石ノ杜~ⅩⅣ

文字数 9,982文字

 
 
 
「 ツェ、ル ?」

呼ばれているのに気付かなかったのだろうか。
様子を気に掛け、階段の途中から降りて来たのはチェシャ。

(つえ)(こし)へと()し戻すに()いで、フェレンスは(たず)ねた。

「他に何か、気になる事でも?」

けれど相手は、どこか(うわ)の空。

「ああ、いや ... な。
 色々と一掃(いっそう)してくれるのは良いんだけど。
 着いて早々(そうそう)火事になったりしねーよなと思って」

壁際(かべぎわ)を歩いて回る執事は、火元の発する(けむり)や音の有無(うむ)を気にしているよう。

所々(ところどころ)(ゆか)()れてみたり。
背伸(せの)びし天井裏を意識したうえ聞き耳を立ててみたり。

ああ、そう ... なんて、わざわざ言葉にはしないけれど。
チェシャもフェレンスも黙って見ていた。

しかし何やら、きりが無いようにも思えるので。

「心配だから、他の部屋も見て来る」

そう言い階段の小柱(こばしら)(つか)んだ彼を呼び止め、要望(ようぼう)(てい)す。

「待ちなさい。見回りなら私が済ませよう。
 お前は、チェシャに褒美(ほうび)を用意してやってほしい」

すると思い出した。

幼子(おさなご)と執事の視線はテーブルの上へと向く。
そこにあるのはフェレンスが置いた紙袋。

天辺(てっぺん)から(つや)やかな姿を(のぞ)かせている黄緑色の果実が、チェシャには輝いて見えた。

市場の果物屋は葡萄(ぶどう)と言っていたけれど。
それにしては随分(ずいぶん)(つぶ)が大きい。
(そば)まで来て見る二人は、あらためて目を丸める。

承諾(しょうだく)して()ぐ流しに立つ執事役の背後には、椅子(いす)に掛けた黒のダブルジャケット。
白いシャツの袖口(そでぐち)をたくし上げた彼は、果実を五粒ほど、もぎ取って洗う。

横には、ぴったりとくっ付いて背伸びする幼子(おさなご)

足場を用意してやらなければ、蛇口(じゃぐち)にも手が届かなそうだ ... なんて考えているうち。
果実を持った手を()り、サッ サッ と水を切って。
後ろの食器(だな)から小さな硝子皿(ガラスざら)を取り出し盛り付けは終了だ。

テーブルに置けば、水の(したた)る果実が(あわ)い西日を受けて キラリ キラリ (にじ)を返す。
カーツェルは両の(こし)に手を当て思った。

よし。一段落(ひとだんらく)

なのにチェシャは、その場に居ない。

あれ?

拍子抜(ひょうしぬ)け。

さて置き、肩を落とした時だった。
流しの方で(みだ)れる水音。

〈 ジャジャ ... ジャジャジャ ... 〉

見れば、壁向きの洗い場(キッチン)居残(いのこ)り、夕差(ゆうざ)しを浴びるチェシャの後ろ姿。

あの食いしん(ぼう)め、何をしている。

歩み()ったカーツェルは、黙って(のぞ)き込んだ。
流れる水にやっとこさ届く ... 幼子(おさなご)の手元を。

そして思い返す。

司書(ししょ)との()り取りに(まった)くの無関心だったチェシャが、
その場を(あと)にするまで黙々(もくもく)と何をしていたか。

主人と執事が気に掛けずにいられるはずも無し。
時々、目を(くば)ってはいたので。
彼の手の中にある物に対する興味も自然と()いたのだ。

よくよく確認してみたところ。
何かしらのタグプレートであるよう。

だが、それを喜んで手にする者などいない。

それが普通と思っていた。
カーツェルは(しば)し、言葉を失う。

そう。ニコニコ と満面の笑顔でこちらを振り向き、
まるで宝物を見せるかのようにする幼子(おさなご)は ... 特別なのだ。

何せ、それは ... 帝国の管理省庁が発行した 奴隷(どれい)の登録証票(しょうひょう)であるからして。

一方(いっぽう)

木の(はり)ぞいに外壁を(つた)(つる)植物が、二階の窓際を横へ向かい花を咲かせる。
その手前をフェレンスは歩いた。

(くすぶ)っている箇所(かしょ)はないだろうかと。
こまめに立ち止まっては、隅々(すみずみ)まで意識を(かたむ)けながら。

正直、機器の不具合によって認知(にんち)される事例だってあるのだから、
(あらかじ)め想定したうえ仕掛ける場所に応じ対策されていて当然と思う。
そうでもなければ情報機関の仕事として()ずかしい。

とは言え ... ...

執事役を(つと)める心配性の気掛かりを減らしてやるためだ ... 仕方ない。

彼は思った。

対面に並ぶ三部屋も念入りに見て戻るとしよう。

奥間(おくま)の扉を開くと、正面には間仕切り。横にはティーセットや書籍の置かれた角棚(かどだな)
(へだ)たる中央には低卓(ローテーブル)(はさ)む一人掛けソファーが一組(ひとくみ)
角部屋なので窓は二つ。入り口向きの机。
棚は数段下の天面が窓の下を通り、(つい)角棚(かどだな)まで続いていた。
窓から遠い壁際には天蓋(てんがい)付きベッド。
クローゼットは勿論(もちろん)、どれを取っても高価な黒檀(こくたん)家具である。

硝子傘(グラスシェード)釣り照明(ペンダントライト)はワインレッドの階調(グラデーション)(まと)う宝石のよう。

火の気配は何処(どこ)にも無かった。

破壊されても他所(たしょ)の破損に(いた)らず、機器の存在が全く目に見えないところは流石(さすが)と言える。

だが、一階の二間(ふたま)はどうだろう。
自分だけならともかく、小さな子もいるので。
安全に(かん)する手間を(はぶ)く事だけは出来ない。
 
カーツェルなら、そう言うだろうか。

フェレンスは足早に階段を()りていった。
すると、ほんの一瞬 ... 目元を(かす)める反射光(はんしゃこう)

息を()み振り向く。
彼は思い出した。

一時(いっとき)前にも同じ事があったと。

だが紳士の話に耳を(かたむ)け集中していたので。
考えないようにするしかなかったのだ。

それが今になって胸を()さぶる。

碧眼(へきがん)(つらぬ)くように()した光が、かつての記憶を呼び()ました。
思い出の中に(たたず)()(みこと)の胸元には、同様(どうよう)情報鑑札(データタグ)が輝いている。

魔青鋼(オリハルコン)(はな)つ輝きは独特で模倣(もほう)(がた)い。
構造色(こうぞうしょく)(ゆう)した(ちょう)(はね)のように。

それは、光がどう干渉するかにより見られる色の変幻(へんげん)であるが。
昼間の自然光では碧青(へきせい)()ける硝子(ガラス)ようでいて、
波長の長い赤色光(せきしょくこう)をより多く受けた場合には、同色の金属光沢をあらわすのだ。

より(まぶ)しく、より美しい。

(あお) ... (あお) ... (あお) ... ...

ところが、どうした事だろう。
フェレンスは見回りの途中であった事も忘れ、光の()す方へと向かった。

足音を聞きつけ見やると。
幼子(おさなご)の手元を見る彼の目は、いつになく冷ややか。

「ああ、早かったな」

「 ... ... 」

声を()けても反応無し。

少し様子がおかしい気はした。
けれども、こればっかりは(さっ)しがつかない。

まさかの元・帝国魔導師が、火の始末程度で血相(けっそう)を変えるはずはないし。
それともチェシャが何かしただろうか ... と思いながらも、様子を見るに(とど)まる。

カーツェルは(さら)に一つ(たず)ねた。

「何か(あや)しいモノでも見つけたか?」

そんな主人の次の行動を誰が予測できただろう。

赤毛のおチビが(した)う男は、燦々(さんさん)(きら)めく瞳に目もくれず。
小さな手に(おさ)まった鑑札(プレートタグ)ばかりを見つめている。

それは(まさ)に ... チェシャの宝物だったのだ。

けれども彼は周りの空気を一切(いっさい)、読まず。
幼子(おさなご)が見せてきたペンダントを手に取り、一呼吸おいて。
大きく()りかぶったかと思えば。

〈 ブン ッ !!〉

風切音(かざきりおん)が立つほど力一杯(ちからいっぱい) ... () ―――― げた ―――― 。

... ... もとい。

投げてしまったのだから、それはそれは(おどろ)いたと言うか。

驚き()ぎて。

()いた窓の外へ山なりに飛んでいく(さま)を真顔で見送る二人は、
庭の一部になっているかのような溜池(ためいけ)に、それが落ちて沈んでも声すら上げなかった。

「 ... ... 」
「 ... ... 」

「 ... ... 」

鳥の(さえず)り、池の水音(みずおと)
聞こえるのはそれだけ。

ただ単に思考が追いついていないだけではある。
二人は、こう思っていたに違いない。

いったい何が起きたのかなと。

対し、フェレンスは理由も言わずに立ち去ろうとした。

その時。

カーツェルの脳裏(のうり)()ぎったのは、フェレンスの居ない(わずか)かな(あいだ)に聞いたチェシャの片言(かたこと)

『 コ、レ! チェシャ、ノ! チェシャ、ハ、シャマ、ノ ... ナ、ノ!』

本当に(うれ)しそうに、赤毛のおチビはそう言った。

これがあればフェレンスの(そば)にいられる。自分はフェレンスのものなんだ。
上手く言葉に出来なくても、気持ちは伝わっている。
カーツェルであればこそ、共感もした。

『ああ― 。じゃあ、俺たち仲間だな』

などと握手(あくしゅ)を求めたりなどして。
言葉を()わしたばかりだったのだ。

それなのにどうして、こんな事になるのだろう ... ...

「なぁ。待てよ」

カーツェルは静かな声でフェレンスを呼び止める。

(おう)じる相手は立ち止まったきり。
振り向く素振(そぶ)りもなく。

上手(うま)く話せる気がしないのだ。
しかし彼は問い()ける。

「今さ、お前 ... ... 投げたよな」
「他に何をしたように見えた?」

(あん)(じょう)、確認するだけの会話になりそうだった。

「いや。でも ... ... どうすんだよ、アレ」

言葉を失いかけるたび、裏腹な(あき)れ笑いが()み上げる。

「どうもしない。あのまま(いけ)の底で眠ってもらう」
「それってさ ... ... つまり」

捨てたってコト ... ... ?

だが持ち主に聞かれたくはない。
言い(とど)まった。

けれども相手は、こう返す。

「必要のない物をいつまでも身に着けていたって、仕方(しかた)がないだろう?」

口切りの一言が耳に触れるなり、首筋が()()(みゃく)を走る血を打ち上げた。

話が(くだ)りきらぬうちから立ち返るカーツェルは、
椅子(イス)どころか(テーブル)の角まで押し退()間近(まじか)(せま)る。

「必要ないだと? ... ... お前!!」

フェレンスの胸座(むなぐら)(つか)み上げる手が震えた。
そして声も。いつだってそう。

場合によっては逆上しているところだが、相手が相手。
時として人間()()く言動が、ただ ... ... 物悲しくて。

彼は声を引き(しぼ)る。

「あれほど言ってた気遣(きづか)いはどうした!?
 確かに奴隷証票(どれいしょうひょう)なんて(ろく)なもんじゃない、けどな!
 肝心(かんじん)の持ち主が、それをどう思ってるか ... ... お前、一言でも聞いたのかよ!?」

一般的価値観、常識と言われるような固定観念(かんねん)(とら)われぬ存在。
自由思想を実体化したかのような男に何があったのだ。

気でも()れたか。

立場や意見の(こと)なる者に対し、相互理解を求め取り入るでもなく感慨(かんがい)(ひた)る。
いつもの思慮(しりょ)深さは何処(どこ)へ行った。

思っても言葉にならない。
それでいて、ゆくりなく。

意表(いひょう)()かれた彼は息を()む。

視線をぶつけた(あお)(ひとみ)一回(ひとまわ)り大きく開いたうえに、動揺の色を浮かべたものだから。
(おどろ)いたらしい。見たことのない光景だったのだ。

だが例によって、どこか(なつ)かしくて ... ... 心痛(しんつう)()えない。

「つーか。どうしてお前が、そんな顔 ... ...
 あのさ、ビックリしてんのはこっちなんだけど ... ... 」

脱力する手元。
()えられる指先。

彼の手を取り、腕を下ろしてやりながらフェレンスは言った。

「カーツェル。あれは奴隷(どれい)の登録証票だ」
「んな事ぁ分かってるよ」

「血ノ魔力を利用され、従属(じゅうぞく)する羽目(はめ)になった()()
 低俗(ていぞく)見做(みな)されたも同然(どうぜん)
 かつ人権保証も一切(いっさい)、受けられない身の上であることを(しめ)す物。
 対して、嫌悪感を(いだ)かない者がいると言うのか?」

自身の動作を見流す目向き。
ゆっくりと戻って来る視線を見つめ返し、カーツェルは答える。

「何に()えても、お前の(そば)にいる事が重要だったりするのかもな。
 奴隷だろうが何だろうが、お前の役に立てるってコトが(うれ)しかったりさ ... ... 」

「 ... ... 」
「いや、黙るなよ」

口を閉ざしたままのフェレンスと向き合ったままだと、何だかバツが悪い。

何が言いたいの ... ... ?

思っても言えずにいると、ようやく言葉が返ってきた。

「お前じゃあるまいし ... ... 」

しかし聞き捨てならん。

「何だよその言いぐさは!?」

咄嗟(とっさ)喧嘩腰(けんかごし)
それなのに相手ときたら、はにかんで笑っていたりする。

小首を(かし)(うつむ)き加減に。
(いささ)上目遣(うわめづか)いで。

ほんと何 ... ... !?

衝撃(しょうげき)が走った。
相手の他愛無(たわいな)い動作で一々(いちいち)息が止まってしまうのだ。

自覚した瞬間。言うべき相手は自分自身とすら思う。
どうしてか気恥(きは)ずかしい。

「つーか ... ... そんなんで喜んだりしねーし。俺は ... ... 別に ... ... 」

その上、引用(いんよう)する言葉を間違(まちが)えた。
意味は同じだけど。

頭では分かっている。
早々に話題を戻すべきではないだろうかと。

言葉にして言えなかった先頃(さきごろ)の事。
念押(ねんお)しすべき点は山ほどあったはず。

なのに(すべ)て吹き飛んでしまったのだから。
ともあれ、目を()らすしかなくて。

対し、フェレンスが追い打ちをかけることはなかった。
彼が思い()めてしまわぬよう、一歩引いた目線で(たたず)む。

すると、引き付ける幼子(おさなご)の声が耳に入った。

「 ... ... ヒッ 。フッ ... ... 」

二人の会話を(うわ)の空に聞きながら、状況(じょうきょう)把握(はあく)するに(いた)ったのだろう。
振り向く両者は共に口を()ざす。

「 ... ... ウッ 。ウッ ... ... 」

()き目に()ったというのに長らく(こら)えていたよう。
だが、とうとう限界を(むか)えたらしい。

「 ヒグッ ... ... ビエェエエェエェェエエェェェ ... ... !!」

(ねら)われ、人を()け続けることに()()ぎているばかりか。
徒歩による長旅すら物ともせず。
食うに困ったって文句(もんく)一つ言わなかった子が、声を上げて泣いている。

幼子(おさなご)が失ったのは、宝物に(まつ)わる夢物語だ。

あの日。

フェレンスのもとへと(みちび)くかのように林の中を()った ... ... 蒼碧(そうへき)(ちょう)
光の()()()らす(はね)の輝きが、そのまま宿(やど)り。
まだ浅い(きずな)(おぎな)ってくれたのかもしれない、だなんて。

想像して、浮かれていただけ。

大丈夫。そのままで良いと。
(ゆる)された気になって。

チェシャには、無理に付いて来てしまった引け目がある。
無いはずはない。
それを少なからず(やわ)らげていたのが、あの証票だったのだ。

幼子(おさなご)を悲しませているのは消失感に(まさ)る何かだと、カーツェルには分かる。
主人のほうは ... ... どうだろう。

泣く子に心を(くば)るフェレンスの(ひとみ)(うれ)いて見えた。

知るほどに興味が増し、()かれ。
心を(かよ)わせたい、そんな気持ちにさせられる。
なのに伝わらない。

フェレンスには分からない。

何よりも悲しい事実だ。
幼くして知った子にかける言葉すら見つからないというのに。

一体どうしたら ... ... 。

「どうしたらいい ... ... 」

その時、カーツェルは耳を(うたが)った。
一瞬、胸の内を読まれたのかと思ったが。
どうやらそうではなさそう。

切実(せつじつ)な表情で(たず)ねるフェレンスと向き合ったところ、不思議と胸がすいていく。

通わなかった心の行き場所。
その扉が少しだけ開かれたかのよう。

ハッ ... ... と、細く息を吸うカーツェルは、
緊張によく()(こと)なる、奇妙(きみょう)な感覚を(おぼ)えた。

ゾワリ ... ... 身体(からだ)隅々(すみずみ)に渡る(すじ)()(つめ)る。


時を同じくして、クロイツもまた同じように息を()んだ。
そして今一度(いまいちど)、考察する。


帝国〈過激派信教徒(パルチザン)〉の連中が、
奴等(ヤツら)高位貴族、及び上院議員(マグナート)〉と
一時的に通じた異端ノ魔導師へ、猶予(ゆうよ)(あた)える理由について。

奴等(ヤツら)がそれを知っていて利用したのは明白。
血ノ奴隷を保護させるために違いないのだ。

しかし裏切りに(およ)んだアレセルの(おこな)いは、
そういった目的が名目に過ぎない事を示唆(しさ)している。

下僕(しもべ)(おろ)か血ノ奴隷の命までも(たて)にし、
連中の手出しを(まぬが)れる必要があった。
奴等(ヤツら)にとって都合の悪い事と言えば何か ... ... そう考えると。

(みこと)が望むまま主従(しゅじゅう)の契約を()つ事も視野に入れ、
(おとず)れたと思わしきバノマン枢機卿(すうききょう)との一場面が彷彿(ほうふつ)とした。

すると気が付く。

主従が引き離されては(こま)る。
もしそれが第一の動機であるなら ... ... 全て辻褄(つじつま)が合うのではなかろうかと。

「お気付きですか?」

(さっ)し言葉を()えたのは対面するアイゼリア王太子、ウルクアだった。

「魔導兵の日常的応対能力の検証を申し出た人物は、紛れもない監視対象であり。
 私達は、貴方々(あなたがた)の敵視する勢力と何かしら接点があるものと見て調査中です」

「帝国の内通者か ... ... ()りにも寄って奴等(ヤツら)の ... ... 」
「ですがまだ、確証はありません」

「 ... ... 」
「違いないと、お考えですか?」

我々(われわれ)()らえるよう私の弟、アレセルに命じたのは奴等(ヤツら)だ。
 (したが)うふりと見抜(みぬ)いて機転を()かせたのは他でもない、異端ノ魔導師」

「なるほど、そういう事でしたか。さすがです ... ...
 これに(かぎ)る話としても、あなたなら協力して下さると。そう判断なさったわけですね」

会話中にも(かか)わらず項垂(うなだ)れる。
クロイツの顔つきとくれば険悪(けんあく)そのもの。
横目に見るノシュウェルは、ゆっくりと前へ視線を戻す。

奴等(ヤツら)(てのひら)で踊らさせるのだけは御免(ごめん)だ」

聴いたことのない低声(ていせい)で発せられる元上官の(つぶや)きに青褪(あおざ)めながら。
同感と言えば同感。なのに鳥肌が立つ。

怖い怖い怖い怖い。怖いって。怖いよ。

他、同志二名の心の声まで聞こえてくるようだった。
色んな意味で居たたまれない気持ちにもなる。
クロイツの心情に配慮(はいりょ)しノシュウェルが折り返した。

「つまり、あなたの弟君(おとうとぎみ)は、こう言いたいわけですな」

あの男が異端ノ魔導師を手懐(てなず)けるまでに、(しび)れを切らした奴等(ヤツら)の手引きがあるやもしれぬ。

「〈警戒せよ〉と ... ... 」

以降、この密会においてクロイツの代理を()たしたのは彼。
魔導兵の身辺における監視強化に協力するかわりとして。
同盟関係にある(あいだ)(かぎ)り、()た情報の全てを共有する事を約束された形。

そこまで分かっていても策略(さくりゃく)を見通すまで(いたら)らぬと言うのか ... ...

クロイツは(うつむ)いたきりだった。
時折その様子を(うかが)うノシュウェルもまた、ふとして思いを()せる。

さて、当事者達は今頃どうしているだろうかと。


一方こちらは、まさかの事態(じたい)だ。

「 ヒッ ングシュ ... ウェェェェェ ... ウッ ウッ ... ... ビェェェェ !!」

チェシャは泣き()まない。


息を吸い上げるたび上下する肩。
ふっくらとした(ほほ)(つた)い落ちる涙。

夕刻の陽は池の向こうに立つ木々の(あいだ)から()し。
()らし出された幼子(おさなご)の背を振り向いて答えを待つフェレンスの横顔は、いつになく表情(ゆた)かに見えた。

()えて言えば、落ち着きがない。

あちらこちらと視線が(およ)いで、眉尻(まゆじり)も上がったり下がったり。
初めて見たような、そうでないような。
カーツェルは思った。

そうか、こいつがいつも落ち着き(はら)っていられるのは、
どうすれば良いか判断するに()る知識があるからであって。
未経験だったり見聞きする機会が無かった事柄(ことがら)に対しては ... ... ああ、そうなんだ。
いくら考えても分からないのだから、そりゃあ(あせ)るよな ... ... そんな事もあるんだ。

気が付けば、ゾクリ ... ... (こし)の上、やや後ろ側を()き上げられたかのように背筋が震える。

(おぼ)えのある感覚だ。
しかし何度目か分からない。

心ともなく歩み()っていた彼は、フェレンスの耳元まで顔を()せ。
一言、こう(たず)ねる。

「 ... ... 知りたい ... ... ?」

(ささや)きを耳にし、振り向きかけた相手は(とど)まって。
一度だけ(うなづ)いた。

その瞬間、視界が(わず)かに()れ。
言い知れぬ何かが意識下を()(みだ)す。

まただ ... ...

何を見た。

おそらくは記憶 ... ...

聞いた気もする。

人の声だったような ... ...

現状と()たような場面だった。
しかし誰のソレかもあやふやなのに。
深く考えたところで、どうしようもない。

素行(そこう)支障(ししょう)(きた)しかねない現象は、日に々頻度(ひんど)()している。
けれど深く息を吸い、カーツェルは気持ちを切り()えた。

今はそれどころではないのだ。

そうこうしているうち一歩前に()み出しかけるフェレンス足先。
ところがどうして、ゆっくりと元の位置へ戻っていくのだから見ていて歯痒(はがゆ)い。

対話を(こころ)みるかどうか迷っているのだろう。
今は話したくないなどと拒絶(きょぜつ)される可能性があるからだ。

ともあれ、もう一度。

幼子(おさなご)の気持ちを精一杯、想像してみる。

(いさぎよ)()びたところで、
分かってもらえなかった悲しみ、暗い気持ちが()ぐに晴れるわけもなし。
しばらくは引き()るに違いない。

けれども何かしなくては。
放置された感情が(あきら)めに変わってしまう前に。

()れど、分かってやれるようになるかどうかも分からない。
(つと)めはする ... ... けれど。

そもそもが〈許される〉〈許されない〉の問題ではなさそう。

時間が欲しい。もう少し考えたいと感じた。
ならばせめて今のうち、(いけ)(ほう)り投げてしまった物を回収しておこうかと思い立つ。

フェレンスが()き出し窓の外へと手を向け、印文(いんもん)(しる)しかけた時。
取り上げるようにして(うで)(つか)(さえぎ)ったのはカーツェルの手。

見ると彼は、首を横に()る。
そして言った。

「こうしてる(あいだ)に見つけ出しておくのは良いと思う。
 けど ... ... どうせ(しばら)く考えたいんだろう?
 なら、もう少しゆっくり探してみても良いんじゃねーの?」

(せい)した(うで)(ふたた)び下ろし、手元へ向かって(すべ)りゆく(てのひら)
触れ合う指先を目で追っていると、(さら)なる深みに(はま)っていく思いがした。

そうする事に何の意味があるのだろうか ... ...

考え込むばかりでは(らち)()かないというのに。

やれやれ ... ...

池を見やりながら思い切る。
カーツェルは、こう話した。

「何と言っても、やっちまったもんは仕方ねーしな」

人間味が出てきたとは言え、まだまだ。
首を(かし)げる主人の姿が心許(こころもと)なくて。
彼はあらため腕捲(うでま)くりする。

「俺も手伝うよ」

そう彼は、(いけ)に入り自力で探し出すつもり。
先に行って手本を見せてやろうとしたのだ。

ところが。

ベストの(すそ)()ままれた気配がして立ち止まる。
振り返った彼の目に(うつ)ったのは、すっきりと明るい表情で(こた)えるフェレンス。

「分かった。カーツェル ... ...
 だがお前には、あの子の(そば)()てやって欲しい。(さが)すのは、私が」

瞳に宿(やど)碧青(へきせい)の輝きは、嬉々(きき)とし(おど)るかのよう。
カーツェルは目を(うば)われた。

ロングジャケットの()めを外していく指先。
主人の()いだそれを(あず)かる(あいだ)も。
下僕(しもべ)の心、此処(ここ)にあらず。

(そこ)に何があるか分からないので、両袖(りょうそで)以外はそのままにして水に入っていく。
フェレンスの後ろ姿を()う視線は、着込まれた一つ々を通し見た。

上から(じゅん)に。
スカーフを返すハイカラーシャツ、オープンバストコルセット背面の網目(あみめ)と、
フィットスラックス、そしてニーブーツガーター。

言われた通り幼子(おさなご)(そば)まで後戻りするのも、やや(うわ)の空。

振り向きもせず器用(きよう)()ると。
息を(のど)に引っ掛けながら休み々泣き続ける子が、彼の(そで)を ギュッ ... と(つか)む。


(さが)し物を見つけるまで、二、三十分。

風邪を引かせてしまうのではと心配したものの。
カーツェルは黙って見守り続けた。


定期に落ち葉を(さら)うなどし、よく手入れされた(いけ)だったが。
底に砂利石が()()められていたうえ、
平たいタグプレートが大きめの石の下に(もぐ)り込んでしまっていたらしく。

日没寸前(すんぜん)までかかり、ようやく見つけたよう。

こちらを向いてペンダントを(かか)げるフェレンスを見て胸を()で下ろすと同時。
泣き疲れた子が(ひざ)の上に()()して寝てしまっていた事に、初めて気が付いた。

(そこ)に手を伸ばしたことで、肩口(かたぐち)まで(つか)かったシャツは胸元まで水を吸い。
(ほと)りへ引き返す身体(からだ)略々(ほぼほぼ)ずぶ()れなのに。

彼の主人は、優しく微笑(ほほえ)む。

タオルを差し出したところ、広げる動作ですら水が飛んだ。
更に一通り身体(からだ)の水気を(ぬぐ)い終えると、
湯を()火ノ香(ほのか)(たよ)りに浴室を探すフェレンス。

泣く子の様子を見ながらでも、風呂の準備くらいは出来たので。

良かった ... ...

それにしても、不思議でならない。
寝息を立てる幼子(おさなご)の髪に手を()えながら、カーツェルは思った。
先頃の事についてだ。

どうしてフェレンスは何も聞かず、(うれ)しそうにしていたのだろう。

どうして ... ...

どうして俺は、その理由を聞けずにいるのだろう。

自身の()()り方を、他者に(たず)ねるなど。
()してや(ゆだ)ねるなんて。
今迄(いままで)で言えば、考えられない事なのだ。

そればかりか、思慮、質疑、理解の過程も扠置(さてお)いて行動するなんて。
奇妙(きみょう)ですらある。

待っている(あいだ)ずっと考えていたのだ。
しかし答えは出ていない。

ただ、ずっと ... ... そう、ずっと昔から ... ...
()っすらと夢に(えが)いていた出来事が、実際に起きた。
それだけは確かであって。思い返すたび、何故(なぜ)なのか胸が()め付けられる。

「何だよ、まったく ... ... 」

カーツェルの頭の中は、(なつ)かしさで(あふ)れた。

(かね)てより。

長期遠征(えんせい)から帰還(きかん)するフェレンスを()(かま)えては、
諸事情(しょじじょう)云々(うんぬん)、言い(あらそ)いながらも。
これだけは決して口にせず、心にしまってきた展望(てんぼう)(とも)に。


――― 俺の言うことを少しでも聞けるようになれば上出来だ。
    いずれは、何があっても手放したくない存在であると認識させてみせる。


そして繰り返した。

上出来(じょうでき)じゃねーか ... ... 」


その時、彼が(いだ)いた(じょう)を何と呼べばいいだろう。


彼の異端ノ魔導師に対する執着心(しゅうちゃくしん)は、独占欲(どくせんよく)とも取れる。
口にして言う事への抵抗は、その(ため)なのかもしれない。

それでいて、あの男には自覚が無いのだと、クロイツが憂慮(ゆうりょ)するほど。

彼の深層心理に()けられた(じょう)は強固であり。
にも(かかわ)らず、表面意識に作用し続ける情念(じょうねん)甚大(じんだい)さたるや、計り知れない。

カーツェルにとっても同様である。

胸のどこからか、(きし)む音が聞こえてくるようだった。
声を上げたら、何もかも全て(くず)れ落ちてしまいそうな ... ... この感覚はまるで。

幾多の空闊(くうかつ)(かか)える石ノ(もり)

反響振(はんきょうしん)による崩壊(ほうかい)を恐れ、息を(ひそ)めるように。

彼は口を閉ざした。
 
 
 
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登場人物紹介

◆フェレンス・クラウゼヴィッツ・ウェルトリッヒ


故国・シャンテの生き残り。

《千ノ影》を宿す男。


錬金術、魔術、魂魄召喚、禁呪とされる魔導兵召喚術を扱う。


戦犯として裁かれるも、失われし禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)のありかを突き止める事を条件に恩赦を受けた帝国魔導師。

アルシオン帝国軍管轄下、高等錬金術師団所属。特務士官。


訳あって薄情者と言われがち。感情に乏しい。自覚はしている。

交友関係にある者への誹謗中傷だけは論外。そうと知れば制裁を躊躇わない。


◆カーツェル・D・アード・ランゼルク


アルシオン帝国、公爵家子息(次男)。


幼きに母失踪。父、ハインリッツェ・A・ヴァート・ランゼルクは帝国軍大佐で婿養子。宗家、家長は存命していた祖父。そのために身内の権力闘争を見聞きし育ち、一族を嫌悪するようになった。


父を尊敬し、文武とも好成績。だが言行は粗暴で捻くれ者。しばしば父と作戦を共にしていた異端ノ魔導師に漢惚れし、『いつかは部下にしてやる』などと言って付きまとう。散々無視されるも諦めなかった。フェレンスの悪口等耳にすると黙ってはいられない。喧嘩の売り買い過剰で問題児リスト入り。


士官学校卒。


彼には救いたい人がいる。フェレンスが蔑まされながら孤独に生きる姿を見るのも嫌。しかし傍にいれば陰謀に巻き込まれ命が危うい。フェレンスに避けられ続けた彼が思い至った解決法は... 彼と禁断ノ契約を交わし、絶対服従の《魔導兵》となる事。


◆チェシャ


フェレンスとカーツェルの前に突如として現れた謎の少年。


訳あって上手く会話する事が出来ない。舌っ足らずの片言。


血に驚異的魔力を宿す。その等級は二等:紅玉(ルベウス)、もしくはそれ以上。

フェレンスの魔ノ香(マノカ)に惹かれ懐いた。


魔ノ香とは。特異血種とみなされた者の血に宿る魔力と、それに伴う瘴気の醸す香り。

魔物(キメラ)や、等しい存在にしか認識できないはずのもの。


◆クロイツ


軍警を主体とする治安維持機構所属の監視官。


要監視対象として挙がる人物を見張る。

担当は異端ノ魔導師、フェレンス 。


高圧的で気難しい性格をしているが、子供好き。策略家。


◆アレセル


クロイツの実弟。だが腹違い。

実母は娼婦で霧ノ病を発症し討伐された。

義母を尊敬し、子として愛し愛されたが、またしても霧ノ病で失う。


人の心を失いかけた当時、闇魔術に手を染めるもフェレンスと出会い更生。

以来、彼の愛はフェレンスに向く。人脈の形成、諜報力に秀でる。

◆翠玉碑 (エメラルド・タブレット)

故国・シャンテの中枢に収められていた叡智ノ結晶。

彼ノ戦により砕かれ、その多くが行方不明。

◆千ノ影

彼ノ戦の犠牲者。シャンテの民の霊。

一部はフェレンスの扱う魂魄召喚にて戦闘可能。

筆頭は亡国ノ英雄。黒ノ竜騎士・グウィン。

◆霧ノ病

心身が麻痺していく病。
発症し悪化すると身動きもせず、飲食すらしなくなり衰弱。


あらゆる想いの境地に至る人の心に穴を開け、冥府ノ霧を呼び込む。

冥府ノ霧とは、悲しみ、怒り、妬み等、人を惑わす負ノ思念。


霧は欲を喰らい、無我ノ境地へ誘われた者は無垢なる狂気を発症。

やがて魔物(キメラ)化する。

◆複合錬金

特殊錬金、キメラ錬金とも呼ばれる。

由来が異なる複数のエリクシールを掛け合わせる法。
それによって生じた存在は安定化させる事が難しく、禁じられている。

◆魔導兵

神々ノ器とも呼ばれる。

亡国ノ魔導師と禁断ノ契約を結んだ下僕。


複合錬金により身体を強化。

覚醒→魔人化→神化。

三段階の変身が可能。

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