第12話 苦心惨憺

文字数 2,654文字

私にはどうすればいいのか分からなかった…。私には何が出来るんだろう。そう思いながら私は今、目の前の人に相談している。
「うーん…僕も浮田さん以上に友貴也を知っているってわけじゃないけどなー…。」
横田君も真剣に考えてくれている。窓の外を見ると6月の梅雨時で雨がザーザー降って真っ暗で怖かった。
「友貴也が…ピアノかぁー。」
頭を抱えながら見えない何かを振り払う友貴也くん。何度も何度も振り払っていくが彼の叫びは隣の家の2階にいる私にすら痛々しい程聞こえていた。
「彼には何が見えたんだろー。」
「きっと…見えたっていうより…聞こえたんじゃないかな。」
『やめろって言ってるだろ』と何度も何度も言いながら、叫びながら、苦しみながらピアノを弾き続けていた怖さがゆーくんの中にはずっと居座っている。それを持ちながらずっと歌い続けていて…武田さんにも出会って…自分が気づかないうちに心に中に居座っていた闇みたいなものが大きくなっていて…って思うと不安で不安で仕方なくて…。
「安心しろ…アイツはそんな簡単に崩れる人じゃない。つい最近アイツを知った俺でも分かるんだー。浮田さんなら…もっと分かるでしょー?」
そう言いながら、横田君はそっとハンカチを手渡してくれていた。ごめんね。と一言声をかけて私は黒と白のチェック柄のハンカチで涙を拭き取っていた。そのまま、涙ながらに横田君の話を聞く。雷がピカッと光り、ドスーンと大きく鳴り響く。その音にびっくりした私は飛び跳ねて横田君に抱き着いてしまい、ハッとして謝る。横田君が『良いんだよー。別にー。』といつものあの調子だったのが落ち着ける要因になった。
「アイツは…ずっと好きな音楽を続けていてー。それが突然抜け落ちてしまった…。それって物凄くアイツにとってズタボロな経験だったと思うんだー…。」
間延びした話し方に似合わず、言っていることは本当に真剣さを感じる。普段はあんなに温和な顔立ちなのに、こういうときの真剣な表情は本当にずるい。
「まるで、自分が自分じゃなくなっていたかのような、そんな高校1年生前半だったと思う。だって、アイツ…文化祭までなにもやる気がなかったような気がするもん。」
『勉強もサッとテキトーにやって惰性で続けていた音楽を辞められないけど俺はテキトーに作っていても他の周りの人たちは絶賛する…。バカなんじゃないかな、皆。』…。ボソッとつぶやいていたその一言を思い出した。ト音記号のアクリルキーホルダーにひびが入るほど、怒りなのか、悔しさなのか、呆れなのか、よく分からなかったけど何かを込めて握りしめた右手からアクリルの欠片がボロボロと零れ落ちる河原を見ながらゆーくんが自嘲的な笑いを見せた光景がバッと視線に入ってきた。
「多分…その浮田さんのリアクションからして、正解だよねー。アイツ…今の方がよっぽど輝いているんだよー。浮田さんが小さい頃から大事にしていた『ゆーくんのピアノと私のバイオリンで世界を魅了する』って形じゃないけれども…。それでも、アイツは輝こうとしている…。」
そうだね…でも、なんでそれならまたピアノを弾こうと思ったんだろう…?
「でも、きっと今の方向は浮田さんが望んでいた方向じゃない。アイツは気を遣うからー、きっとある程度自分がやりたい方向が見えてきたときに、…周りを見る余裕が出てきたにつれて周りの想い。特に浮田さんの想いとは違う方向に輝こうとしている自分に決着をつけよう…。…そう思ったんじゃないかなー。」
私は、ただ日の落ち切った耀木吹奏楽部の楽器庫の前でただただ泣きじゃくっていた。泣き崩れて座り込む私に、横田君は背中をさすり続けていてくれていた。
「きっと、アイツのことだからー、ただただ練習するだけのピアノは楽しくないんじゃないかなー?」
「えっ?」
「だ、か、らー、出ようよ。有志ステージ。」



「さて、私はどうするべきでしょうか…。」
私は御主人様の別邸のリビングで、ピアノに向かってポツリとそう呟いた。ご子息の友貴也様のあの有様…御主人様に報告するべきかどうか…。窓の外は天気予報通りザーザーと梅雨ならではの豪雨を見せてくれているので内心この時期は部屋干し特有の臭いをどうするかが悩みだと思っていたが…また煩わしいことが増えてしまうとは…。
「ただ、可能性があるとすれば…。」
あのピアノは友貴也様が中学校3年生の時にご所望なさった442kHzの調律だった…。時間が経った以上その調律はある程度狂っているはずではあるが…442kHzというのは一般的なオーケストラ用の調律というよりはポップスなども演奏する吹奏楽向けのチューニングであり、『吹奏楽の耳に合わせたい』という友貴也様のご要望にお応えしてそのまま時間が経ってしまったまま。つまり…
「442kHzは聞きたくない…ということだろうか…。」
一般人では到底聞き分けの出来ないたった2kHzの差。それでも、友貴也様ならあり得ないということはない。友貴也様の忌まわしい記憶を象徴する442kHz…そこを外せば多少軽減されるのではないか?
「また…私の調律の腕を買われる日が来るとは思いませんでしたね…。」
私は、大嶋家に雇われた家事手伝い兼ボディーガード兼ピアノ調律師。荒瀬(あらせ)。最後の肩書に関してはもう一生行う機会がないのだろうと思っていましたが…、また腕を振るうことになるのですか…。
「ただいま!」
「おかえりなさいませ。友貴也様…。」
友貴也様が返って来るや否や目が死んだままリビングのピアノに向かおうとしていた…まずい!このままではまたピアノを弾いてしまう!なんとしても阻止しなくては!
「待っていただけますか!友貴也様!」
「申し訳ありません。荒瀬兄さん…弾かなければ…。」
何に突き動かされているんだ!怖くなってしまうほどのオーラに突き動かされた友貴也様を何とか止める…そのためには…!
「申し訳ありません!友貴也様!…あのピアノはしばらく調律をしておりませんでしたので音程がひどく狂っております!なので、普段の家事と並行して行う調律のために3週間ほど…お時間を頂けないでしょうか?」
言ってしまった…こう言ってしまった以上は引き返せない…何を言ってしまっているんだ…私は。
「分かった…。今度の調律は…荒瀬兄さんに任せるよ…。」
力ない声が大嶋家の別邸のリビングに空しく…ポツリと響いては何度も何度も反射して反射してを繰り返していた。
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