第74話 戦いの代償

文字数 3,024文字

 雷は令子と多恵に手伝ってもらって、晋平と亜久良を警察病院に連れて行った。指を失った晋平は重傷だが、亜久良に至っては肉体的には無傷にも関わらず、他人を認識することもできず、手足がないと叫びながら身体を動かすことができなくなっていた。
 凌牙を始め四人の鬼を倒したものの、先の戦いで右の足首を無くした京士に加え、上杉方の精鋭にも大きな被害が出ていた。

「多恵さんと令子さんはどうしますか?」
 雷の問いには、もう戦いに参加しなくても構わない、というニュアンスが入っていた。
「これだけ仲間がやられたのに、ここで引き下がるわけにはいきません。必ず残る二人を見つけ出して、敵わぬまでも一矢報います」
 多恵は警察官らしく、責任感から後には退けないようだ。
 一方、令子は年齢相応に、思慮深い顔で静かに話し始めた。
「私は足手まといにならないように退くことにします。阿久里の姿を見ても力の差は歴然としています。いかに技を極めようと、人の領域では勝てない相手がいることがよく分かりました」
「令子さん、それで正しいと思う。あなたには二人の子供もいるんだ。その子たちのためにも、これ以上無理はしない方がいい」
 雷はできるだけ令子の自尊心を傷つけないように気を配った。四天王が駆け付けてくれなければ、父の命どころか鵺の祠も無事では済まなかっただろう。まんまとおびき出された挙句、八雲を救ったことで気が緩んで、倒れてしまった自分が恥ずかしい。

「多恵さん、あなたも前線には立たないでください。これは父からの伝言です。今後は警察とのパイプ役に徹してください」
 師範代からの指示とあって、多恵は唇を噛みながらもしぶしぶ頷いた。

 雷は病院を去って屋敷に急いだ。今頃父と剱山、そして八雲は、智成から大陸の鬼対策として、無心の一撃を教わっているはずだ。自分も早く帰って学ばなければと焦った。敵は神出鬼没だ。

 雷を見送って、令子は多恵を見つめた。その若さと気概が羨ましかった。
「本当にごめんなさい。同じ女性のあなたが、ふんばるのを目にしながら、私はもう戦えない」
「いいんです。令子さん。気にしないでください。あなたには本当に守らなければならない、大切な存在があるじゃないですか。その人たちのために命を大切してください」
 多恵は同じ女性として、令子の判断を支持した。
「ありがとう。それじゃあ、私は、もう行くわ」

 病院を出たところで、令子は生きて家族と会えることに感謝した。夫の昭二との間には七才の(そう)と三才の(りん)がいる。昭二は自分には勿体ないくらい優しい男で、子供たちの面倒見もいい。
 想は小学生になってから、どんどん自分に似て男らしくなっていく。最近はテレビの戦隊モノに影響されて、家族は自分が守るとよく口にする。
 凛は泣き虫だが、夫に似て優しい。アニメの口真似とか大好きで、家族のアイドルとして可愛がられている。
 子供たちは何ものにも代えがたい令子の宝物だ。早く帰って子供たちを抱きしめたい。令子は家路を急いだ。

 玄関に入って、家の様子に異変を感じた。いつもなら子供たちの大声で、もっと騒がしいはずなのに妙に静かだ。
 令子は胸騒ぎがして急いで家の中に入る。
 家族の団欒をする居間のドアを開けると、ボールが足元に転がって来た。
 想のいたずらかと思って、ボールを見て、絶叫した。
 ボールと思ったのは昭二の生首だった。

「お帰り」
 目の前でジウが子供たちを床に投げ捨てた。
 想が両手を伸ばしてジウから凛を庇う。
 ジウの右手が貫手を(かたど)る。
「ヤメテ―ーー」
 再び令子が絶叫した。


 三体の遺体の前で令子が膝まづいて肩を落とす。
 ジウはその前に立っていた。
「なんで、なんで、なんで……」
 令子は下を向いてぶつぶつと口走る。
 やがて、首をあげてジウを見上げて、キッと睨む。
「殺せ、私を殺せ、早く殺してよ」
 ジウは無表情でそんな令子を見ている。

「殺さないのなら、私があなたを殺す」
 令子は打突の構えからジウの人中めがけて突きを放った。
 ジウはその突きを首を捻ってかわし、令子の身体を抱きとめる。
「苦しいだろう、悔しいだろう、全ては戦いを放棄したお前の責任だ。世間は厳しい。お前がどんな犠牲を払ってこようと、そんなことは一顧だにしない。心が砕けたお前に罰をと叫ぶのだ」
 ジウは何度も同じ言葉を、抱き留められたまま抵抗しない令子に吹き込む。
 何度も何度も聞かされるうちに、令子の心に深い闇が広がっていく。
 心に広がった闇は、黒い紋様に成って令子の額に浮かび上がる。

「いいぞ、いい顔に成った」
 ジウはすっかり人相が変わった令子を、再び強く抱きしめ口づけをした。
「世間は私を許さなかった。鬼と闘った私の夫と子供たちを殺した」
「そうだ、世間はむごいことをする。人の世は残酷さに満ち溢れている。この日本を見ろ。何の責任も持たないものが、他人を匿名で叩きまくっている。そういう輩にお前の家族は殺されたのだ」
「許さない」
 令子は唇を噛み切った。
 唇から流れた血が、顎を伝わって床に落ちる。

「お前のような苦しみを追った者がいる一方で、大半の日本人は責任を他人任せにして文句ばかり言っている。この状態をお前はどうする」
「苦しみを与える」
「そうだ。お前が心底そう思うなら、私はお前に恨みを晴らす力を与えよう」
「欲しい、欲しい、何も知らず、責任を果たさない者を罰する力が欲しい」
 その言葉を聞き、ジウが初めて笑った。
 この世の全てが凍り付くような冷たい笑顔だった。
 ジウは令子を抱きしめ、身体から光を発し始めた。その光は令子の身体を包むように広がり、やがて令子の姿は光の中に消えた。


 暗い病室のベッドの上で独り眠り続ける亜久良を、一人の男が見下ろしていた。病室の窓から差し込む月の光が男の顔を照らす。男はイ・スホだった。
 スホは、亜久良の額に右手を当てて、目を閉じる。スホの思念が亜久良の心に流れ込み、亜久良の名を呼ぶ。
「お前は誰だ」
「イ・スホだ」
「何の用だ」
「お前は、四肢を切り取られ、もう身動きができない身体になった。お前の犠牲によって、上杉は守られた。どうだ犠牲になった気分は、満足か」
「……」
「上杉を救ったお前のことを、今は他の者は悲しみ哀れに思う。だが一月もすれば、お前を思う者はいなくなり、一年も経てば誰もお前の下を訪れなくなる。お前は一生手足を失ったままで、人々に忘れられこの病室の中で独りで生きていくのだ」
「……」
「この平和に満ちた日本の民は、その平和を守るためにお前のような犠牲者がいることを、知ろうともしない」
「ウー」
「お前は何のために戦ったのだ。そんな身体に成ってまで守ったものはなんだ」
「ウークソォー」
「元の身体に戻りたいか?」
「えっ」
「今の悔しい気持ちを平和を貪る者にぶつけるならば、手足を元に戻してやろう」
「……」
「誓えなければお前はこのままだ。もうおれは行く」
「待て!」
「誓うのか?」
「誓う、平和ボケした奴らに、本当に自分を守ってくれた者は誰か教えてやる」

 沈黙が流れた。
 手足の感覚が戻って来た。
「ある、手足がある。指が動く」
「どうだ」
「ああ、また自分の力で立つことができる」
「さあ、お前の為すべきことはなんだ」
「犠牲者を簡単に見捨てる世間への復讐だ」
「よし」
 スホが亜久良を抱きしめる。
 亜久良の心に暗い闇が広がり、額に黒い紋様を浮かび上がらせた。
「さあ、行こう」
 亜久良はスホに伴われ、病室を出て行った。
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