第三章 秘密8「…私の質問に答えて」

文字数 2,519文字

 狭苦しい通路の壁には、裸の女がカラシニコフを構えたポスターが貼られている。おぼつかない足取りで、ラリーはその通路を歩いていた。突き当たりに辿り着くと、左側に鉄扉があり、赤いペイントで〝危険〟と書かれたプレートが貼られている。ドアノブに手を掛けると、ラリーはピンクの花びらが床に落ちているのに気が付いた。それを足先で掃けて、扉を開ける。
 回収装置はひっきりなしに回転し、規則的な機械音を響かせていた。その横の通路を歩いて行くと、ラリーは三つ目の回収装置だけ止まっているのに気が付いた。すると、隣のレーンから地響きのような轟音が鳴り響く。…くそったれ。ピンが弾き飛び、耳を塞ぎ込んだラリーが苛立ちを込めて呟いた。
 膝を着いて、落とし穴を覗き込むように回収装置を見渡す。するとそこには、大型のファンにビールケースが挟まっていて、それが回転を押し止めていた。不思議に思いつつも、揺らめく視界を振り払うように、ラリーはビールケースに手を伸ばした。回収装置が動き出し、機械音が鳴り始める。抱えていたケースを床に降ろし、足をだらしなく広げた。煩わしそうにケースを覗き込むと、そこには血痕を滲ませたピエロのマスクが大量に押し詰められていた。
「私が仲介した人、全てあそこに送り込んでいたの?」
 革手袋を着けた由美子が、銃を掲げてそう呟く。振り向くと、ラリーは両腕を挙げた。
「どうしたんだよ、由美子?」
「…質問に答えて」
 眉間に銃口を向けられると、ラリーはすぐさま諦めを滲ませて由美子を見つめた。
「…薬を売り捌くなんて古いんだよ」
「あんなパーティーの方が、古めかしいんじゃない?」
 ラリーが鼻で笑う。
「あんなの、ただの小遣い稼ぎだよ」
「人を売っといて、小遣い稼ぎ?」
「どの口が言っているんだ!? 由美子?」
 ラリーがそう叫ぶと、由美子はゆっくりとハンマーを引いた。
「今までの子達は、どこに行ったの?」
「だから、情を持つなって…」
「どこに行ったの!!」
 銃口を突き出して声を荒げる。呆れた表情を浮かべると、ラリーは卑しい笑みを滲ませた。
「あんなパーティーは大して重要じゃない。退廃気取りの金持ちが、高揚感を楽しむ道楽に過ぎないんだよ」
「…私の質問に答えて」
 肩を落とすと、ラリーは深く溜息を零した。
「言っておくが、君もこの仕事に携わっていたんだからな」
 眉をつり上げ、由美子は小さく首を傾げた。言葉を選び取るように、ラリーが口を開く。
「あそこで射精させられた女達は、暫く経過を見てから医師の診察を受けさせる。そこで受精卵が確認されると、彼女達を引き渡すことになっているんだ。どこでかは知らないが、恐らくそれを取り出す手術を行っているんだよ。俺も医師達を取りまとめている奴らのことは、よくわからない。…だけど、あいつらは膨大な資金を持っている。受精卵の価値も年々高騰しているが、それでも買い取ってくるんだからね。…そんな奴らに女の行方を聞いたところで、まともな答えが返ってくるとは思えないだろ?」
 そこまで言い切ると、ラリーは目元を緩めた。
「…これが、君の行ってきたビジネスなんだよ」
 銃口を掲げたまま、由美子は口を閉ざしている。
「君も金を受け取り、それで仕事が回っていた。だから、それらの商品がどんな組織に手渡されようと、仕事は仕事だ。そんなこと、いちいち気にしていたら、君だって困るだろ?」
 ラリーが掲げていた腕をゆっくりと降ろしていく。
「俺達もあんなパーティーに来るような奴らと、なんら変わらないんだよ。金を得る為には、必ずどこかに犠牲が生まれる」
 身動きもせず、由美子は銃を握り締めていた。
「だから、わかっただろ? 由美子。ここで俺を殺したところで、何にもならないってことなんだよ。確かに、俺が多く受け取っていたことは認める。事務所に戻れば、今までの分をちゃんと支払うよ」
 隣のレーンから地響きが轟く。
「なぁ、そうだろ? 由美子。…俺達は、重要なパートナーなんだからさ」
「パートナー?」
 由美子が小さく呟いた。
「パートナーに、秘密事があっていいのかしら?」

 入れ墨を施した男が歓喜をあげてブロンド女とハイタッチを交わした。
「おい、ジョナタン。勝負事には運も必要だからな」
 ジョナタンにそう語り掛けると、男はレーンを指さした。未だにレバーは降ろされ、ピンも置かれていない。
「ラリー、頼むよ。直してくれないか?」
 ジョナタンが無線ボタンを押して語り掛けたが、さざ波のような電波音が返ってくるだけで、応答する気配は全くなかった。ジョナタンが、苛立ちに任せて回収ボタンを連打した。すると、ガタンッと音が鳴り響き、レバーと入れ替わるように、ピンを挟んだクレーンが降りてきた。
「運がなんだって?」
 ジョナタンが笑みを零しながら入れ墨の男に呟く。男は両腕を開け広げ、なんでもないさ。とでも言いたげなジェスチャーを見せて笑い返した。電光掲示板が投球を促す点滅を始める。整然と並べられたピンを見つめながら、ジョナタンは配給装置の玉を磨き始めた。コースを見極めながらそれを持ち上げ、レーンに歩み寄ると、手探りでフィンガーホールに指をはめようとした。すると、生暖かい液体が手のひらに張り付く。それに気が付き、ジョナタンは視線を落とした。するとそこには、赤黒い液体がこびり付き、よく見ると、腕元やTシャツにもそれは貼り付いていた。ベンチから女達の悲鳴が挙がる。振り返ると、配給装置のベルトコンベアーから噴水のように鮮血が飛び散っていた。ブロンドの髪が赤く染まり、脂ぎった固形物が男の顔に貼り付く。怒号に満ちた声を挙げて、彼らはベンチから逃げ去った。ガチャガチャッと乾いた音を鳴らして、ベルトコンベアーがうごめいた。ジョナタンはそれを呆然と見つめていた。音が激しさを増していくと、一時の静寂が訪れる。チェーンが配給装置から飛び出し、放物線を描きながら、血の海と化したベンチへと向かっていく。ポチャッと音をたてると、砂地獄に飲み込まれるように、十字架のネックレスは鮮血の中へと溺れていった。
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