第五章 不誠実3「どうしたんだい? 銃なんか手にして」

文字数 2,059文字

「まったく、どうして日本は科学に対する理解が希薄なのかね。議論を避けるのに、規制、規制、規制って。本当、どうかしているよ」
 両手に抱えた書類に目を通しながら、白衣姿のアジア系中年男性が部屋に入ってきた。
「今朝トキョーから連絡があって、受精卵の取り寄せをキャンセルされた。その男は言っていたよ、日本は規制が厳しくなったって。だがね、ニューヨークに電話したら即座に交渉完了だ。まったく、こんなグローバルな時代に何が規制だ!!」
 そう言い切ると、机に近づいた中年男性は、視線を上げてアランの顔を覗き込んだ。禿げかけた頭部には白髪が入り交じり、薄汚れた老眼レンズには乳白色のミラーが掛かっている。
「どうしたんだい? 銃なんか手にして」
 男が声を掛けると、アランが顎で遠くを示した。その先へ中年男性が身体を向ける。
「…これは酷い」
 焼き爛れたセレナに気が付くと、抱えていた書類をアランに受け渡し、男は彼女のもとへ歩み寄った。その書類を一枚ずつめくり、アランが目を通していく。月面クレーターのようにポッカリと黒ずんだ頬や、赤く腫れた頭皮の火傷具合を、男は注意深く眺め回した。遠のいていく意識を必死に保とうと、セレナは佇んでいる。ずり落ちた眼鏡を押しやると、男は彼女の前に跪いた。
「資料はこれですべてかな? …斉藤」
 そう呟くと、アランは手元から視線を上げた。背中を向けている斉藤は、胸ポケットからビニール手袋を取り出していた。
「あぁ、そうだよ。それですべてだ」
 手袋をはめると、セレナのショートパンツと真っ白なパンティーを、斉藤はずり降ろした。
「…君の戸籍抄本は?」
 セレナの股を拡げる斉藤に、アランが語り掛ける。
「その件だがね。国籍を偽造する位なら、君の方で準備できないのかね?」
 書類の束を机に放り投げると、アランは煙草を取り出した。
「日本の戸籍抄本は特殊だと、何度も言った筈だけど…」
 それに火を付けて、煙を吐き出す。
「…まぁ、研究を白紙に戻すなら関係ないけど」
「君は移民排斥運動をどう思うかね?」
 突如と語気を強めて呟きながら、斉藤はセレナの性器に指を入れた。
「私は政治や経済難民でもなく、先進国から帰化しようとしている。…まぁ、あの国に望む物なんて何もないがね」
 衰弱したセレナは抵抗も出来ずに、指を押し込まれていく。
「…けど、時々思うんだよ」
 斉藤は彼女の顔を覗き込み、表情の変化が見受けられる箇所を集中的に突き始めた。
「自由、平等、博愛を掲げるこの国」
 朦朧とした意識の中でセレナは唇を噛み締めた。こんな状況でも身体が反応することに悔しさが込み上げるが、拘束されている絶望感に捕らわれ拒絶する意志までもが削がれていた。
「そんな国でも確固たる信念なんて物が、何かの拍子で、形骸的な物だったと気付いてしまわないか? ってね」
 性器から分泌液が滴り落ちると、斎藤は指を抜いた。小銭をねだるように擦り合わせ、指先を離して糸を引かせる。それを見届けると、振り返って指先をアランに見せつけた。
「性器は十分に機能している。まさに、受精卵の製造工場だ!! この女は利用できるぞ!」
 指先を掲げながら、昆虫を見つけ出した少年のように、斉藤は嬉々とした表情を浮かべた。タバコの煙を吐き捨てると、アランは再び書類の束に視線を落とす。
「…戸籍抄本は、封筒に入っているよ」
 躁鬱患者のように覇気を失った声で斉藤が呟く。アランが書類の束をめくり上げる。
「君を信頼するよ。私も最近は、老いに蝕まれているのだと自覚し始めた。そして、死がそう遠くないこともね。だから、この研究に必要なことなら、君の言うことに従うよ。…それがどんな手段だろうともね」
 そう告げるとビニール手袋を外して、斉藤はパンティーを戻そうとセレナの膝元に屈んだ。
「…変態おじさん」
 僅かながらの誇りを滲ませてセレナが呟く。斉藤が彼女を見上げた。
「……あの男には、気を付けなよ…」
 老眼レンズが真っ赤に覆われた。何が起こったのかわからず、眼鏡を外して、斉藤は再び彼女を見上げた。滲んだ視界の節々で赤く染められた空間がうごめきながら拡張し、それを細胞分裂を繰り返す胚の様だと、斉藤は思った。ハンカチを取り出し、レンズに付着した赤い液体を拭い取る。パイプオルガンの音色と、それに調和するソプラノの歌声が聞こえてきた。そのメロディーは漆黒の森を彷徨い続ける女の姿を連想させる。ハンカチを仕舞うと、眼鏡を掛けながら、斉藤は顔を上向かせた。そこには、胸から血を溢れ流すセレナが息絶えていた。腹部へと伝う赤い液体が分泌液で濡れた性器に辿り着くと、それを処女のように赤く染めていく。そんな様子を見届けると、斉藤は膝に手を着いて立ち上がり、アランに視線を送る。
「…近々、遠出することになる」
 Glock18からサプレッサーを取り外すと、アランは事務的な口調でそう呟いた。
「君の研究が、どれ程の価値なのか知る為にもね」
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