第8話   Phase7

文字数 1,083文字

 時が止まったようだった。俊も蒼も、何も言わない。
「……なんてね、冗談、冗談」
「じゃないだろ」
 俊の目が、蒼を貫く。
「……冗談だよ? 本気にしちゃった?」
「本当に、それでいいのか?」
 俊は言葉でも蒼を貫く。重たいナイフで。
「……気持ち悪くないの? 女の子になりたいとか」
 蒼は指先でリボンをもてあそびながら言う。俊はあきれたように答えた。
「別に、そんなの自由だろ」
 意外な答えに、蒼はきょとんとする。
「それとも何、もし俺もそうなりたいって言ったら、気持ち悪いって思うのか?」
「思わない」
 蒼は静かに、けれど強く言いきった。
「そうだろ? 俺も同じ。だから、気持ち悪いとか思ったりしない」
 蒼の殻に、ひびが入る。そこから温かい何かが流れてきて、蒼を包みこむ。
「え、俺なんかまずいこと言った?」
 慌てたような俊の声に、蒼はきょとんとする。
「なんで泣いてんだよ?」
 そう指摘されて初めて、蒼は自分が泣いていることに気づいた。頰に当てた手は次々とあふれる涙で濡れていく。
「言っちゃいけないんだって……男として、生きていくしかないって、思ってた……」
 俊は、ぼろぼろと泣く蒼を、なんとも言えない気持ちで見ていた。
「……言えなかった、誰にも。本当はもっとかわいい格好がしたい。化粧もしてみたい。でも、許されないと思ってた」
 俊はふと、学校祭の時の蒼を思い出す。
「……化粧、したことないのか?」
「ないけど……なんで?」
「だって、学校祭の時は女子みたいだったから。俺、本気で女子だと思ってた」
「いとこから服借りただけだよ。でも、そっか」
 蒼はほんの少し、口元を緩ませた。
「女の子に、見えてたんだ」
 俊は蒼を見て、それからリボンを指さす。
「それ、つけねぇの?」
「え?」
「前はつけてただろ」
「そうだけど……」
 蒼は俊が何を言いたいのかわからなくて、困ったように眉を寄せた。
「それつけてる時が、本当の蒼なんだろ? 俺は、本当の蒼に会いたい」
 蒼は息を飲んだ。そんなことを言われるとは思っていなかった。でも、だからこそ。
「……わかった」
 蒼は後ろで一つに結んでいた髪をほどいた。流れるように、肩のあたりの長さの髪が現れた。その雰囲気に、俊は何も言えない。
 蒼も何も言わず、赤いリボンを髪に結わえた。それは夕日に照らされて、なおさら強く光っていた。
「あのさ、俊……」
 蒼は言い出しにくそうに口を開く。何か気に触ることでもしてしまっただろうかと、俊は内心ドキドキしていた。
「口調も、変えていい?」
「それが本当の蒼なら」
 蒼は安心したように目を閉じた。俊は、空気が変わるのを感じた。
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