第17話 ニアリーイコールはノットイコール

文字数 4,682文字

才能が芽を出そうとしている…。このまま上手くいけば、その才能は芽から蕾になり大輪の花を咲かせる。そして…成熟した実を生むだろう。だが、そうなる時、確実に邪魔な害虫となりうる人物が俺には一人心当たりがある。今日はわざわざその人には残ってもらって、二人きりで話をする約束を取り付けた。
「はぁ…。アイツのことだから…絶対に退いてくれないよな。」
俺は、2-Cの教室。自分の教室の前で落ちていく夕日を眺めていた。俺がそいつらと出会ったのは今から4年ほど前になるか。4年ほど前の桜が散りきって葉桜になりかけていた頃。俺はまだ軽音楽部じゃなくて吹奏楽部に居た頃の話。俺は今から誰かに話す訳でもないのにスラスラと自分の頭の中で整理がついていった。

あれはまだ俺の隣に愛する人がいた頃。とても面白い後輩が体験入部で来ていたなと思っていたが、まさか本当に入部してくれるとは思っていなかった。大嶋 友貴也っていう名前は当時から音楽をやっている人たちには有名だった。彼は幼少期から様々なピアノコンクールに出場し、彼のピアノ演奏を収録したCDはオリコンのクラシック部門でTOP10に入ったほどの成功を収めていた人物がなぜうちの吹奏楽部に来るのかと当時は大騒ぎだった記憶がある。彼は、トロンボーンパートに所属となり、俺たちのサックスパートにはその幼馴染の浮田さんが所属となった。
「私は、内藤 佳苗。サックスでパートリーダーをしてます!そして、この子の名前は『種市くん』だよ!よろしくね!」
1個上の代のパートリーダーの先輩は、自分の楽器を持っていることがただただ自慢したい人で、その楽器に吹かされているようで楽器の良さを使いこなせていない先輩だった。しかも、自分の楽器に名前を付けるほど楽器に溺愛してる人なのでそのことを言える雰囲気ではなかった。今だから言えるものの、当時からこの先輩だけは負けられないと死ぬほどサックスを練習していた覚えがある。そして、その音楽で気づいたことや身についた感覚が残ったまま家に帰って自分の部屋でただただギターを弾いてはまた寝る。帰り道では玲奈と今日の練習での反省点などを聞いてもらい、意見を貰うことが日常になっていた。
「やっぱり、サックスでもギターでも音楽をやってる昂くんはサマになってるよね!うん、サマになってる!」
彼女はいつでも俺の演奏を褒めてくれていた。その言葉ひとつひとつに本心がこもっていたし、その誉め言葉が嘘だとは思っていないし、今でもそう信じ続けている。
「でも、やっぱり…サックスもギターも…何かが足りないんだよねー…。なんだろー?」
今思えば、彼女のこの言葉は、サマになっているという言葉で形を気にしすぎていて心のこもっていない演奏だったって言いたかったのだろう。皮肉にも、その言葉は玲奈がいなくなってから真意が分かったというのは悲しいものだが…。
「渋澤先輩、ここのこのパートって、どう吹けばいいと思いますか?」
内藤先輩が引退してから、俺が僭越ながらパートリーダーを務めていた。その頃から俺は浮田や色々な後輩たちから演奏に関するアドバイスを求められるようになっていった。
「浮田、ここは確かクラリネットと一緒にメロディーをしているだろ?だから、俺がどうこう言うより、クラリネット…江東とかに聞いてみて、それに合わせてみるのはどうだ?俺も、テナーサックスだから上手いこと言えなくてすまない。」
「なるほど…ありがとうございますっ!」
このときから…少しずつ歯車が狂い始めていっていたのかもしれない。ユーフォは後輩が入らず、ずっと玲奈が一人で練習を続けていて誰も相談に乗れていなかったはずだった。それに俺が気づかず皆の相談を優先し、俺の相談を彼女に引き受けてもらう形になってしまっていた。ストレスをかけていたのは3年の夏大会が終わってからではなかったのかもしれないと思うと今でも自然の拳を握ってしまう。そして、俺の相談を一人だけ受けない奴がいた。
「所詮、湊川中学なんて、大嶋 友貴也だけのワンマンブラスバンドだから、そこまで勝ち上がることはねーよ。」
世間の下馬評通り、友貴也の才能はトロンボーンでも発現していった。彼は入部したときに「ピアノ以外の新たな世界を知りたいと思いました。」と言っていた。見せる世界がこんなちっぽけなもので良いものかと思っていたが、彼の発言した才能が周りの演奏レベル向上にもつながっていた。他の楽器とはいえ、世界レベルの音楽を知っている人が自分の部活に入っているのだ。部員たちは身の引き締まる思いで、次から次へと目の前の課題をこなし、レベルが上がっていき、見せる世界はより高度な世界へと上がっていった。俺たちが友貴也へ世界を見せるのではなく、友貴也が俺たちへ高度な世界へと連れて行くような感覚に俺は少し嫉むような負の感情を持っていたのも懐かしい。だが、それは一瞬で崩れ去った。俺たちが3年生の時の夏のコンクール。その時、ミスをしたのはよりにもよって玲奈だった。その時から、彼女は事ある毎に謝り、謝り続けては深く深く礼をするようになっていった。
「クソっ…アイツさえいなければ…玲奈をこんな思いにさせずに済んだのに…!」
壊されていく様子は、見ていても耐え難いもので、全くミスをしていなかった友貴也でさえ…この世の何もかもを恨む修羅と化した俺を止めてくれるものは最早なかった。




「渋澤先輩っ!遅れてすみません。」
あの頃を思い出して、負の感情に覆われそうになったその瞬間、聞きなじみのある後輩の声で俺は現実に引き戻された。
「あぁ…呼び出してすまないな。浮田。」
「話って何ですか…?」
俺が今日ここに浮田を呼び出した理由。それは単刀直入に言うと
「今の友貴也…お前にはどう見える?」
「私ですか…?」
浮田が俺に上目遣いをしながら困った顔でそう聞いてくるが、そんなことをしても何もヒントは無いぞ。と軽く突き放したくなった。
「私には…まだ完全復活には遠いかなって感じです。だから、私がずっと…ずっと寄り添わなきゃいけないんです。ゆーくんを壊しちゃった人として。」
壊した…か。確かに、2回倒れたうちの最初の方。1回目のトドメを刺したのは間違いなくお前の「まだ死んだらダメだ。私との約束を果たして。」という言葉だ。そして、あの日から友貴也は感覚が狂って耳で聞こえたものを絵に描いたり、他の人では気づかないような音のズレだったりが分かっていたりしたことが出来なくなった。…お前はそう言っていたよな?
「まぁ、お前の責任を俺が何とか修復しようと頑張ってるんだがな。今日は、そのことについて教えておきたいことがある。友貴也の感覚についてのことだ。」
おまけに、あいつも倒れる前の浮田の言葉は覚えていても、そのあとのことは全く覚えていなかったり、自分がどんな演奏をしていたかを思い出すことが出来なかったりと感覚どころか記憶まで抜け落ちてしまっている部分があった。それを取り戻させるために俺は友貴也に形を変えて音楽に関わらせることを選んだ。結果的に功を奏して友貴也は玲華さんの歌声から炎のイメージを見出した。本人は「そんな感覚になったことがない。」と言っていたが俺にとっては「やっと帰ってきつつあるな。」という感触だった。
「あいつ…玲華さんの歌声から、燃え盛る炎のイメージを見出した。っていって演奏に込めた玲華さんの感情を綺麗に言い当てたんだ。」
「え…?」
浮田は、信じられないという表情をして、そのまま飛び跳ねた。俺はそれを何とか静止させようと試みたが…
「やった!やった!やった!やった!」
「おいコラお前!先輩の話を最後まで聞け!」
コイツ…脳内ハッピーセットか?この後、俺が聞きたいことの方が俺にとっては2億倍大事なんだよ。止まれ!
「ストップ!浮田ぁ!!」
思わず、声を張り上げた。そして、浮田は俺の方を向いた後、さっきまで表に出ていた笑顔が一瞬で消えていった。そして、「凄い剣幕…」とボソッと言ったのが聞き取れた。
「その剣幕にさせたのはお前だろうが…!」
「はいっ!すみませんでした!!」
一気に顔を青ざめる浮田。俺はそのまま話をつづけた。
「お前…このまま友貴也に寄り添い続ける気か?なら、手を退け。」
「えっ?なんでですか?」
「お前…本当に壊しちゃったという責任感だけで友貴也に接してないだろ。」
俺がそう言うと、バレてたか、と言いたげに下をペロッと出したのでそのタイミングで頭を軽くはたいた。
「痛てっ…」
「友貴也の痛みはこんなもんじゃねーぞ。…ってそんなことを言いたいんじゃねぇ。」
俺は…すっと息を吸い、今日一番伝えたいことを口にした。
「手を退け…友貴也が元に戻るためには今お前が変に刺激しないことが重要なんだよ。」
俺がそういうと…浮田が泣きそうな目で、眉毛をぴりぴり震わせ…苦しそうな声で忙しなく噛みついてきた。
「…うるさい!渋澤先輩に何が分かるって言うんですか!私と…ゆーくんの何が!」
「分かるに決まってるだろ!腐っても俺はお前の先輩だ!」
「じゃあ、私のことをしっかり見ててくれたんですよね!なのにそれを止めろなんて言うとか…本当に先輩なんですか!」
「後輩のことを全肯定するのが先輩の役目じゃない…だから俺がお前を止める!」
「貴方はもう関係ない人でしょ…分かり合えないんですよ!あなたと私じゃ!!」
「俺が分かれなくて誰が分かるって言うんだよ!大事な人を失ったもの同士の…俺とお前がぁ!!」
「貴方はまだ死んでしまったんだからいいじゃないですか!生き続けている壊れた人を見続けるのも辛いんですよ!」
「…まるで玲奈が死んだほうがよかったみたいな言い方をするんじゃねぇええ!!」
俺が思いのたけのまま、一喝すると…床にぽつりぽつりと涙が伝う音がむなしく廊下に響いた。浮田を見ると、涙の筋が頬に続いている。ノーガードの言葉の殴り合いで精神がボロボロになっているのかもしれない。だが…俺はこいつに友貴也に関わるなと言いたいわけじゃない。
「浮田…ネガティブな思いを消すのはいつもポジティブな感情とは限らないんだよ…。お前だって、本当はそうやって並々ならぬ辛い思いを持っているのにポジティブに振る舞って…それを続けていたら今度はお前が壊れるんだよ。お前が今背負っている思いをそのまま友貴也にさせる訳には行かないだろ…。それはお前が一番知ってるだろ。しかも、友貴也は感受性が豊かなんだからお前が抱えている以上に闇が深くなるかもしれない…。お前だってそれは嫌だろ?だから、お前のために…友貴也のために…友貴也を音楽に没頭させてくれ…。頼む。」
俺はこうでもしなければ伝わらない。と両ひざを床に付けて、両手を床に付けたその瞬間、浮田が無理やり俺を床から引き剥がそうとして、俺もハッと冷静になった。
「ごめんなさい。私も、先輩にそこまでされる程怒れるわけ…ないじゃないですか…。」
「すまない…俺も…言い過ぎた。友貴也に関わるなとは言わない…。友貴也の感覚が完全に戻るチャンスなんだ…頼む…頼む…お前の本当に好きな、音楽に輝く大嶋 友貴也が。」
俺もすすり泣いているのが、自分の声を出すときの感覚で分かってしまった。ただただ2人が泣いては苦しむ。それを終わらせるために、友貴也という才能の大輪を咲かせたい。俺はまた改めて決意する。この日の落ち切った暗い廊下の風景と共に。
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