第二章 決別3「ヒイラギ?」

文字数 2,524文字

 交差点で止まる度に、レオは警察がいないか周囲を見回していた。セーヌ川沿いの道なりには陽光が差し込み、遠くの看板がソレイユ高速道路を示している。
「フランスにはいつ来たの?」
 静けさに包まれた車内で、平静を装って由美子に語り掛ける。
「四年前かな。パリの大学で学びたくてね」
 そういって、由美子が後部座席から身を乗り出した。
「専攻は?」
「薬学」
「それじゃぁ、仕事は薬剤師とか?」
「そういえば、店に寄ってたよね」
 バックミラーを通して、由美子がクロードに視線を送る。目を合わせることもなく、彼はセーヌ川を眺めていた。
「…けど、丁度、辞めようかなって」
 そう呟くと、座席の間から手を差し出した。
「柊由美子」
 クロードがその手を見つめる。
「ヒイラギ?」
「そういえば、言ってなかったね。私、柊っていうの」
 由美子が手を伸ばしたまま、レオに語り掛ける。彼女の手を握ろうとしないクロードを見かねて、レオが口を開いた。
「クロードっていうんだ。クロード・ユスターシュ」
「クロードね、よろしく」
 膝に置かれたクロードの手を握ると、由美子はそう語り掛けた。前の車が赤いテールランプを灯し始め、レオがブレーキに足を掛けた。その振動に身を任せるように、由美子が後部座席に腰を降ろす。徐々に速度を落としていくと、前の車は完全に停止し、レオも車を停めた。周囲は高架下に囲まれて抜け道もなく、窓を開けて前方を眺めると、同じくテールランプを灯した車が何台も並んでいた。その先の標識に視線を送ると、そこにはソレイユ高速道路の文字が綴られていた。
「何かあったのかなぁ」
 窓を開けて由美子が遠くを見つめる。後続車がメガーヌ・ルノーに幅寄せし、後戻りができなくなった。
「検問所みたいだね」
 腰を降ろしながら由美子が呟く。それを耳にすると、レオは腰に手を回して、Glock18の質感を指先で確かめた。由美子に気付かれないようそっと引き抜き、扉と座席の間でそれを握り締める。
「この街も最近は物騒になったよね。立て籠もりとか、色々あったし」
 何も知らない由美子が他人事のようにそう呟いた。道路の両脇には赤いコーンが並び、その先にパトカーが二台駐車している。遠くの車がパトカーの横に並ぶと、運転手は窓を開けて免許証を提示していた。その奥にも追跡用のパトカーが一台待機していて、遠くからでも運転席と助手席に、警官が腰掛けているのが一目でわかった。
 車が次々に検問所を抜けていき、目の前の運転手が白人警官に免許証を受け渡している。レオはポケットから財布を取り出し、免許証を引き抜いた。警官が免許証を受け渡すと、前の車が走り去る。前進するよう合図を送られ、ゆっくりとアクセルを踏み込む。警官の横に車を付けると、頬を緩ませて窓を開けた。
「免許証を」
 サングラスを掛けた白人警官が車内を覗き込む。扉の影に隠し持ったGlock18を下げながら、レオが免許証を受け渡した。
「行き先は?」
 免許証を眺めながら、警官が呟く。
「カンヌだよ。映画祭に行こうと思って」
「…そう。君は、俳優かなにか?」
「まぁ、そんなとこかな」
 レオがそう呟くと、警官はクロードと由美子を一瞥した。
「今のうちに顔を覚えておきな、後で自慢になるかもよ」
 そういって微笑み掛けると、由美子は警官にウインクを送った。それに答えるように軽く頬を緩ませると、警官は再び免許証に視線を落とした。レオと見比べながら視線を上下させ、納得するような素振りを見せると、免許証を閉じる。
「長旅になるから、気を付けるんだよ」
 免許証を差し出すと、警官が呟いた。
「なにか事件でも?」
 それを受け取りながらレオが問い掛けると、警官は小さく溜息を零して口を開いた。
「市内で強盗殺人があってね」
「強盗殺人?」
 驚きを隠すように、レオが聞き返す。
「あぁ、そうだよ」
「地区は?」
「付近の住宅街」
 血まみれのセレナが脳裏に浮かぶ。
「それで、手掛かりは?」
 レオの執拗な質問に、警官は薄笑いを浮かべた。
「そこが問題でね。通報した男が金品を盗まれたってだけで、他にはなにも」
「でも、それじゃぁ、検問の意味は?」
「…うぅん。難しい質問だね」
 そう呟くと、警官は身を乗り出し、内輪話だと悟らせるよう辺りを見渡した。レオがGlock18を座席の奥へと沈ませる。
「市長が赴任してから、まだ日が短いだろ。…だから、形だけでも見せておかないとね」
 そう言い捨てると、彼は頬を吊り上げ、サングラス越しにウインクを送る。
「なるほどね。それはご苦労様」
「これも人生さ。良い旅を」
 再び車内を覗き込んで由美子に微笑み掛けると、彼は車を前進させるよう合図を送った。アクセルを踏み込むと、レオは窓を閉じた。追跡用のパトカーに視線を送ると、冗談を言い合ったのか、警官達がハンドルを叩いて笑い声を挙げていた。それを確認すると、Glock18を腰元に戻し、レオは小さく溜息を漏らした。
「君は、俳優かなにか?」
 由美子がいたずらっぽく問い掛ける。
「何か問題でも?」
 そう笑い返すと、由美子は微笑みを見せて、遠くのセーヌ川を眺め始めた。
 高速道路へと続く車線に乗ると、煙草に火を付けて、レオは検問所でのやり取りを思い返した。警官が言うには、セレナは死んだ。それが事実だとしたら、自分の銃で彼女は死んだのだろうか。出血大量によるショック死か、致命的な臓器を撃ち抜いていたのか。いずれにしても、彼女は死んだ。けれども、さっきまでの動揺が嘘のように、至って冷静にその事実を受け入れている。クロードを横目で盗み見ると、彼もその事を然程気に掛けているようには思えなかった。人を殺すとは、そんな物なのだろうか。視線をフロントガラスに戻すと、レオは頭の中でそう呟いた。料金所を抜け、煙草を外に投げ捨てる。食事や睡眠や排泄のように、一度慣れてしまえば、人を殺すことも日常の一部となってしまう。…そんな物なのだろうか? そう自問を続けながら、レオはアクセルを踏み込んで、遠くへと続くアスファルトの道を眺めていた。
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