第53話 Phase52

文字数 1,102文字

 「ただいま」
「俊さん、おかえりなさい」
 家に帰ると、母しかいなかった。
「父さんは?」
「今日は当直だそうですよ。どうかしましたか?」
「ううん、なんでもない」
 安心感の中に、どこかがっかりした気持ちを抱えて、俊は部屋に戻ろうとする。
「今日、かっこよかったですよ」
「え?」
「一生懸命ギターを弾いて歌ってる姿。私、感動して少し泣いてしまいましたもの」
 母の言葉を、俊は数秒かけて飲み込んだ。
「来て、くれてたの……?」
「もちろん。あなたがお父さんに学校祭に来てほしいって言った時から、私は見に行こうと決めてましたから」
 まだ動揺している俊をよそに、母は楽しそうに話す。
「驚きましたよ、私。俊さんがあんなに歌が上手なことも、ギターが上手なことも知りませんでした。いつ練習していたんですか?」
「……陸斗くんのところに行ったり、蒼……一緒に歌ってた人の家に行ったりしてた」
「あら、女の子のお家にお邪魔していたんですか?」
 母の声がわずかに細くなる。
「女の子?」
「あなたと一緒に歌っていた子。女の子ですよね?」
(ああ、そうか)
 母は蒼のことを初めて見たのだ。そう思うのも無理はないだろう。
「まあ……でも別に、何かあるとかじゃないから」
「あら、そうなんですか?」
 これ以上突っ込まれると答えるのが大変になるので、俊は話を変えることにした。
「あの、それで、音楽会社に所属しないかって言われたんだ」
「音楽会社ですか?」
 さすがの母も驚いたように固まる。
「そう。蒼……友達も一緒に」
 さすがに反対される。俊は手を握りしめた。
「私は、やってみてもいいと思いますよ」
「え?」
 想定外の返答に、俊は呆けた声を出してしまう。
「それがやりたいことなら、挑戦してみてもいいはずですよ」
「本当に? でも、父さんは……」
 父は俊がギターを続けていることにすら反対している。到底、承諾してもらえるとは考えられない。
「俊さんの人生は、俊さんのものですよ。誰かの指示に従って決めるものではないのですから。進みたい道があるのなら、後悔しないように決めたらいいと思いますよ」
「でも、そんなことしたら父さんすごく怒るだろうな……」
「いいじゃありませんか。親子喧嘩も、時には必要でしょう。璃子ちゃんもそうでしたから」
 母は驚くような情報をさらりと突っ込む。
「姉ちゃんも?」
「ええ。あの子は自分で医師になると決めて、反対するお父さんを振り切ってもその道を選んだのですよ」
 父を説得するのは怖いし、難しいことだろう。でも、俊のことを後押ししてくれる人もいるのだ。
「母さんは、味方になってくれる?」
「それが、俊さんのやりたいことなら、私はいつでも味方になりますよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み