第39話 若芽

文字数 4,121文字

 京都中央病院は市内でも指折りの大病院だ。病床数七百床、総合診療科に始まり消化器科、呼吸器科、神経内科、外科、整形外科など三三の診療科目を持ち、屋上には救命救急用のヘリポートも備え付けてある。
 一日平均千五百人の外来患者と年間延べ二十万人の入院患者を診るために、二百五十人の医師と七百八十人の看護婦が働いている。
 病院内には二つの食堂がある。一つは主として外来患者が利用するファミレス風のこぎれいなレストラン・カフェで、八階建ての外来棟の最上階にある。もう一つは第三病棟の一階に設置された従業員向けの食堂で、大学の学食風の作りで定食を主体にしており、比較的安価なので、長期入院患者の家族なども利用している。
 その学食風の食堂で、手慣れた様子で定食をオーダーする三人の大学生風の男女がいた。

 男の一人は素目羅義儀翔(ぎしょう)、素目羅義家当主儀介の孫で、京都大学経済学部の学生だ。もう一人の男は、楠木家執事森烈の長男信で、儀翔と同じ経済学部に通っている。
 三人目は女で、名は鬼堂美晴(みはる)、素目羅義家第一執事の鬼堂新治の娘で、二人と同じ京都大学で歴史を学んでいる。
 それぞれ定食のプレートを持って、空いてるテーブルに座った。まだ十一時なので、食堂内は人も少なく、食堂の従業員ものんびりと客を待っていた。

「怪しいのは事務長の黒田で間違いあらへんやろう。大森真由美はおじいが入院した次の日に採用されてる」
 儀翔はハムカツを口に放り込みながら、小声で二人に同意を求めた。
「ただ、なんで黒田がそんなんをせなあかんのか動機が分かってへん」
 慎重な信は儀翔の決めつけにブレーキをかける。
「怪しいに決まってるちゃう。うちらが思念読んでも綺麗ごとしか出てきいひん。普通やったらあないなストレス掛かる仕事だもの、もっとどす黒いこと出てくるはずやで」
 慎重な信がもどかしいのか、美晴は強い口調で断定した。父を悩ます大森真由美の正体を一刻も早く暴きたいという気持ちが、その大きな目には溢れていた。
「もし、心を読まれへんように防御してるとしたら、なおかつ慎重にせえへんと、背後から何が出てくるか分からへんで」
 信はあくまでも二人の暴走を防ごうとする。

――わしらの関係はいつもこうやった。
 大学に入ってすぐに、幼馴染の儀翔と美晴に信が加わり、同じ九家の縁者とあって三人はいつも行動を共にするようになった。
 正臣が関東に行ってしまって、楠木が里見寄りに成ってしまい、素目羅義と楠木の間が険悪になっても、三人の関係は変わらなかった。むしろ、関係修復のために何をするべきか三人で考えるうちに、結びつきはより強固になった感がある。

 儀翔は心情的には正臣の行動を支持していた。祖父儀介は感情に流され、対局を見失っている。情報通信の驚異的な進歩は、地球を一つにしようとしている。島国特有の閉鎖的な思惑に立った人間は、大きな流れの前には飲み込まれるだけの存在でしかない。

 それでも儀介の気持ちも分からなくはない。歴史の中で常に日本のために人心を安定させてきた自負が、新しい流れに乗ることを否定するのだ。素目羅義の一員として、儀翔にも一抹の寂しさはある。

 だから余計に儀介の弱さに付け込んで、意のままに操ろうとしている存在に対し、怒りがこみ上げる。何としても黒幕を暴き出し、大森真由美の正体を決定的な証拠と共に、儀介の前で暴露してやる。
 儀翔の決意は固かった。

「それじゃあ、これからの作戦を立てよう」
 信が今日の行動計画について説明を始める。
「昨日事務長が立ち寄った法律相談事務所が、どうも気になる。儀翔と美晴は親に反対されてる結婚について相談に来たカップルに成りすまして、事務所に行ってコンタクトしてくれへんか」
「分かった。信はどないすん」
「俺はこの病院をもう少し探ってみる。真由美の同僚やった看護師や、事務長の部下の事務員なんかにコンタクトして話を聞いてみよう思う」
「了解。ほな後で」
「会談が荒れてへんとええな」
「そうやな」



 零士は話をしていて虚しさを感じ始めていた。
 秋永総一郎を首相とする新政権を儀介に認めてもらうために、現在の世界情勢、日本の立ち位置を話し、世界と対等に戦うために有能な外国人の活用を提案する。
 いつものように人の心を躍らせるような零士が得意とする話だった。
 ねらいは、最後の外国人活用の許可だ。
 日本人のメンタルとして、会社のトップが外国人に成ると、乗っ取られたような被害妄想を感じる。これは素目羅義家の思念操作が大きく関係していた。潜在的に外国人のリーダーを否定する感情を埋め込んでいるのだ。
 この感情を消し去ることは素目羅義にしかできない。千年以上続く素目羅義がかけた呪いを、今こそ解くべきだというのが、零士の主張だった。

「別にそこまで他国と交流する必要を、儂は感じない。零士、お前ほどの才覚があれば、日本だけでやっていく手立てを考えることは可能であろう」
 零士の主張に対し、儀介はひたすらこの答弁を繰り返すだけだった。
 何か違和感がある。以前の儀介であれば、同じ反対の立場をとるにせよ、もっと感情的にぶつかってくるはずだ。
 どこかやる気のなさを感じるのだが、かと言って零士の主張を決して認めない。儀介の意志はここにはなく、誰かに操られているという表現がしっくりときた。

――まずいな。
 このままでは、時間切れになる。正臣としては、もしここで物別れとなって、これを契機に九家を二つに割る全面戦争が起きても構わないと思っていた。
 もちろんそうなれば九家が負う傷は大きい。楠木は地勢上壊滅的な傷を負うかもしれない。だが、北条、里見の関東二家に加え、北陸の上杉、福岡の少弐が力を合わせれば、武田と今川の動向がどちらに向かおうと、最終的には勝ちを収めることは間違いない。
 そうなれば、日本は変わる。素目羅義の呪いが解けて、海外で主張できない日本人は、そのレッテルを拭うことができるのだ。

「儀介殿、このままはっきりしないままで終わらそうとするのであれば、我々も最終手段を取らざるを得ない」
 正臣はついに自ら全面戦争に向けて足を踏み入れた。できることなら、儀介が引き鉄を引いた形にしたかったが、やむをえない。もう残された時間はわずかだ。今変われなければ、日本は東アジアでも小国となりかねない。
 零士もことここに至って、やむをえないと覚悟を決めた顔になった。
 素目羅義の二つ鬼は、両腕を組んで瞑想したまま、ピクリとも動かない。素目羅義の執事という立場から、正臣たちに心情が近くても、こうなっては潔く戦うしかあるまいと、腹を決めたようだ。

 一方、納まらないのは顕恵だった。北畠は素目羅義が最初に皇援九家に選んだ家だ。『素目羅義の言葉は帝の言葉』が、家訓となっている家である。素目羅義に弓を弾く正臣の言葉は許すわけにいかなかった。
「この不敬者めが」
 顕恵の澄んだ高い声が、鳳凰の間に響き渡った。
「お前などここで我がクサナギで両断してくれるわ」
 勢いよく席を立って、正臣に向かって近づき、思念刀クサナギをその頭上に振り下ろした。
 クサナギは正臣の頭上五センチのところで止まった。同時に席を立った遼真が、間一髪で両者の間に入り、思念で固めた両腕で受け止めたのだ。
「顕恵殿、ここは神聖な鳳凰を祭る場所でございます。ここでの刃傷は、素目羅義の執事の名にかけて許すわけにはいきません」
 顕恵はしばらく遼真と睨み合ったが、遼真の覚悟に気圧されてクサナギをしまい、無言で元いた席に戻った。

「ホホホ――」
 突如けたたましい笑い声があがった。
 それは儀介の隣で一部始終を見ていた真由美の声だった。
「ほんとに怖い人たちですこと。最終手段とか両断とか。この場を去りたくなったわ」
「まだ、若いだけに威勢がいいのじゃ。お前に指一本触れさせはせぬから、安心してここにおってくれ」
 儀介が相好を崩して、真由美を宥める。
「何か険悪な雰囲気ばかりで、この会談はもうお終いにされたら、よろしいんじゃないかしら」
「いや待て、まだ結論が出てない」
 ここで終わられたら、また無駄な時間が続くことになる。正臣としても絶対に引けない場面だ。
「下がれ、正臣。いたずらに戦争をしかけるお前の態度が悪いのだ」
 顕恵は完全に切れていた。

「どうでしょう。このままでは拉致が明かないのではないですか? 北条殿のお子も産まれたということですし、いっそのこと二週間後に九家会議を開かれては」
「待たれよ。九家会議など、とんでもない」
 それはこちらが圧倒的に不利だった。話が決裂しこの素目羅義屋敷で当主同士の争いが起きたら、最悪はこちらの当主が皆殺しにされる可能性がある。
「なぜ、駄目なのだ。これまでも、九家の意見が割れたときは、いつも話し合いで決着をつけてきたではないか」
 またもや顕恵の怒声が飛ぶ。
「今までとは事情が違う。今回は譲れぬ問題だ」
 正臣と顕恵が睨み合い、再び険悪な空気が流れる。

「いいではないか」
 張りつめた空気を切り裂くように、零士の低い声が賛同を示した。
「どうなるのか分かっているのか?」
 正臣が正気かと責めるように零士を振り返る。
「大丈夫だよ、正臣。我らには頼もしい次世代が控えてるんじゃないか」
 零士は澄んだ目で正臣を見て、希望に気づけと促した。
 正臣の脳裏に、明良、樹希、智成、礼美、八雲、雷、そして杏里紗の顔が浮かんだ。
 零士は例え自分たちがここで果てたとしても、信じて後を託す者はいると言っているのだ。
「お前のところにも、後を託せる者がいるではないか。何を疑うことがある」
 そうだ、楠木にも正長とその子正純、そしてそれを補佐する信もいる。
 そこではたと気づく。
「里見の後はどうするのだ?」
「俺の種を冷凍保存して、杏里紗に託す」
 本気だった。腹を決めたときの零士の凄みが空気を震わせる。
「分かった。九家会議を受けよう」

 正臣が承諾したのを見て、真由美はニヤッと笑った。
 その美しい顔はメデューサを連想させた。
「では鬼堂、早速知らせを出せ。鬼塚は九家会議の準備に取り掛かるのじゃ」
 儀介の指示が飛んだ。
 運命の会議の開催が決定した。
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