第12話 ただ君たちを願う

文字数 7,232文字

3日目の正午過ぎの12時半。体育館での吹奏楽部のステージ。これが終わったら俺たち、軽音楽部のステージが始まる。
「…。上手いな。」
吹奏楽部の定番、宝島。そのアルトサックスのソロパートを浮田さんが務めているのを見て、そのそのパートを聞いて、自分のいた時よりも浮田さんは圧倒的に上手くなったと感じている俺が居る。
「はぁ…。上手くなったな。」
少し満足げな感じが出ていることは分かる。
「どうしたの?渋澤くん。」
「誰かと思ったら…玲華さんか。」
ひそひそ声で隣の席に座ってきた玲華さんと会話を始めた。
「あれが…前から言っていた浮田さんかしら?」
「あぁ…。可愛がった後輩の一人だよ。玲奈も、彼女と友貴也は度々気にかけてた奴らなんだ。」
「確かに…のびのびと演奏する様は…妹に似てるわね。」
「だろ…?」
小声でそう言いながら俺はニコッと笑った。そして、その隣のテナーサックスが横田か…。彼のテナーサックスは俺と真逆だな…。自分が思ったことをそのまま演奏するんじゃなくて、浮田さんに合わせてる?友貴也の話通り、浮田さんが好きで演奏に寄り添おうっていう意志は感じる。だが、それでは浮田さんは落ちないぞ。横田。
「…。」
「…。」
二人とも黙って聞いていた。俺は事情を深く深く知っているから演奏をよく考えて聞いているが、玲華さんはどう聞いているんだろう。
「…やっぱり来たな。見せてもらおうか。横田。」
この編曲は『響け!ユーフォニアム』の駅ビルコンサートのシーンでの宝島。なら、バリトンサックスかテナーサックスがここのソロには来るはず。見せてもらおうか。お前の実力を。この30秒間、完全にアドリブでどこまで弾けるんだ!…横田。俺を納得させてくれ。
「…。」
「…。」
滑らかな指使い、それにリズム感というか、テンポ感は完璧で音の粒がしっかり揃っているから16分が分かりやすくなっていて聞いていてとても拍子が分かりやすいな。それでいて宝島特有のジャジーな感じを消さない…サックスでいう『エロい』感じは今の横田から溢れ出ていた。
「…そうだな。横田。」
こいつは、浮田に寄り添うために実力を隠している?さっきの横田のソロ演奏でそう思っていると宝島のH。トランペット、トロンボーンパートのソリに向けて、両パートの全員が立ち上がった。こういう動きがあるとやっぱり吹奏楽を知らない一般の方でも分かりやすいよな。そう思いながら、金管パートのソリが始まった。
「…!」
ダメだ。アイツのトロンボーンの方が全体の柱になっていた。なんというか、今のこの演奏には誰に合わせるという全体の意思疎通が全く取れていない。全体のバランスからして、木管の方が上手くて金管がそれについていってるという感じか?いや、さっきから何回も何回も入っているホルンのグリッサンドの揃い方は一級品。となると…金管の柱はホルンなのか?分からん。なんだ?この考えても分からない違和感は。まるで本当の実力を見せるには歯車がかみ合っていないような…。
「…。惜しいわね。」
「やっぱりそう考えるか。玲華さんも。」
「私は、小学校の時から合唱団にいて吹奏楽を語れるほどの知識は無いと思う。それでも、息があっていない…そんな感じがする。」
「さっきの横田のソロ演奏の実力がありながら横田が身を引いているサックスパートに、柱のいない金管パート。内情は知らんが、かなり複雑な問題があるのかもな。」
吹奏楽部は、ただ単純に実力のある人が集まれば全国大会に進めるほど単純じゃない。1+1が2になるとは言い切れず0にもなれば1にもなるし、2にもなる。それが吹奏楽部の苦しい所なんだ。横田と浮田さんという二人の優秀なサックスがいて迫力の足りないサックスパート。その原因は委縮?アルトサックスの先輩を差し置いてソロを吹いた浮田さんにも少しの遠慮が見られた。本来はもっとのびのびと演奏していた。それに、横田もあれだけのソロ演奏をしながらパート全体では存在感が全くない。それは先輩に遠慮してる浮田さんに遠慮してるから?とにかく、実力者ぞろいでかみ合えば1+1が純粋に2、それ以上にもなりえるだけの吹奏楽部なだけに内情がボロボロだと分かってしまうこの合奏に、自分の中学時代と似た感じを覚えてしまって、無気力感すら感じる演奏だった。

「お疲れ様。浮田さん。」
「お疲れ様です!渋澤先輩!」
さっそく、吹奏楽部のステージが終わって後輩が転換をしている間に俺と玲華さんは浮田さんに話を聞いてみることにしようとした。ちょうど俺の隣には玲華さん、浮田の隣には横田が居る。
「あれ?…玲奈さんって…もう…あれ?」
そうか、玲華さんのことか。
「気にしないで。私は玲奈の双子の姉。大下 玲華と申します。」
「あぁ、いえいえ!そんなそんな!私に頭下げないでくださいよ!」
「すみません、つい…。」
「いえいえ…こちらこそすみません!」
この女子特有の遜りあいは今でもあまり馴れている訳じゃないが、少しずつ理解できるようになってきた。
「そして、今更になって申し訳ないんですが、玲奈さんの件。お悔やみ申し上げます。」
「そう思うなら、お前らは俺と同じことを繰り返さないようにしてくれ。頼むぜ。」
うっすらと諦めたような笑顔を見せながら、浮田さんに言葉を返した。
「は…はい!」
「それと…俺が現役のときより上手くなったな。それに、テナーサックスも俺より上手い。横田だっけ?友貴也から人となりの話は聞いていたが、人となりしか聞いていないからこれだけ上手いとは思っていなかったよ。」
「はい!ありがとうございます!」
根は真面目で練習もちゃんとしているのは同じ楽器をしていたから分かる。横田、だからこそ
「お前は…もっと自分に自信をもって前に出ろ。ちょうど、今から軽音楽部の俺たちのステージだ。参考にしてみるといい。」
横田の胸ぐらを右手でつかんで耳元でそう囁いた。すこし刺激は強かったかな。
「はい…分かりました…。」
横田の様子を見てもう少し畳みかける。
「お前と浮田さんを…俺と玲奈のようにするわけには…いかないだろ…」
永遠に帰ってこない人を待つ悲しみを…分かってほしくないんだよ。だから…分かってくれ。これだけは…
「今の吹奏楽部は俺や友貴也が苦しんだ中学の吹奏楽部と似て、遠慮や委縮で本来の実力を誰一人出せていない…この意味を考えろ。」
そういうと、俺は右手を離してじゃあなと手を振りながら軽音楽部のステージ準備へ向かっていった。

「こんにちは。Parterreです。それでは早速聞いてください。『ミスト』。」
耀木軽音部のオリジナルのガールズバンド、Parterre。ボーカルの玲華さんは声楽出身の理論づけられた完璧な歌声に惚れたメンバーたちが自分から組ませてくださいと集まってきた超実力派ロックバンド。楽曲も玲華さんが作詞作曲を手掛け、少しずつメンバーが変えていくため、ボーカルの玲華さんとしてはとても歌いやすいのだという。俺はギターしかできないから分からないが、そういうものなのだろうか。軽音部に入ってから俺が教えてきたギターを初披露しているが、音作りがちょっと曲の雰囲気に合っていないか?
「涙は地を伝い 川のように流れゆく」
来た。激しめのサビに観客が思いっきり揺れるのが俺のいる体育館の2階の照明ライトの場所からも確認できた。そう思いながらこの曲のイメージの青緑のスポットをParterre全体に当てる。そして、曲を聞くとやっぱり音作りに少しだけ違和感を持った。ミストは流れる涙が川のように流れる様を朗々と歌うAメロBメロ、そして激流のように悲しみを激しく歌うサビの繰り返し。それのどこがミストなのか…。その答えがこの最後のフレーズにある。
「いつまでも霧となり消える そのときまで待っていたい」
悲しみが消える様…それは川が蒸発して水蒸気となるということ。それをミストに喩えている。ということだ。と解釈した。そして、そのまま少しずつアウトロに合わせて悲しみが消えるように少しずつ青緑のスポットライトから赤みを足して白色にしていく。
「しかし、3曲制限でいきなりミストか…。3日目のラストステージの1番手を任されることに対して本気で来てるな。」
リードギターの松江さんやベースの野崎さん、ドラムの津田さんにキーボードの近藤さんの表情からも見て取れる。こいつら、本気中の本気を出してくるな。
「改めてこんにちは。Parterreです。私たちは耀木学園でオリジナルのガールズバンドをしています。そしてこれは私個人の話になるのですが、私は4月にこの高校に転校してきてこの素晴らしい仲間に出会ってとてもぬくもりを感じました。そしてこの軽音部には過去からずっと逃れられず苦しんでいる人もいます。」
このMC…俺のことか。
「その中でも、苦しんでいる人は私と同じように前に進もうとずっと努力し続けていて、そして前に進んでいます。なので仲間とのぬくもりと独りで抱え込む苦しみ。その対比を新曲2曲で歌わせていただきます。聞いてください、『そばに』、そして『R』」
新曲の照明は死ぬほど曲の音源と一緒にイメージ練習してきた。ミスらねぇようにいくぞ!

「上手い…!これが…玲奈先輩のお姉さん。」
とてつもなく上手い。自分なんか全然敵わない…。聞くだけで情景は浮かぶし心情もはっきりと答えられる。自分も感情を詰め込めて歌を歌うタイプだが、俺と違ってどうすればより伝わるのか技術や経験に基づいてこう表現したいという指針がはっきり見える。すべてを表現するのは大事だが、その中でもよりここを表現する。という意志が俺よりも何十倍強いと思う。
「上手だね…。ゆーくん。」
「…。」
余計な音には意識をもっていけず…ただただ聞き入ってしまうほどステージ上の玲華先輩の歌声は素晴らしかった。
「…なるほどな。」
「どういうこと?ゆーくん。」
よく観察してみれば体育館の客席の一番後ろからでもはっきり見えるくらいブレスでお腹周りが膨れている。あれだけ膨らむのは相当な肺活量を持っているな。おまけに呼吸のたびに体が少し前傾になっている。渋澤先輩から「あいつは声楽出身だから絶対に参考になるはずだから見とけ」って言っていたのがうなずける。とても確かな技術を持った素晴らしい先輩だ。
「どうだろうなー…友貴也なら、のど自慢決定戦準優勝だし、あのステージに立っても様になってたんじゃないかなー。」
横田の声もガン無視。結局優勝は事前に根回ししていた3年の先輩に持ってかれて1位と5倍以上の差をつけられての準優勝。なんだよあれは。ただの茶番じゃないか。そう思うと右手の拳を握る力がより強まっていた。
「聞いてください、『そばに』、そして『R』」
『R』…『R』ENAの『R』ってことか。ならばかなりの思いを詰めてくるはず…。期待させてもらおうかな。姉として、どのような思いを伝えてくるのか。
「ずっと支えてる私が貴方たちを だから私についてきて」
そっか、先に仲間のぬくもりを歌う『そばに』だったな。深く考え続けてもしんどいだけだから、少し休憩するか…。
「しかし…あのボーカルの玲華先輩…えげつねぇな。」
サビに入って自分が出る瞬間に少しだけギターのネックを振り上げて一瞬のタメを作る。そこの入り方がバンド全体にとって一つの区切りとなって空気感を変える合図にもなっている。そこら辺の歌う技術だけじゃないステージ勘がまるで俺なんかとは違うように感じる。なんていう人なんだ。
「横田くん…ゆーくんに何があったんだろう?」
「あいつは…覚悟を決めてるんだ。俺たちとは違う道を歩むっていう。」
あの二人の会話を背に俺は大きく深呼吸をした。
『そばに』のアウトロから花ちゃんのオープンハイハットでの4カウント、緩やかな『そばに』の曲調から激しい『R』の曲調に変わった!リードの咲桜ちゃんもガンガン激しめに引いてくれていて良い感じ!
「黒く染まったこんな世界に 生まれてしまった純情な少年少女たち」
ベースの沙百合ちゃんもこのバンドが始まってからこの曲を披露できるようになるまでずっと我慢してこの曲を練習し続けてきてくれた。私の声もこのベースラインに引っ張られて全力以上を出せるような気がするわ!
「いつの間にか狂っていく社会の歯車たち」
キーボードのくるみちゃんも1番最後に来てくれたものの思いは1番強かった。このメンバーなら私のベスト以上の実力を出してくれるから…私はこのバンドが…音楽が大好き!あなたたちだってそうでしょ!昂樹さん!友貴也くん!あなたたちは覚悟を決めて音楽を進んでいくんでしょ!私たちを、私を越えるだけのポテンシャルを秘めてるボーカルと私のギターの師匠なのですから!越えて見せなさいよ!
「狂ったまま歯車は回り 少年少女たちは傷つく」

上手い…!あの先輩、まだまだギアを隠し持ってやがるのか!まだAメロなのに溢れ出る思いが爆発しそうで、悲しい中で危うい雰囲気すら漂う。
「傷ついた少年少女たちを 置いていって世界は地球は回る」
悲しいだけじゃない…恨みややり場のない怒り。これといって一言で説明できないような感情まで含んでいって思いの大きな波になっていく。その歌声を受けて、玲華先輩とリードギターの先輩の2人の演奏がさらに複雑に絡み合っていくようなフレーズを奏で、再び玲華先輩がマイクの前に立って
「傷ついた人たちは 恨みを孕んで消えていく」
再び触れると壊れて消えてしまいそうなくらい儚い歌声が体育館を包んでいた。
「残された人たちは 残った傷を背負い生きていく」
ギターのネックを振り上げた…来る!

「苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい」
俺がこの音源を初めて聞いた時と同じリアクションを友貴也がとっているのが視認できた。まぁこのサビの苦しい連呼は驚くよな。そう思いながらサビ前に赤に切り替えた徐々に元の緑味の少し強い白色に戻していく。
「いつまでも終わらない悲しみに苦しみを混ぜて爆ぜるだけ」
本当にこの曲には俺が言いたかったことをすべて訴えてくれていると思っていたがあのMCトークで分かった。やっぱり歌詞から何から俺の気持ちを分かろうとしてそれをすべて歌に詰めていったんだな。流石だな…そう思いながらまた俺は照明を赤に戻す。
「苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい悲しい」
最後の悲しいに合わせて今度は青に照明を変えた。そうすれば、この曲のいろいろな感情が混ざって分からなくなってしまったこの歌の主人公を描けるんじゃないか。と思う。
「私は何を柱に生きればいい 壊れてしまった俺は」
ここの一人称がぶれる感じ…少し照明のライトを左右に振って心の迷いを表現した。俺と玲華さんのことを歌ってるんだから俺の思っている通りに照明をすればそれっぽくなる!ならなきゃおかしくねぇだろ。間奏を聞きながら音作りの意味を納得した。なるほどな…曲のいろいろな面を出すためには一番激しい音に合わせてそこから丸めていくエフェクターのかけ方をしているのか。だからこの違和感があったのか。ただ、これはコンプレッサーが死ぬな。

「上手だったな…玲華さん。」
「上手かったな。友貴也。」
一旦、体育館の外に出て俺と横田は体育館の入り口の階段に座って語り合うことにした。
「お疲れ。大嶋。」
み、峰先輩!?
「お疲れ様です!峰先輩!来ていらっしゃったんですか!」
「そんなかしこまらなくていいよ。バカ。それに、お前に期待して文化祭見に行くって言ったろ?俺は、出来ない約束はしない主義だからな。」
とは言われましても…。
「しっかし、あのガールズバンド。この文化祭で名をあげて…ゆくゆくはライブハウスまで侵攻するのかな?もしそうなったらおもしろいな。」
あのレベルのバンドならライブハウスのイベントに出てもおかしくない。っていうことですか。軽音楽部でベーシストやってた人が言うなら、それも曲に関してあれだけの分析が出来るだけの知識量のある人なんだ。それだけの力があるのは確かなんだろう。
「確かに…そこまで言われてもおかしくないですよね。あのバンドは。」
横田がそう言いながら俺は少しずつあの歌の思いをずっとかみしめていた…。
「じゃあ、期待してるぜ?俺はあのボーカルに勝てるだけのポテンシャルがあるとお前に期待してるからな。」
峰先輩が突然俺の右肩をポンポンとたたいてそう語りかけながら俺の左隣に座った。
「馬鹿言わないでくださいよ…さすがにアレはヤバいですって。峰先輩。」
横田がきょろきょろして何の話をしているんだと言いたげな表情をしていた。その横田に俺がボソッとつぶやく。
「浮田を最後まで絶対に引き留めてくれ。」
「え…?」
「いいから。」
横田にそう言いながら無理矢理指切りの形を作った。
「横田っていうのか。」
峰先輩もそう言いながら横田が何かを悟ったような表情をした。
「横田。今から友貴也は覚悟を見せるんだよ。その浮田ってやつに。そしてその覚悟のせいで浮田の思う友貴也から離れるんだよ…。その時に浮田は絶対に精神的に不安定になる。その時に友貴也は支えてやれない。…きっとな。」
「お前…まさか!峰さん!どういうことですか!」
横田がそう答えるので…俺は小さく息を吐いて呟いた。
「俺は今から、あのステージに立つんだよ。一人のボーカリストとして。」
それが…浮田の小さなころからの約束から遠のくことは分かっていても、俺は浮田のために生きている訳じゃない。俺は俺のために生きている。その覚悟を見せなきゃいけない。そう思いながら俺は体育館に戻っていった。
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