血ノ奴隷~Ⅰ
文字数 8,590文字
禁じられた法により生み出された魔人は、
〈器〉と成りて神化を遂げ、神術を操る。
かつて神々と通じたとされる賢者が、聖碑を彼の民に託したのは何故か。
一説では、自身の神秘的能力を解明させるためとも言い伝えられており。
その意志を継いだ彼ノ民は、永きに渡り世界の均衡を保ち続けてきたのだ。
しかし、それは突如として破られる。
不条理な争いから人類を解放すべく、打ち立てられた計画によって。
彼らは神の意識に〈絶対秩序ノ舟〉を浮かべようとしていた。
そのためには賢者の精神を解き、神域への介入法を見出さなければならない。
中枢を、蒼き要塞〈シャングリラ〉へ移植した彼ノ民は、やがて地上を去る。
導き手の翳す灯火なくば。天地晦冥。
あらゆる国の権力者が欲望のままに覇権を奪い合う時代。
多国間紛争によって、ある国は廃墟化したのち森海に沈み。
また、ある国は消し炭だけ残す更地となって、砂漠に飲まれていったと言う。
摩耗する経済と戦力を埋め合わせるための、同盟と和解。
背景には、権力者たちの恐れが強く影響していた。
国力の衰退は反乱を助長する。
譲歩し合うことで迎えた休戦も、
其々が財政の立て直しに注力しはじめただけという風潮。
流れに乗り遅れた国は、内乱によって自壊したと聞くが。
「淘汰により炙り出されるかたちとなったのが、かつてのユリアヌス ...
彼は、郷国ウォルテアの星読みに匿われていたが、
アルシオン帝国の新皇として担ぎ出されたらしい」
そして、戦状が複雑化したために利を得る者は誰一人として居なかったと言われる中。
故国シャンテの民に限っては、例外として挙げられることになる。
彼等は〈神血〉を求めていた。
計画推進、以前の問題。
蒼ノ要塞を維持するには、膨大な魔力が必要だったのだ。
血から魔力を得るため、彼等は〈戦〉を利用し。
後に知るところとなる彼ノ尊は、失望を連ねたという。
『地上の争いを ... 貴方々はただ、見ていたと ... ?』
すると彼ノ民は、こう答えた。
〈人々の心想に巣食う我欲の招いた事。
根源を絶つにあたり、我々は人々の心の闇を集積せねばならなかった〉
フェレンスが、かつてを物語る。
良き友人であったはずの地上の王が、豹変するより以前の姿を。
走馬灯のように思い浮かべては、また、意識の奥深くに沈め。
腹の底に張り付くような憂いを吐き出すように。
ノシュウェルが人払いをした飛空艇の操舵室、奥間にて。
クロイツは珍しく口を閉ざしたまま、 ジッ... として聞いている。
『あなた方に、私たち地上の民への愛は無かった。そういう事なのですね?』
か細い呼吸。溜め息を交え、口元から滑り落ちていくかのような声。
白百合を彷彿とさせる装束と薄黄色の長髪が、俯く側へと垂れていく間に。
フェレンスが記憶するユリアヌスの嘆きは、形を変えていった。
〈願望の生じる一遍の感情を、さも美しげに〈愛〉と呼ぶ地上の王よ ... 聞け。
お前の抱くその想いは、生きるに差し当たり重要な意義を齎しめるだろう。
しかし、お前一人の〈それ〉が万人を救うことは決して無いのだ ... ... 〉
『そう ... 確かに。僕一人の力では、地上の争いを鎮めることなど出来ない』
〈だが、賢者の意に添いて成すべきを成し、
人類が得るべき誠ノ力を見出すことが出来たなら ... 〉
『そのための〈舟〉か?』
〈 ... ... 否。〈絶対秩序〉は足掛かりにすぎぬ〉
『 ハハハ ... あははははは!! くだらない!! 誠ノ力? ...
そんなもの、見出すまでもないじゃないか!!
足掛かりの糧となった人々の血で、蒼ノ要塞を〈理想郷〉に変える!!
つまり、そういう事だよね。そのためには争いも見て見ぬ振り。
崇高な目的のためだろう?
関与せずにいれば〈利用した事にはならない〉とでも言うつもりか!?
... ... どうして ... ... どうして、こんな ... ...
欲深で、身勝手で、救いようのない生き物だけが存続する世界になってしまった ... ?
か弱く、美しい者は尽く死んでいく。
何故なんだ ... 僕達は、ただの ...〈血ノ奴隷〉だとでも言うのか ... ?』
風の波を乗り越えては ギチギチ と船体を軋ませる飛空艇。
船内は静まり返っていた。
乗組員の多くは、機関室での定例業務に勤しんでいる。
晴天の昼下がり。
事前に貸し切っていた船は、山間を漂う千切れ雲を掻き分け航行中。
兵士の半数は休憩を言い渡され、客室を自由に移動し寛ぐ。
中には爆睡する者もいた。
見張りは交代制。
踊り場と通路を隔てた船首側は特に厳重。
副操縦士が チラリ ... 覗き見ると。
分厚い壁に備え付けられた小窓の向こうには、噂に聞く魔導師の後ろ姿。
フェレンスは逆光を背に、ゆっくりと息を継いで続ける。
「怒りも悲しみも、深い霧の糧となるだけ。
あの人は ... その時、既に〈無我ノ境地〉へと達していた」
それに対し、顔を上げ言い添えたのはノシュウェル。
「シャンテの民が対価として差し出したと伝えられる〈霊薬〉の副作用 ... ... 」
「霧ノ病か ... ... 」
注釈を締めたのはクロイツだった。
操舵室の扉に背を擡げるノシュウェルに警戒を任せ、
自らは座席の際まで張り降ろされた見取り窓から山裾を眺めている。
片や、カーツェルは。
主人との一定の距離を意識し続け、客室の展望に立っていた。
身体の疼きは、とっくに治まっていたが。
昨夜、フェレンスが悪戯に触れてきた際。
自覚した ... 高揚感と欲求。
それについて、どう解釈したら良いものか思い悩んでいたのだ。
魔力に餓え、血を求めるあまり ... ...
異常なまでの苛立ちを覚えた。
満たされぬが故、余計に神経を刺す飢餓感。
理性を煙に巻くかのように絡み付いたのは、〈食欲〉ばかりではなかったと記憶する。
霧ノ病とは真逆の症状。
欲が膨れ、自分のものとは思えない異質な感情が胸を貫き。
意識を侵食する。そんな感覚。
「あの時 ... 俺は、何を考えた ... ... ?」
脳裏を過ぎったのは、思いもよらぬ言葉。
〈 ――――― を、―――― ... ... 〉
「違う ... !! そんなはず無い!!」
カーツェルは首を振った。
「あの時の俺は、俺じゃなかった ... きっと、そうだ ... 」
ならば一体、何が起きたのだろう。
一片の疑問が残る。
見晴らしの硝子面に片手を、もう一方は自らの額に当て。
深呼吸と共に、肩の力を少しずつ抜いく。
彼はやがて気を取り直した。
考えても 々 ... きりが無い。
「ああ、もう ... 辛気くせぇ。... しっかりしろよ、俺 ... 」
フェレンスの敗北を目の当たりにしてからというもの、調子が狂いっぱなしではないかと。
また、それを遠くから見ていたのは少年。
展望にある仕切りの影から、チラッ ... チラッ ... と。
顔を覗かせては引っ込め。
小さな両拳を握 々 。おろおろ。
話し掛けたいのは山々だが。
見つかれば連れ戻されると思い、踏み出せずにいるよう。
その頃、機関室の点検をしていた一人の船員が、はたと気付いて言う。
「あれ ... そう言やぁ、あのチビはドコ行った?」
バルブの開閉と表示を確認した後。一旦、振り向くと。
点検表とペンを持ったもう一人が答えた。
「うん ... さっき兵隊さんが、機関室は危ないからって言いに来てたけど。
ちょっと前には、もう、いなかったな」
「やれやれ。隠れんぼにも飽きたか」
「と言うよりは、逃げたっぽい」
「ははは。まぁ、無理もねぇ。あんだけガッチリ見張られてたんじゃなぁ」
「でも、やっぱ子供だもの。船の上で一人には出来ないでしょ。当たり前じゃないの?」
「いいや。ありゃ他に何か理由があんだろうぜ」
「あの裸足っ子が? 実は、戦争成金の御子息だとか?」
「おお。いい線いってんじゃねーか?」
「まさか ... !」
会話する二人は、二階建て主機関の上段を行く。
真下では、設備の隙間という隙間を這いつくばって探す隊員が、
〈気にしてくれるなら一緒に探してくれても良いよ ... ... 〉
とでも言いたげな顔をして見上げてきているのに、見て見ぬ振り。
船員達の塩対応は、甲板上においても同様とあって。
「おーい! いたか ―――!?」
「いねぇーっす!!」
ちょこまか逃げ隠れする子供一人を本気出して追跡しはじめた軍服姿に、
陰ながら ... 心を和ませているようだった。
ところが少年はと言えば、もう一歩のところで兵士の往来が激しくなったものだから、
通路へ出ようにも出られず。未だ、顔を出したり引っ込めたり。
兵士等と隠れんぼをして遊ぶ ... と、見せ掛けて。
せっかくフェレンスの居場所を突き止めたのに。
すぐ目の前の扉までが、遠く感じる。
ある時カーツェルは、憂鬱そうな顔を持ち上げ。
そんな少年の背後まで足を運んだ。
気配を消していたわけでもないのに。
兵士の動向ばかりを気にする少年は、一向に気付かず。
隠れ潜む少年と目線を揃えるように屈み込んだカーツェルは、小声で話し掛けた。
「旦那様に、お会いしたいのですか?」
Σ ビク ゥ ゥ ゥ ... !!
途端、少年の猫目が丸々と見開かれ、肩が跳ね上がる。
気付かれていないと思ったのに、おかしいな ... ...
恐る 々 振り向く少年に、カーツェルは言った。
「貴方の血の匂いは憶えました。強い魔力を宿す血ですから。
傷を負わずとも、私 には脈から漂って感じられるのです。
尤も ... 貴方がお持ちの保護符の効果は絶大。
それさえあれば、並みの人間に感じ取られることはないので、ご安心を」
しこたま驚いてもガッチリ結ばれたまま、緩まない幼子の手元。
見ると彼は、察して微笑む。
クロイツが許しはしないだろう。
しかし、少年がフェレンスに会いたがってる事くらいは知らせるべきと考えた。
立ち返る執事に差し伸べられた手を見て、少年は期待に胸を膨らませる。
〈 コンコンコン ... ... 〉
ノック音。 操舵室にいた三人は共に顔を上げた。
ドアの前から身体を退けてから、ノシュウェルが尋ねる。
「誰だ ... 」
「私 ... ... カーツェル・ヴァレンチェス。
偉大なる帝国魔導師、フェレンス様、御方に仕える執事で御座います」
軍士の証明の無い者は、口頭で信用を得るより他ない。
ノシュウェルはフェレンスの判断を待った。
「確かに彼だ。開けてやって欲しい」
許可が下りて、やっと扉が開かれる。
「やあやあ、済まないな。何せ先日の特殊な魔物の件もあって ... 」
「お構いなく。経緯は存じ上げておりますので」
「ふむ。 ... その割には不用意ですな。何故に貴君が少年を連れて御出か ? 」
やれやれと思い、カーツェルの腰元を見れば。
脚にしがみついて申し訳なさそうに、こちらを見上げてくる少年の姿。
「兵士の目を盗み参じたのでしょう。物陰に潜んでいたところを見かけました。
旦那様にお見せしたい物があるようでしたので。
私からも一言、お願い申し上げたく ... 何卒、ご許可を」
「それは ... さて。如何なさいますかな? 監視官殿」
クロイツは鋭い視線で ジッ ... とカーツェルを見たまま、すぐには答えなかった。
それよりも先んじて疑問を呈す。
「今頃か? 人目を避けた理由は何だ。我々には見せられぬとでも言うつもりか」
いつになく、厳しい表情で少年を見やる。
クロイツの眼差しを真っ向から受けて、不意に目を逸す幼子。
怪訝に思ったノシュウェルは、
クロイツに背を向けたままなのを良い事に、口の端から漏らす。
「今朝から様子がおかしかったんだ。
昨夜チビと一緒に寝ていて、寝返りざまに蹴られでもしたのかねぇ ... 」
「 フーン ... だとしたら、いい気味なんだがな。
けど違う。 きっと ... ヤツは、もう察しがついてんだ」
「おいおい、何のことだ」
「聞いてりゃ分かるさ ... 」
カーツェルは、気まずそうにする少年の肩に手を添えながら小声で返した。
一方のクロイツは、そんな二人のやり取りにもお構いなし。
許可するつもりは無かった。
それなのに、少年を呼ぶフェレンスの一声。
「ここへ来て見せなさい」
「黙れフェレンス! 誰が許した!?」
クロイツの思惑が、ぶち壊される寸前。
フェレンスは、真っ直ぐに少年の瞳を見つめて続けた。
「クロイツ監視官。あなたは昨夜のうちに見てしまったのだろう。
だが、それが何なのか ... 自らの推測を裏付ける知識を持ち得てはいない」
「だから何だ。貴様が確かめたところでどうなる!?」
興奮し声を荒らげるクロイツを制すでもなく、フェレンスは少年に目配せして招く。
「さあ。旦那様がお呼びですよ ... 行きなさい」
その様子を見ていたカーツェルに背中を押され、少年は一歩、また一歩と前に出た。
しかし、クロイツが立ち塞がる。
「フェレンス ... この少年の血 ... 貴様にだけは渡さんぞ ... ... 」
その言葉を聞いた瞬間。
クロイツの背を見るカーツェルの目付きが一変し、ノシュウェルは息を呑んだ。
不服を宿し、ギラリ と光を弾いて不穏な影を落とす瞳。
だがフェレンスは、それぞれの考えとは裏腹な答えを返す。
「分かっているクロイツ。それで良い 」
「「 ... え ... ? ... 」」
意表を突かれたらしい犬猿の仲が声を揃えた。
ノシュウェルは黙る。
どちらかと言えば、目の前の二人が同じ反応をしている事に驚いたと言うか。
その前を少年が行く。
途中までクロイツの様子を窺いながら。
呆気にとられ身動きしなくなったと分かれば、足早に。
ペタペタ と素足を鳴らし、フェレンスの元へ。
「 シャマ ぁ ―――― !」
備え付けられた椅子に座ると同時、赤い毛玉が膝元に飛び込んできた。
拳を見れば、小さな手のひらには収まりきらない何かが握られていると分かる。
姿勢を正し、頭を撫でてやっていると。
尋ねるまでもなく、少年が言う。
「 シャ マ ! コ、レ ! トト ... ガ、コ 、 レ ... !」
差し出されたのは、 パッ と開かれた手のひら。
その上には、透かし彫りの施された蒼い勲章。
少し遅れて、ようやっと話を聞く気になったらしいクロイツが一つ尋ねた。
「貴様には、それが何か分かるのか?」
ふてぶてしく腕を組んで見ていたところ、フェレンスは答える。
「勿論。だが、あえて先に言っておきたい。クロイツ監視官 ... 」
「何だ。何を改めて言うことがある?」
「あなたがいずれ、帝都の同胞に私を引き渡すつもりなのは承知している。
あなた方が敵視するのは ... 恐らく、帝都の大貴族及び元老院。
常々噂されている陰謀論を危惧し立ち回る、教徒側であれば ...
なるほど、異端審問を請け負う〈彼〉に付け入ることくらいは簡単だろう」
「貴様 ... ... 何が言いたいのだ?」
「だがクロイツ。この少年の存在だけは ...
例え、あなたが信頼を寄せる人物であろうと決して知らせてはならない」
「 ... ... !?」
話は続いた。
「この勲章に刻まれているのは〈御影ノ騎士〉たる証。〈聖蓮ノ印章〉。
少年を守護していた騎士は使命を全うして息絶える間際 ... 彼に、これを託したはず。
この印章には、魔ノ香の拡散を抑制しながら、新たな守護者として相応しい者の元へ、
彼を導く法が施されているからだ」
「つまり、次に選ばれたのが貴様だと言うのか?」
「 ... それは違う。これを創り出したのは賢者。
... ... 〈神血〉は ... ... 彼の最高傑作だった」
その言葉を聞いて、クロイツ、そしてノシュウェルが、怖ず々 と少年を見やる。
傑作だと ?
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