序章 立ち上がる六絃琴師

文字数 5,383文字

その時、俺には何にも代えがたいものを失った。
「あぁ…玲奈。どうしてお前が…。」
棺の中にいる彼女の安らかな笑顔を見て、俺は涙ながらにそう呼びかけた…。だが、返事はもちろん帰ってくることはない。俺がお前を支える。そう言った結果がこれだ…。そう思うと、涙がいくら流れても止まらなかった。

大下(おおした)玲奈(れいな) 享年15

俺の初めて好きになった人であり、初めて失った大切な人である。何故彼女が自殺しなければならなかったのか、何故彼女ほど音楽を楽しみにしていた人間が死ななければならなかったのか。そしてなによりなぜ俺の初恋はこんな形で終わってしまったのか。いくら問いかけたところで棺の中の玲奈は答えてくれるはずもない。分かってはいる。分かってはいるのに、受け入れられない自分がここにいる。受け入れなければならない。受け入れなければならないのに、あまりにも大きすぎる事実を頭はすんなりと受け入れてくれなかった。結局、大切な彼女の告別式にもかかわらず俺は何も考えられないまま告別式は終わっていた。そして、霊柩車に棺を運ぶのを手伝った後に喪主を務めた玲奈のお父さんから声を掛けられた。
昂樹(こうき)くん。君をこのような辛い思いにしてしまって申し訳ない。」
そういって玲奈のお父さんは頭を下げた。
「いえ、僕が彼女をしっかりと支えてあげられなかったんです。僕がしっかり支えてあげられたら彼女が死ぬこともなかった。僕のせいなんです…。」
俺はそう言って頭を下げ返した後、なんとか大丈夫なように見せるために凛とした真顔を作った。
「無理はするな。君が悪いわけじゃない。本来寄り添うのは私たち親の役目でもあった。それを恋人の君に任せて玲奈から目を背けた私たちの責任なんだ。それだけは気に留めておいてほしい。」
そう言って、玲奈のお父さんは丁寧に何回も折られた紙を俺に手渡してきた。その紙にはあの見慣れた字で
「昂樹くんへ」
と書いてあった。まさかこれは…。
「玲奈の死体が発見されてからすぐに玲奈の部屋の机の上から見つかったものだ。タイミングからして、遺書のようなものじゃないだろうか。」
「やはり、そうですか。家に帰ってからじっくり、心を落ち着かせてから読みたいと思います。」
「そうだな。君もかなり精神的に疲弊しているみたいだから、しっかり休むんだよ。」
「はい。わかりました。」
そう言って、遺書を受け取り、その日はすぐに家に帰った。
 家に帰ってから、自分の部屋に帰って深呼吸を3回ほどした後何回も折られた紙を丁寧に広げていく。
「昂樹くんへ
この手紙を見ているってことは昂樹くんにこの手紙が届いたってことなのかな。昂樹くん。こんな勝手なことをしてしまって本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。辛くて、苦しくて、悲しい日々の中であなたが。あなただけが唯一の支えでした。…」

そういう書き出しから始まる。彼女の手紙には嘘ひとつない。正直な彼女の最後の言葉だらけのA4の手紙だった。その遺書を読み終わった後、ふと床に目をやると何回も折られてくしゃくしゃになったボロボロの紙が落ちていた。
「あれ…。こんなところに紙ごみなんか落ちていたっけ。」
どうやら、遺書は2枚組で1枚目の手紙を開いている途中で部屋の床に落ちてしまったらしい。その手紙を開くと
「うっ!!」
その瞬間の記憶は俺にはもう残っていない。






















 「苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい…」

おびただしい量の「苦しい」。もう1枚の内容はA4の紙一面にとてつもない量の「苦しい」という言葉が敷き詰められていた。この「苦しい」を「楽しい」に変える。中学のころから続けていたギターにそういう意味が出来たのはあの死からだ。中学生の時はギターを続けていても目標はなかった。中学校には音楽系の部活は吹奏楽部しかなくて、そこに入りながらも高校では絶対に軽音楽部に入りたいとギターを練習し続けてきたくらいで、誰かに聞かせるとか何かを表現したいという大それた目標はなかった。
渋澤(しぶさわ)先輩。またその紙を見てるんですね、俺たちの前のバンドの本番が始まりました。準備、大丈夫ですか?」
舞台袖から体育館の2階にいる俺に向けて後輩の友貴也が向かってきてくれて呼びかけてくれた。その声でハッとして腕時計を見ると15時45分を指していた。予定からして5分巻きくらいか。
「あぁ、有難う友貴也(ゆきや)。でも、見たらわかる。」
そう言いながら、苦しいと紙一面に書かれた紙を折りたたんで胸ポケットに入れて、後輩を見上げた。友貴也も白髪の前髪を掻き上げてはぁっとひと息をついて、先に舞台袖で待ってます。と言って体育館1階のステージの舞台袖への階段を降りて行った。
「お前もお前で苦しいことがあって、才能を捨てたくなった。それを俺が無理やりにでも引き留めたんだ。俺が頑張らなきゃな。」
友貴也の背中を見送りながら、俺はボソッとそう呟いた。佳人薄命。天才ほどその才能を捨てたがるっていう意味で俺は使っている。俺の元カノ、玲奈のように自ら命を絶っていくもの、友貴也のように深い傷を負ってその道を諦めかけたやつ、それに才能があることを気づかないまま辞めていった奴。この3パターンがメインだと思っている。玲奈も友貴也も、あのクソみたいな顧問のせいでボロボロになってしまった。玲奈…お前が今ここにいるなら、同じ状況の友貴也にどういう声をかけている?
「ごめんなさいね、玲奈じゃなくて、私で。」
玲華(れいか)さん!?い、いったいいつからそこに!?」
また綺麗な黒髪ロングの美人さんが足音1つも耳に入れさせずに近づいてきた。
「私は、友貴也と入れ替わりで傍に居たわよ?それより、『玲奈…お前が今ここにいるなら、同じ状況の友貴也になんて声をかける?』なんて、また玲奈のこと考えてたの?」
どうやら、さっきの思考が全部口に出ていたらしい。そして、出来るだけ平然を装って
「あぁ。玲奈は俺にとって背負った十字架みたいなもんだからな。玲奈みたいに苦しいって思った人の心を楽しいって思わせる演奏をする。そして、玲奈みたいに自分の好きなことを諦める人を増やさないために俺は頑張っている。友貴也にこの文化祭のボーカルの助っ人を頼んだのもそういうことだ。」
と答えた。大嶋(おおしま) 友貴也。俺が今まで会ってきた人たちの中で一番音楽の才能に恵まれていて、一番音楽に真摯に向き合っていて、一番輝かしい経歴を積んできた元天才。それだけに、今はゲームばかりしているただのゲーマーになってしまっているのが俺にとってはとても歯がゆい。だから今回の件でバンドメンバーに相談を受けた際も
「安心しろ。一人だけ、当てがある。」
そう言って友貴也のところに助っ人の依頼をした。初めは即答で
「嫌です。絶対に無理です。」
と言って拒否をされた。それを無理くりに説得して今からステージに立って4曲も歌ってもらう。こいつの才能をこの輝木学園の軽音楽部内に、そして来てくれているこの輝木学園の生徒の皆やOB,OGなどの関係者に示すには4曲もあれば十分すぎる。今から、そのことを証明してやる。
「ねぇ、聞いてる?渋澤君。」
「あぁ。ごめんなさい、玲華さん。また一人で考え事をしてました。」
「まったく、自分に閉じこもって努力するのも大事だけど、人の話もしっかり聞きなさいよ?まぁ、本番前だから意味ないか。」
本番前、自分の腕時計をもう1度確認すると、腕時計は予定上本番の10分前、16時丁度を指していた。
「本番前だからな、舞台袖にそろそろ行ってくるわ。玲華さんはどこから見るの?」
「私は、この2階から見させてもらうわ。」
「友貴也の歌声。期待してろよ?」
「あら、そこは『俺のギターに期待してろよ?』位言ってくれないのかしら。」
いたずらに玲華さんはそう言って笑った。普段口下手でクールなアイツにしてはこういう冗談も言ってくれるんだな。
「まぁ、今日は友貴也にとって人生を変えるくらい衝撃的な日にさせる。今日の主役は俺じゃなくて友貴也だ。今日の俺はその衝撃的な日を演出する演出家だ。ギターでね。」
「ふふっ、そういうことなのね。じゃあ、頑張ってきてね。」
「友貴也の歌声にビビるんじゃねーぞ?」
「あなたがそこまで言うのなら、期待してみましょう。」
そういって俺は体育館の2階から舞台袖に向かった。

「悪い、待たせた。友貴也。それに、平井、高瀬、高橋。準備は大丈夫か?」
俺はそう言いながら、舞台袖においてある自分のギターをギタースタンドから持ち上げて慣れた手つきでチューニングを始めた。E,B,G,D,A,E。よし、OK。
「渋澤先輩チューニング早くないですか?」
「まぁ、4年やってるからな。」
「僕も中学からやってますけどそんなに早くできませんって。」
「そこは、吹奏楽部で頑張ったやつと帰宅部でギターしかしてこなかったやつの差かな?」
そう言って高橋にちょっとだけ意地悪に答えた。まさか、ボーカルの大野部長が「自分の認めた後輩たちと文化祭のトリを務めるバンドを組みたい」っていって俺と同期のベーシスト平井とドラマーの高瀬。それにリズムギターに俺の1個下の高橋を呼び、最後にリードギターで俺を呼んだのにまさか本番2週間前に全治3ヶ月の交通事故に遭うとはなぁ…。おまけに助っ人は誰も知らないような1年生。軽音楽部の中は誰もがトリを務めるのを反対した。それを俺たちは先輩方に頼み込んで無理矢理トリのままにしてもらった。ふと目を閉じて、ここ2週間のドタバタを振り返った。
「本番前に、お前らに話しておきたいことがある。」
振り返り終わって自然に目が開いた。そして、俺がそう口を開くと本番前のシビアな4人の目線は一気に俺に向いた。
「なんだよ。昂樹。改まって。」
高瀬がそう言ってきた。そして、ふっと一息吐くと俺はこう言った。
「軽音楽部には俺たちがトリを務めるのに異議を唱えた先輩方ばっかりだ。でも、俺たちはこのボーカルの凄さを知っている。だから、自信を持って本番に臨むぞ。」
すると、安心しきった顔で平井がこう返す。
「言われなくても分かってるよ。昂樹。ベーシストとして、これだけのボーカルがいるバンドを低音で支えられることを誇りに思ってるよ。」
「ずるいぞ。昂樹に平井。俺だって自分たちに自信を持てずにステージに立つほど馬鹿じゃねぇっての。何それをいいこと言ってる風にするんだよっ。お前ら2人だけ株を上げようったってそうは行かねーからなっ!」
高瀬も、自分の言葉で続けてくれた。
「僕も、このメンバーで組めて楽しいです。ただ、緊張がやっぱり…」
「そうか。高橋。なら、何かミスがあっても全部ボーカルの俺のせいにしろ。それくらい気楽に行け。」
「う、うん。気楽にいくよ!」
一年生の2人も随分しっかりしてるよな。そう思いながら足元のマルチエフェクターを見て、もう一度4人の頼れるメンバーを見る。
「頼むぜ。お前ら。」
そういった直後、文化祭スタッフの
「The,PM10:30さん本番です!お願いします!」
そう言って幕が一旦下りて、転換の時間になった。自分に足元にそっとマルチエフェクターを置く。今回はGT-1000という新作のマルチエフェクターの初陣だ。今日もよろしく頼むぜ。マルチエフェクターにそう語りかけると、文化祭のスタッフに頼んでおいたレースのカーテンが幕の内側にサッと閉められた。全員が準備完了の合図を俺に送ったのを確認して、俺が文化祭のスタッフに幕を上げるよう合図を送った。ブザーが鳴り、今年の文化祭最後の幕が上がった。友貴也がブレスをして

「一本打って!」

それを合図に観客の皆が手拍子をしたのが聞こえた。

「ただいまより、二本打って!」

今度は2回しっかりと手拍子が聞き取ることが出来た。よし、さっきの手拍子は偶然じゃない。

「The,PM10:30の、三本打って!」

3回手拍子が聞こえる。このときには確信に変わっていた。

「文化祭最後のステージ、最高の思い出にしたい奴は、4本打って!」

4回の手拍子が体育館に鳴り響く。分かっていた。

「The,PM10:30、これより始めさせていただきます。どうぞよろしく!!」

友貴也がそう言うとレールカーテンが一気に開き、俺たちは初めてしっかりと観客の皆を見られた。男子であろうと女子であろうと、この体育館が割れんばかりの歓声を上げて俺たちを迎え入れてくれる。よっしゃ、この歓声で気合と力の出ないバンドマンが居る訳ないだろ!
俺のギターの演奏はいつにも増して気合が入っていた。
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