第四章 自覚5「ミルクかオレンジジュース」

文字数 1,620文字

 目を覚ますと銃口が突き付けられていた。ぼやけた視界でそれに気が付くと、レオは咄嗟に両腕を掲げた。隣に由美子の姿もなく、辺りにクロードもいなかった。窓から差し込む陽光を見ると、どのくらい眠りに落ちていたのか、レオにはわからなかった。それに、どうして目の前の少年が銃口を向けているのかも、わからなかった。
 レオがベッドから起き上がると、少年は背丈に合わせて銃口を腹部に向け直した。彼は後ずさりしながら扉を越えていく。状況を読み込めないまま、レオは仕方なく少年の後をついて行った。廊下に出ると由美子の部屋は開いていた。銃口を向けられたままその中を覗く。窓は開け放たれ、綺麗にベッドメイキングがされているが、そこに由美子は居なかった。階段に差し掛かると、手摺に捕まって後ずさりしながら、少年が降りていく。踏み外し、転げ落ちないか不安に思いながら、レオも歩調を合わせて階段を降りていく。降りきった階段から離れると、リビングの扉へ向かい、少年はそこで初めて口を開いた。
「ミルクかオレンジジュース」
 それを耳にすると、レオは直ぐさま言葉の意味を飲み込んだ。
「ミルクで」
 そう告げると、少年はすかさず扉を開けてリビングへと駆けて行った。開け放たれた扉から部屋を見渡すと、壁際には横長のソファーが置かれ、ローテーブルには木製の器にバナナやリンゴが盛られていた。リビングに足を踏み入れると、ガラス扉から差し込む日差しが床に反射し、レオは眩しそうに目を細めた。テラスを見つめると、由美子とシモンがコーヒーを片手に談話していた。少年が力強く閉じた冷蔵庫の音で、彼らはリビングに視線を向けた。
「おはよう」
 リンゴを手に取ったレオが、それを服で擦りながらテラスに出た。
「昨日は良く眠れたかね?」
 シモンが椅子をあてがうと、レオはあくびを吹かしながらそれに手を掛けた。
「あぁ。あんなに、ぐっすり…」
 銃口が腹部に触れる。視線を落とすと、ミルクの入ったグラスを少年が差し出していた。
「ありがとう」
「ジャムかバター」
「バターで」
 グラスを受け渡すと、拳銃をテーブルに置いて少年はリビングへと駆けて行った。レオが拳銃を手にしてシリンダーを外す。それを指先で回すと、おもちゃの拳銃に銃弾は詰め込まれていなかった。
「あんなにぐっすり眠れたのは、久しぶりだよ」
 それを聞いて由美子が笑みを零した。不思議そうにレオが見返すと、彼女は口を開いた。
「シモンはね。正真正銘のヒッピーなのよ」
 そういってシモンの膝に触れる。
「ヒッピーなんて言葉が今でも通じるのか、わからないがね」
 照れ臭そうに答えると、シモンは煙草に火を付けた。あてがわれた椅子にレオが腰掛ける。
「この家も自分で建てたんだって。廃校になった学校から木材を貰ったりしてね」
 そう言うと、レオが手にしていたリンゴを奪って、由美子はそれを齧った。唇から溢れた果汁に舌を伸ばす。少年がクロワッサンとバターを入れた容器をテーブルに置いた。レオが微笑み掛けると、目元に穏やかな曲線を映し出し、少年は満足げに微笑んだ。
「この子は?」
「あぁ、息子のブリュノだよ」
 レオがクロワッサンを手にする。
「それじゃぁ、この子の母親は?」
「君のお兄さんを連れ添って、馬小屋にいるよ」
 バターをたっぷりと塗りつけて口に運ぶ。
「それじゃぁ、奥さんとはどこで?」
 身を乗り出すと、由美子がいたずらっぽく問い掛けた。
「とある出版社に所属している時期があってね。そこで、彼女は……」
 クロワッサンが舌の上で転がると、小麦の豊潤な香りに油脂の滑らかな甘みが融和して、二人の会話をどこか上の空に感じさせるような錯覚を、レオは抱いた。コーヒーを啜って、再び口の中へと運んでいく。そんな様子を見届けると、ブリュノは満足げな笑みを浮かべてリビングへと戻り、遠くの木々からは小鳥のさえずりが囁かれていた。
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