第三章 秘密6「…どうして?」

文字数 1,610文字

 階段を昇る足音。由美子はすぐさま小型拳銃を構えて、隣の病室を開けた。遮光された室内は暗闇に沈んでいる。手探りで壁に身を寄せようとすると、足先が何かとぶつかった。すると、寝息のような囁きが聞こえた。その場でしゃがみ込むと、由美子はショルダーバックからライターを取り出した。
「…どうして?」
 淡い灯りが照らされると、南京錠の掛けられた鉄籠が浮かび上がる。その中には薄いブランケットが敷かれ、悪夢にうなされている様子で、下着姿のミアが横たわっていた。
「あなた、どうしてこんな所にいるの?」
 ミアの顔にライターを近づけ、由美子が問い掛けた。けれども、彼女は唸り声を挙げるだけで、瞳を開けようとはしなかった。由美子が横に置かれた紙袋に気付いた。そこに手を伸ばすと、接待用、パーティー用、VIP用と札の付けられたワンピースやドレスやスカート。それに子供用の赤い革靴が入っていた。床を擦る音が聞こえて、由美子は振り向いてライターを掲げた。そこには南京錠の付いた鉄籠が並び、女達がブランケットにくるまって収容されていた。彼女たちはモデルのような顔立ちをしていたが、一様に焦点の合わない瞳を携えている。涎を垂らしながら身体を掻きむしっていた黄色人種の女が由美子に気が付くと、彼女は壁と向き合うように座り直し、肩を震わせていた。
 悲鳴を挙げてミアが跳ね起きる。瞳を見開き、胸元に手を置いて呼吸を整える。由美子がライターを差し向けると、ミアは再び悲鳴を挙げながら後退さり、鉄籠にぶつかった。怯えた表情で身体を抱き締め、聖書のような言葉を呟いた。
「ミア、落ち着いて。…私よ、由美子よ」
 その言葉に耳を傾けることもなく、ミアは呟き続ける。
「一緒にショッピングしたでしょ? ほら、赤い革靴。覚えてる?」
 それを聞くと、ミアは灯火を覗くように目を細め、由美子の輪郭を捕らえた。
「あなた!! あなた、私を騙したのね!! こんな所に連れてくるなんて、人間じゃないわ」
 髪を掻き揚げると、ミアは両腕を開け広げて訴えた。
「私は何も知らない。本当に、何一つ知らないの」
「そんなの、嘘でしょ!!」
「嘘じゃない!! 何も知らなかった。…ラリーがここに連れてきたの?」
 必死に否定しながら由美子は鉄柵を掴んだ。その様子を見つめると、ミアは豹変したように笑みを浮かべた。
「…嘘でしょ、そんな冗談やめてよ」
 そう呟くと、鉄籠に頭を打ち付けながら笑い始める。その声は精神患者が狂喜を歌うかのように膨張し、身体をくねらせて転げ回る。
「…何も知らなかった。…何も、知らなかった、だって。……何も、知らない。知らないのね。…あなた、冗談はよして。……笑わせないでよ……知らなかった……知らなかったんですってね。……ほんと、……ほんとに……笑わせないでよ……」
 廊下から男の声が聞こえた。火を消すと、由美子は扉の影に腰を屈めた。店で聞いた野暮な言葉と、それを制する男の声が聞こえる。周囲の物音が一斉に消えたが、ミアだけは頻りにぶつぶつと呟いき引きつった笑い声を挙げていた。
 複数の足音が動き出すと、由美子は息を潜めて注意深く耳を傾けた。その足音が階段の方へと遠退いていく。それに安堵した由美子は、立ち上がろうと床に手を着いた。すると、軋む音を響かせながら扉が動き出し、視界を覆っていく。足音が轟くと、ミアの笑い声が消えた。
「なに? なんなの? もう、いいでしょ!? 私は、十分働いたわ!! ねぇ、そうでしょ?」
 南京錠が外れ、暴れる様子が伝わってくる。革紐が床に打ち付けられると、ミアの悲鳴が響き渡った。
「ねぇ、聞こえる!? ユミコ、聞こえているんでしょ!?」
 鉄籠から引きずり出され、泣き叫ぶ声が轟いた。
「神はね、神はあなたを見ているわ。暴君を働きし野蛮な者。あなたは…、あなたは、厳格な裁きを受けることになるでしょうね!!」
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