第47話 父と子

文字数 3,903文字

 そこはいつ来ても恨みと絶望が溢れている場所だった。防衛のためとはいえ、人の最期の思念を浄化もせずに、こんな形で千年間もため込んでいる、素目羅義の倫理観は納得がいかない。コーマは肌に直接触れてくる悪思念を、哀れに感じながら鳳凰の間に進む。

 鳳凰の間には今川と武田を除く、全ての当主が既に揃っていた。コーマは正臣と零士が、自分のためにわざわざ空けておいてくれた席についた。素目羅義の屋敷内では、いつも車椅子を降りて三本足で歩く。そのため、今日は特別仕立てのスーツではなく、ちりめんの着物姿だ。背縫いと両袖には北条家の家紋である三つ鱗が入れてあった。

「あれが大森真由美さんですか?」
 儀介の隣で赤い襦袢が扇情的な色気を漂わせる女性を見ながら、コーマが小声で零士に確認する。
「そうだ、妖婦の雰囲気が漂ってるだろう」
 女好きの零士には珍しく、口調に毒が含んでいる。
 もう一人の女好き殿はまだ未到着だ。敵対することは多々あるが、コーマは基本的に武田綜馬の人間臭さが好きだった。

 まだ何も言葉は発していないが、儀介がおかしいことは見ただけで分かった。色に狂ったというよりも、薬物的な異常を感じる。いつもの絡みつくような思念の放出をまったく感じない。もしかしたら脳の一部が既に破壊されているかもしれない。

 素目羅義儀翔は敢えて円卓にはつかず、二つ鬼、美晴と共に控え席にいた。儀翔の身体から抑えきれない鳳凰の気が漂っている。以前会ったときとは段違いの強さだ。甲府で智成に救われたと聞いたが、窮地に落ちて生まれ持った才が花開いたか。いずれにしても頼もしい成長ぶりだ。
 明良を例にしても分かるように、若い神樹はちょっとしたきっかけで何段階もレベルアップする。彼らを襲った苦難が、逆に成長を促す結果になるとは皮肉なものだ。

 控え席には素目羅義家の四人の他に、楠木家の執事森烈、上杉家執事で雷の父親の直江弥太郎(やたろう)が来ていた。北畠、里見、少弐は執事を伴っていない。この場が戦闘になった場合、後継者の助けとなるよう残ってもらったのだろう。コーマ自身、昂亜のためにセバスチャンには残ってもらった。

 綜馬と雅が到着した。同じ新幹線で上洛したか。二人とも誰も伴わず一人で来た。
 綜馬は期待通り真由美を見て、おおッと目を見開く。これぞ眼福とニヤツキながら、苦い表情で儀介を見ている上杉剱山と少弐智明の間に座る。好対照の二人だが、意外にも二人は互いに認め合っている。武田が経済的苦境に陥ったとき、密かに支えていたのが上杉だ。綜馬はそれに恩義を感じてか、自身の集めた情報を剱山にだけは無償で提供している。
 雅は女王の風格を漂わせながら、真由美を一瞥するが、特に感情を表すことなく、顕恵の隣に座った。

 円卓の配置は、儀介と真由美を取り囲むように、雅、顕恵、零士、コーマ、正臣、智明、綜馬、剱山の順に並んだ。儀介と真由美の対角上にコーマと正臣が対する形だ。

「これで全員揃ったようだな。それでは九家会議を始めよう」
「待たれよ、儀介殿」
 儀介の開始を遮ったのは少弐智明だった。東アジア交易に大きな影響力を及ぼし、日本の海運業の影のフィクサーである少弐家は、別名海賊大将と呼ばれる。普段は素目羅義の無茶な要求をも、大きな度量で黙って受け止めるこの男が、今日は初手から異議を申し立てようとしていた。
「何事かな、少弐殿」
 普段寡黙な智明の豹変に、儀介は慌てて対応する。
「儀介殿の隣にいる女性は、どのような料簡でこの会議に参加する。他の会議ならいざ知らず、九家会議は九家の当主が揃う神聖な場、あえて参加する理由をお聞かせ願いたい」
 海で鍛えた智明の声が、鳳凰の間に鳴り響く。
 当の儀介は怒りと困惑が交互に去来し、上手い言い繕いも浮かばぬまま押し黙るのみであった。うまくいけば、この妖婦を追い払える。一抹の希望がコーマたちの心に浮かんだそのときだった。

「ホホホホ――」
 甲高いあざけるような笑いが部屋中に響き渡った。
「儀介殿は見ての通り、思いを言葉にするにはまだ回復が足りません。それでも九家の危機を何とかしたいと思い、十分な回復を待たずにこの場におります。そんな儀介殿をサポートするのが私の役目です。入院時から、食事の世話から下の世話まで、二四時間尽くしてきた私がいることが、儀介殿の心の安寧になると自負しております。ここは大きな心で受け入れてくださいませ」
――なかなかやる。
 九家の当主が放つ常人の何倍も厳しい思念を受けて、語れるだけでも相当の訓練を受けたと思われる。一介の看護師に成せる(わざ)ではない。

「それでは良いかの。まずは楠木と里見から今日の審議について、ことのあらましを話せ」
 いよいよ九家会議がスタートした。
 最初に零士が世界における日本の状況を語り始める。一触即発の東アジア情勢、米国の野望、中東のテロリズムの拡大、全ての話にリアルな危険が、日本のそこかしこに迫っていることを感じさせた。
 それを回避するために、強固な政府と軍隊が必要で、零士はその基礎固めはほぼ終わっていると報告し、後は魂を入れるだけだと付け加えた。

 続けて正臣が、魂を入れるにはこの難局を乗り切れる有能な人材が必要で、差し迫っては日本人か否かは問わず、世界中に人材獲得の手を広げる必要があると宣言した。
 帝の国日本のリーダーに外国人を迎える提案に、九家の当主たちは少なからず同様したが、日本人が育つまでの間で、明治維新では多くの外国人が日本人を育てるために活用されたことを語ると、ひとまず落ち着いた。
 更に、今の日本の若い世代が知識・スキルの面で、前世代と比べ物にならない程優秀であることを語ると、どの当主も日本の未来に安堵し、部屋を取り巻く思念が落ち着きを取り戻した。

 ここで正臣は勝負に出た。
「このように優秀な世代ではありますが、歴史の中に現れる冒険心と柔軟性を合わせ持った、本来の日本人の姿に及ばないのは確かです。それは全て戦後日本全体に放たれた、素目羅義の呪いが七十年の歳月の中で熟成し、これらの原動力となる思念を奪ったからです。今こそこの呪いを解き、彼らを広い世界に飛び立たせるときなのです」
 少弐智明が大きく頷き賛意を示す。海の男にとって、今の日本人の精神性には、日ごろから大いに物足りなさを感じているのだろう。
 他の当主は特に賛否は表さず、儀介の出方を窺った。結局呪いを解くには儀介の承諾が必須だからだ。

「十八年前、儂の息子が今の正臣と似たようなことを申した。賢くて将来楽しみな息子であったが、聞き分けがなかったので灰となってこの世から消えた」
 恐るべきは儀介の神経であった。実の息子を意見の相違から殺したことを、隠すことなく堂々と語った。それは逆らえば息子と同じ運命になることを、皆に示したともとれる。

 九家の当主は一様にこのことを知っていたから、真相を知った驚きはない。ただ、この場でこれを披露する神経を疑ったのみだった。
 だが、この場に治まらない男が一人だけいた。儀翔である。彼は十八年間父の死の真相を知らずに育ったのだ。父が死んだのは二才のときであるから、当時の彼が死因に気づかないことは止むをえない。
 驚くべきは、十八年間誰も儀翔に真相を告げなかったことである。それだけ儀翔に触れる者はみな、この若者の才知を愛し素直な心を守りたいと思ったのであろう。
 しかしついに、儀介のつまらぬ脅しの言葉で、儀翔は真実を知った。

 内から吹き出る怒りで顔を真っ赤にさせ、祖父を糾弾するために、儀翔は立ち上がろうとした。
 誰かが強く腕を掴みそれを阻止する。
 阻止したのは美晴だった。彼女は儀介の口から儀燕の死の真相が語られた瞬間、昨夜の父の言葉を思い出し、儀翔の暴発を防ぐことに全神経を注いだのだ。

 儀翔は自分を止める美晴の真剣な目を見て、冷静さを取り戻した。
 父の死の真相は、素目羅義家内のこと、もっと言えば儀介と儀翔の私事である。この九家会議の場で、それを問い詰めれば、会議の進行を阻む者として殺されたかもしれない。

 暴発こそ治まったが、代わりに澱のようなものが心に沈んだ。それは儀介に対する憎悪となって、鳳凰の間にうごめく悪思念とシンクロし、邪悪な獣として育ち始めていた。
 このままでは儀翔は悪魔と化す。この危険な状態を、この場にいる者の中で誰一人気づいた様子がなかった。

「今の発言、儀介殿は何の意図をもってわざわざ告げられた。まさかとは思うが、そのような言が、我ら九家の当主への脅しとなって働くなどと、思われたわけではあるまい」
 コーマの口から儀介に対する強烈なしっぺ返しが出た。普段のコーマはものごとの真実や、未来につながる可能性を好んで話し、今のようにいたずらに喧嘩を売るような言葉を吐く男ではなかった。

 滅多に言わないからこそ、今のものいいは周囲に重く受け止められた。コーマはやる気だと全ての当主に伝達され、とてつもない緊張感がその場を支配した。
 それは儀翔とて例外ではなかった。彼の心に溜まり悪い作用をしていた澱は、この緊張感に押し流されて消えた。

 コーマは儀介への宣戦布告の意図で、この発言をしたのではなかった。儀翔が会場内の悪思念とシンクロしようとしていることに気づき、この誰からも愛される若者が化け物と化すのを防ぐために、会場を緊張感で覆いつくしたのだ。
 父と成って昂亜に対する愛情で満たされているコーマだからこそ、父子の愛情に敏感だったのかもしれない。

 いずれにしてもコーマの一言は、儀翔の危機は救ったものの、会議を予想もつかない急展開に導くのだった。
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