第2話 話しても減るものじゃない

文字数 6,419文字

 5月の1学期中間試験前、俺は自分の教室に残って純平と高橋と、横田の男4人でテスト前勉強をしている。今は、俺たちのペンの音と、吹奏楽部の練習する音しか聞こえない。
「ごめん誰かー!英語の教科書P13の英語の長文問題の問3分かる奴いるー?」
「あぁ、俺が解説しようか?」
父親が仕事の関係上、海外の友達を家に招くことがあったので英語にはそこそこの自信がある。
「横田。まず、質問が英文で書かれてるけど、意味は分かるか?」
「What’s the writer’s opinion about “GMO food”? だろ?だからー、“GMO food”ってのに関しての筆者の意見は何―?ってことじゃないの?」
「正解。だから、筆者が“I think”で始めているところをまずは見つけるんだ。ただ、何について『私はこう思う』って書いてるかはしっかりチェックしろよ。だから、“I think”って見つけてむやみに飛びつくんじゃなくて、ちゃんと文全部を読んで“GMO food”に関して“I think”ってなってることを確認しろ。そしたら、自分の答えと巻末の正解が一致するはず。」
「ありがとう!友貴也。」
横田は、趣味が邦画鑑賞なのもあってか現代文と古文にはめっぽう強いけどそれ以外がすこし苦手っぽいな。特に、内部進学なのもあってか外部から進学してきた俺たちより少し英語が弱い。
「すまない、純平。数学Aの問題集のP16の発展問題の問2の(4)なんだけど、計算が答えと合わないんだ。チェックしてくれないか?」
「あぁ、任せとけ。浩人。」
そう言って、純平が高橋のところへ行く。純平も高橋も数学が得意で純平の方が万能寄りで、高橋の方が理系寄りだから、その二人で解決できないとちょっと怖いかも。
「うーん。なんでだろう。式からの計算は合ってる。となると、立式か。」
「やっぱりそうなるか。うーん、なんだろう。」
「ちょっと見せてくれよ。」
俺も協力することにした。問題としては「1,2,3,4,5と書かれた5枚のカードがあって座標軸x上に点がある。最初はx=3のところに点があって、カードを1枚引いた時、カードに書かれた数字がxより小さい数字を引いたら点がx軸方向に-1進んで、大きい数字だったら点がx軸方向に+1進む。xと同じ数字を引いた場合は点の移動はないという操作を考える。」うわっ。もうこの長文を見ただけで嫌になるな…。
「俺も見せてー!」
やめとけ。横田。お前が見ても
「うわっ…なんだこれ…分っかんねー。」
やっぱりそうなると思ってたよ。この立式のどこが間違っているのか、4人ともさっぱり分からないまま10分ほど経過した。おまけに巻末の解答には答えしか乗ってなくて計算過程全省略。これじゃ分かるもんも分からねーよ。
「やっほー!ゆーくん!」
ガラガラッと大袈裟にドアを開けながら首にアルトサックスをかけ、右手に譜面台を手にしている浮田が入ってきやがった。
「ちょうど良かった。浮田。これ、分かるか?」
「えーっ?個人練終わってただただもう帰る準備しないと閉じ込められるよって言いに来ただけなのにー!!」
「知るか。分かるか分からないか答えないとここから出ないぞ。そうなると困るのは鍵任されてる吹奏楽部だろ。」
「このチクショー!分かったわよ!問題見るだけよ!」
いつものように女子とは思わずテキトーにあしらう。その様子を見て、純平が
「はははっ、本当に君たちってカップルみたいだよね。」
とからかってきたので
「絶対にない。息の根を止めるぞ。」
「えへへー、お似合いでしょー?」
それぞれ反応した。よし、浮田。お前の息の根は絶対に止める。
「そういえば、友貴也。入学していきなりの自己紹介でも言ってたけど、なんで女の子と話すのが苦手なんだ?」
高橋が、思い切って聞いてきた。いずれ、このメンバーには話さなきゃいけない。なら、今話しておくか。
「高橋。これから話す話はちょっと重い話になるが、聞いてくれ。」

「部長は、トロンボーン、大嶋。副部長はサックスの浮田と、パーカッションの山上。以上3名を新3役とする。」
顧問の先生からそう告げられた。俺と、ことみと、涼香さん、それぞれが同時に立ち上がり、皆に向かって礼をした。
「新部長に任命されました、大嶋です。自分は全体のことを見るのがあまり得意な方ではないと思っています。なので、この話をいただいた時には、別の人を推薦したのですが、最終的に自分の成長につながる機会だと思い、部長をしようと思いました。なので、こんな周りのことが見えない部長を、皆さんで支えていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。」
そう挨拶を終えて、一礼をした。挨拶でも言った通り、俺は周りを見るより、自分に閉じこもって自分の実力を上げる方が楽しかった。第一、ピアノを小学校6年間続けてきて、部長になった今でも続けているのは心のどこかで「ピアノは個人技」と思ってきて、自分の身体が成長するにつれて、手も大きくなって自分の表現したい音がどんどん弾けるようになってきたからだ。そして、音楽の見識を深めるために入っただけの吹奏楽部で部長をするまでの熱意はなかった。その面では、俺より圧倒的にチューバを担当している武田さんの方がすぐれている。あの人ほどこの吹奏楽部に全てを賭けている人はいないし、全てを賭けているからこそ、一番顧問の先生にも噛みついてきた。だから、武田さんこそふさわしいと思った。だが、そのことを話した時の顧問の先生の言葉は今でも忘れられない。
「あの実力もない生意気な小娘が部長になって権力を持ってみろ。私と部長で摩擦が生じて誰も私の言うことを聞かなくなるだろ?そうなるなら、実力のある君が部員たちに演奏で納得させて部員を引っ張るべきであり、才能はそのためにある。」
こいつ…クズだ。そうとしか思わなかった。何が才能だ。顧問が自分の保身のためにそれっぽいこと言ってんじゃねーぞ。
「それに、書類にそう書いて申請してしまった以上、君や新副部長2名には拒否権が無いのだよ。分かるかい?」
おまけに、こっちに拒否権は無いってのかよ。クソが。そう思って、部長の話を半強制的に受けさせられた日の帰り道で、ことみにこのことを話すと
「私は、ゆーくんを一番側で支えられるから武田さんよりゆーくんが部長の方がいいやっ!」
と答えてきた。さてはこの顧問。ことみには既に根回し済みで、無理矢理拒否したらことみに交渉させるつもりだったのか。なんていう畜生だ。
 そんなムシャクシャした思いで部長を続けて3ヶ月ほど経ったアンサンブルコンテスト直前の寒い冬の日、金管パートでボイコットが起きた。部活には来ても、練習をしなくなった。首謀者はチューバの武田さん。やっぱりか。そう思いながら、顧問の指示で武田さんと1対1の話し合いをすることになった。低音パートがいつも使っている2-3の教室で机を挟んで、正面に武田さんが座っている。
「武田さん。正直に言うよ。俺が部長の件を貰った時に推薦した『別の人』ってのは、武田さんのことなんだ。」
「ふんっ。何よ今更。あの顧問にそう言えば機嫌が直るからテキトーに言っとけ。とでも言われたのかしら?」
明らかに武田さんは顧問を嫌っていた。
「ここでどうしてそんな嘘をつかなきゃいけないんだよ。それに、武田さん。こうやって俺たち金管パートでいがみ合ってしまったら、それこそアイツの思惑通りなんだよ。アイツは、自分の周りにイエスマンしか置きたくないんだ。そして、俺は部長の話を貰った時に武田さんを推薦したのに書類をすでに申請されていて俺が部長にさせられた。その段階で多分俺もアイツの敵だ。そうなれば、表面上は親顧問派として振る舞っている俺と完全に反顧問派の武田さんを対立させることで、金管パート全体を機能させないでいようと考えているんだ。」
「その証拠は?」
突き刺すような鋭い声で武田さんはそう返してきた。
「アンサンブルコンテストの予選会で俺たちトロンボーンパートとトランペットパートの4重奏が、チューバの武田さん率いる中低音の8重奏の次に悪い順位だったことだ。クラリネットの6重奏も、サックスの4重奏も、リードミス連発でとても聞けるような演奏じゃなかった。パーカスのアンサンブルもマリンバとシロフォンで息が合わなくてあまりいい演奏じゃなかった。フルート4重奏がトップなのは納得できても、そこの3つよりノーミスの演奏をした俺たち2つの団体が下なのはあり得ない。なのに結果はフルート、サックス、パーカス、クラ、トランペットとトロンボーン、中低音の順番。これが何よりもの証拠だろ。俺も顧問が嫌い。武田さんも顧問が嫌い。なのにどうしてここで対立しなきゃいけないんだ。」
「なるほどね…。あなたも分かってるじゃない。」
すこしだけ、武田さんがほほ笑んだ気がした。
「俺は…ただ楽しくみんなと音楽がしたい。なのに!アイツのせいで何も楽しくないじゃないか!」
気づけば、何かが頬を伝っていく感触があった。
「楽しく演奏がしたい!アイツから小言を言われなかったらどれだけ楽しい合奏になるか!お願いだ!アイツから小言を言われないためには武田さんたちの力がどうやったって必要なんだ!頼む!」
声も、普段の声とはまるで違う、咽び泣くような声になっていた。それでも、正面の武田さんに対して深く礼をしていた。
「分かった!分かったからそこまで泣かないで…!ね?」
武田さんも慌ててしまったのか、俺に対してハンカチを差し出してきた。
「あぁ…ごめん…ごめんね…貴方も苦労があったのに…」
そう言って、武田さんは俺にもう2度とボイコットはしないと約束してくれた。俺はその言葉を信じて疑わなかった。なのに、その翌日
「あの男がいきなり泣きついてきて、あれだけ顧問の言いなりになっていたのにさもずっと前から『俺も顧問が大っ嫌いでした。』なんて、白々しいにもほどがあるわよ。とりあえず、私も勢いで分かったと言ってしまったから、練習には皆復帰してもらうけど、部長は完全に顧問の手下。となれば、親顧問派の部長から潰しましょう。」
「「「「「「はいっ!!」」」」」」
聞く気はなかったが、聞こえてしまった。どうしてだ…。武田さん。どうして貴方がそんなことを…。
 それ以降、俺の楽譜はファイルごとビリビリに引き裂かれ、顧問の先生が居ないところでの明らかな悪口、無視、ひどいときには暴力行為。なんでこんなことになったのか、分からなかった。そのことを副部長二人に相談しても
「ゆーくんがそんなに辛い思いをしてるなんて…ごめんね。」
「私もごめん。でも、私のところも私のところだけで手いっぱいなんだ。何もしてやれなくてごめんな。」
と、言葉だけの謝罪をもらっても、被害が小さくなることはなかったのでダメ元で顧問に相談した。
「やはりあの生意気な小娘を部長にしなくて正解だった!!私の先見の明を褒め称えてほしいものだよ!!部全体の崩壊を金管パート内だけに抑えることが出来た!!これでこそ私だ!!はっはっはっはっは!!はーっはっはっは!君には、そのための犠牲になってもらって私のために死んでもらおう!!」
もはや、部活内で何をするにもアホらしくなってしまった。毎日部活に来て1日の流れを言っては個人練をして、パート練をして、特に演奏で気になったことがあったら言う。でも、それも無視される。そして合奏になったら、金管パートの演奏に重箱の隅をつつくような指摘を顧問にされて、『新顧問派がっ!また今日もあなた個人には何も指摘がなかった!』とパート全体で指摘されたことを棚に上げて武田さんたちからフルボッコにされる。そんな生活をしているうちに、何もしたくなくなって、使い古された雑巾のようにボロボロになった俺は、交差点に飛び出そうとしていた。
「ダメっ!」
そのときに、飛び出そうとした俺の手を引いてくれたのが、浮田だった。
「まだ…死んだらダメだよ。私との約束を果たしてよ…。」
泣きながらそう言った浮田の姿をいまだに覚えている。そして、その日から俺は「女はエゴで生きている」と考えるようになってしまった。エゴに巻き込まれて身を滅ぼさないようにするために、エゴの源から離れる。当然のことだ。今でもそう思っている。

「そして、俺が部長の代の夏のコンクールで、俺たちの中学は関東大会まで進んだけど、全国大会には向かうことが出来なかった。その瞬間『すべてが終わった』と思った俺は、倒れてしまった。目が覚めた時は病院のベッドの上で、医者から『ストレスによる拒食症で栄養失調に陥り、倒れてしまったんだよ』って教えてもらったよ。結局退院するのに夏休み全部を使うことになって、小学校からやってきたピアノも辞めることになった。ははっ、二兎追うものは一兎も得ずってまさにこのことだよな…。」
「ゆーくんの髪色が抜けたのも、中2の冬から、中3の夏にかけてなんだよね。」
このことを聞いた高橋は『まずいことを質問してしまった。』という顔をしてうつむいている。
「気にするな。高橋。遅かれ早かれお前らには話すつもりだった。それに、軽音楽部にいるお前なら、音楽をしている以上人間関係の対立がある。なんて当たり前だろ?その当たり前に俺の心がついていけなかっただけなんだ。だから、高橋。」
高橋が俺に目を合わせた。
「頼むから、俺のようになるなよ。」
その一言は、高橋にも、浮田にも、充分に突き刺さっているように見えた。

 その日の帰り、私は、吹奏楽部が終わるや否や、ユーくんたち4人に追い付いて、帰り道を歩いていた。あんな悲しそうに『俺のようになるなよ。』なんて、よほどつらい思いをしてたはず。なのに、私はそれに気づかないで。いや、気づいてても『武田さんが部のためにそんなことをするはずがない』って見て見ぬふりをしてゆーくんを傷つけてた。だから、今度こそゆーくんに寄り添うために、私はゆーくんと同じ高校に進んだ。ゆーくんが倒れた時、真っ先にそう考えたんだ。
「ちょっと気になったんだけど、浮田さんと、友貴也の『約束』っていうのは何だったの?」
「あ、それ、気になるー?」
伊藤くんがそれを聞いてきたので、私が答えることにした。
「やめろ。浮田。恥ずかしいから。」
「いいじゃなーい!話しても減るものじゃないし!」
ゆーくんが顔を赤らめたのをよそに私は大事にしている約束の内容を教える。
「約束は『私のバイオリンと、ゆーくんのピアノで世界を魅了する』ってものなのよ!」
「へぇー、友貴也のピアノってそこまで上手かったんだ。」
伊藤くんはゆーくんのピアノに興味を示したみたい。ゆーくんは、なんていったって
「思い出した!」
高橋くんがはっとしたような表情をした。
「どうした!?浩人。」
横田くんが高橋くんに聞く。
「大嶋 友貴也。お前まさか…天才キッズピアニストの、大嶋 友貴也なのか?」
おっ、なるほどねー…高橋くん。ゆーくんはどう返すのかな?そう思いながら、ゆーくんの様子を見る。
「あぁ。『元』天才キッズピアニストの大嶋 友貴也だ。」
そうかぁ…。やっぱり信頼してるんだね。ゆーくんは。皆のこと。
「ちなみに、ゆーくんは歌も上手いからね?今度、カラオケに行こうよ!」
「余計なことを言うなお前は!」
「へぇー、じゃあ、テスト終わりに、時間があればこの5人でカラオケに行こうな。なー?友貴也。」
横田くん!そう言ってくれてありがとう!
「し…仕方ないな。」
「んじゃあ、そういうことで!期待してるぜ!」
「高橋…期待するなよ。」
良い人たちに出会えたね。ゆーくん。
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