第三章 秘密2「…甘く見ないでよ」

文字数 1,731文字

「…待っていたよ、由美子」
 黒いストライプのシャツに十字架のネックレスをぶら下げたラリーが、事務机の上に足を組んだ姿勢でそう呟いた。蛍光灯の薄暗い灯りには黒いケシのような虫達が飛び交い、ガラスの灰皿には吸い殻が溜まっている。由美子がシルバーの腕時計を確認した。
「時間通りだと思うけど」
 ラリーは鼻で笑って事務机から足を降ろした。ミアに扉を閉めるよう促し、立ち上がって彼女を眺め回す。
「パスポートは?」
「受け取っている」
「今回が初めて?」
「そうらしいけど、問題はなさそう」
 由美子の返答を聞きながらラリーが査定するようにミアを見つめると、ジーパンのポケットから輪ゴムでまとめられた100ユーロ紙幣の束を取り出した。
「君には明日ニューヨークに行ってもらう。聞いているとは思うけど、簡単な仕事だよ。ワインボトルを二本、旅行鞄に詰めて空港で受け渡す。その後、二日程滞在し、戻ってくれば、それで終了だ」
 そういうと、ラリーは弾き出した数枚の紙幣を、ミアに差し出した。
「事務所を出て左にベッドとシャワールームがある。今日はそこで泊まって欲しい。それと彼女と一緒にしゃれた服を買い揃えてくれ。前金は明日の出発前に渡す」
 疑い深い表情を覗かせながら、ミアが手を伸ばした。
「…そうだな。君は明日から、ニューヨークに恋人を尋ねに行くパリジャンヌってとこだよ」
 そう呟くと、ラリーは紙幣から指先を放した。事務机に置かれたマルボロを手にすると、由美子が机にもたれながら火を付ける。
「彼と話しがあるから、その部屋で待って貰える?」
 面倒見の良い姉のように語り掛けると、ミアは頷いて事務所から出て行った。
「どこで見つけた?」
 扉が閉まると、由美子に差し出されたパスポートをラリーが受け取った。
「…秘密」
「あまり情は持つなよ。…後で面倒になるから」
 それを見開きながらラリーが呟くと、煙を吐き出して由美子が呟く。
「…甘く見ないでよ」
 小さく溜息を漏らすと、ラリーはパスポートを閉じて由美子に視線を向けた。
「それで、話しって?」
「彼女が終わったら、少し休もうと思う」
「休むって、どういうことだよ?」
 煙草を灰皿に押し付ける。
「あなたの所に、人を受け渡すのをやめるってこと」
 それを聞くと、ラリーは腕組みをしながら眉間に皺を寄せた。
「別にあなたが悪いとかそういうのじゃない。…ただ、少し疲れただけ」
「やめてどうするつもり?」
「…さぁ、わからない」
 パスポートが事務机に放り投げられた。その音に由美子が視線を送る。
「君のような人材を失うのは、正直惜しいよ。…けど、俺も頭の堅い奴にはなりたくない」
 そういって、ラリーは再び100ユーロ紙幣の束を取り出した。
「これで、十分羽を伸ばしてきな。気が向いたら、また戻ってくればいい」
 数枚の紙幣を抜き取り、束の方を由美子に差し出す。
「また、なんて期待しないで。…それと、言ったでしょ? 甘く見ないで、って」
 差し出された紙幣を退けるように、由美子はラリーの横を通り過ぎた。扉を開けて事務所から出て行く。扉が閉まり切るのを確認すると、ラリーは直ぐさま電話を手に取った。通話ボタンを押して、受話器を耳元に押し当てる。
 若い白人男性が、電話をしながらベッドルームに向かう由美子を目で追っていた。通話を終えると、すぐさまiPhoneをカメラモードに設定する。そして、隣の男に耳打ちをしてボウリングの玉を受け渡した。事を理解したように、その男は投球フォームに入る。由美子とミアがベッドルームから姿を現す。放たれた玉はレーンの中心を反れたかの様に思えたが、半分程通過すると回転に従うように急カーブを始め、先頭と二列目の間へと吸い込まれていく。
「ファッキングガイ!! お前の勝ちだよ!!」
 白人男性が、野次りながらストライクを決めた男を写真に収めた。振り返ってベンチで戯れる仲間達を映すように見せかけて、由美子にフォーカスを合わせる。電光掲示板から安っぽい拍手と機械的な歓声が流れ、シャッター音を掻き消した。カメラを向けられていることすら気付かずに、二人は角を曲がって姿を消していった。
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