第6話 決戦直前

文字数 4,240文字

「苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい」
そう羅列された紙を胸ポケットから出す。玲奈の二の舞はもう嫌だ。あいつのように才能を失う人間がどうしてこの世にはこんなにいるのだろう。そう思いながらこの紙を眺めていた。
「あら?渋澤君。今日は大事なことでも控えているの?」
「よく分かったな。玲華さん。」
そう話しかけながら、玲華さんは机を挟んで正面に立っていた。正直、この人と出会ったときは吐き気がするレベルの衝撃を受けた。

「金城大学付属高等学校から転校してまいりました。大下 玲華と申します。趣味は歌うことで、軽音楽部、合唱部に興味がありますので、ぜひとも声をかけていただければ嬉しいです。」
なにせ、元カノの玲奈と生き写しレベルのそっくりさ。透き通った目に、艶のある黒髪。玲奈はコンプレックスだと言っていた少し小さくて色の薄い唇。何もかもがあまりにそっくりなので転校生を見た瞬間にとっさに顔をうつむけてしまった。
「おい、昂樹。お前さっきから大丈夫か?」
あまりの動揺で周りにも悟られたようだ。クラスメイトの古林が昼休みの時間にそう話しかけてきた。
「いや、何でもないんだ。」
「そんなわけないだろ。さっきからあの転校生をずっとチラチラ見て。まさか、惚れたか?」
「確かに、結構大下さんのこと結構見てたろ?」
古林に加藤も加わってそう煽ってきた。それに対して返す言葉はたった一言。
「馬鹿言え。そんなことあるかよ。」
そう言いつつも状況を飲み込めないまま、授業は終わり、放課後になって転校生が俺に話しかけてきた。
「渋澤 昂樹さんですよね?」
「は、はい…。」
「少し、二人きりで話したいことがあるのですが。よろしいでしょうか?」
いきなり、美人な転校生と二人きりで話すとか普通の高校生活なら即フラグ建築だろう。普通なら。
「玲奈のことですか?」
俺は反射的にそう答えてしまった。
「そうですね。妹のことですが、もっと踏み込んだ話です。」
「なら、屋上で話す。それでいいか?」
「はい、分かりました。」
玲奈と違って至極冷たい対応だな。まぁ、妹のことを見殺しにした男なんだ。そんな対応じゃなきゃおかしいか。そう考えると、ものすごく納得できる自分がいた。
「おいおい!いきなり転校生からアプローチなんていいじゃんかよ!昂樹!」
そう言って、玲華さんと入れ替わるように軽音楽部の同期、志賀がそう煽って来やがった。
「馬鹿言え、俺の椅子の後ろにでかでかとギターケース置いてるんだ。誰でも軽音楽部員だって分かるだろ?つまり、そういうことさ。」
そうテキトーに言ってあしらった。志賀も残念そうに「ついに昂樹もリア充になるかと思ったのになぁ」とほざいていたが、「はいはい、そうだな、残念だな。」と返しておいた。
「で、話ってなんだ。」
誰にも許しを乞えないままボロボロの精神状態を1年引きずって、ようやく誰かに許してもらえるチャンスが回ってきたように思える。床に座り込んで正面に玲華さんと向き合った。こうしてみると、本当に玲奈と似てるんだよな。違うのは髪の長さくらいじゃないか?
「私の双子の妹、玲奈のことです。あなたは私の妹が苦しんでいて何回も助けを求めたのに見殺しにした。違いますか?」
屋上で二人きり、玲華さんがいきなり発してきた言葉は棘だらけで、俺を刺しにいく殺意に満ち溢れた言葉だった。その玲華さんの言葉をじっくりと俺は受け入れていった。
「…俺がどれだけ声をかけても、あいつを救えなかった。その後悔は今でも引きずっている。本来、寄り添われて、頼りにするべき俺のことを彼女は『私が昂樹くんの負担になっている』と考えていた。そのことに俺は気づけていなかった。だから、必死に寄り添えば、話を聞いてあげられれば癒せると思っていた俺と俺を心配して命を絶った玲奈。この思いのすれ違いだったんだ。それを『見殺し』っていうなら好きにしてくれ…。」
そう言いながら、俺は首にかけているハートのチョーカーをそっと外して制服のズボンのポケットに入れた。そっと顔を見上げると悲しそうな表情を玲華さんはしていた。やめろ、双子なんだからそういう悲しい表情をされたら似るに決まってるだろうが…。
「そういうことだったのね…。あなたの言葉が嘘ではないのは、纏う雰囲気で分かるわ。私だって玲奈と同じで音楽をしてきたから耳には少し自信があるわ。あなたのその悲しそうな声…まさか、今でもあの娘のことを想っているの?」
流石、趣味は歌うこと。って言ってただけあるな。こいつの前で嘘は通じないだろう。友貴也と一緒のタイプの人間か。そう思いながら俺はまた話を始めた。
「俺ももう分からないんだ。確かに、あいつがまだ生きているなら…絶対にあいつ以外の女子は眼中に無いな。生きているなら。」
そっと目を閉じて、気持ちを落ち着かせようと頑張った。でも、無理だ。目をつぶっても目を開いてもあの顔が見えてきてしまう。
「だけど、あいつはもう死んでんだよ!もういないやつのたらればを言ったって仕方ない事くらいは分かってる!だから、忘れなきゃいけないんだよ!でも、忘れられるわけ、無いだろぉっ!!」
そっと右の頬を伝う涙をぬぐった。
「ごめんなさい…。あなたも、苦しんでいるのね…。あなたの傷をえぐるようなことをしてしまって、ごめんなさい…。」
そういって、玲華さんは俺にそっとハンカチを差し出した。
「いらねーよ…。これは俺が解決していくことで、自分の心で決着をつけることだ。例え玲奈の双子の姉の玲華さんであっても、助けを受けてしまったら、玲奈に失礼な気がするんだ。」
俺は玲華さんから差し出された右手のハンカチを弱弱しくも払いのけた。
「でも、これだけは見てもらえないかしら。」
ハンカチをスカートのポケットにしまい、胸のポケットから見慣れたサイズの紙が出てきた。ひとつひとつ丁寧に折られた折り目を開いていく。すべて開き終えると、見覚えのある字がずらっと出てきた
「お姉ちゃんへ
 こんなことになってしまってごめんなさい。私は、皆が追い詰めていったことに耐えられず先立つことを決めました。その経緯をこの紙に書き記させていただきます。」
そこから先の話は今この世で生きている誰よりも俺が一番知っている。武田がたきつけ、同期が全員敵になり、頼りにしていた後輩たちも顧問たちへの根回しで誰も助けてくれなかった。親を頼っても受験優先。他の先生を頼っても「いじめなんてこの中学校にあるわけがない」の一点張り。誰も頼れないふたりぼっち。それが俺と玲奈だった。
「私も、どうして一つの本番の一つのミスでここまで皆に叩かれなきゃいけないのかが未だに分かりません。でも、一つだけ言えることは、私の彼氏。渋澤君は何も悪くありません。彼がとどめを刺したとか、彼も私を追い詰めたという考えはやめてください。そして、お姉ちゃんに頼みたいことがあります。」
その先の内容は、いきなり矛盾していて怒りたくなったが、スルーすることにした。
「もし、彼とお姉ちゃんが会うことになっても、彼を責めないでください。彼は私を失ったら一人ぼっちになってしまいます。そんな中で彼がボコボコにされて、私以上に辛い思いをして欲しくないんです。だから、お姉ちゃん。彼を守ってくれませんか?彼が私のことから立ち直るまでで構いません。本当に勝手なお願いごとだと思っています。それでもお願いしたいことです。」
…。おい、玲華さん。これはどういうことだ?
「私は、これを見た時、この状況で彼を守ってほしいと書いてあったから会えば守ってあげようと思ったのよ。」
「なのに、俺をここまで言葉で刺したのが何故だ?」
そのことを考えると玲華さんのさっきまでの言動は腑に落ちなくなってしまった。
「単純に、あなたはもう私の妹のことなんか忘れてしまって、友達と仲良く過ごしているんじゃないかっていうことを考えたのよ。」
「そういうことか…。なら」
俺はさっき外したハートのチョーカーをもう一度手に取って、胸ポケットに入れていた俺の遺書と一緒に差し出す。
「俺がこれを常に身に付けたり、持ち歩いている。それだけで充分に伝わらないかな?」
このハートのチョーカーの赤いハートのモチーフには表面に彼女の好きだったエメラルドグリーンっぽい緑色で「R」、裏面に俺の好きな藍色っぽい暗いブルーで「K」と彫られていた。これは、玲奈に最後にもらったクリスマスプレゼントで、これを貰った数日後、彼女は儚くなってしまった。
「このハートのチョーカーの意味を考えたんだ。ハートのチョーカーには『どこにも行かないで欲しい』って意味があるって聞いたんだ。これは、きっと俺の玲奈に対する思いだとずっと思ってきたんだ…。でも、玲華さんにあてた遺書を見て、分からなくなったんだ…。だから、少しずつ、このハートのチョーカーの意味を、また考えていこうと思う。玲華さんに出会えてよかったよ。出会えていなかったらきっとこのハートのチョーカーの意味をずっと勘違いしたままだったから。」
俺がそう言って立ち上がると、玲華さんも立ち上がった。
「玲華さん。俺の遺書も読んでおいてくれ。明日返してくれたらそれでいいから。」
玲華さんの顔を見ると夕映えで顔色が赤くなっていた。

「渋澤君?」
玲華さんのかけてきた声でふと現実に引き戻された。あの時から、俺はハートのチョーカーの意味が分かったわけじゃない。それでも俺はただただ前を見なきゃいけない。そうじゃないと今から向き合う友貴也に失礼だ。
「玲華さん。今から、『天才』を軽音楽部に引き入れるための交渉をしてきます。正直、玲華さんの歌も上手いとは思っていますが、それ以上の実力があると思っています。ただ、ちょっと交渉が難航しそうなんで、玲奈に勇気づけてもらおうと思ってね。」
そう言いながら、俺は大量の『苦しい』と書かれた紙をたたんだ。
「その『苦しい』の紙。私も持っているけど、見るたびに痛々しいわね。」
玲華さんの笑顔も若干引きつっていた。
「いや、俺はこの『苦しい』を『楽しい』に変える。そのために音楽をするんだ。っていう俺の音楽の原点なんだ。だから、俺にとっては痛々しくても大事なものだよ。」
だから、友貴也。お前の『苦しい』をお前の『楽しい』に変える。そのために俺は戦う。お前の心の闇と…。
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