第八章 穢れた叡智2「そこに私が必要なのかね?」

文字数 3,010文字

 電話を終えたアランがコーヒーを口にすると、ベーコンレタスバーガーを抱えたウェイトレスが現れた。乱暴に皿と伝票を置くと、苛立ちそうに鼻を鳴らしてウェイトレスは立ち去った。
「彼女に好かれたようだね」
 アランが皮肉めいた冗談を口にすると、斉藤は肩を吊り上げて溜息を漏らした。
「あぁ、私も、まだまだ現役だよ」
 そう呟くと、斉藤は喉を潤すようにコーラを口にした。
「ところでだね。一つ確かめておきたいことがあるんだが…」
 ストローを離して語り掛ける。アランは頭を傾けて、斉藤の話を促した。
「…まぁ、つまり。君は以前、研究価値を知る為に遠出すると言った。それを聞いて、私はてっきり、あの同性愛者達に会いに行くと思ったんだが、…旅券はニースと書いてあって…」
 コーヒーを啜ると、アランはカップをテーブルに置いた。
「いやっ、疑っているとか、そういう訳ではないんだがね。ただ、少しばかり…」
「由美子という女から、金を受け取る」
 斉藤の言葉を遮るように、アランが呟く。
「薬で得た金を女が管理していて、それをコート・ダジュール空港で受け取ることになっている」
「…けれども、そこに私が必要なのかね?」
 淡々と語るアランに対して、斉藤が口を挟む。それを耳にすると、アランは何かを諦めるように小さく溜息を零した。
「ここ数年、私は君に投資してきた。その結果は予想以上の成果を生み出していることは、私も認める。確かに、君の研究には幾ばくか法の規制があるとは故、その科学的価値は今後数十年揺るぎない物だと信じている」
 お世辞を匂わせているのは感じたが、斉藤は悪い気はしなかった。
「…ただ、つまらないことを言うようで申し訳ないけど、少し金が掛かりすぎた。君が無駄に受精卵を取り寄せているとはいわないが、私の資金も無限にある訳ではない。そこで、私達が如何に危険を冒して資金を調達しているのか、垣間見て欲しいと思ったんだ。それに、今後も由美子には動いて貰うことになるだろうし、その挨拶も兼ねてね」 
 その話しを聞いてもどこか腑に落ちない気もしたが、資金の話しを持ち出され、これ以上詮索すべきではないと、斉藤は悟った。
「それなら、安心したよ。私も、金に関しては頭があがらないからね」
 頬を吊り上げるように微笑むと、ベーコンレタスバーガーを手に取った。
「私からも、いくつか質問させて欲しい」
 肉汁で唇を濡らしながら斉藤が頷く。
「帰化の偽造に関して、辻褄を合わせておきたくてね」
 そう呟くと、アランは身体を前のめりにさせた。
「まず始めに、帰化を望む理由として、日本での多額な受精卵の売買によって有罪判決を受けたが為に、学者としての権威を国内で失った。その後、帰化申請を求めて役所に赴いたが、前科があることで許可が下りなかった。その為、今までの戸籍や経歴をすり替え、フランス国籍の学者として新たな生活を望んでいる。…間違えないかな?」
 その話題を煩わしそうに受け流し、斉藤は頷く。
「それと、パリの大学を出た後、暫く臨床に携わっていたが、具体的にはどのような分野で?」
 マスタードで汚れた指先を紙ナプキンで拭き取ると、斉藤は口に残ったベーコンレタスバーガーをコーラで流し込んだ。
「形としては産婦人科としての下積みだよ。…だがね、年に数回だけ、体外受精や代理出産にも関わっていた。そしたら、時代の流れも荷担してか、依頼する患者が増えてきてね。段々と、そっちがメインになってきたんだ」
 斉藤が当時の事を回想し始めると、アランは注意深く耳を傾けた。
「…だが、正直困ったよ。当時、その分野はメジャーな医療として浸透していなかった。ということはだな、絶対的な医者不足に陥るだろ? だから、私もフランスの至る所に飛んだよ。もう、通常の出産に立ち会うのは稀なことでね。医師仲間とは、今日もゴーストマザーか? って、言葉が通用した位だからね」
 ぬるくなったコーヒーを啜ると、それが口の中で異様な酸味を放ち、アランは眉を歪ませた。
「けれども、それが帰化と関係するのかね?」
 半分程残っていたベーコンレタスバーガーを手にして、斉藤が問い掛ける。
「いやっ、経歴が残っているとしたら、早い内に削除しておきたくて」
 カップを置きながら、アランが答えた。
「…あぁ、そういうことなら、大丈夫だよ」
 それを聞いて、小さく首を傾げる。
「…つまり、私の施術は、全てグレーゾーンだった。って、ことだよ」
 そういってにやけると、斉藤はベーコンレタスバーガーを頬張った。俯いて口を閉ざすと、アランは煙草に火を付けた。
「しつこいようで済まないけど、あと1つだけ聞いても良いかな?」
 煙を吐き捨て、アランが視線で斉藤の話を促す。
「…まぁ、君が依頼したんだから、安心だとは思うがね…」
「遠慮無く、要点を言って欲しい」
 灰皿の淵で煙草を叩きながら、アランは呟いた。
「つまりだな。由美子という女が金を持って逃げ出すとかは、考えられないかね? 君も経験あるだろう? 女はどこか、衝動的な生き物なんだって」
 それを聞くと、煙草を灰皿に挟み、アランはiPhoneを取り出した。
「それは、わからない。女性も変わりつつあるからね。…けど、彼女を見失うことはないよ」
 そう呟くと、現在地、レーダー、地図、リーシュと書かれたアプリをアランは立ち上げた。
「Astray Sheep Findというアプリで、彼女に取り付けた発信器をGPSが探知して、現在地を表示してくれる。…まぁ、今となっては単純な構造だけどね」
 アランが試しに現在地のボタンを押してみると、南仏の地形が表示され、点滅を繰り返す青い光が、海岸の道を南東へと移動する様子を表していた。
「Astray Sheep Findねぇ…」
 それを眺めると、迷える羊を見つける。という訳語を、斉藤は思い浮かべた。悪趣味な名前だと思って、鼻で笑う。
「ジェームズ・ボンドも驚きだろうね。今じゃ、電話で人を探せるんだから」
 そういうと、斉藤はベーコンレタスバーガーの残りを口の中へと放り込んだ。紙ナプキンで唇を拭い、氷で薄まったコーラを流し込む。時計を一瞥すると、アランは財布を取り出した。
「…君にも、あの男が見えるかね?」
 空になったグラスを置くと、そう言って、斉藤は入り口付近を指さした。会計皿に紙幣を置き、アランが視線を送る。そこには、チューニングの乱れたギターのような声で、男が金をせびっていた。
「…私の研究は、彼らのような人間を、蔓延らせない為にも必要なんだよ」
 それを耳にしてアランが視線を戻すと、斉藤の瞳は魂を奪われた聖者ように硬直していた。
「…それは、彼らにとっても福音だとは思わないかい? 多少の遺伝子操作を行うだけで、正常な人間として社会に受け入れられるんだからね」
 斉藤の瞳孔が縮こまり、みるみると充血していく。
「それだけじゃない、潜在知能を高め、理想的な容姿を作り出し、子どもを欲している有能な人々に彼らを受け渡しさえすれば、汚物にまみれた街の片隅で、絶望を刻み続ける人間達を、永遠に追放することが出来るようになる。…私は嬉しいよ。そんな社会を実現させる叡智を…、…神は……我に…、…授け給うた…。…私は嬉しいよ…。…とても…嬉しいんだよ…」
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