第五章 不誠実2「…それじゃあ、本題に入ろうか」

文字数 1,688文字

 炎がジリジリと音を立てながらセレナの頭皮を焼き始めたとき、アランは足下に置かれていたバケツを手に取って、水をぶちまけた。皮膚に染み入る痛みに耐えながら、セレナは胸を膨らませて呼吸を整える。バケツを投げ捨てると、アランは再びジャック・ダニエルを手に取った。
「…それじゃあ、本題に入ろうか」
 それをグラスに注ぎながら机に寄り掛かる。
「いつから薬に戻ったんだ?」
 アランが上着を掃けるように腰に手をあてると、Glock18の拳銃がセレナの目に止まる。記憶を引き戻すように、セレナの右太股から激痛が走った。視線を落とすと、乾いた血が太股から足首まで覆い尽くしていた。
「アラン、なに言ってるの?」
 声帯を振るわす度に、痛みが全身を駆け巡り、銃を掲げるレオが脳裏に過ぎる。
「私は、…もう長いこと絶っている。あなたも知っているでしょ?」
「あぁ、君のことは知っているよ。毎週金曜の11時頃、私の部屋に訪れているということもね」
 痛みに抑えながら、瞳に浸み込む水滴を払おうとセレナは顔を振った。焼け残った髪が灰となった新聞紙の様にヒラヒラと舞う。
「三年前、薬を絶つことを君は約束した」
 グラスを手にしながら壁際の本棚へと近づくと、アランはCDコンポをいじり始めた。
「それを信じた私が、愚かだったのかな?」
 スピーカーから低音のパイプオルガンが流れ出す。顔を俯かせ、セレナは毛先から滴る水滴を見つめていた。両腕を拘束され、焼き切れたブラジャーはずり落ち、乳房は露出されている。頬から頭皮に掛けて火傷を負い、太股には銃弾が食い込んだままだった。…こんなことする必要ないじゃない。パイプオルガンの音色と調和するように、ソプラノで女が歌い始める。
「…だからって、こんなことする必要ないじゃない」
 その歌声を掻き分けるように、セレナが吐き捨てた。それを聞くと、グラスを手元で回しながら、アランがセレナのもとへと歩み寄る。
「必要ないって?」
 小さくそう呟くと、彼女の前で立ち止まる。
「それを決めるのは、…君ではなく、俺だ」
 メインボーカルの背後から、度重なる女の歌声が波のように押し寄せてくる。セレナはその曲を誰かのレクイエムだと思った。歌声達が一時の盛り上がりを越えようとする頃、アランは突如と吹き出して笑い声を上げた。
「“君ではなく、俺だ”だってさ。まるで、フィルムノワールの名優にでもなったような気分だよ。君も観たことあるだろ? ハンフリー・ボガートやジャームズ・ステュアートが出演している映画を。ニコラス・レイや、オーソン・ウェルズ。フィリッツ・ラングに、ハーワード・ホークス」
 淡々と言葉を連ねるアランは、グラスをセレナの顔の前に突き出した。
「職業柄、一度はこんな台詞を言ってみたかったんだよ」
 それをゆっくりと傾けて、弾痕に垂らしていく。エクスタシーを噛み締めた雌猿のような叫び声をあげて、セレナが痛みを訴えた。スピーカーから高音を奏でるバイオリンとソプラノが流れ出す。それが朦朧とした意識の中へと染み入ると、セレナは酷い吐き気と目眩に襲われた。
「…ところで」
 アランが空になったグラスを放り投げる。
「ところで、この傷はどうしたのかな?」
 サプレッサーを取り付けたGlock18を腰から抜き出すと、アランはハンマーを引いてセレナの太腿に銃口を向けた。鈍り掛けた視神経がその光景を捕らえると、セレナは銃口から逃れようと身体を大きく揺する。
「やだ!! やめて、やめて!!」
 小動物を追う猟師のように、アランが銃口の先を動かす。
「それに、どうして銃弾を食らった女が、俺の部屋で倒れていたんだろうか?」
「撃たれたの!! …撃たれた。それ以外、考えられないでしょ!!」
「それなら、レオに会ったんだな?」
 セレナが瞳を見開いた。
「…どうして、レオだってわかるの?」
 擦れた声でそう呟くと、アランがハンマーを戻す。
「何か話したか?」
 そう呟きながら弾倉を取り外し、アランが銃弾の数を確認していると、壁を叩き付けるように扉が開かれた。
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