第14話 押し出した先輩と押し返す先輩

文字数 4,220文字

「文化祭お疲れさまでした!この文化祭をもって我々三年生は引退です。なので、新部長をこの場で発表したいと思います。正直、皆分かってるでしょ?」
副部長と思われる人が右手にメロンソーダの注がれたグラスをもって部員全員に語り掛けていた。周りを見るとうんうんと頷いている。そこまでその人の信頼は厚いのか。
「それでは、その新部長にこの打ち上げの乾杯の音頭をお願いします。では、新部長を発表します。新部長は…。」
新部長がすっと息を吸って新部長の名前を呼ぶ。
「渋澤 昂樹。」
新部長は…渋澤先輩。あの人は…そこまで信頼を得ていたのか。そう思いながら渋澤新部長が徐に立ち上がり、副部長らしき人と入れ替わって
「はい。新部長に任命されました渋澤 昂樹です。これからもより良い軽音楽部のために頑張ってまいりますのでよろしくお願いいたします。そして、文化祭、皆さん最高の演奏でした!乾杯!」
「「「乾杯!」」」
渋澤さんの音頭で文化祭の打ち上げが始まった。
「お疲れ様です!」
「おぉ、お疲れ!お前最高だよ!」
「いえいえ、自分はまだまだですよ!」
「正直、お前と入れ替わりで卒業した戸村先輩みたいな感じをお前から感じたわ。」
「そうですか、有難うございます。」
同じテーブルに座った先輩方とグラスを合わせてもらった後に俺の歌声を褒めてもらった。
「というか、部員でもない俺が軽音楽部の打ち上げに居ていいんですか?」
助っ人として文化祭のステージに出たものの、部員じゃないのにこういう場に居ていいものなのか?
「細かいことは気にすんな!お前もちゃんと金は会計の上園に渡したんだろ?」
「はい、渋澤先輩経由で渡してもらってます。」
「じゃあ問題ねぇよ!」
そういって右隣の男性の先輩が俺の左肩に腕を回してきた。
「あーあー、まさもすごいテンションが上がったままだもんね。あっ、お肉来たからタンから焼いてくねー。」
「さんきゅー律!」
「あ、あ…有難うございます。」
正面に女の先輩が居るから自然と目があっちゃって…怖い怖い。
「あっ、そっか。助っ人だから私たちの名前分からないよね。私は中江 律。『律』でもいいし、『中江さん』でもいいよ。2年生でベースやってるんだけど、2日目のステージだったから見てないよねー。で、隣のそいつが小宮山 雅弘。『まさ』って呼んであげてね。で、私の隣のメガネかけてるのが篠田先輩。キーボードをやってて今日で引退。2日目のトリのバンドで凄かったんだよね。」
「や、やめてくださいよ…そんな…」
「謙遜しすぎですよー、篠田先輩はー。」
焼肉屋でどんどん肉が来るのを「ここは気配りの見せ所」と言わんばかりに中江先輩がどんどん肉を焼いて取り分けてくれているので食事に関しては存分に楽しめていた。
「友貴也だっけ?お前マジでこの部活の花形になれるぞ。」
「いえいえ、あれだけ歌えたのは信頼できる楽器の方々がいたからですよ。」
「うーん、まぁあれだけのメンバーが揃ったらそうなるかなー。だって、新部長に新副部長の平井、ドラムの職人肌で実力派の高瀬に期待のホープ高橋くんって、トリにこれだけのバンドを組むって聞いて大野部長の人望とカリスマ性がやっぱり凄いなって感じたもん。」
「でも…大嶋君のあの歌声は、私たちが1年生の時の大野君にかなり近いものを感じたよ?存在感っていうのかな…歌声で場を支配する感じが、1年生の時の大野君にかなり近かったの。」
「あ、あ…ありがとうございます。し、篠田先輩。」
篠田先輩のおっとりした口調と俺のたどたどしい口調で場がスローテンポになっているように感じる。
「おう、友貴也。楽しんでるか?」
「お疲れ様です。渋澤先輩。」
コーラの入ったグラスと箸を持ったまま渋澤先輩が俺のいるテーブルまでやってきた。
「律。篠田先輩。こいつあんまり女子が得意じゃないからいじめないでくださいね?」
「や、やっぱり…そうなんだね?」
「察しておりましたか。篠田先輩。」
「うん…。私と同じ感じの口調になってたからね。」
ふふっと渋澤先輩が笑った後、俺たちのカチカチと箸を数回合わせた後
「じゃあ、この食べごろのハラミ頂いてきますねー。」
「おいてめぇ!」
「食べねぇまさが悪いんだよ!」
そういって俺たちのテーブルの網から瞬く間にハラミを1つ掻っ攫って自分のテーブルに戻っていった。
「はいはい、まさ。私のハラミあげるから、はい。あーん。」
「あーん。うん、ありがとう。」
え?この二人付き合ってるの??
「律さん…。後輩のいる前であまりそういうことは…。」
「いいじゃないですかー!イチャイチャしても減るものじゃないんですからー!」
中江先輩と篠田先輩の会話で全てを察した。あぁー、これは別れないことをただただお祈りしております。
「皆さんお疲れ様です!友貴也、お疲れ!」
「うん、お疲れー。」
「おう!お疲れ!浩人。」
「高橋君…初のトリ、お疲れさまでした…。」
渋澤先輩と入れ替わるように浩人がきて、先輩方とグラスを合わせた後
「お疲れ!無茶ぶりも答えてくれたし最高だよお前。」
俺がそう答えて、グラスを合わせた。
「ホントにお前ら息ピッタリだったぞ。2人で1人のギターボーカルを演じてるみたいで、友貴也も浩人もあれ結構打ち合わせしたんじゃないか?」
「いえ…友貴也が歌声の中でここを強調したいって分かりやすく歌ってくれていたんでそれに合わせて自分の演奏も前に出たり退いたりしていただけですよ。」
「それが出来るからすごいんだよ!お前!」
「ありがとうございます!」
まさ先輩が笑顔で浩人の肩をバンバン叩きながら褒めちぎっていた。
「そういうまさ先輩も2日目の2曲目の間奏のギターソロのアドリブでガンガン弾きまくってたのアレ凄かったですよ。どうやったらあれだけ指が滑らかに動くんですか?」
「そりゃあお前練習だよ!渋澤がいつも言ってることだよ。お前も死ぬほど聞いてきただろ?」
「そうですね!あの人は練習の鬼ですからね!」
あぁー、やっぱり渋澤さんは練習しまくってるのか。サックスでもギターでも、基本の姿勢は変わらないんだな。中学校の時も全部員の中で最初に来て最後に帰ってたもんなぁ…。
「そういえばー、友貴也くん。渋澤とはどこで知り合ってたの?渋澤がなんで君レベルの才能を引っ張ってこれたのか気になっちゃってさー。」
中江先輩が俺に渋澤先輩との出会いを聞き始めた。
「か…簡単ですよ?俺と渋澤先輩は…同じ中学校の同じ吹奏楽部の先輩後輩なんですよ。」
「へぇー。そうなんだ。で?続けてよ。」
「続けてよって言われても…当時から渋澤先輩は練習の鬼で、それでも頼れるアニキでしたよ?」
「そういうことじゃなくてさ、面白いエピソードとかさぁ、無いの?」
「えぇ!?お、…面白いエピソードですか??」
面白いエピソード…あの人、中学時代から完璧超人だしなぁ…。なんか面白いエピソード…。
「そうですねぇ…あの人、定期演奏会で女装したんですよ…それが…完璧な女装過ぎて女装してるときに…男子から一目惚れされたって話とかですかね。」
「えぇ!?マジで!?写真ないの?」
「ねーよ。部員全員に消せ。って指示したんだからなぁ!」
中江先輩があまりに大きい声だったからか渋澤先輩がどこからか出てきて後ろから両方のこめかみのあたりに向けてぐりぐりと拳でえぐる様に手首を回転させていた。
「痛い痛い痛い痛い!ごめんごめんってばー!」
「分かったならよろしい…!」
「あはは…災難だね。渋澤くん。」
「本当にそうですよ…篠田先輩。」
そう言いながら、渋澤先輩はもう一度元のテーブルに戻っていった。本当に災難な人だ。そう思いながら網の上の豚トロを頂いた。
「ラストオーダーです。デザートの方よろしくお願いします。」
メニューを開くとバニラアイスと杏仁豆腐とシュークリームの3つが載っていた。
「はい、バニラアイスと杏仁豆腐とシュークリームです。先輩方決めました?」
「うん、私はバニラアイスー。」
「俺シュークリームで。」
「私は…バニラアイスで…。」
じゃあ、俺の分も含めると、バニラアイス3つとシュークリーム1つか
「すみません!バニラアイス3つとシュークリーム1つで!」
「かしこまりました。」
注文をすると、自然と先輩方との楽しい時間ももうすぐ終わることを自覚していった。

「どうだった。俺の誘いに乗ってみて。」
「ありがとうございました。渋澤先輩。俺がまた奏者としてあれだけ楽しい思いを出来るなんて思ってもいませんでした。」
耀木学園の最寄り駅のロータリーの大きな時計は午後10時をちょっと過ぎたあたりを指していた。焼肉屋から渋澤さんと二人で語らいながら帰宅する。
「お前は大きな失敗をしてから、奏者として成功体験をすることが無かった。誰からもフォローをされないままでな。それでも、もう一回自分を信じて、演奏する舞台に立ってくれてありがとう。」
「いえ、僕も自分を信じてあの舞台に立ったわけじゃないんですよ。僕をしっかり見てくれて自信をもって送り出してくれた先輩が居たからなんです。王晴高校の峰さんっていうんですけど。」
俺がそう言うと、渋澤先輩がぴくりと動いた。
「お前…あの峰と友達なのか。」
「友達っていうか…。よくしてもらってる先輩って感じですかね。」
「なるほどな…。アイツ、まだちゃんとベースやってるんだよな?」
「いや、やってないです。」
「!?」
そのあとの渋澤先輩はずっと何か憂いているような感じを声に帯びていた。
「あれほどの男が…。そうか…。」
そのあとの一言は俺に新たな可能性を示してくれた。
「お前なら、あの男と釣り合うレベルのボーカルになれる。そして、アイツとお前がバンドを組めたら『Fight Of Rock』ですら出場できる怪物になれるだけの実力が、お前とアイツにはある。だから、考えておいて欲しい。」
Fight Of Rock…日本最高峰の学生アマチュアバンド限定のロックフェス。そのステージに立つためには毎年倍率500倍を超える予選を勝ち上がる必要があるって言われてるあのFight Of Rock…俺と峰先輩なら…そのステージですら狙えるだと?あの峰先輩が…そこまでの実力を持っているだと?
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