第十二章 空港にて2「一つ質問したいんだが、いいかな?」

文字数 1,896文字

 扉を叩き付ける音で目が覚めた。シワにまみれたシャツがベッドの隅に転がり、ぐちゃぐちゃに折れ曲がった封筒が辺りに散らかっている。こめかみをペンチで挟み込まれたような頭痛を抱えて、斉藤はベッドから起き上がった。身体を引きずるように扉へと歩み寄り、ドアノブに手を掛ける。そこには、肩の埃を払うスーツ姿のアランが立ち尽くしていた。斉藤を一瞥すると、連絡が取れなくなった、空港に向かう。と呟いて、彼は奥の廊下へと姿を消した。
 喉の奥に何か引っ掛かっているような気がしたが、いくら咳き込んでも、それが取れる気配はなかった。窓を開けると、上半身を露わにした女が海岸で日光を浴びていた。そんな彼女達に苛立ちを覚えて、斉藤はフロントガラスに視線を戻す。サングラスを掛けているアランは、遠くを見つめながらハンドルを握っている。その横顔を覗くと、昨夜の幻視を思い出し、斉藤は身震いを感じた。唇を仕切りに舐めながら、流れゆくアスファルトの車道に視線を向けている。
「一つ質問したいんだが、いいかな?」
 それを耳にすると、アランは小さく首を傾けた。
「パリに戻って戸籍抄本を受け取ると、しばらくは国を出ない方がいいんだろ? 大凡でいいんだが、それは、どの位の期間かね?」
 交差点に差し掛かり、車が減速していく。信号で停止すると、サングラスの奥から冷めた視線を差し向けて、アランが斉藤を見つめる。
「少なくとも君のパスポートが切れるまで。…つまり、三年は様子を見た方がいい」
 その頃には、千賀がいくつになるのか考えを巡らせてみたが、計算の合わない数式を解くように思えて、斉藤はそれをやめてしまった。信号が変わり、車が動き出す。再び海岸を見つめると、斉藤はそこに佇む女達を暫く眺め続けていた。
 駐車場に到着すると、Astray Sheep Findを立ち上げ、アランは空港内の地図を取り出した。青い点滅と照らし合わせるように、指先で地図を追う。その様子を助手席で眺めていた斉藤は、世田谷に降り立った時代にも、この技術があれば朋子達と出会うことが出来たのだろうかと思った。すると、突如と動機が高鳴り、自分を映し出す鏡に亀裂が入るように、周囲を不確かな物に包まれていく。地図を折りたたみ、アランがドアノブに手を掛ける。立ち上がる彼の後ろ姿を眺めると、腰元の銃に斉藤は気が付いた。例えあの時代にAstray Sheep Findがあったとしても、朋子達に忍ばせることはしないだろう。だとしたら、もとから逃げ出すことを計算して、アランは発信器を取り付けたのではないだろうか。アランが車内を覗き込み、斉藤は促されるようにドアを開けた。キュキュッと鍵のロックオンが鳴り、入り口に向かって歩き出す。アランの後をついて行きながら疑惑の輪郭が形作られていくと、斉藤はホテルから空港までの彼の振る舞いに違和感を抱いた。Astray Sheep Findで相手の地点が分かっているとはいえ、相当の金が連絡もなしに空港へと向かっている。それにも拘わらず、まるで台本通りに進む舞台を眺める演出家のように、アランは平静を保っていた。自動扉を抜けると、斉藤は遅れを取らないようエスカレーターに足を踏み入る。彼は以前、危険を冒して資金を調達していると言っていた。それに、そんな様子を垣間見て欲しいとも。だが、考え直してみると、空港に向かったところで、そんな場面に出くわすことが、果たしてあり得るのだろうか。その話しを聞いた時点では、空港で女から金を受け取るに過ぎなかった。そんな様子を見せる為に、彼は私を南仏まで連れてきたのだろうか。エスカレーターを昇りきると、アランは再びAstray Sheep Findに視線を落とした。斉藤がそれを覗き込むと、青い点滅がそう遠くないことを示していたが、ベンチに腰掛ける人々を避けるように、アランはフロアから離れて人気のない通路へと向かった。その行動を不信に思いながらも、研究資金や戸籍偽造さえも彼に依存している自分に残された行動は、彼の後をついて行くことしかないのだと悟り、斉藤は歩調を変えずに歩き続けた。角を曲がり、〝関係者以外立ち入り禁止〟と書かれた扉を開ける。白熱灯の灯る薄暗い通路の先には、下へ続く鉄製階段があり、奥からは空調設備の轟音が鳴り響いていた。
「この下で待機して欲しい。直ぐに彼女達を連れてくる」
 そういって階段の先を示すと、アランは来た道を戻ろうと振り返った。
「…なぁ、アラン」
 斉藤が彼の背中に声を掛ける。立ち止まり、アランは顎先を傾けた。
「一体、君の目的はなんだね?」
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