第一章 宿命2「…実は、少し問題があってね」

文字数 1,698文字

 裏通りを抜けると鉄の柵門に辿り着いた。レオが車から降りて鍵を開ける。柵門を越えると、車は規則的に敷き詰められた石畳のアプローチを徐行していく。柵門を閉めると、テールランプの赤い光を浴びながら、レオは屋敷を見上げて歩き始めた。外壁はナツヅタに覆われ、青く塗られた屋根は夕闇に埋まっている。二階には横に線を引くようにベランダが連なり、右側の部屋だけ照明が灯されていた。
 トランクを開けると、アランがバッテリーケースの入った紙袋を手に取った。それをレオが受け取ると、階段を駆け下りる足音が聞こえて、玄関の照明が灯される。キュキュッと車のロック音が鳴ると、二人は玄関ポーチを上がって扉に手を掛けた。
 玄関フロアの先には幅広い階段があり、踊り場を境に左右に分かれている。一階の左手には玄関側からキッチン、リビング、バスルームと分かれ、右側は客間、空き部屋と続き、その先には地下室へと通じる鍵の掛かった扉があるが、それが開かれたのを、レオは一度も見たことがなかった。
 グラスの割れる音がキッチンから鳴り響く。すぐさま悪態付くセレナの声が聞こえてきたが、アランは気にも掛けずに階段を昇り始めた。レオもその後を付いていき、踊り場を左に反れると更に階段を昇っていった。
 扉を開けるとローテーブルを囲むように黒革のソファーが置かれ、その奥には日本から取り寄せたという松の木を描いた水墨画の屏風が立て掛けられている。
「ここに、置いといてくれ」
 ローテーブルを指差してそう呟くと、アランは屏風の奥へと向かった。言われた通りレオが紙袋を置くと、ウィスキーグラスとマッカランの瓶を手にしてアランが戻ってくる。
「…実は、少し問題があってね」
 差し出されたグラスをレオが受け取ると、そこに琥珀色のマッカランが注がれていく。
「コルシカで揉め事が始まったって、連絡があった」
 そう呟くと、アランは自分のグラスにマッカランを注いでいく。
「盗聴を恐れて暫くは連絡を絶つらしい。だから、落ち着くまでここで保管しようと思っている」
「でも、あまり長い間、置かない方がいいんじゃないの?」
 それを耳にすると、アランは再び屏風の奥へと向かった。レオが舐めるようにマッカランを口にする。胸元に熱を帯びながら、ほのかな甘みが口の中で拡がっていく。引き出しが擦れ合う音が聞こえると、黒革の手帳を掲げてアランが戻ってくる。
「ここに、買い手のリストが記されている」
 その手帳をローテーブルに投げ捨てる。
「連絡を取れば、欲しがる奴は直ぐにでも見つかるよ」
 そう呟くと、アランは一息にマッカランを流し込んだ。突如と屠殺された豚が脳裏に浮かび、レオはウィスキーグラスに視線を落とした。どうして、そんな物を思い出したのか考えを巡らせながら、琥珀色の液体とそこに浮かぶ照明の光を見つめていた。売り捌かれていく薬と、食肉として加工されていく豚の映像が混ざり合い、フラッシュバックのように、必死にアルバイトで小銭を稼いでいた自分の姿が現れる。すると、空腹感に似た感覚に襲われて、これは一体何だろうかと、レオは思った。
「だから、少し休んだらどうだ」
 そう語られてレオは顔を上げた。
「買い手が見つかっても半月は動きもないだろうし、二、三日したら休んでも問題ない。もし、行きたい場所があれば費用は渡すよ」
 そう言われても、訪れたい場所を思い浮かべることが出来ず、空腹感に似た思いが更に深まっていく。
「美術学んでいた位だから、映画は好きだろ?」
「…まぁ、それなりに」
「映画祭も始まる頃だし、一度、南仏の街でも行ってみたらどうだ?」
 そういうと、アランはソファーに座り込んで煙草に火を付けた。レオがマッカランを一息に流し込む。脳内に霞が掛かったように思考が曖昧になり、豚の姿や空腹感が消え去ろうとしたが、それを忘れてはいけないような気がして、グラスをローテーブルに置く。
「考えとくよ。今日は帰るね」
 煙を吐き出すアランにそう声を掛けると、彼は何も言わずに右腕を小さく掲げた。その姿を見届けると、レオは扉に向かって歩み始めた。
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