第10話 Power and Tristesse

文字数 2,976文字

さてさて…コイツに何から教えるべきか…。
「とりあえず、歌詞カードを用意してもらったんだけど。」
「これが今日の教材って訳か。」
「そうだな。」
そう言いながら、俺は教室で炭酸飲料をプシュッと開けた浩人に向かって歌詞カードを読んでいた。
「『1/3の純情な感情』は分かりやすくパワーだもんな。」
「そうだな。」
いつも空いている放課後の2-Bの教室にしゅわしゅわと炭酸の音が鳴り響く。
「ただ、単にパワーでごり押せばいいって訳でもないんだよ。例えば、ここ。」
そう言いながら俺は右手に持ったペンで指し、対面に座っている浩人にBメロを見るように促した。
「確かに、最初から最後までずっと100%で走るとしんどいもんなぁ…。」
「ただ、弱奏は力を抜いていいって訳じゃないんだ。」
「というと?」
「100%の力を削って弱奏をするんじゃなくて、さらに圧をかけて圧縮させるような弱奏をするんだ。って言っても分からないと思うからよく聞いててくれ。」
そう言った後、俺は歌詞カードを机から取り上げ、Bメロの歌詞を確認する。そのあと、サビの最初の1フレーズ目の歌詞を確認して、目を閉じてイメージを高める。よし、これか。
「まず、削るような弱奏で行くぞ。1,2,…」
「Give me smile and shine days 君のsmileで」
普段なら腹圧を高めて100%を煮詰めるようなイメージを高めるところだが、今回は削って削って薄い弱奏を意識。
「凍てつく夜の寒さもgoodこらえられる」
ここから一気にフォルテッシモ!
「壊れるほど愛しても!」
この1フレーズで終わっておこう。今回はそこを言っている訳じゃない。
「どうだ。さっきのが『削るような弱奏』だ。覚えたか?」
「OK。覚えた。」
「に対して、『圧縮する弱奏』がこれだ。行くぞ、1,2,…」
腹圧意識!フォルテを圧縮するイメージ忘れんなよ!
「Give me smile and shine days 君のsmileで」
この曲のメインテーマは『愛しても伝わらない』っていう哀しさ…。それを帯びた状態で圧力をかけることを意識しろ。それを考えたうえで自分の身体をコントロールする。
「凍てつく夜の寒さもgoodこらえられる」
この圧力の高い容器のふたを開けると、一気に開放するあの感じ…まさに、今眼の前にあるこの炭酸飲料のように!
「壊れるほど愛しても!」
サビでフルスロットルの歌声を出すと、浩人の身体がビクッと反応した。
「スッゲェ…。意識ひとつでここまで変えられるのか。」
恐らく、玲華先輩が仰ってらっしゃったのはこういうことなんじゃないか。意識の持ち方、曲のどこを強調するのか。体の使い方のような技術的な話は玲華先輩の方がよっぽど詳しいはずだ。その玲華先輩が俺から教われというのなら、考え方の部分じゃないかと手前味噌な話だが考えてしまう。
「恐らく、玲華さんが技術的な話は教えれるという自負を俺にしていたのに対して浩人には『私以前に隣に居る人から学ぶべきことがある』といったんだから、問題は技術ではないところ。…となればこういう所じゃないか?」
そう言いながら、俺は床に置いたリュックサックの中の、のど飴の袋をがさがさと右手で探し当てていた。
「確かに、技術じゃなければメンタル面か。っていう話だよな。」
炭酸飲料をグビグビと飲みながら浩人は俺に対してそう言う風に話しかける。
「お前も、ギターのプレイスタイル的にボーカルの歌声も強弱ハッキリとメリハリがついている方が弾きやすいだろ?」
「あぁ、そうだな。」
俺の問いかけに対して浩人がそう答えたのを聞きながら、のど飴を拾い上げて袋のギザギザを引っ張って袋を開け、中ののど飴を舐め始めた。
「なら、ギターの渋澤先輩はお前が目指すタイプなんだし、ベースも俺や浩人と何ヶ月も組んできた峰先輩だ。ボーカルがこうしてくれたら弾きやすいっていう考え方はそのまま引き継いでお前の歌声でやらない訳には行かないよな?」
「なるほどなぁ…。」
浩人が感心したような素振りを見せている。やっぱり、ボーカルに初挑戦だと言っていただけに不安は大きいのだと思う。
「この曲のリードギターを弾くなら、ボーカルにはこう歌って欲しい。ってのは3曲ともあるだろ?」
「あぁ。」
「なら、それをお前がそのままやるだけだよ。何か不安なことがあるなら玲華先輩に聞くのもいいし、俺にも聞いてくれ。ただ、何の考えもなしに『分からない』ってことはやめてくれよ?」
「そんな考えなしでやるようなリードギターならもう既にバンドからクビにしてるだろ?」
「全くだ。」
この会話を続けると、俺と浩人が揃ってはははっと笑い合っていた。そのあと
「じゃあ、この袋捨てるわ。」
と言って立ち上がり、教室のゴミ箱まで行ってのど飴の袋を投げ入れた。
「でも…お前ってもっと取っつきにくいのかと思ってたよ。」
浩人がそう言って俺に語り掛けた。
「なんでだよ。」
「そもそもお前って、クラシックしか聞かないのかと思ってた。」
「んな訳ねーよ。俺だってJ-POPは聞くし、ボカロなんかは初めて聞いた時に『俺の探していたものはこれだ』って衝撃に出会ったんだよ。そこから、持ち前の知識を活かして作詞作曲をして。峰先輩からは作詞作曲の仕方…特に『気持ち悪い位ずっと七五調の歌詞』っていう所で俺がアンダーステアPってバレた。まだ、高木さんには気づかれてないけどな。」
そう言いながら、俺は浩人にスマホを見せた。
「ん?これは…」
「今日の19時、ボカロPとして新作を出すよ。」
「おぅ!本当か!」
そういう浩人の目はキラキラしている。その目を見ると、この期待を裏切ってはいけないとより気合が入る。
「なぁ、友貴也。…お前にとって、音楽ってなんだ?」
キラキラした目のまま、鋭い質問をぶつけられた。それに対して、俺は格好つけてこう返した。
「…表現する手段だ。何を表現するかは、俺たちのバックボーンが決めるものだ。」
「くぅー、言ってくれるねぇ!俺もそれに対して出来る限りの技術を持っておかないとな!」
そういう浩人に合わせて、俺は両手を机に付けた。すると、数分の静寂を挟んで浩人が
「…右手のそれ。ピアノに復帰でもするのか?」
そう言われて、俺は視線を右手に移す。右手は無意識にコツコツと机をたたいていた。よく見ると、結局披露することが無かったショパンの『別れの曲』…。中学3年の時の夏のコンクールで披露するはずだった曲。なぜ披露したことがないか、浩人なら察してくれるだろう。
「ないな。これは中学3年の時に練習したものの例の一件で披露することの無かった奴だ。」
「そうか…お前、やっぱり、ある程度後悔はあるんじゃないか?」
「かもな…。」
そう言いながら空っぽの笑いがハハッと口から漏れていった。その様子を見た浩人が
「お前なら…今でも有志ステージ位なら立ってもおかしくないんじゃないか?」
浩人がさっきと打って変わって真剣な表情で俺に提案をする。
「なるほどな…。考えておく。」
そう言って、別れの曲を奏でる右手を見ながら俺は考えを巡らせていた。後悔…か。そんなもの恨みに塗れた俺は考えたこともなかったんだけどな。
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