第23話 廻る季節への準備

文字数 4,521文字

俺はいつも通り土曜日の午前から王晴橋の下でベースを弾きながら頭の中を整理させていた。俺の妹たちのバンド、「Raise」に新加入したボーカルの武田さんが大嶋にとってはピアノを辞める原因になった中3の時のダウンに何かしらの影響を与えたのは確か。おまけに、あの日の俺たちの次のイベントの主役だった「Ferio」の真夜さんは俺の1年生の時に良くしてもらった真也先輩だし…色々なことが分かった3月20日だったと実感している。
「…。」
同時に、1年ぶりに政樹くんのベースを聞いてかなり百瀬先輩に毒されてきたなと感じた。あの人は昔からベースで暴れまわるのが大好きな人だ。尊敬するベーシストの名前を聞いてもそういう類のベーシストの名前が出てくるんだ。あまり俺の根幹の「正確なリズムを刻むのベーシストの仕事」っていう信念とは相まみえないと思っていたが、政樹くんのZEEXでの演奏する姿勢を見ていると「正確なリズム」と「暴れまわる姿勢」は両立できるのではないかと感じた。そして、何も動きがないよりはベースも多少動いた方が良いのだろうが…それは自分の衝動で動くもので合って無理矢理意識して動くものなのだろうか…そう思いながら俺はZEEXで披露した新曲「虚像」のベースラインをデモ音源を聞きながら、当日を振り返るように聞いていた。
「お疲れ様です…。」
すると、左肩をトントンと叩かれながらそういう声が小さいながらも聞こえ、俺は音源を止めてイヤホンを外し、見上げるように振り返った。いつも通り、俺が橋の下で座り込みながらベースを弾いているのを彼女が肩を叩いて声をかけるところから2人の練習は始まる。
「お疲れ。木原さん。」
俺らしくないかもしれないが、ニコッと笑顔になりながら話しかけると木原さんもそれに応えてニコッと笑ってくれる。それだけでもささやかな日常の楽しみになっていた。でも、今日はいつもと背負っている楽器ケースが違う。どういうことだろう。
「気づいてくれているとは思うのですが…今日は、楽器が違います。」
そう言いながら、彼女は淑やかに河原にしゃがみ込みながら、楽器ケースを下ろしまだ若干馴れていない手つきで楽器ケースを開ける。そして、その手に持たれているものを見て俺は若干の諦めを感じた。
「あぁ…木原さんもとうとうこっちの世界に来てしまったか…。」
俺は頭を抱えながら木原さんの方向を見る。木原さんの持っているものはもちろん、ベース。黒いベースで裏面に綺麗に緑の龍と紫の蛇のモチーフが彩られている。本人も見えないようなところにこだわりを見せるその姿勢。嫌いじゃないが…よりにもよって
「はい。峰さんに触発されて、5弦ベースを買っちゃいました。」
5弦。どう見ても5つ弦がある。なんで木原さんもこっちの領域に来ちゃったんですかねぇ…。全く。
「俺が言うのもあれなんだけど、いろいろと大丈夫?」
「え…?どういうことですか?」
俺が心配そうに質問すると「何がダメなんですか?」と言いたげな表情で首をかしげていた。初めは、こういう否定するような言葉を使うとすぐにビクッとして「ごめんなさい」と連呼していたとは思えないほど今の態度は自信にあふれている。それだけ俺たちの間でもこの3ヶ月ちょっとで信頼関係がある程度出来ていたということか。そう思いながら俺は5弦、6弦の大変さを説いた。
「どういうことですか…か。うーん、まず。単純に重くないか?」
「はい。4弦の時よりもちょっと重く感じますね。でも、持てない範囲じゃないので問題ないです。」
「それに、音も4弦よりちょっとダークでタイトな音じゃない?」
「それは、バンド全体の音を考えてそういう方向の音の方が良いなって思ったんです。」
なるほどな…。まぁ、そういうことなら大丈夫か。そう思いながら俺は木原さんをジッと見続けた。
「これ、Fenderの日本製モデルをリペイントしたんですよ。どうですか?」
キラキラした目で見つめてくる彼女はまるで新しいスティックやドラム機材を買った時の妹のような表情をしていた。俺も、6弦ベースを初めて買った時の表情がこういう表情だったから気持ちは良く分かる。
「格好いいリペイントじゃないか。ただ、誰からも見えない裏面にモチーフを施すのは…俺は嫌いじゃないが、他の人はどう思うかな。」
「はい。有難うございます。峰さんのそれもリペイントですよね?」
「あぁ。俺のはリペイントつっても、ヤマハの6弦で黒のベースがあるんだよ。それに若干の赤を吹きかけただけだぜ?そこまで綺麗に塗ってないし。」
「でも、そのまだらな赤が結構私…好きです。」
「そうか。有難うよ。」
そう言いながら、俺はまたひっそりと練習を始めようという構えを見せた。
「せっかくなんだ。聞かせてくれよ。その日本製Fenderの5弦ベース。」
「はい、分かりました。」
若干の会話のラリーの後はまた音を聞く。VOXのベースアンプを繋いだ木原さんの5弦ベースは高い音域から低い音域まで唸るように王晴川に鳴り響いた。ベースのプレイスタイルは俺によく似ているとつくづくこの3ヶ月で感じるようになった。俺は2フィンガーを主体に決めるスラップが多くなるのでベースラインで左手が大忙しになるところをさっとこなすのが長所だと考えている。
「…。」
木原さんも黙々と弾いているが3か月間で恐ろしい程成長した。左手の動かし方がぎこちなかった12月から人は3ヵ月もあればここまで成長できるのかと実感した。まぁ、教えているのが左手スルスル動くマンの俺だからっていうのもあるんだろうけども。とにかくもともと苦手だった左手の動きがこの3ヶ月で寧ろ武器になり、もとからあったリズム感が余計に左手を意識しなくなったことでさらに猛威を振るうことになった。ただ、そうなると気になってくるのが右手の2フィンガーの指の使い分けが上手くできていないって感じか?
「ちょっとストップ。」
「はい…。」
「ごめんね、気持ちよく弾いていたところ。」
「いえ…指導を貰いにここに来ているんですから全然かまいません…。」
「ありがとう。それじゃあ、遠慮なく気になったところを」
前置きをしっかり置いたうえで、気になった右手を指導することにした。
「2フィンガーの右手なんだけど、ちょっと気になってね。もう1回ちょっと適当に弾いてくれない?」
「はい…分かりました。」
木原さんはそう言うと2フィンガーで8分音符を刻み続ける。やっぱり意識してみてみると指が第2関節くらいから動いている。これだと指先に力が集中するからすぐ疲れる印象がある。それに、ずっと指の先の方で弾いている。まぁこれは使い分けなのだから話す程度で良いか。
「ストップ。やっぱりそうだな。右手の指の動かし方がちょっと疲れやすい動かし方をしてる気がする。指の真ん中から動かすんじゃなくて、こんな感じで指の根元から動かすんだよ。そうすると、指が疲れにくくなって長時間でも演奏できるようになると思うよ。」
木原さんに右手で動きを見せながら説明した。
「はい…こう…ですか?」
実際に弾いてみると、すぐに修正できている。
「慣れない感覚かもしれないけどこれからずっとベースをしていくなら早いうちに直しておいた方が良いクセだと思うからちょっとそれを意識してみよう。あと、ちょっと楽器借りてもいい?」
「はい…どうぞ。」
そう言われて木原さんからベースを受け取る。5弦ベースなんていつ触ったのが最後か覚えてないなぁ…少なくとも、中学3年までは遡るな。高校に入ってからは6弦ベースしか触ってないし。まぁ、5弦を使わなければ4弦ベースと変わらないから触ってないこともバレないだろう。
「安心して。5弦は触らないから。」
木原さんにそう話しかけた後、人生初の日本製Fenderを触ることになった。俺はこれまでずっとヤマハ党だったのもありベース遍歴はTRBX304→TRB1004J→TRB1005J(親父から借りた)→TRB1006Jと触ってきたベースは全部ヤマハなのでFenderは人生初体験。まぁ、2フィンガーだけだからそんなに気を張ることもないんだけど。
「1,2,3,4。」
4カウントを自分で取って2フィンガーをひたすらにする。やっぱり、TRBを普段から使ってる人からすると他のベースが少し小さく感じる。ここ1年で身長が10㎝近く伸びて今の身長が184㎝。そうなるとこういう普通のベースだとやはり小さく感じる節がある。親父も180越えの大男だし、母さんも160は越えているノッポの家柄だからこそ親父が「2本目はヤマハならTRBにしろ」と言っていた意味がようやく分かってきた。日本製Fenderが普段よりも小さいベースに感じる。
「で、今。木原さんは指先だけを使ってるじゃん。」
指先で2フィンガーをつづけながら話しかけると、木原さんは食い入るように見つめながら首を頷かせた。
「それを、指の腹を使うことで、こんな感じに。」
スッと指先から指の腹に弦を弾かせる場所を変えて音色を変えた。
「こんな感じに、音がちょっと丸くなるんだよ。……分かる?」
説明の後に2小節ほど黙り、確認を入れた。すると、返事がなかったのでちょっと頑張ってみることにした。
「指先、指の腹、指先、指の腹。」
2小節ごとに切り替えて弾けば流石にわかるだろう。木原さんも驚いた表情でこちらを見つめていた。流石にわかったらしい。
「ちょっと、使える機会があったら使ってみてほしい。はい、返すよ。」
正直に言うと、ちょっと緊張した。
「参考になります。」
そう言いながら木原さんが腕時計を見た。すると
「あっ!もうこんな時間ですか。」
そう言われて俺も時計を見ると午前9時半。ヤバい!塾の春季講習の1限が始まる!
「急いで片付けましょう!木原さん!」
「はい、急いで塾へ向かわなければ…!」
そう言いながら俺たちはすぐさま楽器を片付け始めた。


「うーん…さっぱり分からん。」
俺は自宅の部屋でデスクPCの前に座りながらずっと考えていた。
「ただただ歌っているだけでは武田に勝てる可能性は低いかもしれない…なら、俺だけの武器を…」
そう思いながら俺はネット検索で「シンセサイザー」や、「キーボード」と調べ回り、シンセサイザーやキーボードといった鍵盤楽器を導入することを考えていた。なにしろ、作曲している自分の観点から見ると鍵盤楽器を使えることで作曲の幅が広がり、結果として色々と表現できるものが増える。だが、デメリットとしては…俺が何とかして立ち向かわなければならない…しかも、どうしよう。さっぱり分からない。そう思いながらスマホを見ると通知が入っていた。
「浩人 からメッセージが届いています。」
通知からメッセージを開くと
「いきなりごめん。英語の課題の長文を書いてくるってやつ。あれお前はテーマどれにした?」
そうか…春休みだし学校の課題もやらなければ。デスクPCの電源を切り、俺はすぐさま本棚から課題を取り出し、勉強机へと向かった。
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