱を主原料とし錬成されたものである。
影を引く
艶の端々は黒光りし、徐々に、鉄火を
纏うかのような
赤光を放った。
その輝きは法撃、弾幕をも
退ける。
猶、この作戦における騎兵の出番は
皆無だ。
一呼吸置き、フェレンスは氷柱の中で燃え盛る
蒼き
劫火を見て、杖を突く。
その
間、カーツェルの内に宿る冥府ノ
炎は文字通り、変異を
食い
止めている。
ところが
魔薬により増大する狂気は、それに
勝る
勢いなのだ。
そして
遂に。
蒼火を裂く黒き雷電が防壁を破り、次々、一直線に帝都の建造物を
貫いた。
天蓋を支える塔の一角が崩れるなら、
上下に位置する区画の半分は壊滅の危機に
瀕すだろう。
防いだのは、高等錬金術師団に所属する魔導師と、助手を
勤める錬金術師。
飛空艦隊の役目は法撃ではなく、
速やかなる陣の配備である。
各艦に同乗した魔導師の展開する
法義球を結びつけ、強大な閉鎖空間を
成すためだ。
更に、それをどうするか。
次第に
狭め敵を封殺するのだ。
超級に格付けされる
魔物を単独にて討伐可能なのは、恐らく...
フェレンスを含む、上級士官並の肩書を持った魔導師のみであるが
故。
実質、三名。
しかし彼らは遠征中。
国内外を
巡る役目にあり、そうそう帝都には戻らない。
「特務士官殿は、よいご身分ですから。軍も政府関係者も遠征派遣を渋るのですよ。
我々の仕事が減らない訳です。まさか ... 進んで手を貸す気にはなれませんね」
何処かで誰かが
囁いた。
転移装置を利用すれば即時、帰還可能ではある。
とは言え。
曲者揃いの
上級が気遣いなどするものか。
鼓動の乱れを制し。
右肩と左足の先を結び構える杖に、手のひらを
添え。
フェレンスは
身体の芯を引き伸ばす。
息を深く吸い気を沈めた
後。
軽く背筋を反らせ、吐く息が喉から真っ直ぐに抜けるよう、顎の先を上げ。
一歩、また一歩。
踏み出す毎、順次。
内へ外へ手首を返す姿は、大鎌の刃で悪風を払うが
如く。
寝かせた宝冠の側面で空を
割き、やがて、
膝周りに生じた
畝りを
絡め立ち上げるのだ。
呪文詠唱、
印列を記し出すと
何時しか。
光放つ旋風が指示基盤を展開し、陣を組み広げていく。
複数、絡む魔法陣は多岐に渡る相互変換を実現した。
また、それらは噛み合う歯車のように
総体を
廻り巡る。
契約ノ
枷がなければ、ただの魔物。
無我ノ
境地を
垣間見れば、意識を取り戻せなくなる可能性もあった。
しかし、それだけは回避して欲しいと。
そう願わずにはいられない。
ローナーは意を決し、少年から得た血を自らに打ち込んだ。
すると、拡散を防ぐために当てた保護符が肌を
塞ぎ
紅に染まる。
ただならぬ気配に瞬時、振り向いたフェレンスは重ね息を飲み
苦渋の表情を浮かべた。
魔力により強化されると同時、
瘴気に毒されていく精霊は一帯の同種を巻き込み闇へと
堕ちる。
半ば理性を失うため。
絶対服従の契約を絶ち、主に反旗を
翻したと
見做されるのだ。
帝都の
天蓋を削る黒曜ノ
雷は荒ぶる
九龍を思わす。
対して
唸りを上げたのは、
甲冑を着た火炎ノ霊。
間近に叩きつけられた電撃に吹き飛ばされる
寸前のところ。
駆けつけた守衛役二人に支えられ救われた使用人役だが、
次の瞬間には皆々が烈火に
攫われる。
一方のフェレンスは、
肘を立て突風を破った。
衝撃で大幅に後退しつつも前傾姿勢を保ち、つま先で地を
擦りながら
駕ぐ。
その
間も気が
急き、アレセルの姿を探した。
少年と手を結び、強力な保護法を突き立てた彼は敷地の
隅に
佇む。
フェレンスを見つめ、彼は言った。
「
彼ノ使い魔は契約を放棄し堕落しました。
冥府ノ王の配下となったのです」
対し、威圧的に
尋ねる。
「その子の血で、精霊を
穢したと言うのか!?」
立ち返るフェレンスは
面を上げ向き合った。
ところが、アレセルは
淡々と
述べ
付すのみ。
「全ては
貴方様をお守りするため。彼らがそう望んだのです。
何しろ、あの男の遺言ですから。聞いてやりたかったのでしょう」
「 ... 言うな!! 彼は ... 」
フェレンスの
差止めすら聞かぬのだ。
「悲しいですか? ええ、そう。
僕にとっては、あの男が正気を失ったまま
灼かれ
朽ち
果てようが、どうでもいい事なのです。
むしろ、そうなってくれたら良い! 心から願っていますとも。
嗚呼 ... フェレンス様 ... 後悔で気が狂いそうだ ... 」
まさか ... ...
「あの騎士霊との融合を可能にする魂の共鳴に不可欠とされる《想い》が ... 」
まさか ... ...
「あの男の隠し持つ、貴方様への強い《未練》だったなんて ... 」
そうと知っていたなら、
枢機卿の
狙いを
妨げたりなどせずに、
契約を
絶たせてから奪い返す
策を
講じていたものを。
イ ッ ソ 殺 セ ... ... イ ッ ソ 殺 セ ... ... !!
胸の傷が ジワジワ と開いていく思いがした。
動転し
瞳孔の開閉が乱れ、激情に
駆られる。
失策を自覚したアレセルは
我を忘れた。
一方。変わり果て烈火を
纏い迫るローナーを前に、ロージーが言う。
「火を
従えるなんて、たかが物ノ精霊が
大層なご
身分だこと。
まったく ... アンタやアタシの
柄じゃないわよ」
二本の頭角で燃え盛る炎を突き上げる、その姿は半獣の魔神。
これが最後になるかもしれない。
理性を失いかけたアレセルを
傍らに見て思う。
ロージーは
控えめに、けれども力強く言い放った。
「アナタもそう! 聞いてね、
坊や... いいえ、アレセル。
貴方なら分かるはずでしょう?
あのコがどうして、おちびちゃんの血を利用しなかったのか!」
見損なわれたくない。ただ、それだけだったはず。
そんな事は分かっている。
分かっている!!
だが
妬ましい。
自らとは、
似て
非なる。
あの男の実直さが、
忠誠を体現するかのような、
嘘、
偽り無い生き
様が。
取り入っては裏切りを重ねてきた。
時には ... 愛しさ
故、罪を
犯してまで。
まるで対照的と言える。
とても拭いきれぬ、
卑しさ、後ろ暗さ。
それでも、あの人に触れられる。それだけで満足と思っていたのに。
今はどうだ。
手のひらを見れれば、
腐泥によって煮溶かされるかのような錯覚に
陥る。
そんな有様でいて、
尚且、
比較されては勝ち目など。
ナラバ 、 イッソ ノ コト ... ...
葛藤する。
対し切なげに言葉を
添えたのは、やはりロージーだった。
「
悔しくて
堪らないでしょうけど。お願いよ、アレセル。
旦那様のお気持ちだけは、裏切らないでちょうだいね ... ... 」
刹那に息を呑んだところ。
喉元を流れる汗。
我に返ったアレセルは、
直ぐ様に顔を上げ視線を
交わした。
ところが次の瞬間には炎の向こうへと、ロージーの姿は消えてしまう。
勢いを
増す火は、フェレンスの
紡ぐ魔法陣を
散り々に
裂いて行き過ぎた。
「行くな!! ロ ー ナー!!」
振り向きざまに呼び止める。
フェレンスが口にしたのは、
主立つであろう精霊の名。
熱風が肩や腕の側面を
掠めるだけで、煙が立った。
杖で払おうにも、焼け
爛れた手の筋が
萎縮しはじめ、思うようにはゆかぬのだ。
治癒の法すら気休め。完治させるには時間を要する。
そこへ駆け付けたのはリリィ。
紫紺のローブを胸に抱き、彼女は叫んだ。
「旦那様!! これを!!」
届く距離ではないが
咄嗟に
放ると、
操られた風に乗って開く。
手元まで引き寄せたそれに、即時、
袖を通したフェレンスは、杖で地を突き
隆起させた。
リリィの
傍まで
及ぶ土の盾は、火炎ノ霊が放つ火から彼女を守ると同時。
波となり、火の
渦を飲み込む。
盾となり、
流炎、
薙ぎ
伏せ
回帰さしめよ ... !
「Conviertete en un escudo y acomoda una llama de flujo laminar y deja que vuelva ... !」
大地の息吹を転化し火の精霊を
捕縛した
後。
身の回りに配置した魔法陣の中心に杖を立て固定。
やがて立ち返るフェレンスの背後で、火の鎧を
削がれかけの魔神が
豪然と
吠えた。
嘆きを
喰らう冥府ノ炎が
尽きる時。
雷の九龍を
従える彼、カーツェルの記憶は全て消え、生まれ変わるだろう。
何としても
阻止すべし ... とは、堕落して
尚、立場を通さんとす霊の心向き。
火と雷電に煙る情景を背に歩み寄る。
フェレンスは、アレセルを前に立ち止まった。
自身をも犠牲にする
劫火をカーツェルの身に
宿したのは、他でもない、この男。
フェレンス ... ...
目標上空から
捉えた映像を
睨むフォルカーツェは、冷酷無比な表情。
異端ノ魔導師に何か
恨みでもあるのだろうかと、考える者も少なくない様子だった。
その視線を追った数名が、映像の中の
とある人物像に行き着き
青褪めるのも当然。
契約を
迫るカーツェルの申し出を、
拒み続けているうちは良かった ... ...
だがしかし、状況は一変したのだ。
ローブの
裾が風を
含んで、
潮流を
描く。
サラリ... フワリ ... それはまるで、
漣のよう。
暫し
佇み、フェレンスは言った。
「何もかも、私の
思惑が裏目に出た結果 ...
だが、《境地》を
垣間見る前に連れ戻すつもりだ。
彼は私の最愛の友人、望みを叶えてやるまで死なせるわけにはいかない」
「この
期に
及んで、まだ、そのような
矛盾したお考えを?」
胸が締め付けられる。
「彼は私と共に生きたいと言った」
「そのためには、想いを殺してでもそうする必要があったと!?」
被せ気味に語気を強めるアレセルの手に力が入り、少年は顔を
歪めた。
見れば、震えを
伴い筋を浮かせている。
節々が
握り
潰されそう。
けれども、次第に
緩んでいくのだ。
フェレンスの口元から
零れ落ちる、一言置きに。
「あの頃の彼は、グウィンの記憶を
継承するには
幼すぎた ...
そして私自身も、彼に《誰かの生まれ変わり》などと自覚させたくはなかった ... 」
聞く度、力を
奪われる。
アレセルは首を左右に振り、
堪らず空を
仰いだ。
「この世の真理に触れようとする者達と
関わる事なく、ただ、
一人の男としての幸福を見い出し、新たな人生を歩んで欲しいと。
そう願っていたからだ」
聞きたくない。聞きたくない。
なのに、どうして ... ...
愛しい人の声は、どこまでも
澄み渡っていて、
スルスル と心の隙間を埋めるかのように
浸透し、深部を
貫く。
フェレンスは
更に歩み寄り、肩口が触れる距離で
囁きかけた。
「少年は私が
預かる。後は、
頼んだ ... 」
かつて、想い合った竜騎士の
魂は
未だ
以て、ここに
在る。
強い《未練》が、この世に引き
留めているのだ。
しかし《
意識は
巡る。
「
貴方様が《記憶の番人》と呼ばれる
所以を、ようやく理解しました」
拒絶感が
及ぼす
動悸のために息切れし、
半ば声にならない。
フェレンスの耳元に
唇を
添え、アレセルもまた、
囁いた。
「命の巡りをご
存知なのですね ... 」
尚も、
譲れぬ想いを
綴るのだ。
「それでも、これだけは言いたい ... ...
貴方は僕のモノだ ... ... 」
渡さない。あの男にだけは、絶対に。
「離れていようとも、手を
尽くします。どうか ...
憶えていて ... 」