第77話 罠を噛み破れ

文字数 4,340文字


 まったく計算外だった。大陸で鬼殺しのスペシャリスト、デビルハンターとそのパートナーが新潟に現れるとは思わなかった。中国マフィアが組織した、二十数名の鬼の軍団が福岡を来襲したとき、デビルハンターの一族によって全滅したと聞いている。
 また上海では北の国への密貿易を進めていた組織が、デビルハンターによって屈強な三人の鬼を含めて壊滅した。
 大陸の闇社会にとって、「ショウニ」の名は天敵として鳴り響いている。平和な国ゆえに闘争の経験が少ない日本社会において、唯一日本人本来の武を保っているのが、「ショウニ」なのだ。

 ジウは苛立っていた。
「スホ、どうするのだ。デビルハンターがいる以上、上杉も鬼に対する備えは十分だろう。我々二人では太刀打ちできまい。やがて奴らはここを探し出して攻めてくる」
 スホは氷のような冷たい眼でジウを見た。ジウはスホがどんな目に遭って、恨みを積もらせ鬼に変化したのか、詳しくは知らない。
 だが、鬼に成って人としての記憶を保ち続けている以上、自分と同じぐらい恨みの思いが強かったはずだ。そうでなければ鬼が憑りついたときに、人の意識は鬼の破壊本能に支配される。

「少弐智成がここにやって来たら逃げればよかろう。新潟を支配するのが一番効率が良かったが、思い切って秋田や金澤でも構わない。中核都市の闇を支配して拠点を作り上げれば、デビルハンターでも手を出せなくなる」
「市民を全員鬼にするわけね」
「フフ、人間は恨みには勝てない。心の中に恨みの種子を巻くだけで、いくらでも鬼を増やすことができる」
「それなら、早く新潟を離れましょう。いつデビルハンターがやって来るか分からない」

 ジウはもう、ここにいたくなかった。
 少弐智成が張った結界に閉じ込められたら、逃げることは不可能だ。倒されて永久に消滅するだけだ。

「まあ、待て。お前は八雲と雷を捕らえて、鬼に変えたいのだろう?」
「もちろんしたい。だがデビルハンターがいる以上それは無理だし、二人だけでも十分強かった」
 ジウは、春日山祭で八雲と雷を襲って、撃退されたことを思い出しながら言った。
「あの強さには秘密がある。あれは二人が心を通わせないと出ない力だ。二人を引き離してしまえば、力は半減する」
 スホはまさに悪魔の笑いをジウに見せた。
「二人を引き離す手立てがあるのか?」
「容易いこと」
「しかし、デビルハンターはどうする? あいつに隙はあるまい」
「来たら逃げるさ」
「どうせ逃げるのなら、今逃げても一緒だろう」

「大丈夫だ。公安に我らの計画を少しばかり流してある。この場所のことと、デビルハンターや剱山が攻めてきたらすぐに逃げ出して、他の場所で計画を続けるとな」
「そんな噂流したところで、のこのこ二人でやって来たりしないだろう」
「ところが、日本人のメンタリティは我々とは違う構造でできている。他の地の同胞が傷つけられると思ったら、必ず二人でやって来る。それに二人とも、春日山祭では我々に勝ったと思っている」
「分かった、策はお前に任せる」


 ジウは康子が最初に死んだ部屋に入った。この部屋には康子の怨念が籠っている。康子がこの世を呪った人生を思うと、快感が身体を突き抜けた。
 康子が鬼に変化して、若いころの容姿を取り戻したとき、これほど美しい女だったのかと驚いたものだ。
 康子は美しいがゆえに男に愛され、息子を得る幸せを得ようとした。それを父の呪いによって壊され、人の世に恨みを抱いた。康子が醜く生まれつけば、男に相手にされることもなく、別の意味で人生を呪っただろう。
 ジウは康子の父に感謝したいと思った。この魂の腐った男のおかげで、今の快感を得ることができる。

 ジウは醜く生まれた。醜いおかげで、スホと同じように脱北した先で父と母を殺されても、ジウは殺されなかった。醜い女の子だったジウは、誰にも相手にされず無傷で北の国に送り返されたのだ。
 だが、帰った先が地獄だった。北の国で女に生まれて、容姿が醜いと言うことは、生きる術が無いに等しかった。
 北の国は男社会だ。しかも容姿を特別気にする国民だ。美しなければそれだけで人間扱いされない国だった。美しく生まれつけば、それだけで職につけ金も手に入る国だ。美しい女は得た金を使って、ますます美しさを強化していく。そう、サイボーグのように美しさという武器を強化していくのだ。

 一方、美しくない者はみじめだった。何の職にもつけず、今日の食べ物も手に入らない。道の草を食い、バッタを捕まえて食べる。孤児で美しくない女が生きていく道は、それしかなかった。
 ジウが心に溜めた恨みは、スホに見出されて唯一の武器となる。鬼の力を得たからだ。鬼の力を得ることによって、国がジウを美しく変えてくれた。まさに全身サイボーグ、顔にメスを入れ骨を削りシリコンを詰め、ジウは美しい女に生まれ変わった。

 そして日本という国を知った。
 美しくない女が職を得て、美しい女以上に富を持てる国。
 美しい女が謙譲して美しさ以外に価値を求めようとする国。
 全てが許せなかった。そんな国はぶち壊してしまいたかった。
 その怒りの向く象徴的な存在が、上杉八雲だった。
 美貌に才能に家柄、全てを持ち合わせて生まれた女、この女に自分がいかに無力か分からせて、最終的に鬼にすることにジウは固執した。

 康子の部屋で寝転び、存分に康子の恨みを吸いながら、ジウはこの地に八雲を誘い込むことを想像して歓喜した。この一帯はほぼ北の国の手によって小さな要塞と化している。スホの言う通り、八雲と雷の二人だけでここに来たなら、間違いなくあの世に送ることができるだろう。
 ゾクゾクしながら、その日を考えジウは、身体を怨念で焦がしながらも、至福の時間を過ごした。


「八雲様、いよいよ公安が北の国の本拠を探し出したようです」
 雷が、二人分のコーヒーを手にして、八雲に話しかけた。
「二人の戦いが始まりますね」
 八雲は想像以上に厳しい顔で、雷の顔を見つめた。
 雷はホゥーっと深いため息をつく。
「何度も言うようだけど、最前線は僕に立たせて欲しい。八雲は多恵さんと一緒に後方で、敵の逃走を防いでくれないか」
 その言葉に八雲は静かに首を振る。
 雷を見る八雲の目は、今までにないくらい澄んで綺麗な目だった。
「一緒に戦いましょう。智成はどんな危険な敵と対するときも、必ず礼美を連れている。きっと、二人で戦うことで、単純な足し算を超える力が発揮されるんじゃないかしら」
 八雲の凛とした語り口調に、雷は何も言えなくなり、「おやすみ」と言って部屋を出た。

 消えない憂いをしまったまま、雷は屋敷の外に出た。上空にはまだ満月には達してない丸い月が輝いていた。
 雷は月を見上げながら、再び深いため息をつく。
 春日山祭の演武でイ・スホとキム・ジウを撃退して、八雲は自信を得た。確かに以前とは比べ物にならない、当主剱山を彷彿させるような強さだった。
 だが、その強さを身体で感じたにも関わらず、イ・スホは新潟を離れない。そこに雷の心配が消えぬ理由があった。何か自分たちを破る秘策を持っているとしか思えなかった。

「雷、眠れぬのか?」
 背後から自分を呼ぶ声がした。
 驚いて振り向くと、そこには弥太郎の姿があった。
「父上ですか」
「明日は決戦というのに、何ともしまらない顔をしているではないか」
 弥太郎は優しく笑いながら、雷の横に立った。

「我々の戦力を知っていながら、逃亡しないイ・スホが気に成るのです」
 雷は父に正直に心の内を伝えた。
 弥太郎は尤もという顔で、雷の目を見る。
「迷う気持ちも分かる。こういう場合、兵法で言えば死地の可能性が高いからな」
「そこに八雲様を連れていくことに納得がいかないのです」
「お前の言いたいことも良く分かる」
「ならば、明日の朝、父上からも敵本拠への襲撃は、私一人と進言してはもらえぬでしょうか?」
「それはダメだ。剱山殿は自分の娘を安全な場所に置いて、お前を一人で行かす方ではない。それに八雲様もそれでお前が死んだら、自分も死を選びかねない」
 弥太郎の言葉に雷は再び項垂れた。

「先日、智成殿と武術談義をした」
「智成とですか」
「ああ、九家で一番強い者は誰かについて話し込んだ。そこで、わしと智成殿の見解に違いがあった」
「剱山様か智成かということですか?」
「いや、違う。わしや剱山殿は最早全盛期の力はない。今の智成殿と闘えば剱山様でも後れを取るだろう」
 雷は複雑な心境で弥太郎の言葉を聞いた。
 剱山と弥太郎は、いつまでたっても智成にとっては最強の男であったからだ。

「それで智成はなんと言ったのですか」
「北条家の戸鞠明良こそ最強と言っておった」
「明良が……」
 雷には智成の答えが意外に聞こえた。
「なぜ、明良なのですか? 確かに明良は不思議な力を発揮したりしますが、純粋な戦闘力では智成に及ぶとは思えません」
 弥太郎はムキになって否定する雷に、微笑みながら答えた。
「前に大陸の鬼には無心の拳こそ最も効果的だと、智成殿は言ったな」
「はい、納得がいきます。なるほど、あのとき、智成は明良の持っている力の出し方の方が本当は効果があるのではとも言ってました。私も聞いたときはそれもあるかと思いましたが、春日山祭で演武中に戦ったとき、不動心こそ武の極める道だと、改めて思い直しました」
「その通りなのだ。武の行き着く先はそこにしかないとわしも思う。だが道ではなく、戦場における強さは、実は煩悩の中にこそあるのかもしれぬとわしは思う」
 雷には弥太郎の真意が分からず、怪訝な面持ちで黙っていた。
「分からぬか。例え無心になって武を極めた者でも、戦場においては名もなき雑兵に打ち取られることなど、多々ある話だ。戦場という熾烈な世界においては、煩悩に悩み狂った人間の方が強いということだ」
「それでは武を極める目的を失ってしまいます」
「確かになぁ。武の鍛錬を怠っては得られぬ勝利があることも確かだ」
 なんだか禅問答のようになってきた。
 雷が困った顔をすると、剱山が今度は笑わずに言った。

「わしと智成殿は、そこに武の道と戦場の強さの交点があり、そこに達した者こそ最強なのだと結論を出した。つまり武の道には不動心の先がまだあるのだ。智成殿は明良殿は偶然にしろ、そこに何度か達したことがあるのだと言っていた。雷よ、明日もしイ・スホが何か罠を張っていたとしたら、それを噛み破るためには、お前も明良殿のようにそこに達する以外にないのではないか」
 今度は弥太郎の言葉が、雷の心に響いた。
 雷は弥太郎の顔を見て頷いた。
 弥太郎が笑って、屋敷に戻って行くと、雷は再び上空を見上げた。
 今度は満月に近づいている月が自分のように思えた。

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