第11話 苦しんだ人、苦しんでいる人

文字数 2,441文字

「後悔があるんじゃないか…?」
その一言が何度も何度も自分の心の中を反射していった。家に帰って時計を見ると、夜の6時半を指している。浩人のあの一言で初めて気づかされた自分の抜けていない癖。手の動き。それが本当に自分のピアノに対する後悔を指しているのか…そう思いながら、自分の部屋にカバンを置いて、その体のままリビングに戻り、グランドピアノと向き合う。すると体が覚えているのか何も考えなくても屋根を開け、突上棒でそれを支えさせる。鍵盤蓋をあけ、クロスで鍵盤を一通り拭いた後、椅子を引いて座り、背筋を伸ばしながら目を閉じて瞑想をする。意識が薄らいだその瞬間に目を開けて両手を鍵盤に付けた。
「スゥッ!!
部屋中に響くほど大きな音とともに息を吸い、左手が動き始めた。
「…」
曲目は『ラ・カンパネラ』…。俺が浜松国際ピアノコンクールで披露した曲目であり、俺が1番得意としていた、そして1番好きだったピアノの曲だ。
「おい、なんでお前がピアノなんか弾いてるんだよ。」
弾き始めてから数十秒たった矢先、そんな声が聞こえてサッと後ろを振り返った。すると、誰もいない。なんだ。気にしすぎたのか。そう思いながらまたピアノの方を向き、もう1度最初から弾き直すことにした。左手から右手へ滑らかなフレーズを意識させる。
「だから、苦しめてきたお前がピアノなんか弾いてるんじゃねーよ!」
やっぱりか!また後ろを振り向く。だが、そこには誰もいない。誰だ…誰なんだ。
「お前がダメだろ。」
「苦しめてきた奴に謝罪しなさいよ。」
「ダメですよ。なんであなただけがまた音楽に向き合おうとしてるんですか?」
「死んでくださいよ。先輩。」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。」
「全部先輩が悪いんですよ?」
やめろ!やめろ!
「貴方が悪いのよあなたが!」
「全部君を部長にした私の策略通りだぁ!」
「大嶋部長。あなたやっぱり音楽を愛していないわよ。あなたは才能を愛しているのよ。」
周りには誰もいないはずなのに。やめろ!なんでそんなに俺のことをとやかく言うんだ!
「やめろって言ってるだろ!」
「どうなさいました!友貴也様!」
荒瀬兄さんの叫びでハッと我に返った。…そこには、誰もいない。いつも通りのリビングが見えていた。

「やめろ!やめろ!」
隣の家から聞き慣れた声でとんでもない叫び声が聞こえてしまって思わず私の部屋から隣の家を覗き見した。
「やめろって言ってるだろ!どいつもこいつも!」
隣の家のリビングにはゆーくんが白い頭を抱えて、腕で見えない何かを振り払いながら呻き、叫び続けている。その近辺には何年ぶりに空いたのか分からないグランドピアノが見えていた。ゆーくん…まさか!
「ゆーくん…ピアノをしようとしている…?」
その光景は…私が諦めかけていたものをなんとかして実現しようとしている…もがき苦しみながらも頑張っているようにも見えて、私も何とかしてあげたいと思った。
「そういえば…」
耀木祭の有志ステージがあったね…そう思いながら何日か前の高橋くんが言っていた話を思い出す。今年の耀木祭は聖ウラヌス女子大付属の人たちの目もある…。武田さんのあの冷ややかな視線がゆーくんをあぁさせるのかな…。怖いな…。
「やめろ!やめろよ!お前らぁ!!」
左腕、右腕、また左腕をぶんぶん振って必死に腕を振って振り払っている。でも、私には何も見えないのがより一層怖く感じてしまう。ゆーくんには何が見えているの…?分からないのが怖い。これほどそれを痛感することは無かった。そう思いながら何とかして落ち着かせてあげたいと震える手でバイオリンを手に取った。
「すぅー…はぁー…」
気分を落ち着かせて、手の震えもある程度収まった。よし、やってやる!

ピアノを弾いてみたものの、見えない何かにずっと罵倒され続けてしまった。やはり、ずっとずっと罵倒され続けると心が持たない。その結果がさっきのアレか。…やっぱり、俺がピアノをしようとするのは厳しいのかもしれないな…。そう思っていると隣の家から綺麗なバイオリンの音色が聞こえた。
「浮田…か…。」
お前は…まだ続けられる…その幸せをかみしめてくれ…そう思いながら俺は深い眠りについた。



俺の部屋には、元メジャーリーガーの有留選手のサインボールが置かれている。と、言うのも
「天才中学生ピッチャー高野 雄平君、有留選手を相手に自己最速146㎞/hのストレートを記録しました!なんという本番での強さ!流石は世代最強の左腕と言われるだけのことはあります!」
昔、俺は天才中学生だった。どれだけかというと、全国各地50校を越えるスカウトがあり、俺は寮生活が嫌いだったので自分の家から通える帝都高校か、大阪のおばあちゃんの家から通える桐林高校かの2択で迷っていた。
「中学2年生の時にエースとして軟式野球の全国制覇を果たした高野、元メジャーリーガーで今でも日本球界で4番を打ち続ける有留と一進一退の攻防を繰り広げています!」
中学2年で全国制覇。最速146km/hを誇り、ストレートを主体に頑張ってきたが…他のエースも居らず俺1人で連投に連騰を重ねた結果。
「ぐおわぁっ!?」
中学3年生の時、疲労の重なった左腕で投げ続けた結果…腕の骨が真っ二つになるような骨折をしてしまった。全治6カ月。結果、スカウトの話はなくなった。リハビリの途中で指先の感覚を無くさないためにギターを始めた。中学3年生の春にボロボロになってから始めたギターも今では皆と戦う武器となった。左手で握りしめ続けていたボールはギターのネックを握りしめ続けている。グラブを嵌めていた右手はピックを握っている。苦しみ続けていた俺は、触覚から聴覚を武器にして戦う俺たちを奮い立たせるだけのものはある。
「Aamonからメッセージが届きました。」
皆が武器を取り、皆が幸せを掴むための音楽。それが俺たちの使命だ。
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